悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

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「……お帰りなさい、リーフィ。そして、宰相閣下まで……」

ベルンシュタイン侯爵邸の応接室。

父、ベルンシュタイン侯爵は、沈痛な面持ちで私たちを迎えた。

部屋の空気は重い。

テーブルの上には、王家の紋章が入った督促状のような手紙が何通も置かれている。

「単刀直入に言おう。リーフィ、城に戻りなさい」

父は苦渋の決断という顔で告げた。

「王家からの圧力が限界だ。『娘を差し出さなければ、ベルンシュタイン家の過去の借金を公表し、爵位剥奪も辞さない』と脅されている」

「なんと卑劣な……」

私が眉をひそめると、父はガックリと項垂れた。

「すまない。私が事業に失敗して作った借金のせいで、お前を政治の道具にしてしまった。……だが、家を守るためには、お前を犠牲にするしか……」

「お父様」

私は冷静に遮った。

「その『借金』ですが、総額はおいくらですか?」

「……金貨五万枚(約五億ゴールド)だ。とても返せる額ではない」

父の声が震える。

確かに大金だ。王都の屋敷が三軒買える。

私が宰相府で一生懸命働いても、返済には三十年はかかるだろう。

「……なるほど。五万枚ですか」

私が計算機を取り出そうとした、その時。

「安いな」

隣に座っていたクライヴ閣下が、つまらなそうに呟いた。

「……は?」

父が顔を上げた。

閣下は懐から小切手帳と万年筆を取り出し、サラサラと何かを書き込んだ。

そして、その紙切れをペラリとテーブルに放った。

「これで全額、即時返済してください。ついでに、領地の開発資金として二万枚ほど上乗せしておきました」

「……え?」

父が震える手で小切手を確認する。

そこには『金貨七万枚』という、見たこともない数字が書かれていた。

「な、な、な……!? さ、宰相閣下!? これは……本物ですか!?」

「私の署名があります。どの銀行でも換金可能です」

「し、しかし、なぜ赤の他人の我が家にこれほどの……!?」

「他人ではありません」

閣下は優雅に足を組み、私の方を見てニッコリと笑った。

「将来の『義父上』への結納金です」

「け、結納金……!?」

「はい。ベルンシュタイン侯爵。この借金を私が肩代わりする条件は三つです」

閣下は指を三本立てた。

「一、リーフィ・ベルンシュタインを正式に私の妻として認めること」

「二、今後一切、王家からの不当な要求には従わず、我がアークライト派閥の傘下に入ること」

「三、リーフィを二度と『道具』として扱わず、彼女の意思を尊重すること」

閣下は鋭い眼光で父を射抜いた。

「……これだけの条件で、借金は帳消しにし、貴殿の家を私が全力でバックアップします。いかがですか?」

父は一瞬で計算を終えたようだ。

そして、土下座の勢いで頭を下げた。

「喜んでぇぇぇッ!! 娘をよろしくお願いしますぅぅぅッ!!」

「お父様、プライドは?」

私が冷めた目で突っ込むと、父は顔を上げて叫んだ。

「プライドで飯が食えるか! これからはアークライト閣下が私の神だ!」

「……そうですか」

まあ、合理的ではある。

王家という泥船に乗るより、宰相という豪華客船に乗る方が生存確率は高い。

「商談成立ですね」

閣下は満足げに頷き、立ち上がった。

「ではリーフィ。荷物をまとめなさい。今日から君の実家(ここ)ではなく、私の屋敷が君の『本拠地』だ」

「……あ、あの閣下」

私は恐る恐る尋ねた。

「借金の肩代わりは感謝しますが、これでは私は閣下に『五億ゴールドの借金』をしたことになりませんか?」

「そうだな」

閣下は悪戯っぽく笑った。

「君の給与から天引きしてもいいが……計算してみろ。完済まで何年かかる?」

「……現在の年収で試算すると、約四十五年です。定年を過ぎます」

「だろう? 一生かかっても返せない額だ」

閣下は私の腰を引き寄せ、耳元で甘く囁いた。

「つまり、君はもう私から逃げられないということだ。……一生かけて、体で(労働で)返してもらうぞ」

「……っ!」

なんて巧妙な罠だろうか。

借金という鎖で、私を物理的に縛り付けたのだ。

しかも、その鎖は「アークライト公爵夫人」という、とてつもなく豪華で頑丈な鎖である。

「……わかりました。覚悟を決めます」

私は溜息をつきつつ、閣下の胸に手を置いた。

「完済するまで、馬車馬のように働かせていただきます」

「ふふ、期待しているよ。……夜の業務も含めてな」

「それは契約外です」

「オプションだ」

こうして、私の実家問題は、札束という圧倒的な物理攻撃によって解決した。

父は涙ながらに私たちを見送り、私は完全に「アークライト家の人間」として囲い込まれた。

帰りの馬車の中。

「……それにしても、五億ゴールドをポンと出すなんて。閣下の金銭感覚はどうなっているのですか?」

私が呆れて聞くと、閣下は涼しい顔で答えた。

「国一番の資産家を舐めるな。それに、君という『国宝級の人材』が五億で手に入るなら、バーゲンセールもいいところだ」

「……私の価値、高騰しすぎていませんか?」

「私にとってはプライスレスだ」

閣下は私の手を握りしめ、幸せそうに微笑んでいる。

外堀は埋まった。

逃げ道はない。

あとは、来月の建国記念式典で、王家との最終決戦を迎えるのみだ。

だが、追い詰められたアレクセイ殿下が、最後の悪あがきとして「ある噂」を流し始めたことを、私たちはまだ知らなかった。

『宰相が国を乗っ取ろうとしている! リーフィはそのためのスパイだ!』

そんな、子供じみた、しかし大衆の不安を煽るには十分なデマが、王都の酒場から広まり始めていたのである。
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