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「……食欲がありません」
朝食のテーブル。
私は目の前に並んだ、普段なら大好物のエッグベネディクトを前に、フォークを置いた。
隣に控えるハンナが、血相を変えて悲鳴を上げた。
「お、お嬢様!? あのお嬢様が、朝食を残すなんて!? 天変地異の前触れですか!? それとも重病!?」
「大袈裟ね。ただ、なんとなく胃が重いだけよ」
私は胸のあたりをさすった。
みぞおちの奥が、鉛を飲み込んだように重苦しい。
キリキリとするような、モヤモヤとするような、正体不明の不快感。
(……変なものでも食べたかしら?)
昨日の夕食は、アイザック様と一緒に食べた鴨のロースト。
品質管理は完璧だったはずだ。
「……旦那様が不在だからでは?」
ハンナが心配そうに言った。
そう、今朝の食卓に、あの男の姿はない。
いつもなら「おはよう、俺の天使」「今日も罵倒してくれ」と鬱陶しいほど絡んでくるアイザック様がいないのだ。
「そんなわけないでしょう。静かで快適だわ」
私は即座に否定した。
騒音源(アイザック様)がいない朝食は、本来なら私が望んでいた平穏な時間のはずだ。
しかし、なぜだろう。
広すぎる食堂が、無駄に寒々しく感じる。
静寂が、耳に痛い。
「……セバスチャン。アイザック様は?」
私はたまらず、給仕をしていた執事に尋ねた。
セバスチャンは一瞬、言葉を濁した。
「はっ……。旦那様は、早朝より来客の対応をされておりまして」
「来客? こんな朝早くに?」
「……旦那様の『叔母上様』にあたる、マルガレーテ侯爵夫人が急遽来訪されまして」
叔母。親族か。
なら、私が顔を出さないのは失礼にあたるかもしれない。
「挨拶に行ってきます。公爵夫人の務めですので」
「あ、お待ちください! その……今は取り込み中でして……!」
セバスチャンが珍しく焦って制止しようとしたが、私はすでに席を立っていた。
何か隠している。
その事実が、私の「胃の重さ」を加速させていた。
***
応接間の前まで来ると、中からヒステリックな女性の声が漏れ聞こえてきた。
「アイザック! お前もいい加減に目を覚ましなさい!」
「……叔母上。声が大きいです」
アイザック様の、低く冷たい声。
私は扉の隙間から、そっと中の様子を伺った。
(盗み聞きは趣味ではないが、情報収集は基本だ)
ソファには、派手な扇を持った恰幅の良い年配の女性。
そしてテーブルには、数枚の『釣書(見合い写真)』が並べられていた。
「ローゼン・ベルクなどという、キズモノの令嬢を拾ってどうするつもり!? 婚約破棄された女よ? グランディ家の汚点になるわ!」
「……彼女は汚点ではない。至宝だ」
「お黙り! お前の亡きお母様も泣いているわ! もっと家柄が良く、淑やかで、従順な娘を選びなさい!」
叔母君は、釣書の一枚を指差した。
「隣国の第三王女よ。若くて美しく、何より『初婚』だわ。この方となら、グランディ家の繁栄は約束されたも同然……」
「……」
「今すぐあの悪女を追い出しなさい。手切れ金なら私が用意してやるから!」
なるほど。
典型的な「親族による結婚干渉」だ。
私は冷静に分析した。
客観的に見て、彼女の主張には一理ある。
婚約破棄されたばかりの「悪役令嬢」よりも、他国の王女の方が、政治的なメリットは大きい。
グランディ公爵家にとって、最も効率的な選択は、私を切ることだ。
(……そう、効率的だわ)
頭では理解できる。
私がアイザック様の立場なら、迷わず王女を選ぶかもしれない。
なのに。
ズキッ。
胸の奥が、鋭く痛んだ。
胃が重いどころではない。
心臓を雑巾絞りにされているような、強烈な締め付け感。
息が苦しい。
(……っ、なにこれ?)
私は胸を押さえて、その場にうずくまりそうになった。
アイザック様が、他の女性と並んで笑っている姿。
それを想像しただけで、視界が暗くなる。
気持ち悪い。
吐き気がする。
あの暖かかった手が、別の誰かに触れる?
あの甘い言葉が、別の誰かに囁かれる?
