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「おめでとうございます、お嬢様。本日をもって一ヶ月の謹慎期間が終了です」
アニスの事務的な声と共に、私の部屋の扉が盛大に開放された。
「……終わったわ。ついに、ついにこの日が来たのね……!」
私は朝日を浴びながら、バルコニーで両手を広げた。
この一ヶ月、私は部屋に引きこもり、シエル様の「概念」を形にする作業に没頭してきた。
壁には隙間なく並ぶ肖像画。クローゼットには、シエル様の瞳の色と同じ生地で仕立てた新作ドレスが十着。
そして机の上には、シエル様への愛を綴った――もとい、肥料の研究成果をまとめた第二弾の論文(三百ページ)が鎮座している。
「アニス、今すぐお父様を呼んで。話があるわ」
「どうせ殿下に会いに行きたいとか、そういうお願いですよね?」
「ええ、その通りよ。ただし、会いに行くのは『第一』ではなく『第二』の方ですわ」
私は鏡の前で、不敵な笑みを浮かべた。
「お父様! 私、婚約破棄のショックから立ち直りましたわ!」
食堂へ駆け込むなり、私は驚いてスープを吹き出しかけている父に宣言した。
「お、おお、リューン! そうか、ようやく元気になったか! やはりアリスティア殿下を忘れるには、新しい刺激が必要だと思っていたところだ」
「ええ、その通りですわ。ですから私、お茶会を開きたいと思いますの」
「お茶会? いいじゃないか! 我が公爵家の財力に任せなさい。どんな貴公子でも呼んでやろう」
「ありがとうございます、お父様。では……シエル様をお招きしてもよろしいかしら?」
「……シエル殿下を?」
父が不思議そうに首を傾げた。
「なぜまた、あんな目立たない方の殿下を? アリスティア殿下の弟君を呼ぶのは、気まずいのではないか?」
「いいえ、全く。むしろ『お兄様には愛想を尽かしましたけれど、弟君は相変わらず素晴らしいですね』というメッセージを社交界に発信する絶好の機会ですわ」
私はもっともらしい理由を並べ立てたが、本心はただ一つ。
『変装なしで、合法的に、シエル様を三時間ほど拘束して眺め続けたい』。これに尽きる。
「なるほど、公爵家としてのプライドを示すわけか。よし、わかった。シエル殿下へ正式な招待状を送っておこう」
父の許可を取り付けた私は、その足で執務室へ籠もった。
招待状の文面は、公爵令嬢としての品格を保ちつつ、行間に「来ないと後悔しますわよ(主に肥料の話で)」という圧を込める。
『……先日、図書館でお借りした本の御礼を直接申し上げたく存じます。つきましては、我が家の自慢である薔薇園にて、ささやかなお茶会を――』
「お嬢様、その招待状……ほのかに薔薇の香水を振りかけるのはいいですが、なぜ端っこにシエル様の瞳の色の刺繍を施しているんですか?」
「これが『推し』への礼儀というものよ、アニス。気づくか気づかないか、その絶妙なラインを突くのがオタクの嗜みなの」
数日後。
王宮のシエル様のもとに、最高級の便箋に包まれた招待状が届いた。
「……リューン・ド・ラ・メール嬢から?」
シエル様は、銀色の瞳を細めてその手紙を見つめた。
兄アリスティアを熱烈に愛していたはずの、高慢な公爵令嬢。
しかし、図書館で見せたあの奇妙な「信仰」の告白と、孤児院を救った謎の女性「ブルーベリー」の影。
「……お茶会、か」
シエル様は、招待状の隅にある小さな紺碧の刺繍に指を触れた。
それは、偶然とは思えないほど、彼自身の瞳の色と一致していた。
「……行ってみるよ。彼女が何を企んでいるのか、確かめる必要があるからね」
一方、その報告を聞きつけたアリスティア様は、自分の執務室で机を叩いていた。
「何だと!? リューンがシエルを招待した!? 私ではなく、あんな日陰者に!?」
「はい……。公爵家の方は、すでに準備に入っているようです」
「ふん、どうせ私への当て付けだろう! シエルを呼んで私を嫉妬させようという、浅はかな考えだ」
アリスティア様は鼻を鳴らし、立ち上がった。
「面白い。ならば私も、マリアンヌを連れてそのお茶会に乗り込んでやろう。リューンの絶望する顔を見るのが楽しみだ!」
主役不在のまま、リューンのお茶会は波乱の予感を孕んで動き出した。
当のリューンは。
「さあ、アニス! シエル様の好きなスコーンの焼き加減を、過去五年の王宮晩餐会の記録から割り出すわよ! 一ミリの誤差も許されないわ!」
「……あの、お嬢様。それ、不敬を通り越してただのストーカーですからね?」
