婚約破棄された悪役令嬢なのに、なぜか求婚される?

パリパリかぷちーの

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「……嫌だ」

朝の玄関ホール。
公爵家の当主にして、王国騎士団長アイザック・グランディが、子供のように柱にしがみついていた。

「俺は行かない。ローゼンを置いて遠征など、死んでも嫌だ」

「……団長閣下。お願いですから、馬に乗ってください」

部下の騎士たちが、涙目で懇願している。

「国境付近で魔獣の大量発生が確認されたのです! 閣下の氷魔法がないと、前線が崩壊します!」

「知ったことか。俺の前線はここだ。妻の半径1メートル以内だ」

「国が滅びます!」

「ローゼンが寂しがるだろうが!」

「いえ、奥様は先ほどから『早く行ってください、邪魔です』という顔をされています!」

騎士の指摘通り、私は腕組みをして冷ややかに彼を見下ろしていた。

「アイザック様。往生際が悪いです」

「ローゼン……! だが、2週間だぞ!? 2週間も君の成分を摂取できないなんて、俺は禁断症状で死ぬかもしれない」

「死にません。人間は水と食料があれば数週間は生存可能です」

私は彼を引き剥がすべく、柱の反対側から指を一本ずつ剥がしていった。

「それに、貴方は騎士団長でしょう? 職務放棄は契約違反です。働かざる者食うべからず、働かざる者……」

「……キスするべからず?」

「はい、そうです(適当)」

その言葉を聞いた瞬間、アイザック様の目がカッと見開かれた。

「わかった。行ってくる」

「えっ」

「魔獣どもを瞬殺して、予定より早く帰還する。そして帰ったら、2週間分まとめて請求させてもらうからな!」

彼は私の肩を掴み、人目も憚らず濃厚なキスを落とした。

「行ってきますのキスだ。……浮気するなよ? クラーク殿下が来たら、即座に俺直通の緊急連絡用魔導具を使え。あと、夜は戸締りを厳重にしろ。寒いから暖かくして寝ろ。食事はちゃんと摂れ。それから……」

「長い!!」

私が一喝すると、彼は名残惜しそうに離れ、ようやく愛馬に跨った。

「必ず戻る。……愛しているぞ、ローゼン」

キザなウィンクを残し、彼は部下たちと共に砂煙を上げて去っていった。

「……はぁ。やっと静かになった」

私は手を振ることもなく(心の中では少し振ったが)、すぐに屋敷の中へと戻った。

 ***

アイザック様が去ってから、3日が経過した。

公爵邸は、驚くほど静かだった。

「……静寂。これこそが私の求めていた環境ね」

私は図書室の定位置で、分厚い魔導書を広げていた。
誰にも邪魔されない。
突然「愛してる」と囁かれることもない。
いきなり抱きしめられて読書を中断させられることもない。

完璧だ。
ニート生活の理想形がここにある。

「…………」

ページをめくる。
文字を目で追う。

「…………」

めくる。
追う。

「……内容が、頭に入ってこない」

私はパタンと本を閉じた。
おかしい。
この『古代竜の生態と魔力循環』は、私がずっと読みたかった本のはずだ。
なのに、なぜか集中できない。

ふと、視線を上げる。
向かいのソファ。
いつもなら、そこにアイザック様が座っていた。
彼もまた仕事をしたり、本を読んだりしているのだが、時折視線を感じて顔を上げると、必ず目が合い、嬉しそうに微笑んでくるのだ。