「……嫌だ」
無意識に、言葉が漏れた。
その時、中のアイザック様が口を開いた。
「……叔母上」
「わかったら、すぐにサインを……」
「帰れ」
部屋の温度が急降下する気配。
「二度と俺の前にその汚い紙切れ(写真)を出すな。……俺の妻はローゼンただ一人だ。彼女以外の女など、俺にとってはカボチャやジャガイモと同じだ」
「なっ、何ですって!?」
「たとえ王女だろうが女神だろうが関係ない。俺の魂は、あいつの冷徹な眼差しに捕らわれているんだ。……もしこれ以上、彼女を侮辱するなら」
チャキッ。
剣の鯉口を切る音。
「親族といえど、敵とみなして排除する」
「ひっ……! お、お前は狂っているわ!」
叔母君は悲鳴を上げ、転がるように部屋から逃げ出していった。
扉の陰にいた私は、慌てて柱の裏に隠れた。
静寂が戻る。
私は、動悸が治まらない胸を押さえたまま、立ち尽くしていた。
(……助かった?)
いや、違う。
彼は私を選んでくれた。
その事実に安堵すると同時に、まだ胸の奥に黒いモヤモヤが残っている。
「……そこにいるのだろう? ローゼン」
見つかっていた。
私は観念して、応接間へと入った。
「……おはようございます」
アイザック様は、疲れたようにソファに沈み込んでいたが、私を見るとすぐに表情を緩めた。
「おはよう。……すまない、朝から不愉快なものを見せたな」
「……いえ。盗み聞きをした私が悪いですから」
私は彼の対面に座った。
テーブルの上には、放置された王女の釣書。
写真の中の彼女は、確かに美しく、優しそうで、いかにも「良き妻」になりそうな女性だった。
それを見ているだけで、また胃液が逆流しそうになる。
「……アイザック様。体調不良の報告があります」
私は真顔で告げた。
「体調不良!? どこが悪いんだ!?」
彼は色めき立ち、すぐに私のそばへ駆け寄った。
「胸が、痛いのです」
「心臓か!? まさか狭心症……!?」
「症状を説明します。貴方が他の女性と結婚する話を盗み聞きした直後から、胸が締め付けられ、吐き気を催し、強烈な不快感に襲われています」
私は淡々と、しかし切実に訴えた。
「さらに、この写真の女性の顔を見ていると、無性にこの紙を引き裂いて暖炉に投げ込みたいという破壊衝動に駆られます。……これは、何らかの呪いでしょうか?」
「……」
アイザック様は、私の額に手を当て、脈を測り、そして私の目を覗き込んだ。
そして、ゆっくりと口元を手で覆った。
肩が震えている。
「……アイザック様?」
「くっ……ふふっ……」
「笑い事ではありません。私は重病かもしれないのです」
「ああ、重病だ。不治の病だな」
彼は顔を上げると、この世の春が来たかのような満面の笑みを浮かべていた。
「ローゼン。それはな、『嫉妬』という病だ」
「……は?」
私は耳を疑った。
「嫉妬? 私が? ありえません」
私は即座に否定した。
「嫉妬とは、他人の優位性を羨む感情です。私はこの王女を羨ましいなどとは思っていません。ただ、貴方が取られるのが嫌なだけで……」
「それを独占欲、および嫉妬と呼ぶんだよ」
アイザック様は、愛おしそうに私の頬を包んだ。
「君は、俺が他の女のものになるのが嫌なのか?」
「……嫌です」
「俺がいなくなったら、寂しいか?」
「……効率的な生活支援者がいなくなるのは困ります」
「素直じゃないな。でも、その胸の痛みは嘘をつかない」
彼は私の手を取り、自分の胸に当てさせた。
「俺も同じだ。クラーク殿下が君に触れた時、俺の胸も張り裂けそうだった。……君が今感じている痛みは、愛の痛みだ」
「……愛の、痛み」
私は呆然とした。
このキリキリする不快感が?
このドロドロとした黒い感情が?
これが、世の人々が言う「恋」の副作用なのか?
