その婚約破棄、全力で歓迎します。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
17 / 28

17

しおりを挟む
「ははは! 面白い冗談だ、ユミリア!」

アレクセイは、私の「どちら様ですか?」という問いを、盛大なジョークとして受け取ったらしい。

彼は泥のついた手で腹を抱えて笑った。

「『どちら様』とは傑作だ! 照れ隠しにも程があるぞ! そんなに私が来てくれたことが嬉しいのか!」

「……」

私は無言で、彼から一歩下がった。

物理的な距離を取ったのではない。

衛生的な距離を取ったのだ。

彼の服から漂う発酵臭(主に馬の排泄物と汗)が、私の嗅覚センサーに警報を鳴らしていたからだ。

「さあ、感動の再会だ! 私の胸に飛び込んでこい!」

アレクセイが両手を広げる。

パラパラと乾燥した泥が床に落ちる。

会場の清掃コストが増加した瞬間だった。

「お断りします。その服の汚れ成分を分析したところ、大腸菌群が検出される可能性が99%です」

私が冷静に拒否すると、アレクセイはきょとんとした。

「菌? なんだそれは。新しい愛称か?」

「いいえ。バイ菌です」

「照れるなと言うに! ほら、ニーナも挨拶しなさい」

話を全く聞かないアレクセイに促され、ニーナが前に出た。

彼女は、テーブルに並んだ豪華な料理に釘付けになりながら、涎を拭った。

「ユミリア様ぁ、久しぶりですぅ! そのドレス、可愛いですねぇ。でも、私のカーテンの方が『素材の味』がして素敵だと思いませんか?」

「素材の味……? 確かに、窓枠の味がしそうですね」

「えへへ、褒められちゃいましたぁ!」

ニーナは私の皮肉を100%の称賛として吸収した。

この二人、無敵か。

会話のキャッチボールが成立しない。

私が投げたボールを、彼らは食べるか、見当違いの方向へホームランしている。

「それで、ユミリア」

アレクセイが、まるで王者のような態度(ただし服装は浮浪者)で宣言した。

「単刀直入に言おう。貴様が城に戻ることを、特別に許可する!」

会場がざわめく。

「許可? 何を言っているんだあの男は」

「戻るって、あの泥沼のような祖国にか?」

「正気じゃないな……」

しかし、アレクセイの耳には、それらの声が「王子の寛大さへの感嘆」として届いているようだ。

「ふふ、皆も驚いているな。そうだろう、普通なら死刑にしてもいいところを、私は愛を持って許すのだからな!」

彼はビシッと私を指差した。

「さあ、ユミリア! 今すぐその横にいる眼鏡男(クラウス様)から離れて、私の足元に跪け! そして感謝の言葉と共に、隠し持っている全財産を差し出すのだ!」

会場中が静まり返った。

あまりにも堂々とした強盗発言。

もはや清々しさすら感じるレベルのクズっぷりだ。

私は溜息をつき、隣で般若のような顔になりかけているクラウス様の腕をポンと叩いた。

「落ち着いてください、クラウス様。血圧が上がります」

「……ああ。だが、私の愛する婚約者を『眼鏡男』呼ばわりした罪は、万死に値する」

クラウス様は冷徹な声で呟くと、一歩前に進み出た。

その威圧感に、アレクセイがびくりと肩を震わせる。

「き、貴様が噂のクラウス公爵か! ふん、思ったより貧相な男だな! 私の輝き(泥まみれ)には勝てないようだが!」

「……初めまして、隣国の第一王子殿下。いや、今は『自称』でしたかな?」

「なんだと!?」

「我が国の情報網によれば、貴国の国王陛下は、貴方を捜索願……ではなく、『勘当届』に近い状態で放り出されたと聞いていますが」

「ぐっ……ち、違う! これは修行だ! 『愛の武者修行』だ!」

「修行にしては、随分とみすぼらしい装備ですね。その体に巻いているのは、王家の紋章入りのカーテンですか? 国家反逆罪に問われませんか?」

クラウス様の鋭い指摘に、ニーナが「ひっ」と布を抑える。

「こ、これは最新モードですぅ! パリコレならぬ『ボロコレ』ですぅ!」

「ボロコレ……なるほど。ゴミを纏うのが流行りとは、文化の違いを感じますな」

クラウス様は氷のような視線で二人を見下ろした。

「それで? 不法入国、不法侵入、そして器物損壊(床を汚した罪)。数え役満ですが、何か申し開きは?」

「う、うるさい! 私は客だぞ! ユミリアの婚約者として来たのだ!」

「訂正します」

私がすかさず口を挟んだ。

「『元』婚約者です。しかも、慰謝料未払いの」

「細かいことを言うな! 復縁してやると言っているんだ!」

アレクセイは地団駄を踏んだ。

「いいかユミリア! お前は勘違いしている! この私が、わざわざこんな田舎まで迎えに来てやったんだぞ!? 泣いて喜ぶのが筋だろう!」

「田舎……? 当領のGDPは貴国の十倍ですが」

「金の話ばかりするな! 愛だ! 愛の話をしろ!」

「では愛の話をしましょう」

私は扇を閉じた。

パチン、という乾いた音が響く。

「殿下。貴方の言う『愛』とは、相手の財産を食い潰し、労働力を搾取し、あまつさえ浮気相手を正当化するための便利な言葉のことですか?」

「……あ?」

「もしそうなら、貴方の辞書は不良品です。焚き火にくべて燃やしてしまうことをお勧めします」

「な、なんだと……!」

「そして、私はもう新しい『愛』を見つけました。貴方のその、カビの生えたような愛とは比べ物にならない、清潔で、建設的で、高利回りの愛を」

私はクラウス様の腕に頭を預けた。

「ご紹介します。こちらが私の現在の婚約者、クラウス・フォン・ガレリア公爵閣下です」

「……茶番だ!」

アレクセイが叫んだ。

「認めん! そんなものは認めんぞ! お前は私を愛しているはずだ! 毎晩枕を濡らしているはずだ!」

「濡らしていません。低反発枕で快眠です」

「嘘だぁぁぁ!!」

アレクセイの発狂が会場に木霊する。

周囲の貴族たちは、最初は呆れていたが、次第にこの状況を「余興」として楽しみ始めていた。

「おい、見たかあの王子の顔」

「喜劇役者としての才能はあるな」

「次の賭けだ。彼はいつ衛兵につまみ出される?」

クスクスという笑い声が、さざ波のように広がる。

しかし、アレクセイだけはまだ気づいていない。

自分が舞台の主役ではなく、ピエロであることに。

「おのれ……! こうなれば実力行使だ!」

アレクセイは腰に差していた剣(錆びている)に手をかけた。

「ユミリア! 決闘だ! 私が勝ったらお前を連れて帰る! その眼鏡男もろとも叩き斬ってやる!」

「……野蛮ですね」

クラウス様が眼鏡を外した。

その瞳が、肉食獣のように細められる。

「いいでしょう。売られた喧嘩は、倍の値段で買い取るのが私の流儀です」

クラウス様が指を鳴らすと、会場の照明が一斉に落ち、スポットライトが三人を照らし出した。

「さあ、始めましょうか。人生の清算(ざまぁ)のお時間を」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果

藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」 結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。 アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。 ※ 他サイトにも投稿しています。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...