その婚約破棄、全力で歓迎します。

パリパリかぷちーの

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「ユミリア。今日は息抜きに出かけよう」

休日の朝、クラウス様が珍しくラフな私服姿で現れた。

シャツのボタンを一つ開け、眼鏡のフレームを変えている。

それだけで破壊力が三割増しだ。

「息抜き、ですか? まだ第三倉庫の棚卸し計算が終わっていませんが」

「それは明日でいい。今日は領都の視察だ。……あくまで視察だぞ? 市場調査という名目の」

彼は少し照れくさそうに咳払いをした。

「なるほど、フィールドワークですね。承知しました。直ちに準備します」

私は二分で支度を整えた。

動きやすいドレスに、メモ帳、万年筆、そして簡易計算機。

完璧だ。

「では参りましょう、クラウス様」

「ああ。……その、手はどうする?」

「手?」

「人混みではぐれると、探すのに平均15分のタイムロスが発生する。手を繋ぐのが最も合理的だ」

「確かに。リスク管理は重要です」

私は迷わず彼の手を取った。

クラウス様の体温が伝わってくる。

少し熱い気がするが、おそらく今日の気温が高いせいだろう。

私たちは手を繋いだまま、賑わう領都のメインストリートへと繰り出した。

          ◇ ◇ ◇

「……見てください、あそこのパン屋」

通りを歩き始めて数分、私は鋭く指摘した。

「行列が歩道にはみ出しています。通行人の歩行速度を平均20%低下させていますわ」

「うむ。あそこは人気店だが、レジの処理速度が追いついていないな。パンの陳列順を変えて、客が選ぶ時間を短縮させるべきだ」

「正解です。入り口に『おすすめセット』を配置すれば、優柔不断な客の滞在時間を30秒削れます」

「素晴らしい案だ。後で店主に提案書を送ろう」

私たちは立ち止まることなく、歩きながら高速で改善案を出し合う。

その様子を見ていた八百屋のおじさんが、ニコニコと声をかけてきた。

「おや、旦那様と奥様! 仲が良いねぇ! 二人の世界に入っちゃって!」

「え?」

「いいよなぁ、若いってのは。道端で見つめ合ってヒソヒソ話なんて、熱々だねぇ!」

おじさんは勘違いしている。

私たちは見つめ合っていたのではなく、パン屋の動線を凝視していただけだし、ヒソヒソ話の内容は物流改革についてだ。

「いえ、私たちは……」

私が否定しようとすると、クラウス様がそれを遮った。

「ああ、妻との会話が楽しくてね。つい夢中になってしまった」

「妻!? いつの間に!」

クラウス様が私の腰に手を回し、引き寄せる。

距離がゼロになる。

心臓が「異常値」を叩き出しそうになった。

「こら、あなた。あまり人前でいちゃつくのは非効率的よ(恥ずかしすぎて会話が進まないわ)」

「すまない。君が優秀すぎて(可愛すぎて)、つい独占したくなるんだ」

「ひゅー! ごちそうさん! これ、おまけしとくよ!」

おじさんは真っ赤なリンゴを二つ、私に放り投げた。

「ありがとうございます。原価率を圧迫しませんか?」

「いいってことよ! 幸せのお裾分けだ!」

私たちはリンゴを齧りながら、再び歩き出した。

「……クラウス様。あのような嘘は、情報錯乱を招きます」

「嘘ではない。近い将来の『予定』を述べただけだ」

彼は平然と言い放ち、リンゴをシャリと音を立てて食べた。

「それに、カップルを装った方が、街の人々の警戒心が解けて本音が聞ける。覆面調査としては最適解だ」

「……ぐうの音も出ません」

論理で武装されると弱い。

私は赤くなった頬を隠すように、リンゴを強く齧った。



その後も、私たちの「デート(視察)」は続いた。

服屋の前では。

「このドレスのデザイン、布の裁断ロスが多いです。パターンを変えればコストを1割下げられます」

「同意だ。だが、その余った布で作るリボンは、君に似合いそうだ」

「……無駄な装飾は好みません」

「私が君を見たいという『需要』がある。需要があれば生産は正当化されるはずだ」

「うっ……」

カフェのテラス席では。

「一つしかない限定パフェを二人でシェアする。これにより、カロリー摂取量を半減させつつ、味のデータ収集は完了できる」

「合理的だ。あーん」

「……自分で食べられます」

「スプーンを二つ使うと洗い物が増える。私が君の口に運べば、スプーンは一つで済む」

「……くっ、論理的です」

私は震えながら、クラウス様が差し出したスプーンからパフェを食べた。

甘い。

パフェも甘いが、この空気感が甘すぎて胃もたれしそうだ。

周囲の客たちは、「キャーッ!」「公爵様があんなにデレデレよ!」「見てるこっちが恥ずかしい!」と顔を覆っている。

私たちはただ、資源の節約について実践しているだけなのに。

夕暮れ時。

私たちは街が一望できる丘の上の公園にいた。

「どうだった、今日の視察は?」

ベンチに座り、クラウス様が尋ねる。

「はい。有意義でした。改善すべき点は34箇所、新規ビジネスの種が12個見つかりました。報告書は明日までに」

「仕事熱心だな。……私は、別の発見があった」

「別の?」

クラウス様は夕日に染まる街を見下ろし、目を細めた。

「私は今まで、この街を『管理すべき対象』としてしか見ていなかった。数字と図面上の存在だ。だが、君と歩くと……街が生きているように感じる」

彼は私の方を向き、眼鏡の奥の瞳を優しく揺らした。

「君の隣にいると、世界が鮮やかに見えるんだ。これも君の言う『効率化』の恩恵かな?」

「……それは、視覚情報の処理速度が上がっただけでは?」

「かもしれない。だが、君のおかげで人生の幸福度が上昇カーブを描いているのは事実だ」

クラウス様の手が、私の手に重ねられる。

今度は「はぐれないため」ではない。

ただ触れたいから、という明確な意思を感じる温かさだった。

「ユミリア。これからも、私の隣で計算を続けてくれないか? 一生分の契約で」

それは、実質的なプロポーズ第二弾だった。

私の心臓にある計算機が、オーバーヒートでエラーを吐き出す。

利益とか、損失とか、そんな理屈を超えた感情が胸を満たしていく。

「……検討します。条件は悪くありませんので」

「ふふ、厳しいな」

「ですが……独占契約の優先権は、貴方様に差し上げます」

精一杯のデレ(?)を見せると、クラウス様は本当に嬉しそうに笑い、私の手の甲に口づけを落とした。

「契約成立、と見なしていいかな?」

「まだ仮契約です」

私たちは夕日の下、寄り添って座った。

その影は一つに重なり、誰がどう見ても「世界一幸せなバカップル」のそれだった。

手帳にはこう記した。

『本日の成果:街の改善案多数。および、心拍数の異常上昇に関する臨床データ1件』
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