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「――静まれぃ!!」
法廷のどよめきを一喝で黙らせたのは、威厳に満ちた、しかし怒りで震える老王の声だった。
近衛兵に守られ、国王陛下が壇上に進み出る。
その視線は、床に這いつくばる息子――クラーク王太子に向けられていた。
「ち、父上……!」
クラーク様が縋るような目を向ける。
「父上! 聞いてください! これは陰謀です! あの公爵とローゼンが結託して、僕を嵌めたのです! 僕は無実だ!」
「黙れ、愚か者!!」
バシィッ!!
乾いた音が響き渡った。
国王陛下が、クラーク様の頬を平手打ちしたのだ。
「これだけの証拠を突きつけられて、まだ言い逃れをするつもりか! 横領、背任、そして冤罪の捏造……。王族として、いや人として恥を知れ!」
「ぶっ……!」
クラーク様は頬を押さえて涙目になった。
「だ、だって……ミーナが……ミーナがどうしても欲しいって言うから……!」
「責任転嫁をするな! 愛する女の欲望一つ制御できず、国の金を使い込むなど言語道断! 王になる資格などない!」
陛下は、次いでミーナを睨みつけた。
「そなたもだ、男爵令嬢。息子の愚かさに付け込み、贅沢三昧。さらには無実の公爵令嬢を陥れようとする悪意……。その薄汚い性根、見過ごせぬ」
「ち、違いますぅ! 私は何も知らなくて……クラーク様が勝手に……!」
ミーナは必死に猫なで声を出そうとしたが、陛下には通用しなかった。
「黙れ。ボルドー男爵の証言は全て取れている。『ミーナ嬢からねだられた』とな」
「ひっ……!」
陛下は深くため息をつき、裁判長に向かって頷いた。
「裁判長。余が判決を下す」
ゴクリ、と会場中の人間が息を飲む。
「クラーク・アルファン。本日をもって王太子の地位を剥奪し、王籍を抜く」
「は、廃嫡……!?」
クラーク様が絶望の声を上げた。
「さらに、ミーナ・ボルドー。そなたの実家であるボルドー男爵家は取り潰しとする」
「い、嫌ぁぁぁ! 嘘よぉぉぉ!」
「両名に対する罰だが……」
陛下は冷酷に告げた。
「極北の地、『氷獄島(ひょうごくとう)』への流刑とする」
「ひょ、氷獄島!?」
会場がざわめいた。
そこは一年中吹雪が吹き荒れ、魔獣が闊歩する、この世の果てのような場所だ。
一度送られたら、二度と帰ってこられないと言われている。
「そこで一生、鉱山労働に従事し、横領した金を体で返済せよ。……死ぬまでな」
「い、嫌だぁぁぁ! 寒いのは嫌だ! 労働なんてしたくないぃぃ!」
クラーク様が子供のように手足をバタつかせて泣き叫ぶ。
ミーナも白目を剥いて気絶しかけている。
あまりにも無様なその姿に、私は呆れ果てて扇を広げた。
「……自業自得ですね。あそこは寒冷地手当も出ませんし、福利厚生は最悪ですが……お二人なら『愛の力』で乗り越えられるのでは?」
私が冷ややかに煽ると、クラーク様がハッとしてこちらを見た。
「ロ、ローゼン……!」
彼は近衛兵に両脇を抱えられ、引きずられていく最中、必死に私に手を伸ばした。
「ま、待ってくれ! ローゼン! 僕は騙されていたんだ! ミーナに唆されただけなんだ!」
「見苦しいです」
「お願いだ! 父上にとりなしてくれ! 君ならできるだろう!? グランディ公爵に頼んで、刑を軽くしてくれ!」
「お断りします。私は被害者ですので」
「そ、そんな……!」
クラーク様は絶望に顔を歪めた。
だが、次の瞬間。
彼の脳内で、またしても都合の良い超解釈(ポジティブ・シンキング)が発動したらしい。
彼の表情が、ふっと柔らかく、どこか哀愁を帯びたものに変わった。
「……そうか。わかったよ、ローゼン」
「はい?」
「君は、僕を突き放すことで、僕に『強くなれ』と言っているんだね……?」
「……は?」
「あえて冷たくすることで、僕が自分の足で立ち、罪を償い、立派な男になって帰ってくるのを待っている……そういうことだろう!?」
「いいえ、二度と帰ってこないでくださいという意味です」
「ふふ、照れ屋め」
クラーク様は、引きずられながらも、キザなウィンクを飛ばしてきた。
