悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

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「……困った」

宰相執務室。

午後のティータイムの時間、クライヴ・アークライト公爵は、眉間に深い皺を寄せていた。

その手には、一枚のカタログがある。

「どうされました、閣下? またアレクセイ殿下が何かやらかしましたか?」

向かいのデスクで、ものすごい速度で決裁印を押していた私が尋ねると、閣下は首を横に振った。

「いや、殿下の件ではない。……私事だ」

「私事? 珍しいですね。閣下にプライベートな悩みがあるとは」

「リーフィ、君のせいだぞ」

「はい?」

私が手を止めると、閣下は少し顔を赤らめてカタログを差し出した。

それは、王都で一番有名な宝飾店のカタログだった。

「……君に、何か贈りたいと思ったんだ」

「贈り物、ですか?」

「ああ。君が来てから、私の生活は劇的に改善された。食生活は豊かになり、睡眠時間は確保され、業務効率は三倍になった。その……感謝の気持ちを形にしたいと思ってな」

閣下は視線を泳がせながら言った。

「だが、女性に何を贈ればいいのか皆目検討がつかん。補佐官たちに聞いたら、『薔薇の花束百本です!』とか『愛のポエム集です!』とか、ろくな意見が出てこなくてな」

「それは却下ですね。薔薇百本は花瓶に困りますし、ポエム集は資源の無駄です」

私は即答した。

「だろう? そこでだ。君の欲しいものを直接聞いたほうが早いという結論に達した。……何かあるか? 予算は気にするな」

閣下は期待に満ちた目で私を見ている。

「宝石でも、ドレスでも、あるいは別荘でもいいぞ」

普通の令嬢なら、ここで目を輝かせて「エメラルドのネックレスが欲しいわ!」などと言う場面だろう。

しかし、私はリーフィ・ベルンシュタイン。

実用性こそが正義である。

私はカタログをパラパラと捲った。

「宝石……綺麗ですが、機能性が皆無ですね。重いですし、肩が凝ります」

「……そうか」

「ドレスも、今の流行はコルセットがきつすぎて内臓を圧迫します。業務効率が低下するので着たくありません」

「……なるほど」

「別荘は維持管理費がかかります。たまにしか行かない場所に固定資産税を払うのはナンセンスです」

「……手厳しいな」

閣下は苦笑した。

「では、君は何なら喜ぶんだ?」

私はニヤリと笑った。

待っていました、その言葉。

私は引き出しから、あらかじめ用意しておいた(!)別のカタログを取り出した。

「実は、以前から目をつけていたものがありまして」

「ほう! なんだ?」

「こちらです」

私が指差したのは、魔導具専門店『マギ・テック』の最新製品チラシだった。

そこに掲載されているのは、無骨な金属の箱。

『最新型魔導計算機・改 ~従来の三倍の演算速度! 複式簿記対応! 徹夜のお供に!~』

「……計算機?」

閣下が目を点にした。

「はい。現在使っている計算機は型が古く、国家予算規模の桁数になると処理落ちするんです。ですが、この新型なら三十桁まで対応可能! しかも魔力消費量が半分で、自動保存機能もついています!」

