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借りてしまった。
シエル様が触れた、あの「古代王国の肥料の歴史」を。
公爵家の私の部屋では、現在、その本を御神体とした臨時の祭壇が築かれている。
「見て、アニス。この表紙の三ミリ右側の擦れ……これはシエル様がページを捲る際に、指先が微かに触れた痕跡に違いないわ」
「お嬢様、それは単なる経年劣化です。あと、本をシルクのクッションに乗せて拝むのはやめてください。図書館に返せなくなります」
侍女のアニスの冷ややかなツッコミも、今の私には祝福の鐘の音にしか聞こえない。
しかし、私は公爵令嬢。借りたものは返さねばならない。それが例え、シエル様のDNAが付着している(かもしれない)聖遺物であってもだ。
私は再び変装を施し、王立図書館へと向かった。
「……ふふふ。今日は返却ついでに、シエル様への感謝を込めた『読書感想文(全百ページ)』を添えてお返しするわ」
「重すぎます。営業妨害で出入り禁止になりますよ」
アニスの制止を振り切り、私は意気揚々と図書館の門を潜った。
窓際の席。そこには今日も、変わらず美しいシエル様が座っていらした。
私は不審者に見られないよう(手遅れかもしれないが)、極めて自然な動作で――壁に張り付きながら、カニ歩きで彼に近づいた。
「し、シエル様……あ、いえ、殿下。昨日の『肥料の本』、お返しに参りましたわ」
シエル様が顔を上げ、私を見て少しだけ目を見開いた。
「あ、君か。律儀だね。……というか、その本、どうしてそんなにキラキラしているの?」
「ああ、これですか? あまりに内容が神々しかったので、我が家に伝わる最高級の魔力研磨布で表紙を磨き上げました。ついでに、内容への理解を深めるための補足資料(百ページ)も作成いたしましたわ」
私はドンッ、と机に分厚い束を置いた。
シエル様は引き気味にその束を見つめ、苦笑いを浮かべた。
「肥料の歴史に、そこまでの情熱を注ぐ令嬢に会ったのは初めてだよ。君、名前は……」
「名乗るほどの者ではございません! 一介の『シエル様を支え隊』……いえ、『一介の読書子』です!」
シエル様が私の名を聞こうとした、その時。
「――見つけたぞ、リューン! こんなところで何をしている!」
静寂を切り裂く、品のない大声。
振り返れば、そこには不機嫌極まりない顔をしたアリスティア様が立っていた。
隣には、所在なげに俯くマリアンヌ様も一緒だ。
「アリスティア兄様? どうしてここに。図書館は静かにする場所だよ」
シエル様が冷ややかに指摘するが、アリスティア様は聞く耳を持たない。
「黙れシエル! リューン、貴様、婚約破棄されてショックのあまり発狂したと聞いたが……なんだその格好は! そんなボロ布を纏って、コソコソと弟に色目を使っているのか!」
私は深く、深ーく溜め息をついた。
「……アリスティア様。お願いですから、私の聖域(推し活)を汚さないでいただけますか?」
「なんだと!?」
「殿下に振られたショックで頭がおかしくなった? とんでもない。私は今、人生で最高に正気です。見てください、このシエル様の困り眉の角度。黄金比ですよ。これを見ているだけで、私は一ヶ月は食事抜きで生きていけます」
「何を……わけのわからないことを……」
アリスティア様が絶句する。
私は一歩前に出ると、彼を真っ直ぐに見据えた。
「アリスティア様、あなたはマリアンヌ様という素晴らしい(私を自由にしてくれた)女性を選んだのでしょう? ならば、元婚約者の動向など気にせず、彼女を愛でることに全力を尽くしなさいな。私にかまっている暇があったら、彼女の髪の一本でも褒めたらどうです?」
「くっ……。貴様、私に指図するのか!」
「指図ではなく、助言です。あ、あと、そこ。シエル様の影を踏んでいます。今すぐ三歩下がってください。不敬ですよ」
「俺の方が兄だぞ!?」
騒ぎを聞きつけた司書たちが飛んできて、アリスティア様は半ば強制的に連れ出されていった。
静かになった図書館。
私は、シエル様が呆然とこちらを見ていることに気づき、顔を赤らめた。
(……あ。マズイ。推しの前で、つい元婚約者をゴミを見るような目で見てしまったわ……!)
「……君」
シエル様が、ポツリと言った。
「君は……本当に、僕のことが好きなのかい?」
「好き、だなんて……そんな言葉では足りません」
私は眼鏡をクイッと上げ、断言した。
「信仰、です」
シエル様の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「し、信仰……? ……君、やっぱり変だよ」
そう言いながら、シエル様は口元を袖で隠して視線を逸らした。
その耳たぶが、ほんのりと赤くなっているのを、私の「推し探知センサー」は見逃さなかった。
(照れた……? シエル様が、私(不審者)のせいで照れた!?)