「わかった。君の愛の鞭、しかと受け止めた! 僕は必ず、極北の地で最強の男になって戻ってくる!」
「魔獣の餌にならないよう頑張ってください」
「最後に……ローゼン!」
出口付近まで引きずられたクラーク様が、大声で叫んだ。
「最後に一度だけ! その仮面を外して、僕のために笑ってくれ!」
「……?」
「泣いているんだろう? 心の中では、僕との別れを惜しんで! だから、最後くらい素直になって、僕に最高の笑顔を見せてくれ! それを糧に僕は生きていくから!」
「…………」
会場中が静まり返り、私の反応を待った。
元婚約者の、最後の願い。
普通なら、憐れみや、あるいは軽蔑の笑みの一つでも向ける場面かもしれない。
しかし。
私は、心底不思議そうに首を傾げた。
「?(なぜ私が笑う必要が?)」
完全なる無表情(真顔)。
眉一つ動かさず、口角も1ミリも上げず、ただ「コイツは何を言っているんだ」という純粋な疑問符を浮かべた顔。
クラーク様は、その顔を見て、時が止まったように固まった。
「……え?」
期待していた「涙の笑顔」でもなければ、「蔑みの嘲笑」でもない。
ただの「無」。
自分という存在が、彼女の感情を1ミリも動かせない「無関心」の対象であるという事実。
それが、一番のダメージだったようだ。
「……嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
クラーク様の絶叫が響き渡った。
「笑えよ! 怒れよ! 何か反応しろよぉぉぉ! 僕を無視するなぁぁぁ!!」
「連れて行け!」
陛下の合図で、クラーク様とミーナはズルズルと退場させられていった。
扉が閉まるその瞬間まで、「ローゼン! ローゼンんんん!」という未練がましい叫び声が聞こえていたが、やがて静寂が戻った。
*
「……終わったな」
隣に立つアイザック様が、ふぅと息を吐いた。
「あっけない幕切れだった」
「ええ。実に非効率的な騒ぎでした」
私は扇を閉じ、肩の力を抜いた。
陛下が私たちの前に歩み寄ってくる。
アイザック様と私は、その場に跪いた。
「……グランディ公爵。そしてローゼン嬢」
陛下の声には、深い疲労と、申し訳なさが滲んでいた。
「この度は、愚息が多大なる迷惑をかけた。……王として、親として、詫びても詫びきれぬ」
陛下が頭を下げようとするのを、アイザック様が制した。
「お顔をお上げください、陛下。膿(うみ)が出せたと思えば、安いものです」
「……そう言ってもらえると助かる」
陛下は私を見た。
「ローゼン嬢。そなたの聡明さと手腕、改めて感服した。……本来なら王家に迎えるべき人材だったが、愚息には過ぎた宝だったようだな」
「……恐縮です」
「そなたの無実は証明された。慰謝料として、王家の宝物庫から好きなものを贈ろう。……そして、これからの人生が幸多からんことを祈っている」
「ありがとうございます。では、遠慮なく……希少な魔導書の写本を数点ほど」
「……ぶれないな、そなたは」
陛下は苦笑し、そして去っていった。
裁判長が閉廷を宣言する。
傍聴席の貴族たちが、一斉に立ち上がり、私たちに拍手を送った。
それはかつてのような「悪役令嬢への好奇の目」ではなく、「公爵家への畏敬の念」に変わっていた。
「……行きましょうか、アイザック様」
「ああ。帰ろう」
アイザック様が私の腰を抱き寄せ、エスコートする。
私たちは堂々と、正面玄関から裁判所を後にした。
***
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。
私のドレスと同じ、美しい紺碧の空。
「……清々しいですね」
私が空を見上げて呟くと、アイザック様が隣で微笑んだ。
「そうだな。邪魔者は消えた。これでもう、誰も俺たちを邪魔する者はいない」
「ええ。これでやっと、平穏なニート生活……いえ、スローライフが送れます」
「……君の場合、スローライフと言いつつ、領地経営に奔走しそうだがな」
「それは趣味の範囲です」
馬車に乗り込み、扉が閉まる。
二人きりの密室。
アイザック様は、すぐに私の肩に頭を預けてきた。
「……疲れた」
