婚約破棄!推しの第二王子を愛でるため、悪役令嬢は全力で「円満退場」

パリパリかぷちーの

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王立図書館の空気は、いつだって神聖だ。


高い天井まで届く書棚の列、古書の微かな香り、そして何より――。


南棟の窓際、柔らかな木漏れ日を浴びながら読書に耽る、シエル様のお姿。


「……いた。いらっしゃったわ……。ああ、生きてる。シエル様が、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出していらっしゃる。尊い、尊すぎてこの空間だけ気圧がおかしい気がする……」


私は棚の陰から、眼鏡を指で押し上げながら呟いた。


今日の私は、公爵令嬢リューンではない。


地味なグレーのローブを纏い、顔の半分を覆うような分厚い眼鏡をかけた、名もなき「通りすがりの図書好き(ストーカー)」だ。


シエル様は、兄であるアリスティア様とは正反対の美しさをお持ちだ。


光り輝く黄金の髪ではなく、夜空を溶かしたような深い紺碧の髪。


自信に満ちた強い瞳ではなく、静かな湖面のように穏やかで、どこか寂しげな銀色の瞳。


ページを捲るその指先が、まるで芸術品のように細く、白い。


「……はぁ。あの指で捲られたい。いっそ私は、その本になりたい。本の繊維になって、シエル様の指の温もりを一生……いいえ、転生しても味わいたい」


「……あの」


突然、すぐ近くで声がした。


心臓が口から飛び出しそうになりながら視線を戻すと、そこには困惑した表情の司書が立っていた。


「お客様……。本棚の隙間からそんなに激しく呼吸をされると、風圧で貴重な古書のページが傷みますので、お控えいただけますか?」


「申し訳ございません。あまりに知識の香りが素晴らしかったもので、つい肺活量が限界突破してしまいましたわ」


私は何食わぬ顔で司書を追い払うと、再び推しへの観察に戻った。


すると、どうしたことだろう。


シエル様がふと顔を上げ、こちらを見た。


私の心臓は、もはやドラムを叩くプロ並みの速さで鼓動を刻み始める。


(目が合った……? 今、確実に光彩が一致したわよね!? これもう実質、入籍したってことでいいのかしら!?)


混乱する私の脳内をよそに、シエル様は立ち上がり、あろうことか私の方へと歩いてくるではないか。


「……君」


呼ばれた。


神の声が、私の鼓膜を震わせた。


「は、はひっ! はい! 何用でしょうか、天の御使い……失礼しました、第二王子殿下!」


私は全力で地面に頭を擦り付けそうになるのを耐え、直立不動で応えた。


シエル様は少し眉をひそめ、不思議そうな顔で私を覗き込んでくる。


「さっきからずっと、そこで僕のことを見ていなかったかな? 何か僕に用があるのかい?」


「いえ! 決して不審な者ではございません! ただ、殿下の背後の書棚にある『古代王国の肥料の歴史』という本に強烈な知的好奇心を抱いただけです!」


「……そうなんだ。その本、僕が今持っているこれだよ。読みたかった?」


シエル様が、その白い手で本を差し出してくれる。


無理。


直視できない。


シエル様との距離、わずか五十センチ。


彼の放つ「清楚な美男子」という名のオーラに焼かれて、私の網膜が絶滅の危機に瀕している。


「あ、ああ、ありがとうございます……! 拝受いたします、いえ、家宝にします!」


「家宝? 図書館の本だよ? ちゃんと返してくれないと困るけど……」


シエル様は困ったように笑った。


その笑顔。


その、少しだけ困ったような眉の下がり方。


私は心の中で、一万枚のシャッターを切った。


「殿下……。殿下は、どうしてそんなに……その……」


「何だい?」


「存在が、国宝なんですか?」


「……え?」


「いえ、なんでもありません。殿下の美しさに、我が国の未来は明るいと確信した次第です。失礼します!」


私は本をひったくるように受け取ると、脱兎のごとくその場を走り去った。


廊下の角を曲がり、シエル様の視界から消えた瞬間に、私はその場に崩れ落ちた。


「喋った……。シエル様と喋っちゃった……。しかも本まで借りちゃった……。これ、間接的に握手したのと同じよね?」


私は借りた本の表紙に顔を埋め、深呼吸した。


シエル様の残り香……は残念ながら紙の匂いしかしなかったが、それでも私の幸福度はカンストしていた。


一方で、残されたシエル様は、ポツリと独り言を漏らしていた。


「……変な子だな。でも、あの眼鏡の奥の目。どこかで見たことがあるような……?」


シエル様の記憶の片隅に、私の残像が刻まれた。


それだけで、婚約破棄された甲斐があったというものだ。


しかし、私はまだ知らない。


アリスティア様が、私を追い出したことを早くも後悔し始めていること、そして、マリアンヌ様が私の異常な行動に興味を持ち始めていることを。
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