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完璧だわ。
雲一つない青空、咲き誇る大輪の薔薇、そしてテーブルに並ぶのは王宮のシェフすら唸らせる究極のスコーン。
私は鏡の前で、公爵令嬢としての完璧な微笑みを確認した。
「お嬢様、顔が強張っていますよ。シエル様を前にして鼻血を出したり、拝み倒したりしたら、即座にこのお茶会は終了ですからね」
「失礼ね、アニス。今日の私は『可憐で儚い、元・婚約破棄された令嬢』よ。シエル様に『守ってあげたい』と思わせるのが作戦なんだから」
「そのセリフを吐きながら、袖に『シエル様観察用望遠鏡』を隠し持つのをやめてください」
私はアニスの小言を華麗にスルーし、優雅な足取りで庭園の東屋へと向かった。
そこには、すでに到着していたシエル様が、薔薇に囲まれて座っていらした。
逆光を浴びて輝く紺碧の髪。本をめくる長い指。
(……尊い。生きててよかった。この光景を録画できる魔導具があれば、全財産を投げ打ってでも買うのに……!)
「シエル殿下、本日はお招きに応じていただき、誠に光栄に存じますわ」
私は膝を折り、最高にエレガントなカーテシーを捧げた。
シエル様は顔を上げ、少しだけ驚いたように私を見つめた。
「……リューン様。以前お会いした時とは、随分と雰囲気が違いますね」
「あら、そうですかしら? 謹慎期間を経て、少しは淑女として成長したのかもしれませんわ」
「……そうですか。あの図書館での『信仰』の話が、夢だったのかと思うほどです」
(……ギクッ!)
シエル様の銀色の瞳が、私の顔をじっと観察している。
私は動揺を隠し、シエル様の好物であるはずの(独自調べ)スコーンを勧めた。
「……このスコーン、美味しいですね。僕が以前、王宮の図書室でこっそり食べていたものと、焼き加減がそっくりだ」
「それは偶然ですわね! きっと一流の職人が作ると、魂が共鳴して同じ味に辿り着くのでしょう!」
(危ないわ! 『五年分の晩餐会データから導き出した黄金比です』なんて口が裂けても言えない!)
会話が少しずつ弾み始めた、その時だった。
「――リューン! やはりここでシエルと密会していたか!」
静寂を打ち破る、聞きたくもない大声。
庭園の入り口から、アリスティア様がマリアンヌ様の手を引いて、土足で踏み込んできた。
「アリスティア兄様? 今日は招待されていないはずですが……」
シエル様が眉をひそめる。
「フン、婚約者だった男が来ているというのに、挨拶もなしか! リューン、シエルを呼んで私を嫉妬させようという魂胆だろうが、無駄だ。見ていろ、私とマリアンヌの仲睦まじい姿を!」
アリスティア様はわざとらしくマリアンヌ様の肩を抱き寄せた。
マリアンヌ様は、私と目が合うと、ひどく申し訳なさそうに身を縮めている。
私は……静かにティーカップを置いた。
(……私の。シエル様との、神聖な、たった二人の、歴史に残すべきティータイムを……)
「……アリスティア様」
私は立ち上がり、極めて冷ややかな笑みを浮かべた。
「お言葉ですが、ここは我がメール公爵家の敷地内。不法侵入の上に、殿下の弟君であるシエル様のお時間を邪魔するとは……少々、王族としての品位に欠けるのではありませんか?」
「な、何だと!? 貴様、私を教え諭すつもりか!」
「いえ、ただ『目障りですので、速やかにお引き取りください』と申し上げているだけですわ。マリアンヌ様も、こんなデリカシーのない男に連れ回されて、さぞお疲れでしょう?」
「えっ、あ、あの……」
戸惑うマリアンヌ様を余所に、私は一歩、アリスティア様に詰め寄った。
「アリスティア様。あなたが誰と恋に落ちようが、私の知ったことではありません。ですが、私の『推し……いえ、大切なお客様』であるシエル様の静寂を汚すことだけは、断じて許しませんわ」
「推し……? 何を言っているのだ、貴様は!」
「言葉通りの意味です。シエル様は、この世界の宝石。あなたは、その宝石を引き立てるための、せいぜい『黒いベルベットの布』程度の存在。布が宝石の前にしゃしゃり出ないでいただけます?」
「こ、この女……! 完全に気が触れたか!」
アリスティア様が怒りに顔を赤くして叫ぶ。
しかし、ふと横を見ると、シエル様が口元を抑えて、肩を震わせていた。
「……シエル、何がおかしい!」
「……く、ふふ。いや、兄様。彼女の比喩表現が、あまりにも独創的で……」
シエル様は、堪えきれないといった様子で笑い出した。
その、花が綻ぶような笑顔。
私はその瞬間、心の中でアリスティア様に感謝した。
(……ありがとう、粗大ゴミ。あなたの無様な乱入のおかげで、シエル様の極上の『爆笑シーン』を拝むことができたわ!)