甘えたような声。
あの鬼神のごとき強さを誇る公爵様が、今はただの大型犬のようだ。
「お疲れ様でした。……遠征から直行で、この騒動でしたからね」
「ああ。魔獣を狩り、城門を壊し、馬鹿王子を断罪し……カロリー消費が激しい三日間だった」
彼は私の手をいじりながら、上目遣いで私を見た。
「ローゼン。……充電させてくれ」
「充電?」
「君成分だ。……不足しすぎて、生命維持装置が停止寸前だ」
「……大袈裟ですね」
私は苦笑しつつ、拒否はしなかった。
彼が頑張ってくれたのは事実だ。
私のために怒り、私のために戦ってくれた。
「……特別ですよ」
私は彼の方を向き、そっと腕を広げた。
「どうぞ」
「!!」
アイザック様は目を見開き、そして感極まったように私に抱きついた。
「ローゼン……! ああ、好きだ、愛してる……!」
「はいはい。暑苦しいです」
「冷やそうか? 氷魔法で」
「凍傷になるのでやめてください」
彼の体温と匂いに包まれながら、私は心地よい疲労感を感じていた。
もう、誰も私たちを引き裂くことはできない。
あの粘着質な元婚約者もいない。
意地悪なヒロインもいない。
あるのは、この少し(かなり)変わった夫と、本に囲まれた生活だけ。
「……悪くありませんね」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ。……今日の夕食は、貴方の好きなビーフシチューにしましょうと言ったのです」
「本当か! 君が作ってくれるのか?」
「料理長が作ります。私は配膳係です」
「それでもいい! 君が運んでくれるなら、毒が入っていても完食する!」
「入れませんよ。食材の無駄ですから」
馬車は公爵邸へと走る。
私の口元には、クラーク様には決して見せなかった、微かな、しかし安らかな笑みが浮かんでいた。
これで、物語の第一章「婚約破棄編」は完結だ。
ここから先は、悪役令嬢と魔王公爵による、甘くて騒がしい「領地経営&溺愛編」の始まりである。
(……まあ、当分は寝て過ごしますけどね)
私は心の中でそう誓い、アイザック様の背中に腕を回した。
法廷のどよめきを一喝で黙らせたのは、威厳に満ちた、しかし怒りで震える老王の声だった。
近衛兵に守られ、国王陛下が壇上に進み出る。
その視線は、床に這いつくばる息子――クラーク王太子に向けられていた。
「ち、父上……!」
クラーク様が縋るような目を向ける。
「父上! 聞いてください! これは陰謀です! あの公爵とローゼンが結託して、僕を嵌めたのです! 僕は無実だ!」
「黙れ、愚か者!!」
バシィッ!!
乾いた音が響き渡った。
国王陛下が、クラーク様の頬を平手打ちしたのだ。
「これだけの証拠を突きつけられて、まだ言い逃れをするつもりか! 横領、背任、そして冤罪の捏造……。王族として、いや人として恥を知れ!」
「ぶっ……!」
クラーク様は頬を押さえて涙目になった。
「だ、だって……ミーナが……ミーナがどうしても欲しいって言うから……!」
「責任転嫁をするな! 愛する女の欲望一つ制御できず、国の金を使い込むなど言語道断! 王になる資格などない!」
陛下は、次いでミーナを睨みつけた。
「そなたもだ、男爵令嬢。息子の愚かさに付け込み、贅沢三昧。さらには無実の公爵令嬢を陥れようとする悪意……。その薄汚い性根、見過ごせぬ」
「ち、違いますぅ! 私は何も知らなくて……クラーク様が勝手に……!」
ミーナは必死に猫なで声を出そうとしたが、陛下には通用しなかった。
「黙れ。ボルドー男爵の証言は全て取れている。『ミーナ嬢からねだられた』とな」
「ひっ……!」
陛下は深くため息をつき、裁判長に向かって頷いた。
「裁判長。余が判決を下す」
ゴクリ、と会場中の人間が息を飲む。
「クラーク・アルファン。本日をもって王太子の地位を剥奪し、王籍を抜く」
「は、廃嫡……!?」
クラーク様が絶望の声を上げた。
「さらに、ミーナ・ボルドー。そなたの実家であるボルドー男爵家は取り潰しとする」
「い、嫌ぁぁぁ! 嘘よぉぉぉ!」
「両名に対する罰だが……」
陛下は冷酷に告げた。
「極北の地、『氷獄島(ひょうごくとう)』への流刑とする」
