悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
24 / 28

24

しおりを挟む
「おはよう、リーフィ。昨夜はよく眠れたかい?」

翌朝。

燦々と朝日が降り注ぐダイニングルームで、クライヴ様が眩しい笑顔で私を迎えた。

彼は上機嫌だった。

それもそうだろう。昨夜、長年の(といっても一ヶ月だが)片思いが成就し、正式に婚約者となったのだから。

背景に薔薇の花が咲き乱れている幻覚が見えるほど、今の彼は「幸せオーラ」を全開にしている。

「おはようございます、クライヴ様。睡眠効率は良好でした」

私は席に着き、家令のハンスさんが淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ。

そして、愛用の鞄から分厚い書類の束を取り出し、ドサリとテーブルに置いた。

「……なんだ、それは? 愛の交換日記か?」

クライヴ様が期待に満ちた目で聞いてくる。

「いいえ。『婚姻に伴う生活協定書(草案)』です」

「……け、契約書?」

「はい。昨夜のプロポーズ受諾は『基本合意』に過ぎません。円滑な結婚生活を送るためには、詳細な運用ルール(SLA)を定めておく必要があります」

私は書類をめくり、ペンを構えた。

「ロマンも大切ですが、生活は現実です。特に私たちのような多忙な共働き夫婦にとって、ルールの不明確さは争いの種(リスク)になります」

「……君らしいな」

クライヴ様は苦笑しつつ、愛おしそうに私を見つめた。

「わかった。君の提案を聞こう。どんな条項だ?」

「まず第一条。『公私混同の禁止について』」

私は読み上げた。

「執務室でのイチャイチャ行為は、業務効率を著しく低下させるため、原則禁止とします。特に『膝枕』『壁ドン』『不意打ちのキス』は、休憩時間及び退勤後のみ許可するものとします」

