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「ユミリア。少し、時間を取れるか?」
夕食後、私がサロンで明日のスケジュールを確認していると、クラウス様が真剣な表情で現れた。
その手には、ベルベットの布で覆われた小さな箱が握られている。
「はい、構いませんが……」
私は手帳を閉じた。
(なんだろう。この重苦しい空気。まさか、雇用契約の打ち切り? それとも、領地のどこかで新たな赤字が発覚した?)
私の脳内で、最悪のシナリオ(倒産)がシミュレートされる。
クラウス様は私の対面のソファに座ると、深く息を吐き、意を決したように口を開いた。
「実は、君に渡したいものがある」
「渡したいもの、ですか? 解雇通知書以外でしたら受け取りますが」
「……君は本当に、隙あらばビジネスライクだな」
クラウス様は苦笑すると、手元の箱をテーブルの上に置いた。
「これだ。開けてみてくれ」
それは、宝石箱のようだった。
高級な木材で作られ、金色の装飾が施されている。
(やはり、指輪かネックレスでしょうか? 貴族の贈り物としては定番ですが……換金率は悪くないとしても、装飾品は管理コストがかかるのよね)
私はあまり期待せずに、パカッと蓋を開けた。
「……!」
その瞬間、私の目は見開かれ、呼吸が止まった。
そこに鎮座していたのは、ダイヤモンドでも、エメラルドでもない。
黒光りするボディ。
整然と並んだボタン。
そして、魔力を帯びて淡く光るディスプレイ。
「こ、これは……」
「『魔導式超高速演算機・マークⅡ』だ」
クラウス様が得意げに説明する。
「君が欲しがっていた計算機を、我が領の技術の粋を集めて開発させた。桁数は30桁まで対応。平方根はもちろん、複利計算、減価償却費の自動算出、さらには過去のデータを記憶するメモリ機能もついている」
「30桁……! それに、メモリ機能まで……!?」
私は震える手で、その美しい機械を取り出した。
指先に吸い付くようなボタンの感触。
試しに「1+1」を押してみる。
瞬時に「2」と表示された。その反応速度、0.01秒。
「は、速い……! 既存の魔導計算機の三倍のレスポンスです!」
「だろう? さらに、これを見てくれ」
クラウス様は箱からもう一つのアイテムを取り出した。
それは、深い青色の軸を持つ万年筆だった。
「『無限インクの万年筆』だ。大気中のマナをインクに変換する機構を搭載している。つまり、インク切れがない。君がどれだけ計算式を書き殴っても、永遠に書き続けられる」
「え、永遠に……?」
私は万年筆を受け取った。
程よい重み。重心バランスが完璧だ。
「クラウス様……」
私は顔を上げた。
視界が少し滲んでいる。これは感動の涙だ。
「素晴らしいです。最高です。どんな宝石よりも美しい……!」
「気に入ってくれたか?」
「はい! これで、来年度の予算編成が従来の半分の時間で終わります! 残業ゼロも夢ではありません!」
私は計算機を頬ずりしたい衝動を必死に抑えた。
そんな私を見て、クラウス様は優しく目を細める。
「君が喜んでくれてよかった。……普通の女性なら、『なんだこの色気のないプレゼントは』と怒るところだろうが」
「まさか! 実用性こそが美です。この計算機の配列の美しさ、わかりませんか?」
「わからん。だが、それを熱く語る君の横顔が美しいことはわかる」
「……っ」
不意打ちの言葉に、私の思考回路がフリーズした。
計算機のエラー音のような音が、頭の中で鳴り響く。
「ユミリア。私は君のその、ブレない強さと、仕事への情熱に惹かれているんだ」
クラウス様が身を乗り出し、私の手(計算機を握りしめている手)を包み込む。
「君がこの領地に来てから、私の世界は変わった。数字だけの無機質な報告書が、君の手にかかると未来への設計図に変わる。……君が必要なんだ。ビジネスパートナーとしてだけではなく、人生のパートナーとして」
それは、明確な愛の告白だった。
真っ直ぐな瞳。
氷の宰相と呼ばれた彼が、こんなにも熱い眼差しを向けてくるなんて。
私の心拍数は、計算機の表示限界を超えていた。
「……計算外です」
「ん?」
「貴方様のようなハイスペックな方が、私のような、金勘定しかできない女を好むなんて……確率論的にあり得ません」
「愛に確率は関係ない。あるのは『結果』だけだ」
クラウス様は私の指先に口づけを落とした。
「答えは今すぐでなくていい。ただ、この計算機を使うたびに、私のことを思い出してほしい」
「……卑怯です。仕事中、ずっと貴方のことを考えることになるではありませんか」
「それが狙いだ」
彼は悪戯っぽく笑った。
私は真っ赤になりながら、計算機を胸に抱きしめた。
悔しいけれど、今の私には、この状況を打開する論理的な反論が見つからない。
「……大切に、使わせていただきます」
「ああ。インクが切れないように、私の愛も尽きないつもりだから覚悟しておけ」
キザなセリフも、彼が言うと様になってしまうのが腹立たしい。
私は新しい万年筆を握りしめた。
試し書きの紙に、無意識のうちにこう書いていた。
『借方:計算機 / 貸方:クラウス様への気持ち(測定不能)』
……これでは、貸借対照表が合いそうにない。
私はその紙を慌てて隠し、熱くなった顔を冷やすために、無意味に30桁の掛け算を始めたのだった。
夕食後、私がサロンで明日のスケジュールを確認していると、クラウス様が真剣な表情で現れた。
その手には、ベルベットの布で覆われた小さな箱が握られている。
「はい、構いませんが……」
私は手帳を閉じた。
(なんだろう。この重苦しい空気。まさか、雇用契約の打ち切り? それとも、領地のどこかで新たな赤字が発覚した?)