「ひょ、氷獄島!?」
会場がざわめいた。
そこは一年中吹雪が吹き荒れ、魔獣が闊歩する、この世の果てのような場所だ。
一度送られたら、二度と帰ってこられないと言われている。
「そこで一生、鉱山労働に従事し、横領した金を体で返済せよ。……死ぬまでな」
「い、嫌だぁぁぁ! 寒いのは嫌だ! 労働なんてしたくないぃぃ!」
クラーク様が子供のように手足をバタつかせて泣き叫ぶ。
ミーナも白目を剥いて気絶しかけている。
あまりにも無様なその姿に、私は呆れ果てて扇を広げた。
「……自業自得ですね。あそこは寒冷地手当も出ませんし、福利厚生は最悪ですが……お二人なら『愛の力』で乗り越えられるのでは?」
私が冷ややかに煽ると、クラーク様がハッとしてこちらを見た。
「ロ、ローゼン……!」
彼は近衛兵に両脇を抱えられ、引きずられていく最中、必死に私に手を伸ばした。
「ま、待ってくれ! ローゼン! 僕は騙されていたんだ! ミーナに唆されただけなんだ!」
「見苦しいです」
「お願いだ! 父上にとりなしてくれ! 君ならできるだろう!? グランディ公爵に頼んで、刑を軽くしてくれ!」
「お断りします。私は被害者ですので」
「そ、そんな……!」
クラーク様は絶望に顔を歪めた。
だが、次の瞬間。
彼の脳内で、またしても都合の良い超解釈(ポジティブ・シンキング)が発動したらしい。
彼の表情が、ふっと柔らかく、どこか哀愁を帯びたものに変わった。
「……そうか。わかったよ、ローゼン」
「はい?」
「君は、僕を突き放すことで、僕に『強くなれ』と言っているんだね……?」
「……は?」
「あえて冷たくすることで、僕が自分の足で立ち、罪を償い、立派な男になって帰ってくるのを待っている……そういうことだろう!?」
「いいえ、二度と帰ってこないでくださいという意味です」
「ふふ、照れ屋め」
クラーク様は、引きずられながらも、キザなウィンクを飛ばしてきた。
「わかった。君の愛の鞭、しかと受け止めた! 僕は必ず、極北の地で最強の男になって戻ってくる!」
「魔獣の餌にならないよう頑張ってください」
「最後に……ローゼン!」
出口付近まで引きずられたクラーク様が、大声で叫んだ。
「最後に一度だけ! その仮面を外して、僕のために笑ってくれ!」
「……?」
「泣いているんだろう? 心の中では、僕との別れを惜しんで! だから、最後くらい素直になって、僕に最高の笑顔を見せてくれ! それを糧に僕は生きていくから!」
「…………」
会場中が静まり返り、私の反応を待った。
元婚約者の、最後の願い。
普通なら、憐れみや、あるいは軽蔑の笑みの一つでも向ける場面かもしれない。
しかし。
私は、心底不思議そうに首を傾げた。
「?(なぜ私が笑う必要が?)」
完全なる無表情(真顔)。
眉一つ動かさず、口角も1ミリも上げず、ただ「コイツは何を言っているんだ」という純粋な疑問符を浮かべた顔。
クラーク様は、その顔を見て、時が止まったように固まった。
「……え?」
期待していた「涙の笑顔」でもなければ、「蔑みの嘲笑」でもない。
ただの「無」。
自分という存在が、彼女の感情を1ミリも動かせない「無関心」の対象であるという事実。
それが、一番のダメージだったようだ。
「……嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
クラーク様の絶叫が響き渡った。
「笑えよ! 怒れよ! 何か反応しろよぉぉぉ! 僕を無視するなぁぁぁ!!」
「連れて行け!」
陛下の合図で、クラーク様とミーナはズルズルと退場させられていった。
扉が閉まるその瞬間まで、「ローゼン! ローゼンんんん!」という未練がましい叫び声が聞こえていたが、やがて静寂が戻った。
*
「……終わったな」
隣に立つアイザック様が、ふぅと息を吐いた。
「あっけない幕切れだった」
「ええ。実に非効率的な騒ぎでした」
私は扇を閉じ、肩の力を抜いた。
陛下が私たちの前に歩み寄ってくる。
アイザック様と私は、その場に跪いた。
「……グランディ公爵。そしてローゼン嬢」