「……明日も、ここにいらっしゃいますか?」
私が恐る恐る尋ねると、シエル様は小さく頷いた。
「……まあ、この本(肥料の感想文)を読まないといけないからね」
やった。
勝利の女神は、私に微笑んでいる。
私はその日、スキップで帰宅し、アニスに「シエル様の照れ顔・保存版」の絵を描かせるために画材を揃えさせた。
シエル様が触れた、あの「古代王国の肥料の歴史」を。
公爵家の私の部屋では、現在、その本を御神体とした臨時の祭壇が築かれている。
「見て、アニス。この表紙の三ミリ右側の擦れ……これはシエル様がページを捲る際に、指先が微かに触れた痕跡に違いないわ」
「お嬢様、それは単なる経年劣化です。あと、本をシルクのクッションに乗せて拝むのはやめてください。図書館に返せなくなります」
侍女のアニスの冷ややかなツッコミも、今の私には祝福の鐘の音にしか聞こえない。
しかし、私は公爵令嬢。借りたものは返さねばならない。それが例え、シエル様のDNAが付着している(かもしれない)聖遺物であってもだ。
私は再び変装を施し、王立図書館へと向かった。
「……ふふふ。今日は返却ついでに、シエル様への感謝を込めた『読書感想文(全百ページ)』を添えてお返しするわ」
「重すぎます。営業妨害で出入り禁止になりますよ」
アニスの制止を振り切り、私は意気揚々と図書館の門を潜った。
窓際の席。そこには今日も、変わらず美しいシエル様が座っていらした。
私は不審者に見られないよう(手遅れかもしれないが)、極めて自然な動作で――壁に張り付きながら、カニ歩きで彼に近づいた。
「し、シエル様……あ、いえ、殿下。昨日の『肥料の本』、お返しに参りましたわ」
シエル様が顔を上げ、私を見て少しだけ目を見開いた。
「あ、君か。律儀だね。……というか、その本、どうしてそんなにキラキラしているの?」
「ああ、これですか? あまりに内容が神々しかったので、我が家に伝わる最高級の魔力研磨布で表紙を磨き上げました。ついでに、内容への理解を深めるための補足資料(百ページ)も作成いたしましたわ」
私はドンッ、と机に分厚い束を置いた。
シエル様は引き気味にその束を見つめ、苦笑いを浮かべた。
「肥料の歴史に、そこまでの情熱を注ぐ令嬢に会ったのは初めてだよ。君、名前は……」
「名乗るほどの者ではございません! 一介の『シエル様を支え隊』……いえ、『一介の読書子』です!」
シエル様が私の名を聞こうとした、その時。
「――見つけたぞ、リューン! こんなところで何をしている!」
静寂を切り裂く、品のない大声。
振り返れば、そこには不機嫌極まりない顔をしたアリスティア様が立っていた。
隣には、所在なげに俯くマリアンヌ様も一緒だ。
「アリスティア兄様? どうしてここに。図書館は静かにする場所だよ」
シエル様が冷ややかに指摘するが、アリスティア様は聞く耳を持たない。
「黙れシエル! リューン、貴様、婚約破棄されてショックのあまり発狂したと聞いたが……なんだその格好は! そんなボロ布を纏って、コソコソと弟に色目を使っているのか!」
私は深く、深ーく溜め息をついた。
「……アリスティア様。お願いですから、私の聖域(推し活)を汚さないでいただけますか?」
「なんだと!?」
「殿下に振られたショックで頭がおかしくなった? とんでもない。私は今、人生で最高に正気です。見てください、このシエル様の困り眉の角度。黄金比ですよ。これを見ているだけで、私は一ヶ月は食事抜きで生きていけます」
「何を……わけのわからないことを……」
アリスティア様が絶句する。
私は一歩前に出ると、彼を真っ直ぐに見据えた。
「アリスティア様、あなたはマリアンヌ様という素晴らしい(私を自由にしてくれた)女性を選んだのでしょう? ならば、元婚約者の動向など気にせず、彼女を愛でることに全力を尽くしなさいな。私にかまっている暇があったら、彼女の髪の一本でも褒めたらどうです?」
「くっ……。貴様、私に指図するのか!」
「指図ではなく、助言です。あ、あと、そこ。シエル様の影を踏んでいます。今すぐ三歩下がってください。不敬ですよ」
「俺の方が兄だぞ!?」
騒ぎを聞きつけた司書たちが飛んできて、アリスティア様は半ば強制的に連れ出されていった。
静かになった図書館。
私は、シエル様が呆然とこちらを見ていることに気づき、顔を赤らめた。
(……あ。マズイ。推しの前で、つい元婚約者をゴミを見るような目で見てしまったわ……!)
「……君」
シエル様が、ポツリと言った。
「君は……本当に、僕のことが好きなのかい?」
「好き、だなんて……そんな言葉では足りません」
私は眼鏡をクイッと上げ、断言した。
「信仰、です」
シエル様の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「し、信仰……? ……君、やっぱり変だよ」
そう言いながら、シエル様は口元を袖で隠して視線を逸らした。
その耳たぶが、ほんのりと赤くなっているのを、私の「推し探知センサー」は見逃さなかった。
(照れた……? シエル様が、私(不審者)のせいで照れた!?)
「……明日も、ここにいらっしゃいますか?」
私が恐る恐る尋ねると、シエル様は小さく頷いた。
「……まあ、この本(肥料の感想文)を読まないといけないからね」
やった。
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