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「ローゼン・ベルク! 貴様のような冷酷非道な女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王城の大広間に、よく通る男の声が響き渡った。
豪奢なシャンデリアが揺れるほどの声量。
ダンスを楽しんでいた貴族たちは一斉に動きを止め、声の主へと視線を集中させる。
そこに立っていたのは、この国の第一王子であるクラークだった。
金髪碧眼、絵に描いたような王子様。
その隣には、小動物のように震える桃色髪の男爵令嬢、ミーナが寄り添っている。
対する私は、ローゼン・ベルク公爵令嬢。
クラーク王太子の婚約者であり、今の今まで「未来の王妃」として扱われてきた女だ。
私は手に持っていた扇をゆっくりと畳み、表情筋を一切動かさずに彼を見据えた。
周囲の貴族たちが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。
(……やっと、来た)
私の胸中に去来したのは、悲しみでも絶望でもない。
圧倒的なまでの「歓喜」だった。
内心でガッツポーズを取りそうになるのを、長年鍛え上げた鉄壁の無表情でねじ伏せる。
待ちに待った瞬間だった。
王太子妃教育という名の重労働。
次期王妃としての公務という名の、実質的な国政運営の代行。
それら全てから解放される瞬間が、ついに訪れたのだ。
「……理由を、お伺いしても?」
私はあくまで事務的に、確認作業を行うことにした。
ここで感情的になっては、スムーズな契約解除――もとい、婚約破棄が滞る可能性がある。
クラーク様は、私の冷静すぎる態度に苛立ちを覚えたのか、鼻息荒くミーナの肩を抱き寄せた。
「貴様は、自分の罪を自覚していないというのか! この清らかなミーナに対し、数々の嫌がらせを行ってきたことを!」
「嫌がらせ、でございますか」
「とぼけるな! ミーナの教科書を隠したり、ドレスにワインをかけたり、階段から突き落とそうとしたり……その陰湿な性根、もはや王妃となる器ではない!」
ミーナが「うぅ……」と涙ぐむ演技をして、クラーク様の胸に顔を埋める。
「怖かったでしょう、ミーナ。もう大丈夫だ。この悪女は僕が追放してやる」
「クラーク様ぁ……」
その茶番劇を眺めながら、私は頭の中で高速で思考を回転させていた。
教科書を隠す?
そんな非効率なことをする暇があれば、積まれている未決裁の書類を片付ける。
ドレスにワイン?
ワインの染み抜きにかかるクリーニング代と手間を考えれば、資源の無駄遣いだ。
階段から突き落とす?
万が一怪我をさせて治療費や慰謝料が発生した場合、公爵家の予算に計上しなければならない。
つまり、すべて身に覚えがない。
私はあまりにも合理的すぎる性格ゆえに、無駄なことが大嫌いだ。
嫌がらせなどという、生産性が皆無でリスクしかない行為に手を染めるわけがない。
しかし、ここで「やっていません」と反論するのは得策だろうか。
私は瞬時に損益計算を行った。
反論した場合、証拠の提示や事実確認のために、この場が長引く。
最悪の場合、調査委員会などが発足し、婚約破棄が保留になる恐れがある。
それは困る。非常に困る。
私は今日、帰ったら読みかけの魔導書を読み、明日からは目覚まし時計をかけずに眠りたいのだ。
冤罪を晴らすために時間を費やすよりも、このまま悪役の汚名を被ってでも、自由な生活を手に入れる方が、人生のコストパフォーマンスが良い。
結論が出た。
私は、スッと背筋を伸ばし、扇を口元に当てた。
「……左様でございますか」
「なっ、認めるのか!?」
「殿下がそう判断されたのであれば、私が何を申し上げても無駄でしょう。その婚約破棄、謹んでお受けいたします」
会場がどよめいた。
「おい、聞いたか? あっさり認めたぞ……」
「やはり噂通り、血も涙もない悪女だったのか」
「いや、見ろよあの顔。微動だにしていないぞ。恐ろしい……」
周囲の視線が突き刺さるが、私にはどうでもよかった。
