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謹慎生活、一週間目。
私の部屋は、もはや公爵令嬢の居室としての機能を失っていた。
壁一面には、この七日間で描き上げたシエル様の「朝昼晩別・表情差分」のスケッチが所狭しと貼られている。
中央には、毛髪の質感にこだわりすぎて制作が難航している等身大タペストリー(制作途中)が鎮座していた。
「……アニス。もうダメよ。限界だわ」
私はソファにぐったりと横たわり、天井を見上げて呟いた。
「あら、ようやく反省する気になりましたか? 一週間もお嬢様の奇声を聞かされ続けた私の身にもなってください」
紅茶を淹れながら、アニスが冷ややかに応じる。
「違うわ。反省なんて一ミリもしていない。……足りないのよ、シエル様成分が! どんなに精巧なグッズを作っても、二次元は三次元(リアル)の尊さには勝てないの!」
私はガバッと起き上がり、アニスの肩を掴んだ。
「シエル様の吐息! 瞬き! あの、少しだけ浮いたアホ毛の絶妙な揺れ! それら全てを直接、私の網膜に焼き付けないと、私の細胞が壊死してしまうわ!」
「壊死しません。早くその紅茶を飲んで落ち着いてください」
「落ち着いていられるわけがないわ! シエル様は今、あの図書館で、私が返した感想文を読んでいるかもしれないのよ!? もしかしたら、私の鋭い考察に感銘を受けて、空を見上げながら私のことを一瞬だけ考えてくださっているかもしれないのよ!?」
「お嬢様の考察、九割が殿下の美辞麗句で、肥料の話は一割しかありませんでしたよね」
「その一割が黄金比なのよ! ああ……もう我慢できない。私は行くわ。たとえ火の中、水の中、謹慎の中であっても!」
私はクローゼットへ突進し、いつもの「地味なローブ」と「分厚い眼鏡」を取り出した。
「お嬢様!? 外には見張りがいるんですよ! 公爵様が殿下に示しをつけるために、わざわざ屈強な騎士を二人も配置したんですから!」
「ふふふ……甘いわね、アニス」
私は不敵な笑みを浮かべ、部屋の隅にある重厚な本棚を指差した。
「この家を建てた初代メール公爵は、実は大の隠れん坊好きだったという記録を、私は図書館の地下資料室で見つけていたの。……ここをこうして、こう!」
私が特定の古い本を引くと、ガガガ……と低い音を立てて本棚がスライドした。
そこには、大人一人がようやく通れるほどの暗い穴が口を開けていた。
「なっ……何ですかこれ!? 隠し通路!?」
「ええ。これを使えば、庭の古井戸の裏側まで誰にも見つからずに出られるわ。シエル様のストー……警護活動のために、数ヶ月前から掃除と整備を済ませておいたのよ」
「準備が良すぎて怖いですよ!」
私は素早く着替えを済ませると、ランタンを手に取った。
「アニス、一時間おきに部屋の中から『ああ、アリスティア殿下と別れて悲しいわあ!』と、大声で嘆いておいてちょうだい。ショックで寝込んでいるふりを装うのよ」
「そんな大根役者な演技、通用しますかね……?」
「大丈夫、お父様は私のことを『恋に盲目な哀れな娘』だと思い込んでいるから!」
私はアニスの静止を無視して、暗い通路へと飛び込んだ。
埃っぽい空気、湿った壁。しかし今の私には、これがシエル様へと続くレッドカーペットに見える。
「待っていてください、シエル様……! 今、あなたの不足した水分を補うために、私の愛が参りますわ!」
迷路のような通路を突き進み、私は庭の隅にある古井戸から這い出した。
夜会で身につけるようなドレスではなく、動きやすさ重視の冒険者さながらの格好で、私は公爵家の高い塀を軽々と(推しへの愛という名の筋力で)飛び越えた。
目指すは、王立図書館。
しかし、今日はいつもとは様子が違った。
閉館時間を過ぎた図書館の周囲に、数人の騎士たちが警戒に当たっていたのだ。
(……おかしいわ。夜の図書館に騎士がいるなんて。まさか、シエル様に何かあったの!?)
私は物陰に潜み、鋭い眼光で騎士たちの動きを観察した。
すると、図書館の裏口から、一人でフラリと出てくる影があった。
紺碧の髪が、月光に照らされて銀色に輝く。
「……シエル様」
私の心臓が、本日一回目の「尊い爆発」を起こした。
しかし、シエル様の表情はいつになく険しい。
彼は周囲を警戒するように見回すと、騎士たちの目を盗んで、王宮の方ではなく城下町の方へと歩き始めた。
(……夜の忍び歩き? シエル様が? これは……事件の予感、あるいは『夜のシエル様』という超絶レア・イベントの発生ね!)