『どうした? 俺に見惚れたか?』
『いいえ、視界の端で動くものが気になっただけです』
『つれないなぁ』

そんな、生産性のない会話。
それが今は、ない。

「……静かすぎる」

私は無意識に呟いていた。
時計の針の音だけが、チクタクと響く。

「お茶のおかわりはいかがですか、奥様」

セバスチャンが、いつの間にか側に立っていた。

「……ありがとう」

カップに注がれる紅茶の香り。
私は一口飲み、ふと尋ねた。

「セバスチャン。……屋敷の使用人が減ったわけではないわよね?」

「はい。シフト通り、全員出勤しております」

「そう。……なんだか、屋敷が広くなった気がして」

「ふふ。それは、旦那様の存在感が大きすぎたからでしょうな」

セバスチャンは目を細めた。

「旦那様がいるだけで、屋敷全体が騒がしく……いえ、賑やかになりますから」

「……ただの騒音公害よ」

私はツンと言い返したが、カップを持つ手が少し震えた。

認めたくない。
認めたくないけれど、これは……。

「寂しい、のでございますか?」

「ッ!?」

セバスチャンの直球な問いに、私は紅茶を吹き出しそうになった。

「ば、馬鹿なことを言わないで! 私が? あの変態がいなくて寂しい? ありえません! 私は今、自由を謳歌しているのです!」

「左様でございますか。……では、なぜ先ほどから、旦那様が座っていたソファをチラチラとご覧になっているのですか?」

「そ、それは……クッションの位置がズレていて非対称なのが気になっただけです!」

苦しい言い訳だ。自分でもわかる。
セバスチャンは「やれやれ」といった顔で微笑んだ。

「素直になられた方が、精神衛生上よろしいかと。……旦那様からの手紙が届いておりますよ」

「え?」

「早馬で。一日三通のペースで届く予定だそうです」

セバスチャンが差し出したのは、またしても分厚い封筒だった。
私はひったくるように受け取り、封を切った。

『愛しのローゼンへ。
 今、最初の野営地だ。
 焚き火を見ていると、君の瞳を思い出す……と言いたいところだが、君の瞳はどちらかというと焚き火を消す氷の色だな。
 そこが好きだ。
 君は今頃、本を読んでいるだろうか。
 ちゃんと夕食は食べたか?
 俺は携帯食の干し肉が硬すぎて、君の作るサンドイッチが恋しくて泣いている』

「……馬鹿な人」

文面から、彼の声が聞こえてくるようだ。
くだらない。中身のない報告だ。
けれど、読んでいるうちに、胸のつかえが少し取れた気がした。

「……返事は?」

「はい、伝令が待機しております」

「……書くわ。業務連絡として」

私はペンを取り、さらさらと書き連ねた。

『拝啓、アイザック様。
 貴方がいなくて静かで快適です。
 干し肉が硬いなら、スープで煮込むと柔らかくなると料理長が言っていました。
 以上、業務改善提案でした。
 追伸:……早めに帰ってきてください。図書室のソファのバランスが悪いので』

「……これでいいわ」

私は手紙をセバスチャンに渡し、少しだけ窓の外を見た。
遠い国境の空。
あそこで彼が戦っていると思うと、やはり落ち着かない。

(……早く帰ってきなさいよ、この変態)

私は自分の感情に「効率」以外の名前がついていることを、認めざるを得なかった。

 ***

翌日。
私は気を紛らわせるために、仕事に没頭することにした。

「執務室へ。領地の決算書の続きをやります」

「かしこまりました」

執務室に入り、私は未処理の書類の山と対峙した。
数字。データ。論理。
これらと向き合っている間は、寂しさを忘れられる。

サクサクと処理を進めていく。
しかし、ある一枚の報告書で、私の手が止まった。

「……これは?」

それは、領地の北東部にある鉱山地帯からの月次報告書だった。

『採掘量:減少』
『収益:大幅減』
『理由:落盤事故および魔獣被害のため』

一見、よくあるトラブル報告だ。
だが、添付されている経費精算書に違和感がある。

「……修繕費が異常に高い。それに、『魔獣討伐特別手当』? 騎士団が派遣されていない時期に、誰に支払ったの?」

私は過去のデータを引っ張り出した。
ここ数ヶ月、この鉱山地帯だけ、収益が右肩下がりになっている。
その一方で、現地の代官からの「予算増額申請」は増え続けている。

「……臭うわね」

私の「悪役令嬢(元事務担当)」としての勘が、警鐘を鳴らした。
これは単なる経営不振ではない。
人為的な、もっと悪質な何かが裏にある。

「セバスチャン」

「はい」

「この北東部の代官、確か……男爵家の親戚筋でしたっけ?」

「はい。ボルドー男爵です。先代の頃から任されている古株ですが……最近、王都で豪遊しているという噂も耳にします」

ビンゴだ。
横領。着服。不正会計。
私が最も嫌悪する「非効率かつ背信的行為」の匂いがする。

「アイザック様が不在の隙を狙って、さらに大胆に抜いている可能性がありますね」

私はペンを置き、冷徹な笑みを浮かべた。

「……いいでしょう。ちょうど退屈していたところです」

寂しさを紛らわせるには、最高の「獲物」が見つかった。

「セバスチャン。出立の準備を」

「えっ? まさか、現地へ?」

「当然です。書面での追求など生温かい。現地へ乗り込み、証拠を押さえ、物理的かつ法的に追い詰めます」

「し、しかし! 旦那様からは『屋敷から出るな』と……!」

「屋敷で待っていろと言われましたが、領地は『庭』みたいなものです。セーフです」

とんでもない拡大解釈だ。
だが、今の私には止まれない理由があった。
アイザック様が命がけで守っているこの国と領地を、私利私欲で食い物にする害虫がいる。
それが許せなかった。
(彼が帰ってきた時、綺麗な状態で迎えたいという、健気な妻心も少しはある)

「護衛を編成しなさい。……ああ、あの『筋肉好き』の騎士たちを連れて行きます」

「……承知いたしました。奥様がそうおっしゃるなら、旦那様も諦めるでしょう(後で私が怒られますが)」

セバスチャンは覚悟を決めたようだ。

数時間後。
私は「氷の公爵夫人」としてのフル装備(紺碧のドレスと冷徹な無表情)で、馬車に乗り込んだ。

「行くわよ。……大掃除の時間だ」

私の目は、久々に「悪役令嬢」の輝きを取り戻していた。
待っていろ、悪徳代官。
私の寂しさの憂さ晴らしに、徹底的に断罪してやる。
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