重要なのは、これで「婚約者」という法的拘束力が消滅したという事実のみ。
「では、私はこれで失礼いたします。荷物の整理もございますので」
私はスカートの裾を摘んで、完璧なカーテシーを披露した。
角度、速度、姿勢。
王妃教育で叩き込まれた最高難度の礼儀作法を、皮肉を込めて完璧にこなす。
そして、踵を返した。
「ま、待て! ローゼン!」
背後でクラーク様が何か叫んでいる。
予想外の展開に戸惑っているのだろう。
彼はいつもそうだ。
私が泣いて縋り付くか、怒って喚き散らすか、何かしらの感情的な反応を期待していたに違いない。
だが、残念だったな。
私の感情タンクは、今の職場環境(王城)においてとっくに枯渇している。
「これ以上の問答は時間の無駄ですわ、殿下」
私は冷ややかな声で言い捨て、出口へと歩き出した。
コツ、コツ、コツ。
ヒールの音が、静まり返った大広間に響く。
誰も道を塞ごうとはしない。
私の鋭い目つきと、氷のような無表情に気圧されているのだ。
(ああ、なんて素晴らしい夜)
心の中では、スキップを踏んでいた。
やっと終わった。
あのナルシスト王子の守もりからも、終わりの見えない公務からも、ネチネチとした貴族社会のしがらみからも、すべて解放されたのだ。
(明日の朝食は何にしようかしら。パンケーキ? いや、フレンチトーストも捨てがたい)
(積読していた本も消化できる。庭のハーブの手入れもしなくては)
(そうだ、溜まっていた有給休暇を一気に消化する気分だわ!)
思考はすでに、これからの「ニート生活」への期待で埋め尽くされていた。
顔がにやけそうになるのを、必死にこらえる。
その結果、私の顔はいつも以上に険しく、人を殺せそうなほど鋭い眼光になっていたらしい。
すれ違う貴族令嬢たちが、「ひっ……」と息を呑んで後ずさりしていく。
「見て、あの方……」
「なんて悲痛な表情なの……」
「泣くのを必死に堪えているんだわ」
「誇り高いローゼン様だもの、人前で涙を見せまいとしているのね……」
おや?
何やら、盛大な勘違いが起きている気がする。
悲痛? 泣くのを堪えている?
いいえ、これは「今日の夕飯の献立が決まらなくて真剣に悩んでいる顔」です。
あるいは「早く家に帰ってコルセットを外したいという切実な願望が現れた顔」です。
しかし、わざわざ訂正して回るのも面倒だ。
誤解させておけばいい。
「傷心の悪役令嬢」というレッテルを貼られれば、しばらくは誰も寄ってこないだろう。
それこそが私の望む、静寂に満ちた生活だ。
私はそのまま、風のように大広間を後にした。
背後で、ミーナが「勝った!」と言わんばかりの甲高い笑い声を上げていたが、私の耳には雑音として処理され、右から左へと流れていった。
***
夜風が頬を撫でる。
王城のバルコニーを出て、馬車回しへと向かう回廊。
月明かりの下、私は一人で歩いていた。
従者は先に帰らせてある。
今日は一人で、この解放感を噛み締めたかったのだ。
「ふふっ……」
誰もいないことを確認して、私は小さく笑い声を漏らした。
口角が自然と上がる。
これでもう、明日から王城に通わなくていい。
山のような書類に埋もれることもない。
クラーク様の自慢話を延々と聞かされることもない。
自由だ。
私は自由を手に入れたのだ。
「……いい笑顔だ」
不意に、闇の中から声がした。
心臓が跳ね上がる。
誰もいないと思っていたのに。
私は瞬時に真顔に戻り、声のした方を睨みつけた。
「誰です?」
そこに立っていたのは、一人の男だった。
月光を浴びて輝く銀色の髪。
宝石のアメジストを溶かしたような、紫色の瞳。
そして、周囲の空気を凍らせるような、冷徹な美貌。
アイザック・グランディ公爵。
王国の騎士団長を務め、「氷の公爵」の異名を持つ男だ。
私と同じく、あまりの目つきの悪さと無愛想さで、社交界から恐れられている人物でもある。
「……グランディ公爵。盗み聞きとは、騎士団長にあるまじき趣味の悪さですわね」
私は警戒心を露わにした。
彼は、今の私の「ニヤけ顔」を見ていた。
もしや、私が婚約破棄を喜んでいることがバレた?