私は自らの気配を極限まで消し(これも数年の修行の成果だ)、彼を追った。
シエル様が向かったのは、城下町の外れにある、少し古びた孤児院だった。
私の部屋は、もはや公爵令嬢の居室としての機能を失っていた。
壁一面には、この七日間で描き上げたシエル様の「朝昼晩別・表情差分」のスケッチが所狭しと貼られている。
中央には、毛髪の質感にこだわりすぎて制作が難航している等身大タペストリー(制作途中)が鎮座していた。
「……アニス。もうダメよ。限界だわ」
私はソファにぐったりと横たわり、天井を見上げて呟いた。
「あら、ようやく反省する気になりましたか? 一週間もお嬢様の奇声を聞かされ続けた私の身にもなってください」
紅茶を淹れながら、アニスが冷ややかに応じる。
「違うわ。反省なんて一ミリもしていない。……足りないのよ、シエル様成分が! どんなに精巧なグッズを作っても、二次元は三次元(リアル)の尊さには勝てないの!」
私はガバッと起き上がり、アニスの肩を掴んだ。
「シエル様の吐息! 瞬き! あの、少しだけ浮いたアホ毛の絶妙な揺れ! それら全てを直接、私の網膜に焼き付けないと、私の細胞が壊死してしまうわ!」
「壊死しません。早くその紅茶を飲んで落ち着いてください」
「落ち着いていられるわけがないわ! シエル様は今、あの図書館で、私が返した感想文を読んでいるかもしれないのよ!? もしかしたら、私の鋭い考察に感銘を受けて、空を見上げながら私のことを一瞬だけ考えてくださっているかもしれないのよ!?」
「お嬢様の考察、九割が殿下の美辞麗句で、肥料の話は一割しかありませんでしたよね」
「その一割が黄金比なのよ! ああ……もう我慢できない。私は行くわ。たとえ火の中、水の中、謹慎の中であっても!」
私はクローゼットへ突進し、いつもの「地味なローブ」と「分厚い眼鏡」を取り出した。
「お嬢様!? 外には見張りがいるんですよ! 公爵様が殿下に示しをつけるために、わざわざ屈強な騎士を二人も配置したんですから!」
「ふふふ……甘いわね、アニス」
私は不敵な笑みを浮かべ、部屋の隅にある重厚な本棚を指差した。
「この家を建てた初代メール公爵は、実は大の隠れん坊好きだったという記録を、私は図書館の地下資料室で見つけていたの。……ここをこうして、こう!」
私が特定の古い本を引くと、ガガガ……と低い音を立てて本棚がスライドした。
そこには、大人一人がようやく通れるほどの暗い穴が口を開けていた。
「なっ……何ですかこれ!? 隠し通路!?」
「ええ。これを使えば、庭の古井戸の裏側まで誰にも見つからずに出られるわ。シエル様のストー……警護活動のために、数ヶ月前から掃除と整備を済ませておいたのよ」
「準備が良すぎて怖いですよ!」
私は素早く着替えを済ませると、ランタンを手に取った。
「アニス、一時間おきに部屋の中から『ああ、アリスティア殿下と別れて悲しいわあ!』と、大声で嘆いておいてちょうだい。ショックで寝込んでいるふりを装うのよ」
「そんな大根役者な演技、通用しますかね……?」
「大丈夫、お父様は私のことを『恋に盲目な哀れな娘』だと思い込んでいるから!」
私はアニスの静止を無視して、暗い通路へと飛び込んだ。
埃っぽい空気、湿った壁。しかし今の私には、これがシエル様へと続くレッドカーペットに見える。
「待っていてください、シエル様……! 今、あなたの不足した水分を補うために、私の愛が参りますわ!」
迷路のような通路を突き進み、私は庭の隅にある古井戸から這い出した。
夜会で身につけるようなドレスではなく、動きやすさ重視の冒険者さながらの格好で、私は公爵家の高い塀を軽々と(推しへの愛という名の筋力で)飛び越えた。
目指すは、王立図書館。
しかし、今日はいつもとは様子が違った。
閉館時間を過ぎた図書館の周囲に、数人の騎士たちが警戒に当たっていたのだ。
(……おかしいわ。夜の図書館に騎士がいるなんて。まさか、シエル様に何かあったの!?)
私は物陰に潜み、鋭い眼光で騎士たちの動きを観察した。
すると、図書館の裏口から、一人でフラリと出てくる影があった。
紺碧の髪が、月光に照らされて銀色に輝く。
「……シエル様」
私の心臓が、本日一回目の「尊い爆発」を起こした。
しかし、シエル様の表情はいつになく険しい。
彼は周囲を警戒するように見回すと、騎士たちの目を盗んで、王宮の方ではなく城下町の方へと歩き始めた。
(……夜の忍び歩き? シエル様が? これは……事件の予感、あるいは『夜のシエル様』という超絶レア・イベントの発生ね!)
私は自らの気配を極限まで消し(これも数年の修行の成果だ)、彼を追った。
シエル様が向かったのは、城下町の外れにある、少し古びた孤児院だった。
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