その婚約破棄、全力で歓迎します。

パリパリかぷちーの

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「ユミリア様。お客様です」

ある日の午後。

私がクラウス様の執務室で、領内の教育予算について議論していると、執事が困惑した顔で入ってきた。

「アポイントメントのない訪問は原則お断りしているはずですが」

私が顔を上げずに答えると、執事はさらに眉を下げた。

「それが……祖国からの勅使だそうで。『大至急、ユミリアに会わせろ』と玄関で騒いでおられます」

私の手が止まる。

隣で書類を見ていたクラウス様が、スッと眼鏡を押し上げた。

「……来たか。思ったより早かったな」

「ええ。あと三日は粘ると思っていましたが、意外と根性がありませんでしたね」

私はペンを置き、ため息をついた。

「通してください。ただし、泥を落としてから」



通されたのは、かつて王城で見かけたことのある、態度の大きな侍従だった。

彼は部屋に入るなり、私を睨みつけ、そしてクラウス様には媚びへつらうような卑屈な笑みを向けた。

「これはクラウス公爵閣下。突然の訪問、失礼いたします。我が国の第一王子、アレクセイ殿下からの親書をお持ちしました」

「親書?」

クラウス様が冷ややかに返す。

「正式な外交ルートを通していない書簡は、ただの落書きと同じだが?」

「い、いえ! これはユミリア・フォン・ローゼン個人への、慈悲深い『赦し』の手紙です!」

侍従は恭しく巻物を取り出し、私に突きつけた。

「ありがたく受け取れ、ユミリア! 殿下が寛大なお心で、お前の罪を許し、帰還を許可してくださるそうだ!」

私は無表情でそれを受け取った。

封蝋は雑に割れており、羊皮紙には何かのシミ(たぶんコーヒー)がついている。

「……読みます」

私は手紙を開いた。

『拝啓 ユミリアへ

 元気にしていないことだろう。私がいなくて寂しくて泣いている姿が目に浮かぶ。
 さて、国の方は順調だが、お前がいないと書類の整理をする者がいなくて少しだけ困っている。
 ニーナも「お姉様がいなくて寂しい」と言っているぞ。
 そこでだ。特例として、お前が城に戻ることを許可してやる。
 今すぐ帰ってきて、私の溜まった書類(高さ3メートル)を片付けろ。
 そうすれば、側室……いや、愛人の一人として置いてやらなくもない。
 感謝して、涙を流しながら戻ってくるように。

 追伸:帰りに美味しいパンを買ってこい。城のパンは硬くて食えん。

 アレクセイより』

読み終えた瞬間。

私の脳内で、何かが「プチン」と切れる音がした。

怒りではない。

呆れでもない。

純粋な『教育的指導心』に火がついたのだ。

「……執事。赤ペンを持ってきて」

「は、はい」

私は渡された赤インクの万年筆キャップを、親指で弾き飛ばした。

「ユ、ユミリア? 何をする気だ?」

侍従がたじろぐ。

私は聞く耳を持たず、手紙の上にペンを走らせた。

「まず、冒頭の挨拶。『元気にしていないことだろう』は主観的すぎます。相手の安否を気遣う定型文『いかがお過ごしでしょうか』に修正」

カリカリカリッ! と赤い線が引かれる。

「次に『国の方は順調』。嘘はいけません。客観的データに基づき『破綻寸前』と正直に書くべきです」

「なっ……!?」

「『ニーナも寂しいと言っている』。彼女の発言を引用する必要性は皆無です。削除」

二重線で抹消。

「『戻ることを許可してやる』。論理破綻しています。私は追放されたのではなく、自主的に離脱しました。正しくは『どうか戻ってきてください、お願いします』です」

「き、貴様! 殿下の文章を添削するとは!」

「『愛人の一人として』。雇用条件として最低です。労働基準法違反。却下」

バツ印を大きく書き込む。

「そして極めつけは追伸。『パンを買ってこい』。パシリ扱いですか? 自分の食い扶持くらい自分で稼ぎなさい」

私は最後の一文を赤いインクで塗りつぶし、余白に大きくこう書き殴った。

『再提出(期限なし)』

「はい、終わり」

私は真っ赤になった手紙を巻き直し、ポカンと口を開けている侍従に投げ返した。

「持って帰りなさい。そして殿下に伝えなさい。『文章構成を一から勉強し直してこい。出直せ』と」

「ふ、不敬だぞ! こんなことが許されると……!」

「許されるも何も、私はもう貴国の民ではありません。ガレリア帝国の納税者です」

私が腕を組むと、背後で見ていたクラウス様が、笑いを堪えきれずに肩を震わせていた。

「ふっ……くくく……見事な添削だ、ユミリア。特に『再提出』の文字の筆圧が素晴らしい」

「お褒めいただき光栄です。元婚約者として、最後の教育をして差し上げました」

「ぐぬぬ……! 覚えていろ! 後悔することになるぞ!」

侍従は捨て台詞を吐いて逃げ出した。

その後ろ姿を見送りながら、私は執事に告げた。

「あ、今の彼に出したお茶代、請求書にして一緒に送っておいて。茶葉代と、お湯を沸かした光熱費、あと座布団のクリーニング代も」

「かしこまりました。……本当にお強いですね、ユミリア様は」

「強くありませんわ。ただ、理不尽な要求に対して『NO』と言う練習を積んできただけです」

私は赤ペンを置いた。

インクの残量が少し減っている。

「……もったいないことをしました。インク代も請求に追加しましょう」

「君らしいな」

クラウス様が私の頭を優しく撫でる。

その手紙が祖国に届いた時、王子のプライドがズタズタに切り裂かれることを、私は計算式に入れるまでもなく確信していた。
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