それはまずい。
王家に弓引く行為とみなされれば、穏やかなニート生活が遠のいてしまう。
アイザック様は、ゆっくりと私に近づいてきた。
長身の彼に見下ろされると、威圧感が凄まじい。
彼は私の目の前で立ち止まり、その整った顔を近づけてきた。
「……婚約破棄されたばかりだというのに、随分と嬉しそうだったな」
やはり、見られていた。
私は冷や汗をかきながらも、表情だけは鉄仮面を貫く。
「見間違いでしょう。私は今、絶望の淵に立っております」
「嘘をつけ。今の君は、檻から放たれた獣のように生き生きとしていたぞ」
「……例えが悪すぎますわ」
「クラーク殿下に捨てられ、社交界での地位を失い、明日をも知れぬ身となった。……普通なら、泣き崩れる場面だ」
「ええ、ですから心の中で泣いております」
「いいや、君は笑っていた」
アイザック様は、確信めいた口調で言った。
そして、思いがけない行動に出た。
彼は私の顎をすくい上げ、壁――石造りの柱へと、私を追い詰めたのだ。
いわゆる、壁ドンというやつだ。
ただし、ときめきは皆無。
殺気すら感じるほどの、鋭い視線が交錯する。
「な、何をするおつもりですか」
「ローゼン・ベルク。君のその目……」
「目?」
私の目つきが悪いのは生まれつきだ。文句があるなら遺伝子に言ってくれ。
そう言い返そうとした時、アイザック様がうっとりとした声で囁いた。
「俺を見る、そのゴミを見るような冷徹な目……最高だ」
「……は?」
思考が停止した。
今、この人は何を言った?
ゴミを見るような目が、最高?
「ずっと見ていた。君が王城で、無能な上司や同僚たちを心の中で見下しながら、淡々と仕事をこなす姿を」
「……ちょっと待ってください、語弊があります」
「その媚びない強さ。周囲に誤解されても言い訳しない孤高の精神。そして何より、今の俺を虫ケラのように見つめる、その冷たい瞳」
アイザック様の顔が、さらに近づく。
彼の瞳は、獲物を狙う肉食獣のように妖しく光っていた。
「たまらない。ゾクゾクする」
「……あの、お医者様をお呼びしましょうか?」
「必要ない。俺の病は、君でしか治せない」
彼は私の耳元で、爆弾のような言葉を投下した。
「ローゼン。俺と結婚しろ」
「…………はい?」
私の人生設計(ニート計画)が、音を立てて崩れ去る音がした。
王城の大広間に、よく通る男の声が響き渡った。
豪奢なシャンデリアが揺れるほどの声量。
ダンスを楽しんでいた貴族たちは一斉に動きを止め、声の主へと視線を集中させる。
そこに立っていたのは、この国の第一王子であるクラークだった。
金髪碧眼、絵に描いたような王子様。
その隣には、小動物のように震える桃色髪の男爵令嬢、ミーナが寄り添っている。
対する私は、ローゼン・ベルク公爵令嬢。
クラーク王太子の婚約者であり、今の今まで「未来の王妃」として扱われてきた女だ。
私は手に持っていた扇をゆっくりと畳み、表情筋を一切動かさずに彼を見据えた。
周囲の貴族たちが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。
(……やっと、来た)
私の胸中に去来したのは、悲しみでも絶望でもない。
圧倒的なまでの「歓喜」だった。
内心でガッツポーズを取りそうになるのを、長年鍛え上げた鉄壁の無表情でねじ伏せる。
待ちに待った瞬間だった。
王太子妃教育という名の重労働。
次期王妃としての公務という名の、実質的な国政運営の代行。
それら全てから解放される瞬間が、ついに訪れたのだ。
「……理由を、お伺いしても?」
私はあくまで事務的に、確認作業を行うことにした。
ここで感情的になっては、スムーズな契約解除――もとい、婚約破棄が滞る可能性がある。
クラーク様は、私の冷静すぎる態度に苛立ちを覚えたのか、鼻息荒くミーナの肩を抱き寄せた。
「貴様は、自分の罪を自覚していないというのか! この清らかなミーナに対し、数々の嫌がらせを行ってきたことを!」
「嫌がらせ、でございますか」
「とぼけるな! ミーナの教科書を隠したり、ドレスにワインをかけたり、階段から突き落とそうとしたり……その陰湿な性根、もはや王妃となる器ではない!」
ミーナが「うぅ……」と涙ぐむ演技をして、クラーク様の胸に顔を埋める。
「怖かったでしょう、ミーナ。もう大丈夫だ。この悪女は僕が追放してやる」
「クラーク様ぁ……」
その茶番劇を眺めながら、私は頭の中で高速で思考を回転させていた。
教科書を隠す?