私は熱弁を振るった。

「これがあれば、年末の決算処理が今の半分の時間で終わります! 空いた時間で閣下とゆっくりお茶ができますよ!」

宝石よりも熱っぽく、愛を語るように計算機のスペックを語る私。

閣下はしばらく呆然としていたが、やがて「ふっ」と吹き出した。

「くくく……はははは!」

「え、何がおかしいのですか?」

「いや、すまない。……君らしいなと思って」

閣下はお腹を抱えて笑った。

「普通の令嬢は、宝石をねだる。それを身につけて夜会で自慢するために。だが君は、『私との時間を作るため』に計算機をねだるのか」

「……結果としてそうなりますね」

「愛おしいな」

「へ?」

閣下は立ち上がり、私の席まで来ると、背後からふわりと抱きしめた。

「え、ちょ、閣下!? ここは執務室……!」

「構わん。今は休憩時間だ」

閣下の体温と、微かな紅茶の香りが私を包む。

耳元で囁かれる声が甘い。

「君のそういう、飾らないところが好きだ。実利を求めつつ、その目的が『二人の時間』だなんて……殺し文句にも程があるぞ」

「あ、あの……私はただ、効率化を……」

「わかった。買おう。その計算機だけじゃない。店ごと買い占めてもいい」

「店はいりません! 在庫管理が面倒です!」

「じゃあ、このシリーズのオプションパーツも全部だ。専用ケースも、予備の魔石も、最高級品を揃えよう」

「……! そ、それは魅力的ですね……」

私はゴクリと唾を飲んだ。

オプションパーツ……それは、魅惑の響き。

「ありがとう、リーフィ。君のおかげで、贈り物の正解がわかった」

閣下は私の髪に口づけを落とした。

「君には『自由な時間』と、それを生み出す『道具』を贈ればいいんだな」

「正解です。さすが閣下、学習能力が高いですね」

こうして、数日後。

宰相執務室には、鈍く輝く最新鋭の魔導計算機が鎮座していた。

「素晴らしい……! このキータッチの感触、吸い付くようです!」

私は頬を紅潮させ、パチパチとキーを叩いた。

「おお! 前年度比の算出が一瞬で! 見てください閣下、この処理速度!」

「ああ、すごいな(君の笑顔が)」

閣下は計算機ではなく、はしゃぐ私を見て満足げに頷いている。

その日、私たちは予定より二時間も早く仕事を終えた。

「さて、リーフィ。浮いた時間で何をしようか?」

夕暮れの執務室。

閣下が妖艶な笑みを浮かべて近づいてくる。

「えーっと……おいしいレストランの予約を……」

「それもいいが、もっと有効な時間の使い方があるだろう?」

ドン、と壁に追い詰められる(壁ドン)。

「か、閣下?」

「計算機のお礼は? 言葉だけじゃ足りないな」

「い、一割増しで働きます……」

「却下だ。労働以外の奉仕を要求する」

閣下の顔が近づいてくる。

唇が触れそうになった、その時。

バンッ!

勢いよく扉が開いた。

「た、大変です閣下! 緊急事態です!」

飛び込んできたのは、青ざめた補佐官だった。

私たちはサッと離れた。

「……なんだ、騒々しい。今、非常に重要な『会議』中だったのだが」

閣下が不機嫌オーラ全開で睨む。

「も、申し訳ありません! ですが、アレクセイ殿下が……!」

「またか」

私たちは同時に溜息をついた。

「殿下が、隣国の使節団を歓迎するパーティーで、『余興』としてとんでもないことをやらかそうとしています!」

「とんでもないこと?」

「はい……。なんでも、『ドラゴン召喚の儀式』を行うと……」

「はあああああ!?」

私の叫び声が執務室に響いた。

「ドラゴン!? 室内で!? 火事になりますよ!?」

「いや、問題はそこじゃないだろうリーフィ……」

閣下が額を押さえた。

「召喚魔法など、王族でも扱える者は少ない。素人が手を出せば暴走するぞ」

「……つまり、今すぐ止めに行かないと、王城が火の海になり、私の計算機も灰になるということですね?」

「そういうことだ」

私はガバッと計算機を抱きしめた。

「許せません。私の宝物を守るため、出撃します!」

「動機が不純だが、頼もしいな」

閣下は苦笑しつつ、私の手を取った。

「行こう、リーフィ。我々の平穏な定時退社のために」

「はい、閣下(ボス)!」

私たちは戦場(パーティー会場)へと向かった。

せっかくの甘い雰囲気は霧散したが、私の手には最高の相棒(計算機)がある。

これさえあれば、どんなトラブルも計算ずくで解決してみせる。

そう意気込む私だったが、まさか会場で待ち受けていたのが、本物のドラゴンではなく「トカゲの着ぐるみを着たアレクセイ殿下」だとは、この時の私は知る由もなかったのである。
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