「……非常に非効率的です。精神的パフォーマンスが低下します」
「だが、心地よいだろう?」
「いいえ、苦しいです」
「俺は嬉しいぞ。君が俺のために、心を乱してくれたことが」
アイザック様は、テーブルの上の釣書を手に取ると、私の目の前でクシャクシャに丸め、暖炉へと投げ捨てた。
ボッ。
炎が上がり、美しい王女の写真が灰になる。
「すっきりしたか?」
「……少しだけ」
胸のつかえが、ふっと軽くなった気がした。
私の「破壊衝動」を、彼が代行してくれたおかげだ。
「ローゼン。約束しよう」
アイザック様は私の前に跪き、騎士の誓いのように私の手を取った。
「生涯、俺の隣に立つのは君だけだ。君以外の女性を見る時は、ジャガイモかカボチャだと思って見ることにする」
「……ジャガイモに失礼では?」
「比喩だ。……だから、安心して嫉妬してくれ。君が妬いてくれるなら、俺はいつだって王女の写真を燃やす準備ができている」
「……そんな準備はしなくていいです」
私はため息をつきつつ、彼の手を握り返した。
「ですが……処方箋は必要なようです」
「処方箋?」
「はい。この胸の痛みを緩和するための、特効薬です」
私は少し顔を背け、小さく言った。
「……抱きしめてください。そうすれば、少しは治る気がします」
言い終わる前に、私は強い力で抱きすくめられていた。
「効果はどうだ?」
「……暑いです。苦しいです」
「痛みは?」
「……消えました」
彼の腕の中は、悔しいけれど安心する。
あの不快なモヤモヤが溶けていくようだ。
「……追加料金、発生しますか?」
「いいや。今日は無料サービスデーだ」
アイザック様は私の頭に顎を乗せ、幸せそうに揺れた。
「ああ、ローゼン。君の『はじめての嫉妬』記念日だ。今日は最高の一日になりそうだ」
「……私は消化不良で寝込みたい気分です」
こうして、私は自分が抱いていた感情の名前を知ってしまった。
合理的でも何でもない、厄介で面倒な感情。
けれど、それを認めた途端、世界が少しだけ鮮やかに見えたのも事実だった。
(……悔しいけれど、完敗ね)
私はそっと彼の背中に腕を回し、その体温を確かめた。
これは、ただの契約結婚ではないのかもしれない。
そんな予感を抱きつつ、私は彼の胸に顔を埋めた。
朝食のテーブル。
私は目の前に並んだ、普段なら大好物のエッグベネディクトを前に、フォークを置いた。
隣に控えるハンナが、血相を変えて悲鳴を上げた。
「お、お嬢様!? あのお嬢様が、朝食を残すなんて!? 天変地異の前触れですか!? それとも重病!?」
「大袈裟ね。ただ、なんとなく胃が重いだけよ」
私は胸のあたりをさすった。
みぞおちの奥が、鉛を飲み込んだように重苦しい。
キリキリとするような、モヤモヤとするような、正体不明の不快感。
(……変なものでも食べたかしら?)
昨日の夕食は、アイザック様と一緒に食べた鴨のロースト。
品質管理は完璧だったはずだ。
「……旦那様が不在だからでは?」
ハンナが心配そうに言った。
そう、今朝の食卓に、あの男の姿はない。
いつもなら「おはよう、俺の天使」「今日も罵倒してくれ」と鬱陶しいほど絡んでくるアイザック様がいないのだ。
「そんなわけないでしょう。静かで快適だわ」
私は即座に否定した。
騒音源(アイザック様)がいない朝食は、本来なら私が望んでいた平穏な時間のはずだ。
しかし、なぜだろう。
広すぎる食堂が、無駄に寒々しく感じる。
静寂が、耳に痛い。
「……セバスチャン。アイザック様は?」
私はたまらず、給仕をしていた執事に尋ねた。