そんな非効率なことをする暇があれば、積まれている未決裁の書類を片付ける。
ドレスにワイン?
ワインの染み抜きにかかるクリーニング代と手間を考えれば、資源の無駄遣いだ。
階段から突き落とす?
万が一怪我をさせて治療費や慰謝料が発生した場合、公爵家の予算に計上しなければならない。
つまり、すべて身に覚えがない。
私はあまりにも合理的すぎる性格ゆえに、無駄なことが大嫌いだ。
嫌がらせなどという、生産性が皆無でリスクしかない行為に手を染めるわけがない。
しかし、ここで「やっていません」と反論するのは得策だろうか。
私は瞬時に損益計算を行った。
反論した場合、証拠の提示や事実確認のために、この場が長引く。
最悪の場合、調査委員会などが発足し、婚約破棄が保留になる恐れがある。
それは困る。非常に困る。
私は今日、帰ったら読みかけの魔導書を読み、明日からは目覚まし時計をかけずに眠りたいのだ。
冤罪を晴らすために時間を費やすよりも、このまま悪役の汚名を被ってでも、自由な生活を手に入れる方が、人生のコストパフォーマンスが良い。
結論が出た。
私は、スッと背筋を伸ばし、扇を口元に当てた。
「……左様でございますか」
「なっ、認めるのか!?」
「殿下がそう判断されたのであれば、私が何を申し上げても無駄でしょう。その婚約破棄、謹んでお受けいたします」
会場がどよめいた。
「おい、聞いたか? あっさり認めたぞ……」
「やはり噂通り、血も涙もない悪女だったのか」
「いや、見ろよあの顔。微動だにしていないぞ。恐ろしい……」
周囲の視線が突き刺さるが、私にはどうでもよかった。
重要なのは、これで「婚約者」という法的拘束力が消滅したという事実のみ。
「では、私はこれで失礼いたします。荷物の整理もございますので」
私はスカートの裾を摘んで、完璧なカーテシーを披露した。
角度、速度、姿勢。
王妃教育で叩き込まれた最高難度の礼儀作法を、皮肉を込めて完璧にこなす。
そして、踵を返した。
「ま、待て! ローゼン!」
背後でクラーク様が何か叫んでいる。
予想外の展開に戸惑っているのだろう。
彼はいつもそうだ。
私が泣いて縋り付くか、怒って喚き散らすか、何かしらの感情的な反応を期待していたに違いない。
だが、残念だったな。
私の感情タンクは、今の職場環境(王城)においてとっくに枯渇している。
「これ以上の問答は時間の無駄ですわ、殿下」
私は冷ややかな声で言い捨て、出口へと歩き出した。
コツ、コツ、コツ。
ヒールの音が、静まり返った大広間に響く。
誰も道を塞ごうとはしない。
私の鋭い目つきと、氷のような無表情に気圧されているのだ。
(ああ、なんて素晴らしい夜)
心の中では、スキップを踏んでいた。
やっと終わった。
あのナルシスト王子の守もりからも、終わりの見えない公務からも、ネチネチとした貴族社会のしがらみからも、すべて解放されたのだ。
(明日の朝食は何にしようかしら。パンケーキ? いや、フレンチトーストも捨てがたい)
(積読していた本も消化できる。庭のハーブの手入れもしなくては)
(そうだ、溜まっていた有給休暇を一気に消化する気分だわ!)
思考はすでに、これからの「ニート生活」への期待で埋め尽くされていた。
顔がにやけそうになるのを、必死にこらえる。
その結果、私の顔はいつも以上に険しく、人を殺せそうなほど鋭い眼光になっていたらしい。
すれ違う貴族令嬢たちが、「ひっ……」と息を呑んで後ずさりしていく。
「見て、あの方……」
「なんて悲痛な表情なの……」
「泣くのを必死に堪えているんだわ」
「誇り高いローゼン様だもの、人前で涙を見せまいとしているのね……」
おや?
何やら、盛大な勘違いが起きている気がする。
悲痛? 泣くのを堪えている?
