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馬車がガタゴトと公爵家の門を潜る。
車内の私は、膝の上で拳を握りしめ、溢れんばかりの情熱を噛み締めていた。
「ああ……ついに。ついに公式の自由を手に入れた。もう『第一王子の婚約者』という、シエル様を遠くから見守る上での最大の障害が消え去ったのね」
窓の外を流れる夜景が、まるで祝福のライトアップのように見える。
馬車が止まり、扉が開かれると、そこには青い顔をした父――メール公爵が立っていた。
「リューン! ああ、可哀想に……! 話は聞いた。アリスティア殿下がパーティーの最中にあんな暴挙に出るなんて!」
父は今にも泣き出しそうな顔で、私の肩を抱き寄せた。
「落ち着きなさい、我が娘よ。王家がいくら強大とはいえ、我が公爵家も黙ってはいない。不当な婚約破棄として、断固抗議してやるからな!」
「……お父様」
私はそっと父の手を取り、潤んだ瞳で見つめ返した。
「抗議だなんて、そんなことしてはいけませんわ」
「おお、なんという慈悲深い心……! あんな仕打ちを受けてなお、殿下を慮るというのか!」
「いいえ、違います。これっぽっちも慮っておりません」
私は父の目を真っ直ぐに見据え、一文字ずつ噛み締めるように告げた。
「殿下がマリアンヌ様を選んでくださったおかげで、私は今、人生で一番幸せなのです。抗議して、万が一にも婚約が継続されることになったら……私、その場で舌を噛んで死にますわ」
「……え?」
「ですから、今すぐマリアンヌ様へ感謝の品を贈らねばなりません。お父様、我が家の宝物庫にある『女神の涙』のネックレスを貸していただけるかしら?」
「いや、あれは我が家の家宝で……というか、婚約を奪った相手に家宝を贈るのか!?」
父の困惑を余所に、私は鼻歌混じりで自室へと向かった。
部屋に入った瞬間、私は侍女たちの憐れみの視線を背中で受けながら、クローゼットの奥にある「秘密の扉」の鍵を開けた。
そこは、私の聖域。
壁一面に貼られた、シエル様の隠し撮り……ではなく、公式行事で撮影されたシエル様の肖像画(複製)の数々。
机の上には、シエル様が触れたかもしれないと噂される、図書館の古い栞(のレプリカ)。
「ただいま戻りました、シエル様……! 今日から私は、名実ともにあなたの『影の守護者』となりますわ!」
私は肖像画の一枚に跪き、熱い祈りを捧げた。
「お嬢様……お嬢様が壊れてしまわれた……!」
後ろで侍女のアニスが泣いている声が聞こえるが、気にしない。
「アニス、泣いている暇があったらペンと便箋を持ってきてちょうだい。最高級のやつよ」
「……アリスティア殿下への、呪いのお手紙ですか?」
「失礼ね。マリアンヌ様への、心からの感謝状よ。彼女がいなければ、私は今頃まだ、あのナルシスト王子の横で愛想笑いを振り撒いていたんですもの」
私は迷いのない筆致で、便箋に言葉を躍らせた。
『拝啓 マリアンヌ・フォン・シュタイン様。この度は、アリスティア殿下という名の「粗大ゴミ」を回収していただき、誠にありがとうございます。あなたの勇気ある行動により、私の視界はかつてないほどクリアになりました』
「お嬢様、その書き出しは喧嘩を売っているようにしか見えません!」
「あら、正直な気持ちよ? 追伸に、二人の門出を祝って、私が厳選した『シエル様がいかに素晴らしいか』を綴った小冊子を同封しておきましょう」
「それはもはや嫌がらせですらなく、ただの布教活動です!」
アニスのツッコミを華麗にスルーし、私は手紙を封じた。
さて、準備は整った。
明日の予定を立てなければならない。
シエル様は毎週水曜日の午前中、王立図書館の南棟にある「歴史・地理」のコーナーで、窓際の席に座る習慣がある。
「ふふ……ふふふ。婚約者の立場では『公務』が邪魔をして行けなかったけれど、明日からは違うわ」
私はベッドに飛び込み、抱き枕(シエル様の身長と同じ長さに特注したもの)を強く抱きしめた。
「変装用の眼鏡、地味な色のマント、そしてシエル様の美貌を永遠に記録するための魔導カメラ……。チェックは完璧ね」
翌朝、公爵家は「婚約破棄のショックで引きこもる令嬢」を演出するために門を閉ざしたが。
その裏口から、誰も見たことのないような怪しい格好をした一人の女が、音もなく飛び出していった。
彼女の行き先は、ただ一つ。
愛しの推し、シエル様が座る聖なる場所――図書館である。