セバスチャンは一瞬、言葉を濁した。
「はっ……。旦那様は、早朝より来客の対応をされておりまして」
「来客? こんな朝早くに?」
「……旦那様の『叔母上様』にあたる、マルガレーテ侯爵夫人が急遽来訪されまして」
叔母。親族か。
なら、私が顔を出さないのは失礼にあたるかもしれない。
「挨拶に行ってきます。公爵夫人の務めですので」
「あ、お待ちください! その……今は取り込み中でして……!」
セバスチャンが珍しく焦って制止しようとしたが、私はすでに席を立っていた。
何か隠している。
その事実が、私の「胃の重さ」を加速させていた。
***
応接間の前まで来ると、中からヒステリックな女性の声が漏れ聞こえてきた。
「アイザック! お前もいい加減に目を覚ましなさい!」
「……叔母上。声が大きいです」
アイザック様の、低く冷たい声。
私は扉の隙間から、そっと中の様子を伺った。
(盗み聞きは趣味ではないが、情報収集は基本だ)
ソファには、派手な扇を持った恰幅の良い年配の女性。
そしてテーブルには、数枚の『釣書(見合い写真)』が並べられていた。
「ローゼン・ベルクなどという、キズモノの令嬢を拾ってどうするつもり!? 婚約破棄された女よ? グランディ家の汚点になるわ!」
「……彼女は汚点ではない。至宝だ」
「お黙り! お前の亡きお母様も泣いているわ! もっと家柄が良く、淑やかで、従順な娘を選びなさい!」
叔母君は、釣書の一枚を指差した。
「隣国の第三王女よ。若くて美しく、何より『初婚』だわ。この方となら、グランディ家の繁栄は約束されたも同然……」
「……」
「今すぐあの悪女を追い出しなさい。手切れ金なら私が用意してやるから!」
なるほど。
典型的な「親族による結婚干渉」だ。
私は冷静に分析した。
客観的に見て、彼女の主張には一理ある。
婚約破棄されたばかりの「悪役令嬢」よりも、他国の王女の方が、政治的なメリットは大きい。
グランディ公爵家にとって、最も効率的な選択は、私を切ることだ。
(……そう、効率的だわ)
頭では理解できる。
私がアイザック様の立場なら、迷わず王女を選ぶかもしれない。
なのに。
ズキッ。
胸の奥が、鋭く痛んだ。
胃が重いどころではない。
心臓を雑巾絞りにされているような、強烈な締め付け感。
息が苦しい。
(……っ、なにこれ?)
私は胸を押さえて、その場にうずくまりそうになった。
アイザック様が、他の女性と並んで笑っている姿。
それを想像しただけで、視界が暗くなる。
気持ち悪い。
吐き気がする。
あの暖かかった手が、別の誰かに触れる?
あの甘い言葉が、別の誰かに囁かれる?
「……嫌だ」
無意識に、言葉が漏れた。
その時、中のアイザック様が口を開いた。
「……叔母上」
「わかったら、すぐにサインを……」
「帰れ」
部屋の温度が急降下する気配。
「二度と俺の前にその汚い紙切れ(写真)を出すな。……俺の妻はローゼンただ一人だ。彼女以外の女など、俺にとってはカボチャやジャガイモと同じだ」
「なっ、何ですって!?」
「たとえ王女だろうが女神だろうが関係ない。俺の魂は、あいつの冷徹な眼差しに捕らわれているんだ。……もしこれ以上、彼女を侮辱するなら」
チャキッ。
剣の鯉口を切る音。
「親族といえど、敵とみなして排除する」
「ひっ……! お、お前は狂っているわ!」
叔母君は悲鳴を上げ、転がるように部屋から逃げ出していった。
扉の陰にいた私は、慌てて柱の裏に隠れた。
静寂が戻る。
私は、動悸が治まらない胸を押さえたまま、立ち尽くしていた。
(……助かった?)
