悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

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「……で、昨晩の『ドラゴン召喚』の件ですが」

翌日の宰相執務室。

私は決裁書類をめくりながら、呆れた声を出した。

「まさか、全身緑色のタイツを着たアレクセイ殿下が、『我は竜なり! 火を吹くぞ!』と叫びながら会場を走り回るだけとは……」

「思い出すな。頭痛がする」

向かいの席で、クライヴ閣下がこめかみを押さえている。

「あの後、殿下は国王陛下にステッキで叩かれ、部屋に連行されましたね。ちなみに、その時の映像は私の『記憶の魔導具』にバッチリ保存しました」

「……何のために?」

「将来の交渉材料(切り札)です。この映像が流出したら、王家の威信に関わりますから」

私はニヤリと笑い、懐の魔導具を撫でた。

「さて、気を取り直して業務に戻りましょう。今日は平和ですね」

「いや、そうでもない」

閣下が重々しい口調で、一枚の招待状をデスクに滑らせてきた。

金箔で縁取られた、見るからに豪華で、そして面倒くさそうなカード。

「……嫌な予感がします」

「王家主催の『星降る夜の舞踏会』だ。来週開催される」

「パスでお願いします」

私は即答し、書類を押し返した。

「全貴族に招集がかかっている。欠席は許されない」

「……チッ」

私は思わず舌打ちをした。

「失礼しました。つい本音が。……はぁ、舞踏会ですか。人生で最も非生産的なイベントですね」

私は指折り数え始めた。

「まず、ドレス選びと着付けに三時間。移動に三十分。会場での整列と挨拶に一時間。そして中身のない社交辞令の応酬に二時間。……合計六時間三十分のロスです。この時間があれば、国境警備隊の給与計算がすべて終わります」

「君の計算はいつもシビアだな」

閣下は苦笑しつつ、私の手を取った。

「だが、今回は業務命令だと思って諦めてくれ。……そこで相談なんだが」

「何でしょう? 欠席するための診断書偽造なら得意ですが」

「違う。……私と一緒に行ってくれないか」

「はい?」

私はキョトンとした。

「パートナーとして、ということですか?」

「そうだ。宰相である私には、必ずパートナーを伴う慣習がある。これまでは適当な親戚を頼んでいたが……今は君という婚約者(仮)がいる」

閣下は私の目を真剣に見つめた。

「君と行きたい。君のエスコートをさせてほしいんだ」

甘い誘い文句だ。

普通の令嬢なら頬を染めて頷く場面だろう。

しかし、私は電卓を弾く。

(宰相閣下のパートナー……それはつまり、会場で最も注目を集めるポジション。挨拶の雨あられ。視線の集中砲火。……リスクが高すぎます)

「お断りします」

私はキッパリと言った。

「目立ちたくありません。壁の花として、ビュッフェのローストビーフを攻略する計画ですので」

「……そう言うと思った」

閣下は引かなかった。むしろ、不敵な笑みを浮かべた。

「リーフィ。君は勘違いをしている」

「勘違い?」

「私のパートナーになることこそが、君の望む『最短・最速・高効率』を実現する唯一の手段だ」

「……どういう論理ですか?」

閣下は指を一本立てて解説を始めた。

「いいか。君が一人で参加すれば、元・王太子の婚約者として、好奇の目に晒される。『あの可哀想なリーフィ様』と慰めを装った野次馬貴族に囲まれ、延々と事情聴取されるだろう」

「うっ……確かに」

「だが、私の横にいればどうだ?」

閣下から、冷気が漂い始めた。

その顔は、執務モードの「氷の宰相」そのものだ。

「私が『公務中』のオーラを出して君の腰を抱いていれば、誰も近寄れない。話しかけようとする者がいれば、私が視線だけで凍らせてやる」

「……!」

「つまり、君は『挨拶不要』『会話不要』『愛想笑い不要』の無敵ゾーンを手に入れることができる。これを『宰相バリア』と呼んでもいい」

なんという説得力。

私はゴクリと唾を飲んだ。

「さらに、宰相権限で料理は最上級のものが別室に用意される。並ぶ必要もない」

「……!」

「そして、私は多忙だ。開会の挨拶だけ済ませれば、早々に退席する口実が立つ。滞在時間は三十分で済むだろう」

「……三十分!」

私はガバッと立ち上がった。

「素晴らしい! 完璧なソリューションです!」

「だろう?」

「『宰相バリア』と『ファストパス(優先権)』、そして『早期撤退』……これほど合理的な舞踏会プランは聞いたことがありません!」

私は閣下の手をガッチリと握り返した。

「乗りました、その案件! 私をエスコートしてください、壁(バリア)として!」

「……壁扱いか。まあいい、君が承諾してくれるなら」

閣下は満足げに頷いた。

「では、ドレスの手配だが……」

「あ、それなら手持ちの地味な紺色のドレスで十分です。目立たないのが一番ですので」

「いや、それは駄目だ」

閣下の目がキラリと光った。

「君は私の隣に立つんだ。我が国の宰相の婚約者が、地味であっては私の面子が潰れる」

「面子? 非合理的ですね」

「これは『外交戦略』だ。舐められないための武装だよ」

閣下はどこか楽しそうに、先日の宝飾店のカタログ(まだ持っていたのか)を取り出した。

「明日、私の馴染みの店に行こう。君を最高に美しく……いや、最高に『機能的かつ高性能な美しさ』に仕上げてみせる」

「機能的な美しさ……?」

嫌な予感がする。

この人、スイッチが入ると加減を知らないからな。

「安心しろ。コルセットは緩め、靴は走りやすい特注品を用意させる。ただし、見た目は王族を凌駕するレベルでな」

「走りやすい靴……それはありがたいですが」

「決まりだ。明日は半休を取って街へ出るぞ。デートだ」

「……資材調達(ショッピング)ですね。了解しました」

こうして、私たちは次なる戦場「ブティック」へと向かうことになった。

私はまだ知らなかった。

「氷の宰相」が本気で着せ替え人形遊び(プロデュース)をした時、どれほどの破壊力が生まれるかを。

そして、その姿を見たアレクセイ殿下が、会場で泡を吹いて倒れることになる未来を。

「……ま、とりあえずローストビーフが確保できれば何でもいいです」

私は気楽に構えていたが、その考えが甘かったことを翌日思い知らされるのである。
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