「異議あり」

クライヴ様が即座に手を挙げた。

「なんだい、その厳しい制限は。私は君の働く姿を見ると、無性に抱きしめたくなる衝動に駆られるんだ。それを我慢しろと?」

「我慢してください。先日もあなたが私の首筋にキスをしたせいで、決算書の数字が一桁ズレかけました。国家予算に関わるミスです」

「……むう。だが、スキンシップによるストレス軽減効果も実証されているはずだ」

「では、一日三回まで『補給タイム』を設けます。それ以上は有料(残業扱い)です」

「わかった。妥協しよう」

「次に第二条。『家事分担と資産管理について』」

私は次々と項目を読み上げていく。

私の給与口座の管理権限。
休日の過ごし方(ゴロゴロする権利の保証)。
そして、万が一喧嘩をした際の仲直りプロトコル(解決手順)。

普通なら、「愛があればルールなんていらない」と言うかもしれない。

けれど、私は違う。

ルールがあるからこそ、安心して背中を預けられる。

言葉にして確認し合うからこそ、誤解やすれ違いを防げる。

それが、私なりの「誠実さ」であり、彼への「愛の形」なのだ。

「……以上、全五十条です。修正点はありますか?」

私が説明を終えると、クライヴ様はコーヒーカップを置き、静かに私を見つめた。

怒っているだろうか。

ムードがないと呆れられただろうか。

少し不安になって彼を見ると、彼は――泣いていた。

「……っ!? ク、クライヴ様!?」

「すまない……嬉しくて……」

彼はハンカチで目元を拭った。

「君がこれほど真剣に、私との『未来』を考えてくれていたなんて……」

「は?」

「どうでもいい相手なら、こんな細かいルールなんて作らないだろう? 君はこの契約書を通して、『一生私と添い遂げる覚悟』を見せてくれたんだ」

クライヴ様は契約書を手に取り、愛しげに撫でた。

「この第五十条、『老後の茶飲み友達としての確約』……なんて愛おしい条項なんだ。君はもう、六十年後のことまで考えてくれているのか」

「あ、それはリスクヘッジの一環で……」

「サインするよ。中身なんて読まなくてもいい。君が作ったルールなら、それが私にとっての世界の法律だ」

彼はペンを取り、サラサラと署名した。

「ちょ、読んでください! 『全財産をリーフィに譲渡する』とか書いてあったらどうするんですか!」

「構わん。私の命ごと君にくれてやる」

「……重いです」

私は顔を赤らめて視線を逸らした。

この人の「全肯定」ぶりには、私の計算機もオーバーヒート気味だ。

「さて、契約締結も済んだことだし」

クライヴ様は署名済みの契約書をハンスさんに渡し(「額縁に入れて家宝にする」と言っていた)、改めて私に向き直った。

「次は、最大のイベントの準備だな」

「ええ。そうですね」

私は手帳を開いた。

「『結婚式』の件です」

「ああ! 一生に一度の晴れ舞台だ!」

クライヴ様の目が少年のように輝く。

「私の希望としては、王都の大聖堂を貸し切り、一週間にわたる祝祭を行いたい。招待客は国内外から三千人。パレードには魔法で花吹雪を舞わせ、夜は花火を打ち上げる」

「……」

私の手が止まった。

「……はい?」

「衣装は最低でも十着はお色直しをしたいな。君のウェディングドレス姿……想像しただけで涙が出そうだ」

「ちょっと待ってください」

私は「待った」をかけた。

「一週間? 三千人? 十着?」

「ああ。我がアークライト公爵家の威信と、私の君への愛を示すには、これでも控えめなくらいだ」

「却下です」

私は即答した。

「正気ですか? 一週間も拘束されたら業務が滞ります。三千人の挨拶回りなんてしたら、私の顔面筋肉が痙攣して『笑顔地蔵』になってしまいます」

「しかし、結婚式だぞ?」

「結婚式とは、『法的契約の完了を社会的に通知する儀式』です。必要最小限で十分です」

私は自分のプラン(ペラ紙一枚)を提示した。

「私の提案はこちら。『フォトウェディング+親族のみの食事会』。所要時間三時間。衣装は一着。これなら日帰りで済みますし、予算も百分の一で済みます」

「……さ、三時間……?」

クライヴ様が絶句した。

「リーフィ……君は、夢がないのか?」

「夢より実益です。浮いた予算で新居の設備投資(全自動洗濯機など)をした方が、よほど建設的です」

「いや、駄目だ! 譲れない!」

クライヴ様がバンッとテーブルを叩いた。

「私は君を世界一の美女として自慢したいんだ! あのドレス姿を全人類に見せつけたいんだ! 写真だけで終わらせるなんて、資源(君の美貌)の無駄遣いだ!」

「見せびらかす必要はありません! 自己満足です!」

「自己満足で何が悪い! 愛とは自己満足の押し付け合いだ!」

「開き直りましたね!?」

朝の爽やかなダイニングルームが、一瞬にして戦場と化した。

ロマン派(クライヴ)VS 合理派(リーフィ)。

絶対に交わらない二つの正義が、火花を散らす。

「いいかい、リーフィ。君は自分の価値を過小評価している。君が花嫁衣装を着れば、その輝きで王都の照明代が浮くレベルなんだぞ!」

「意味がわかりません! 大体、重いドレスを着て一日中立ちっぱなしなんて、拷問です!」

「私がずっと抱っこしてやる!」

「それこそ衆人環視の恥辱プレイです!」

私たちは睨み合った。

お互いに一歩も引かない。

ハンスさんや使用人たちが、ハラハラしながら見守っている。

「……わかりました」

私が先に息を吐いた。

「平行線ですね。ここは一つ、折衷案を出すべきです」

「折衷案?」

「はい。お互いの要求を取り入れつつ、許容範囲内で着地させる。……交渉(ネゴシエーション)の時間です」

私はニヤリと笑った。

結婚生活最初の共同作業が、「ケーキ入刀」ではなく「結婚式の規模を巡るガチ交渉」になるとは。

「望むところだ。私も伊達に宰相をやっていない。君を論破して、必ず豪華絢爛な式を挙げさせてみせる」

クライヴ様も不敵に笑う。

「負けませんよ。私のコスト意識を甘く見ないでください」

こうして、私たちの「幸せな結婚準備」という名の、血で血を洗うプレゼン合戦の幕が切って落とされた。

愛しているからこそ、譲れないものがある。

……まあ、端から見れば「ただのバカップルの喧嘩」にしか見えないのだが。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

お子ちゃま王子様と婚約破棄をしたらその後出会いに恵まれました

さこの
恋愛
   私の婚約者は一つ歳下の王子様。私は伯爵家の娘で資産家の娘です。  学園卒業後は私の家に婿入りすると決まっている。第三王子殿下と言うこともあり甘やかされて育って来て、子供の様に我儘。 婚約者というより歳の離れた弟(出来の悪い)みたい……  この国は実力主義社会なので、我儘王子様は婿入りが一番楽なはずなんだけど……    私は口うるさい?   好きな人ができた?  ……婚約破棄承りました。  全二十四話の、五万字ちょっとの執筆済みになります。完結まで毎日更新します( .ˬ.)"

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

処理中です...