車内の私は、膝の上で拳を握りしめ、溢れんばかりの情熱を噛み締めていた。
「ああ……ついに。ついに公式の自由を手に入れた。もう『第一王子の婚約者』という、シエル様を遠くから見守る上での最大の障害が消え去ったのね」
窓の外を流れる夜景が、まるで祝福のライトアップのように見える。
馬車が止まり、扉が開かれると、そこには青い顔をした父――メール公爵が立っていた。
「リューン! ああ、可哀想に……! 話は聞いた。アリスティア殿下がパーティーの最中にあんな暴挙に出るなんて!」
父は今にも泣き出しそうな顔で、私の肩を抱き寄せた。
「落ち着きなさい、我が娘よ。王家がいくら強大とはいえ、我が公爵家も黙ってはいない。不当な婚約破棄として、断固抗議してやるからな!」
「……お父様」
私はそっと父の手を取り、潤んだ瞳で見つめ返した。
「抗議だなんて、そんなことしてはいけませんわ」
「おお、なんという慈悲深い心……! あんな仕打ちを受けてなお、殿下を慮るというのか!」
「いいえ、違います。これっぽっちも慮っておりません」
私は父の目を真っ直ぐに見据え、一文字ずつ噛み締めるように告げた。
「殿下がマリアンヌ様を選んでくださったおかげで、私は今、人生で一番幸せなのです。抗議して、万が一にも婚約が継続されることになったら……私、その場で舌を噛んで死にますわ」
「……え?」
「ですから、今すぐマリアンヌ様へ感謝の品を贈らねばなりません。お父様、我が家の宝物庫にある『女神の涙』のネックレスを貸していただけるかしら?」
「いや、あれは我が家の家宝で……というか、婚約を奪った相手に家宝を贈るのか!?」
父の困惑を余所に、私は鼻歌混じりで自室へと向かった。
部屋に入った瞬間、私は侍女たちの憐れみの視線を背中で受けながら、クローゼットの奥にある「秘密の扉」の鍵を開けた。
そこは、私の聖域。
壁一面に貼られた、シエル様の隠し撮り……ではなく、公式行事で撮影されたシエル様の肖像画(複製)の数々。
机の上には、シエル様が触れたかもしれないと噂される、図書館の古い栞(のレプリカ)。
「ただいま戻りました、シエル様……! 今日から私は、名実ともにあなたの『影の守護者』となりますわ!」
私は肖像画の一枚に跪き、熱い祈りを捧げた。
「お嬢様……お嬢様が壊れてしまわれた……!」
後ろで侍女のアニスが泣いている声が聞こえるが、気にしない。
「アニス、泣いている暇があったらペンと便箋を持ってきてちょうだい。最高級のやつよ」
「……アリスティア殿下への、呪いのお手紙ですか?」
「失礼ね。マリアンヌ様への、心からの感謝状よ。彼女がいなければ、私は今頃まだ、あのナルシスト王子の横で愛想笑いを振り撒いていたんですもの」
私は迷いのない筆致で、便箋に言葉を躍らせた。
『拝啓 マリアンヌ・フォン・シュタイン様。この度は、アリスティア殿下という名の「粗大ゴミ」を回収していただき、誠にありがとうございます。あなたの勇気ある行動により、私の視界はかつてないほどクリアになりました』
「お嬢様、その書き出しは喧嘩を売っているようにしか見えません!」
「あら、正直な気持ちよ? 追伸に、二人の門出を祝って、私が厳選した『シエル様がいかに素晴らしいか』を綴った小冊子を同封しておきましょう」
「それはもはや嫌がらせですらなく、ただの布教活動です!」
アニスのツッコミを華麗にスルーし、私は手紙を封じた。
さて、準備は整った。
明日の予定を立てなければならない。
シエル様は毎週水曜日の午前中、王立図書館の南棟にある「歴史・地理」のコーナーで、窓際の席に座る習慣がある。
「ふふ……ふふふ。婚約者の立場では『公務』が邪魔をして行けなかったけれど、明日からは違うわ」
私はベッドに飛び込み、抱き枕(シエル様の身長と同じ長さに特注したもの)を強く抱きしめた。
「変装用の眼鏡、地味な色のマント、そしてシエル様の美貌を永遠に記録するための魔導カメラ……。チェックは完璧ね」
翌朝、公爵家は「婚約破棄のショックで引きこもる令嬢」を演出するために門を閉ざしたが。
その裏口から、誰も見たことのないような怪しい格好をした一人の女が、音もなく飛び出していった。
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愛しの推し、シエル様が座る聖なる場所――図書館である。
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