陛下の声には、深い疲労と、申し訳なさが滲んでいた。
「この度は、愚息が多大なる迷惑をかけた。……王として、親として、詫びても詫びきれぬ」
陛下が頭を下げようとするのを、アイザック様が制した。
「お顔をお上げください、陛下。膿(うみ)が出せたと思えば、安いものです」
「……そう言ってもらえると助かる」
陛下は私を見た。
「ローゼン嬢。そなたの聡明さと手腕、改めて感服した。……本来なら王家に迎えるべき人材だったが、愚息には過ぎた宝だったようだな」
「……恐縮です」
「そなたの無実は証明された。慰謝料として、王家の宝物庫から好きなものを贈ろう。……そして、これからの人生が幸多からんことを祈っている」
「ありがとうございます。では、遠慮なく……希少な魔導書の写本を数点ほど」
「……ぶれないな、そなたは」
陛下は苦笑し、そして去っていった。
裁判長が閉廷を宣言する。
傍聴席の貴族たちが、一斉に立ち上がり、私たちに拍手を送った。
それはかつてのような「悪役令嬢への好奇の目」ではなく、「公爵家への畏敬の念」に変わっていた。
「……行きましょうか、アイザック様」
「ああ。帰ろう」
アイザック様が私の腰を抱き寄せ、エスコートする。
私たちは堂々と、正面玄関から裁判所を後にした。
***
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。
私のドレスと同じ、美しい紺碧の空。
「……清々しいですね」
私が空を見上げて呟くと、アイザック様が隣で微笑んだ。
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「ええ。これでやっと、平穏なニート生活……いえ、スローライフが送れます」
「……君の場合、スローライフと言いつつ、領地経営に奔走しそうだがな」
「それは趣味の範囲です」
馬車に乗り込み、扉が閉まる。
二人きりの密室。
アイザック様は、すぐに私の肩に頭を預けてきた。
「……疲れた」
甘えたような声。
あの鬼神のごとき強さを誇る公爵様が、今はただの大型犬のようだ。
「お疲れ様でした。……遠征から直行で、この騒動でしたからね」
「ああ。魔獣を狩り、城門を壊し、馬鹿王子を断罪し……カロリー消費が激しい三日間だった」
彼は私の手をいじりながら、上目遣いで私を見た。
「ローゼン。……充電させてくれ」
「充電?」
「君成分だ。……不足しすぎて、生命維持装置が停止寸前だ」
「……大袈裟ですね」
私は苦笑しつつ、拒否はしなかった。
彼が頑張ってくれたのは事実だ。
私のために怒り、私のために戦ってくれた。
「……特別ですよ」
私は彼の方を向き、そっと腕を広げた。
「どうぞ」
「!!」
アイザック様は目を見開き、そして感極まったように私に抱きついた。
「ローゼン……! ああ、好きだ、愛してる……!」
「はいはい。暑苦しいです」
「冷やそうか? 氷魔法で」
「凍傷になるのでやめてください」
彼の体温と匂いに包まれながら、私は心地よい疲労感を感じていた。
もう、誰も私たちを引き裂くことはできない。
あの粘着質な元婚約者もいない。
意地悪なヒロインもいない。
あるのは、この少し(かなり)変わった夫と、本に囲まれた生活だけ。
「……悪くありませんね」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ。……今日の夕食は、貴方の好きなビーフシチューにしましょうと言ったのです」
「本当か! 君が作ってくれるのか?」
「料理長が作ります。私は配膳係です」
「それでもいい! 君が運んでくれるなら、毒が入っていても完食する!」
「入れませんよ。食材の無駄ですから」
馬車は公爵邸へと走る。
私の口元には、クラーク様には決して見せなかった、微かな、しかし安らかな笑みが浮かんでいた。
これで、物語の第一章「婚約破棄編」は完結だ。
ここから先は、悪役令嬢と魔王公爵による、甘くて騒がしい「領地経営&溺愛編」の始まりである。
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