いいえ、これは「今日の夕飯の献立が決まらなくて真剣に悩んでいる顔」です。
あるいは「早く家に帰ってコルセットを外したいという切実な願望が現れた顔」です。
しかし、わざわざ訂正して回るのも面倒だ。
誤解させておけばいい。
「傷心の悪役令嬢」というレッテルを貼られれば、しばらくは誰も寄ってこないだろう。
それこそが私の望む、静寂に満ちた生活だ。
私はそのまま、風のように大広間を後にした。
背後で、ミーナが「勝った!」と言わんばかりの甲高い笑い声を上げていたが、私の耳には雑音として処理され、右から左へと流れていった。
***
夜風が頬を撫でる。
王城のバルコニーを出て、馬車回しへと向かう回廊。
月明かりの下、私は一人で歩いていた。
従者は先に帰らせてある。
今日は一人で、この解放感を噛み締めたかったのだ。
「ふふっ……」
誰もいないことを確認して、私は小さく笑い声を漏らした。
口角が自然と上がる。
これでもう、明日から王城に通わなくていい。
山のような書類に埋もれることもない。
クラーク様の自慢話を延々と聞かされることもない。
自由だ。
私は自由を手に入れたのだ。
「……いい笑顔だ」
不意に、闇の中から声がした。
心臓が跳ね上がる。
誰もいないと思っていたのに。
私は瞬時に真顔に戻り、声のした方を睨みつけた。
「誰です?」
そこに立っていたのは、一人の男だった。
月光を浴びて輝く銀色の髪。
宝石のアメジストを溶かしたような、紫色の瞳。
そして、周囲の空気を凍らせるような、冷徹な美貌。
アイザック・グランディ公爵。
王国の騎士団長を務め、「氷の公爵」の異名を持つ男だ。
私と同じく、あまりの目つきの悪さと無愛想さで、社交界から恐れられている人物でもある。
「……グランディ公爵。盗み聞きとは、騎士団長にあるまじき趣味の悪さですわね」
私は警戒心を露わにした。
彼は、今の私の「ニヤけ顔」を見ていた。
もしや、私が婚約破棄を喜んでいることがバレた?
それはまずい。
王家に弓引く行為とみなされれば、穏やかなニート生活が遠のいてしまう。
アイザック様は、ゆっくりと私に近づいてきた。
長身の彼に見下ろされると、威圧感が凄まじい。
彼は私の目の前で立ち止まり、その整った顔を近づけてきた。
「……婚約破棄されたばかりだというのに、随分と嬉しそうだったな」
やはり、見られていた。
私は冷や汗をかきながらも、表情だけは鉄仮面を貫く。
「見間違いでしょう。私は今、絶望の淵に立っております」
「嘘をつけ。今の君は、檻から放たれた獣のように生き生きとしていたぞ」
「……例えが悪すぎますわ」
「クラーク殿下に捨てられ、社交界での地位を失い、明日をも知れぬ身となった。……普通なら、泣き崩れる場面だ」
「ええ、ですから心の中で泣いております」
「いいや、君は笑っていた」
アイザック様は、確信めいた口調で言った。
そして、思いがけない行動に出た。
彼は私の顎をすくい上げ、壁――石造りの柱へと、私を追い詰めたのだ。
いわゆる、壁ドンというやつだ。
ただし、ときめきは皆無。
殺気すら感じるほどの、鋭い視線が交錯する。
「な、何をするおつもりですか」
「ローゼン・ベルク。君のその目……」
「目?」
私の目つきが悪いのは生まれつきだ。文句があるなら遺伝子に言ってくれ。
そう言い返そうとした時、アイザック様がうっとりとした声で囁いた。
「俺を見る、そのゴミを見るような冷徹な目……最高だ」
「……は?」
思考が停止した。
今、この人は何を言った?
ゴミを見るような目が、最高?
「ずっと見ていた。君が王城で、無能な上司や同僚たちを心の中で見下しながら、淡々と仕事をこなす姿を」
「……ちょっと待ってください、語弊があります」
「その媚びない強さ。周囲に誤解されても言い訳しない孤高の精神。そして何より、今の俺を虫ケラのように見つめる、その冷たい瞳」
アイザック様の顔が、さらに近づく。
彼の瞳は、獲物を狙う肉食獣のように妖しく光っていた。
「たまらない。ゾクゾクする」
「……あの、お医者様をお呼びしましょうか?」
「必要ない。俺の病は、君でしか治せない」
彼は私の耳元で、爆弾のような言葉を投下した。
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