公爵家のキッチンでは、推しへの愛という名の炎が、激しく燃え上がっていた。
アニスの事務的な声と共に、私の部屋の扉が盛大に開放された。
「……終わったわ。ついに、ついにこの日が来たのね……!」
私は朝日を浴びながら、バルコニーで両手を広げた。
この一ヶ月、私は部屋に引きこもり、シエル様の「概念」を形にする作業に没頭してきた。
壁には隙間なく並ぶ肖像画。クローゼットには、シエル様の瞳の色と同じ生地で仕立てた新作ドレスが十着。
そして机の上には、シエル様への愛を綴った――もとい、肥料の研究成果をまとめた第二弾の論文(三百ページ)が鎮座している。
「アニス、今すぐお父様を呼んで。話があるわ」
「どうせ殿下に会いに行きたいとか、そういうお願いですよね?」
「ええ、その通りよ。ただし、会いに行くのは『第一』ではなく『第二』の方ですわ」
私は鏡の前で、不敵な笑みを浮かべた。
「お父様! 私、婚約破棄のショックから立ち直りましたわ!」
食堂へ駆け込むなり、私は驚いてスープを吹き出しかけている父に宣言した。
「お、おお、リューン! そうか、ようやく元気になったか! やはりアリスティア殿下を忘れるには、新しい刺激が必要だと思っていたところだ」
「ええ、その通りですわ。ですから私、お茶会を開きたいと思いますの」
「お茶会? いいじゃないか! 我が公爵家の財力に任せなさい。どんな貴公子でも呼んでやろう」
「ありがとうございます、お父様。では……シエル様をお招きしてもよろしいかしら?」
「……シエル殿下を?」
父が不思議そうに首を傾げた。
「なぜまた、あんな目立たない方の殿下を? アリスティア殿下の弟君を呼ぶのは、気まずいのではないか?」
「いいえ、全く。むしろ『お兄様には愛想を尽かしましたけれど、弟君は相変わらず素晴らしいですね』というメッセージを社交界に発信する絶好の機会ですわ」
私はもっともらしい理由を並べ立てたが、本心はただ一つ。
『変装なしで、合法的に、シエル様を三時間ほど拘束して眺め続けたい』。これに尽きる。
「なるほど、公爵家としてのプライドを示すわけか。よし、わかった。シエル殿下へ正式な招待状を送っておこう」
父の許可を取り付けた私は、その足で執務室へ籠もった。
招待状の文面は、公爵令嬢としての品格を保ちつつ、行間に「来ないと後悔しますわよ(主に肥料の話で)」という圧を込める。
『……先日、図書館でお借りした本の御礼を直接申し上げたく存じます。つきましては、我が家の自慢である薔薇園にて、ささやかなお茶会を――』
「お嬢様、その招待状……ほのかに薔薇の香水を振りかけるのはいいですが、なぜ端っこにシエル様の瞳の色の刺繍を施しているんですか?」
「これが『推し』への礼儀というものよ、アニス。気づくか気づかないか、その絶妙なラインを突くのがオタクの嗜みなの」
数日後。
王宮のシエル様のもとに、最高級の便箋に包まれた招待状が届いた。
「……リューン・ド・ラ・メール嬢から?」
シエル様は、銀色の瞳を細めてその手紙を見つめた。
兄アリスティアを熱烈に愛していたはずの、高慢な公爵令嬢。
しかし、図書館で見せたあの奇妙な「信仰」の告白と、孤児院を救った謎の女性「ブルーベリー」の影。
「……お茶会、か」
シエル様は、招待状の隅にある小さな紺碧の刺繍に指を触れた。
それは、偶然とは思えないほど、彼自身の瞳の色と一致していた。
「……行ってみるよ。彼女が何を企んでいるのか、確かめる必要があるからね」
一方、その報告を聞きつけたアリスティア様は、自分の執務室で机を叩いていた。
「何だと!? リューンがシエルを招待した!? 私ではなく、あんな日陰者に!?」
「はい……。公爵家の方は、すでに準備に入っているようです」
「ふん、どうせ私への当て付けだろう! シエルを呼んで私を嫉妬させようという、浅はかな考えだ」
アリスティア様は鼻を鳴らし、立ち上がった。
「面白い。ならば私も、マリアンヌを連れてそのお茶会に乗り込んでやろう。リューンの絶望する顔を見るのが楽しみだ!」
主役不在のまま、リューンのお茶会は波乱の予感を孕んで動き出した。
当のリューンは。
「さあ、アニス! シエル様の好きなスコーンの焼き加減を、過去五年の王宮晩餐会の記録から割り出すわよ! 一ミリの誤差も許されないわ!」
「……あの、お嬢様。それ、不敬を通り越してただのストーカーですからね?」
公爵家のキッチンでは、推しへの愛という名の炎が、激しく燃え上がっていた。
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