婚約破棄ですって!? 実はただの無自覚天然なだけです。

パリパリかぷちーの

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マーガリン公爵邸の庭園に、甘く香ばしい匂いが立ち込めていた。
今日のギルバート卿は、非番という名の「ポンドへの奉仕日」である。
彼は器用にフライパンを操り、私が以前から熱望していた「伝説の厚焼きホットケーキ」を焼き上げていた。

「……よし、完璧な色だ。ポンド、まずはバターが溶け切る前に一口食べてみてくれ」

「……卿、神の業ですね。この厚み、まるで私の理想を形にしたかのようです」

私はフォークを構え、まさに黄金の山に切り込もうとした。
だが、その至福の瞬間を、無機質な軍靴の音が踏みにじった。

「ギルバート・アイゼン騎士団長! 第一王子セドリック殿下より、緊急の公文書をお持ちした!」

現れたのは、殿下の息がかかった騎士団の副団長と、数名の兵士たちだ。
彼らは威圧的に書類を突き出し、平穏なティータイムをぶち壊した。

「……緊急だと? 私は今日、正式に休暇を申請しているはずだが」

「殿下の直命だ。北方の国境付近で魔獣の気配あり。団長は直ちに現地へ向かい、一ヶ月の視察を命ずる……とのことだ。……さあ、直ちに出立の準備を!」

副団長の言葉に、私は思わずホットケーキを凝視した。
一ヶ月。つまり、このホットケーキを焼いてくれるシェフが不在になるということだ。
それは私にとって、国家存亡の危機よりも深刻な事態であった。

「……卿。一ヶ月、ですか?」

「…………」

ギルバート卿から、言葉が消えた。
いや、言葉だけでなく、周囲の「生命の気配」が凍りついた。
ピキピキと、地面から立ち上がる氷の刃。
副団長たちが震え上がり、数歩後退する。

「……卿、冷気がフライパンに伝わっています。ホットケーキが、シャーベットになってしまいますよ」

「……すまない、ポンド。……だが、今、私は生まれて初めて、己の立場というものを呪っている」

ギルバート卿がゆっくりと立ち上がった。
その背後には、巨大な氷の龍が顕現しそうなほどの、凄まじい魔力が渦巻いている。
彼は副団長から書類をひったくると、一瞥もせずにその場で粉々に凍らせ、握りつぶした。

「なっ……な、何を!? それは殿下の公文書だぞ! 反逆罪だぞ!」

「……反逆? 笑わせるな。……私は今、この国で最も重要な『食の安全保障』を担っている。それを邪魔する者は、たとえ殿下であろうと容赦はせん」

「騎士団長の職務を放棄するのか!?」

「……放棄などしていない。……私は以前、陛下から『ポンド・フォン・マーガリンに関わる一切の優先権』を頂いている。……殿下の私怨による異動命令など、紙屑にも劣る」

ギルバート卿が一歩踏み出すごとに、庭園の木々が白銀に染まっていく。
彼の瞳は、かつて戦場で見せたという「絶対零度の処刑人」そのものだった。
だが、その怒りの理由は「おやつを邪魔されたから」という、極めて個人的なものだ。

「……帰りたまえ。そして殿下に伝えろ。……次に私の『大切な時間』を邪魔したら、王宮の全ての廊下をスケートリンクに変えてやると」

「ひ、ひいいっ! お、覚えていろよ!」

副団長たちは、尻餅をつきながら逃げ出していった。
嵐が去った後の庭園で、ギルバート卿は深く溜息をつき、再び私の隣に座った。

「……ポンド。すまない、少し騒がしくなった。……冷めていないか?」

「……卿。ホットケーキは無事ですが、卿の顔がまだ少し怖いです。……鬼神のようなお顔でホットケーキを見つめられると、生地が萎縮してしまいそうです」

「……っ。……そうか、済まない。……私は、君とのこの時間を、何よりも守りたいんだ。……例え、王宮を敵に回してもな」

ギルバート卿は、私の手からフォークを取り、自ら切り分けた一切れを私の口元へ運んだ。
その手は、先ほどの怒りが嘘のように優しく、温かい。

「……ほら、あーんだ。……毒見は私が済ませてある(※毒など入っていない)」

「……むぐ。……美味しいです、卿。……怒った後の卿の隠し味は、なんだか少し『情熱的なスパイス』が効いていますね」

「……情熱……。……そうか。……君がそう言ってくれるなら、私はいくらでも怒ってみせよう」

「いえ、平和が一番ですよ。……それにしても、王宮をスケートリンクにするというのは、なかなか素敵なアイデアですね。冬の移動が楽しくなりそうです」

「……ポンド。君が滑って転ぶのが目に見えるから、それは却下だ」

ギルバート卿の顔に、ようやくいつもの不器用な笑みが戻った。
泥沼令嬢の騎士様。
彼は今、一国の王子よりも、愛する女性の「お腹の鳴る音」に忠実な、最強の守護者となっていた。

「……卿。おかわり、焼けますか?」

「……ああ。……夜が明けるまで、いくらでも焼いてやるさ」

王宮での権力争いなど、私たちのテーブルの上では、ホットケーキの湯気よりも軽い存在でしかなかった。
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