私の脳内で、最悪のシナリオ(倒産)がシミュレートされる。
クラウス様は私の対面のソファに座ると、深く息を吐き、意を決したように口を開いた。
「実は、君に渡したいものがある」
「渡したいもの、ですか? 解雇通知書以外でしたら受け取りますが」
「……君は本当に、隙あらばビジネスライクだな」
クラウス様は苦笑すると、手元の箱をテーブルの上に置いた。
「これだ。開けてみてくれ」
それは、宝石箱のようだった。
高級な木材で作られ、金色の装飾が施されている。
(やはり、指輪かネックレスでしょうか? 貴族の贈り物としては定番ですが……換金率は悪くないとしても、装飾品は管理コストがかかるのよね)
私はあまり期待せずに、パカッと蓋を開けた。
「……!」
その瞬間、私の目は見開かれ、呼吸が止まった。
そこに鎮座していたのは、ダイヤモンドでも、エメラルドでもない。
黒光りするボディ。
整然と並んだボタン。
そして、魔力を帯びて淡く光るディスプレイ。
「こ、これは……」
「『魔導式超高速演算機・マークⅡ』だ」
クラウス様が得意げに説明する。
「君が欲しがっていた計算機を、我が領の技術の粋を集めて開発させた。桁数は30桁まで対応。平方根はもちろん、複利計算、減価償却費の自動算出、さらには過去のデータを記憶するメモリ機能もついている」
「30桁……! それに、メモリ機能まで……!?」
私は震える手で、その美しい機械を取り出した。
指先に吸い付くようなボタンの感触。
試しに「1+1」を押してみる。
瞬時に「2」と表示された。その反応速度、0.01秒。
「は、速い……! 既存の魔導計算機の三倍のレスポンスです!」
「だろう? さらに、これを見てくれ」
クラウス様は箱からもう一つのアイテムを取り出した。
それは、深い青色の軸を持つ万年筆だった。
「『無限インクの万年筆』だ。大気中のマナをインクに変換する機構を搭載している。つまり、インク切れがない。君がどれだけ計算式を書き殴っても、永遠に書き続けられる」
「え、永遠に……?」
私は万年筆を受け取った。
程よい重み。重心バランスが完璧だ。
「クラウス様……」
私は顔を上げた。
視界が少し滲んでいる。これは感動の涙だ。
「素晴らしいです。最高です。どんな宝石よりも美しい……!」
「気に入ってくれたか?」
「はい! これで、来年度の予算編成が従来の半分の時間で終わります! 残業ゼロも夢ではありません!」
私は計算機を頬ずりしたい衝動を必死に抑えた。
そんな私を見て、クラウス様は優しく目を細める。
「君が喜んでくれてよかった。……普通の女性なら、『なんだこの色気のないプレゼントは』と怒るところだろうが」
「まさか! 実用性こそが美です。この計算機の配列の美しさ、わかりませんか?」
「わからん。だが、それを熱く語る君の横顔が美しいことはわかる」
「……っ」
不意打ちの言葉に、私の思考回路がフリーズした。
計算機のエラー音のような音が、頭の中で鳴り響く。
「ユミリア。私は君のその、ブレない強さと、仕事への情熱に惹かれているんだ」
クラウス様が身を乗り出し、私の手(計算機を握りしめている手)を包み込む。
「君がこの領地に来てから、私の世界は変わった。数字だけの無機質な報告書が、君の手にかかると未来への設計図に変わる。……君が必要なんだ。ビジネスパートナーとしてだけではなく、人生のパートナーとして」
それは、明確な愛の告白だった。
真っ直ぐな瞳。
氷の宰相と呼ばれた彼が、こんなにも熱い眼差しを向けてくるなんて。
私の心拍数は、計算機の表示限界を超えていた。
「……計算外です」
「ん?」
「貴方様のようなハイスペックな方が、私のような、金勘定しかできない女を好むなんて……確率論的にあり得ません」
「愛に確率は関係ない。あるのは『結果』だけだ」
クラウス様は私の指先に口づけを落とした。
「答えは今すぐでなくていい。ただ、この計算機を使うたびに、私のことを思い出してほしい」
「……卑怯です。仕事中、ずっと貴方のことを考えることになるではありませんか」
「それが狙いだ」
彼は悪戯っぽく笑った。
私は真っ赤になりながら、計算機を胸に抱きしめた。
悔しいけれど、今の私には、この状況を打開する論理的な反論が見つからない。
「……大切に、使わせていただきます」
「ああ。インクが切れないように、私の愛も尽きないつもりだから覚悟しておけ」
キザなセリフも、彼が言うと様になってしまうのが腹立たしい。
私は新しい万年筆を握りしめた。
試し書きの紙に、無意識のうちにこう書いていた。
『借方:計算機 / 貸方:クラウス様への気持ち(測定不能)』
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