いや、違う。
彼は私を選んでくれた。
その事実に安堵すると同時に、まだ胸の奥に黒いモヤモヤが残っている。
「……そこにいるのだろう? ローゼン」
見つかっていた。
私は観念して、応接間へと入った。
「……おはようございます」
アイザック様は、疲れたようにソファに沈み込んでいたが、私を見るとすぐに表情を緩めた。
「おはよう。……すまない、朝から不愉快なものを見せたな」
「……いえ。盗み聞きをした私が悪いですから」
私は彼の対面に座った。
テーブルの上には、放置された王女の釣書。
写真の中の彼女は、確かに美しく、優しそうで、いかにも「良き妻」になりそうな女性だった。
それを見ているだけで、また胃液が逆流しそうになる。
「……アイザック様。体調不良の報告があります」
私は真顔で告げた。
「体調不良!? どこが悪いんだ!?」
彼は色めき立ち、すぐに私のそばへ駆け寄った。
「胸が、痛いのです」
「心臓か!? まさか狭心症……!?」
「症状を説明します。貴方が他の女性と結婚する話を盗み聞きした直後から、胸が締め付けられ、吐き気を催し、強烈な不快感に襲われています」
私は淡々と、しかし切実に訴えた。
「さらに、この写真の女性の顔を見ていると、無性にこの紙を引き裂いて暖炉に投げ込みたいという破壊衝動に駆られます。……これは、何らかの呪いでしょうか?」
「……」
アイザック様は、私の額に手を当て、脈を測り、そして私の目を覗き込んだ。
そして、ゆっくりと口元を手で覆った。
肩が震えている。
「……アイザック様?」
「くっ……ふふっ……」
「笑い事ではありません。私は重病かもしれないのです」
「ああ、重病だ。不治の病だな」
彼は顔を上げると、この世の春が来たかのような満面の笑みを浮かべていた。
「ローゼン。それはな、『嫉妬』という病だ」
「……は?」
私は耳を疑った。
「嫉妬? 私が? ありえません」
私は即座に否定した。
「嫉妬とは、他人の優位性を羨む感情です。私はこの王女を羨ましいなどとは思っていません。ただ、貴方が取られるのが嫌なだけで……」
「それを独占欲、および嫉妬と呼ぶんだよ」
アイザック様は、愛おしそうに私の頬を包んだ。
「君は、俺が他の女のものになるのが嫌なのか?」
「……嫌です」
「俺がいなくなったら、寂しいか?」
「……効率的な生活支援者がいなくなるのは困ります」
「素直じゃないな。でも、その胸の痛みは嘘をつかない」
彼は私の手を取り、自分の胸に当てさせた。
「俺も同じだ。クラーク殿下が君に触れた時、俺の胸も張り裂けそうだった。……君が今感じている痛みは、愛の痛みだ」
「……愛の、痛み」
私は呆然とした。
このキリキリする不快感が?
このドロドロとした黒い感情が?
これが、世の人々が言う「恋」の副作用なのか?
「……非常に非効率的です。精神的パフォーマンスが低下します」
「だが、心地よいだろう?」
「いいえ、苦しいです」
「俺は嬉しいぞ。君が俺のために、心を乱してくれたことが」
アイザック様は、テーブルの上の釣書を手に取ると、私の目の前でクシャクシャに丸め、暖炉へと投げ捨てた。
ボッ。
炎が上がり、美しい王女の写真が灰になる。
「すっきりしたか?」
「……少しだけ」
胸のつかえが、ふっと軽くなった気がした。
私の「破壊衝動」を、彼が代行してくれたおかげだ。
「ローゼン。約束しよう」
アイザック様は私の前に跪き、騎士の誓いのように私の手を取った。
「生涯、俺の隣に立つのは君だけだ。君以外の女性を見る時は、ジャガイモかカボチャだと思って見ることにする」
「……ジャガイモに失礼では?」
「比喩だ。……だから、安心して嫉妬してくれ。君が妬いてくれるなら、俺はいつだって王女の写真を燃やす準備ができている」
「……そんな準備はしなくていいです」
私はため息をつきつつ、彼の手を握り返した。
「ですが……処方箋は必要なようです」
「処方箋?」
「はい。この胸の痛みを緩和するための、特効薬です」
私は少し顔を背け、小さく言った。
「……抱きしめてください。そうすれば、少しは治る気がします」
言い終わる前に、私は強い力で抱きすくめられていた。
「効果はどうだ?」
「……暑いです。苦しいです」
「痛みは?」
「……消えました」
彼の腕の中は、悔しいけれど安心する。
あの不快なモヤモヤが溶けていくようだ。
「……追加料金、発生しますか?」
「いいや。今日は無料サービスデーだ」
アイザック様は私の頭に顎を乗せ、幸せそうに揺れた。
「ああ、ローゼン。君の『はじめての嫉妬』記念日だ。今日は最高の一日になりそうだ」
「……私は消化不良で寝込みたい気分です」
こうして、私は自分が抱いていた感情の名前を知ってしまった。
合理的でも何でもない、厄介で面倒な感情。
けれど、それを認めた途端、世界が少しだけ鮮やかに見えたのも事実だった。
(……悔しいけれど、完敗ね)
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