その婚約破棄、全力で歓迎します。

パリパリかぷちーの

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「ぜぇ、ぜぇ……ただいま戻りました……」

王城の執務室に、ボロボロになった侍従が帰還した。

服は泥だらけ、髪は乱れ、その表情は地獄を見てきた者のそれだった。

「おお! 遅かったな! 待ちわびたぞ!」

アレクセイ王子は、積み上がった書類の山(雪崩寸前)から顔を出し、侍従を迎えた。

「で、どうだった? ユミリアの奴、泣いて喜んでいただろう? 『すぐに戻ります、愛しています』と言ったか?」

「……い、いえ。その……」

侍従は震える手で、例の巻き物を差し出した。

「こ、これをお返しします……」

「ん? 返事の手紙か? 愛の詩でも綴ってきたか?」

アレクセイはニヤニヤしながら巻き物を受け取り、勢いよく広げた。

「さあニーナ、一緒に読もう! 負け犬の遠吠えを……」

しかし。

そこに広がっていたのは、予想していた「愛の詩」ではなく、鮮血のように赤いインクで埋め尽くされた『添削結果』だった。

「……な、なんだこれは」

アレクセイが絶句する。

「真っ赤じゃないか! 血文字か!? ユミリアの奴、呪いの手紙を送ってきたのか!」

「違います。添削です」

侍従が力なく答える。

「殿下の文章が、あまりにも……その、知性に欠けていたため、赤ペン先生のご指導が入りました」

「知性に欠けているだと!?」

アレクセイは顔を真っ赤にして、手紙を睨みつけた。

『冒頭の挨拶:0点』

『論理構成:マイナス100点』

『追伸:ふざけるな』

そして、極めつけの『再提出』の文字。

「お、おのれ……! 私の高尚な文章を、ここまでコケにするとは!」

「アレクセイ様ぁ、なんて書いてあるんですかぁ?」

隣で覗き込んでいたニーナが、首を傾げる。

「赤すぎて目がチカチカしますぅ。それに、難しい言葉がいっぱいで……」

「ああ、そうだニーナ! これはきっと暗号だ!」

アレクセイは突拍子もないことを言い出した。

「暗号?」

「そうだ。ユミリアは素直じゃないからな。この赤い文字の羅列の中に、本当のメッセージを隠しているに違いない! 例えば……この『再提出』という文字。並び替えると……『愛してる』になるはずだ!」

「すごーい! さすがアレクセイ様! 天才ですぅ!」

「なりません」

侍従が即座に否定した。

「どう並び替えても『再提出』は『再提出』です。現実を見てください」

「うるさい! 貴様にはこの高度な愛の駆け引きがわからんのか!」

アレクセイは手紙をクシャクシャに丸め、部屋の隅に投げ捨てた。

「まあいい。ユミリアが照れていることだけはわかった。だが、字が綺麗すぎて読みにくいのは事実だ」

「はい? ユミリア様の文字は、王室書記官も手本にするほどの達筆ですが」

「達筆すぎるんだよ! もっとこう、私のレベルに合わせて平仮名を多くするとか、絵を描くとか、配慮が足りん!」

アレクセイは机を叩いた。

「ニーナを見習え! 彼女の手紙は素晴らしいぞ。全部平仮名で、最後にニコちゃんマークがついている! これぞ真の文学だ!」

「えへへ、照れますぅ。私、難しい漢字を見ると頭が痛くなっちゃうんですぅ」

ニーナがテヘペロと舌を出す。

その様子を見て、侍従は深い、深い溜息をついた。

(……終わった。この国は、もうダメだ)

彼は悟ってしまった。

この二人に、論理や理屈は通用しない。

彼らは自分たちの都合の良い妄想の中に住んでいるのだ。

「それで、殿下。ユミリア様からの返答は、実質『拒否』ということですが、どうなさいますか?」

「拒否ではない! 『焦らし』だ!」

アレクセイは断言した。

「あいつは今、隣国で私の気を引こうと必死なのだ。放っておけば、そのうち寂しくなって泣きついてくる」

「し、しかし……城の状況は限界です。食料庫は空、衛兵の半数が給料未払いで逃亡、昨日はネズミが厨房を占拠しました」

「ネズミだと? 可愛いじゃないか。ペットにすればいい」

「食料を食い荒らす害獣です! それに、暖炉の薪も尽きました。今夜はどうやって寒さを凌ぐおつもりですか!」

侍従の悲痛な訴えに、アレクセイは少し考え込み……そして、名案を思いついたような顔でニーナを見た。

「そうだ。ニーナ、ダンスをしよう」

「えっ? ダンス?」

「ああ。体を動かせば温かくなる! 薪など不要だ! これぞ『自家発電システム』!」

「きゃあ! 素敵ですぅ! エコですね!」

「よし、音楽だ! 楽団を呼べ!」

「楽団は全員、隣国へ出稼ぎに行きました」

「ちっ、薄情な奴らめ。なら私が歌おう! ラララ~♪」

アレクセイは調子外れな歌声を張り上げ、ニーナの手を取って踊り始めた。

書類が散乱し、冷たい風が吹き込む執務室で、クルクルと回る二人。

その姿は、沈没する船のデッキで演奏を続けたという伝説の楽団よりも、遥かに滑稽で、哀れだった。

「……辞めよう」

侍従は静かに決意した。

彼は懐から、書きかけの辞表を取り出し、そっと机の上に(ゴミのように)置いた。

「殿下、私はこれで失礼いたします。田舎の母が危篤……という設定で、二度と戻りません」

「ん? ああ、行っていいぞ! 私の美声が邪魔だろうからな!」

アレクセイは気づかなかった。

最後の忠臣が、今まさに去っていったことに。

「ラララ~♪ 愛は地球を救う~♪」

「アレクセイ様、足踏んでますぅ!」

「ごめんごめん! 愛の重さだと思って耐えてくれ!」

二人の狂った舞踏会は、夜が更けるまで続いた。

その頃、城の裏門からは、残りの使用人たちが列をなして脱出していたという。
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