「さあ、アリスティア様。これ以上シエル様を笑わせる(滑稽な姿を見せる)のはおやめになって、お帰りくださいな。警備の騎士を呼ぶことになりますわよ?」
私はアリスティア様をゴミを見るような目で一瞥し、シエル様に向き直ると、瞬時に「聖母の微笑み」に戻った。
「失礼いたしました、シエル殿下。不純物は排除いたしましたわ。さあ、お茶の続きを……」
「……リューン様。君は本当に……面白いね」
シエル様の瞳に、今までになかった強い「興味」の光が宿ったのを、私は確信した。
雲一つない青空、咲き誇る大輪の薔薇、そしてテーブルに並ぶのは王宮のシェフすら唸らせる究極のスコーン。
私は鏡の前で、公爵令嬢としての完璧な微笑みを確認した。
「お嬢様、顔が強張っていますよ。シエル様を前にして鼻血を出したり、拝み倒したりしたら、即座にこのお茶会は終了ですからね」
「失礼ね、アニス。今日の私は『可憐で儚い、元・婚約破棄された令嬢』よ。シエル様に『守ってあげたい』と思わせるのが作戦なんだから」
「そのセリフを吐きながら、袖に『シエル様観察用望遠鏡』を隠し持つのをやめてください」
私はアニスの小言を華麗にスルーし、優雅な足取りで庭園の東屋へと向かった。
そこには、すでに到着していたシエル様が、薔薇に囲まれて座っていらした。
逆光を浴びて輝く紺碧の髪。本をめくる長い指。
(……尊い。生きててよかった。この光景を録画できる魔導具があれば、全財産を投げ打ってでも買うのに……!)
「シエル殿下、本日はお招きに応じていただき、誠に光栄に存じますわ」
私は膝を折り、最高にエレガントなカーテシーを捧げた。
シエル様は顔を上げ、少しだけ驚いたように私を見つめた。
「……リューン様。以前お会いした時とは、随分と雰囲気が違いますね」
「あら、そうですかしら? 謹慎期間を経て、少しは淑女として成長したのかもしれませんわ」
「……そうですか。あの図書館での『信仰』の話が、夢だったのかと思うほどです」
(……ギクッ!)
シエル様の銀色の瞳が、私の顔をじっと観察している。
私は動揺を隠し、シエル様の好物であるはずの(独自調べ)スコーンを勧めた。
「……このスコーン、美味しいですね。僕が以前、王宮の図書室でこっそり食べていたものと、焼き加減がそっくりだ」
「それは偶然ですわね! きっと一流の職人が作ると、魂が共鳴して同じ味に辿り着くのでしょう!」
(危ないわ! 『五年分の晩餐会データから導き出した黄金比です』なんて口が裂けても言えない!)
会話が少しずつ弾み始めた、その時だった。
「――リューン! やはりここでシエルと密会していたか!」
静寂を打ち破る、聞きたくもない大声。
庭園の入り口から、アリスティア様がマリアンヌ様の手を引いて、土足で踏み込んできた。
「アリスティア兄様? 今日は招待されていないはずですが……」
シエル様が眉をひそめる。
「フン、婚約者だった男が来ているというのに、挨拶もなしか! リューン、シエルを呼んで私を嫉妬させようという魂胆だろうが、無駄だ。見ていろ、私とマリアンヌの仲睦まじい姿を!」
アリスティア様はわざとらしくマリアンヌ様の肩を抱き寄せた。
マリアンヌ様は、私と目が合うと、ひどく申し訳なさそうに身を縮めている。
私は……静かにティーカップを置いた。
(……私の。シエル様との、神聖な、たった二人の、歴史に残すべきティータイムを……)
「……アリスティア様」
私は立ち上がり、極めて冷ややかな笑みを浮かべた。
「お言葉ですが、ここは我がメール公爵家の敷地内。不法侵入の上に、殿下の弟君であるシエル様のお時間を邪魔するとは……少々、王族としての品位に欠けるのではありませんか?」
「な、何だと!? 貴様、私を教え諭すつもりか!」
「いえ、ただ『目障りですので、速やかにお引き取りください』と申し上げているだけですわ。マリアンヌ様も、こんなデリカシーのない男に連れ回されて、さぞお疲れでしょう?」
「えっ、あ、あの……」
戸惑うマリアンヌ様を余所に、私は一歩、アリスティア様に詰め寄った。
「アリスティア様。あなたが誰と恋に落ちようが、私の知ったことではありません。ですが、私の『推し……いえ、大切なお客様』であるシエル様の静寂を汚すことだけは、断じて許しませんわ」
「推し……? 何を言っているのだ、貴様は!」
「言葉通りの意味です。シエル様は、この世界の宝石。あなたは、その宝石を引き立てるための、せいぜい『黒いベルベットの布』程度の存在。布が宝石の前にしゃしゃり出ないでいただけます?」
「こ、この女……! 完全に気が触れたか!」
アリスティア様が怒りに顔を赤くして叫ぶ。
しかし、ふと横を見ると、シエル様が口元を抑えて、肩を震わせていた。
「……シエル、何がおかしい!」
「……く、ふふ。いや、兄様。彼女の比喩表現が、あまりにも独創的で……」
シエル様は、堪えきれないといった様子で笑い出した。
その、花が綻ぶような笑顔。
私はその瞬間、心の中でアリスティア様に感謝した。
(……ありがとう、粗大ゴミ。あなたの無様な乱入のおかげで、シエル様の極上の『爆笑シーン』を拝むことができたわ!)
「さあ、アリスティア様。これ以上シエル様を笑わせる(滑稽な姿を見せる)のはおやめになって、お帰りくださいな。警備の騎士を呼ぶことになりますわよ?」
私はアリスティア様をゴミを見るような目で一瞥し、シエル様に向き直ると、瞬時に「聖母の微笑み」に戻った。
「失礼いたしました、シエル殿下。不純物は排除いたしましたわ。さあ、お茶の続きを……」
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