16 / 28
16
しおりを挟む
王宮の広大な晩餐会会場は、隣国の使節団を歓迎するための熱気に包まれていた。
煌びやかなドレスを纏った貴婦人たちや、勲章を誇らしげに掲げた騎士たちが、今か今かと主役の登場を待っている。
「……いい、マリアンヌ様。準備は完璧ね?」
私は物陰で、最終チェック用のルーペを握りしめながら、隣に立つマリアンヌ様に確認した。
「はい、リューン様! 殿下の袖口に施した隠し刺繍、光の角度でシエル様の紋章が浮き出るように調整済みですわ!」
「素晴らしいわ! さすが私の認めた共同プロデューサーだわ!」
婚約者の座を奪い合ったはずの私たちは、今や「シエル様をいかに輝かせるか」という一点において、血よりも濃い絆で結ばれていた。
ファンという名の狂気は、時として国境も立場も越えるのだ。
「――見ろ! アリスティア殿下のご登場だ!」
会場の扉が開き、まずはアリスティア様が悠然と姿を現した。
例の、純金糸をこれでもかと使ったマントが、シャンデリアの光を反射してこれでもかとギラついている。
「……うわぁ。歩く金箔ね。視覚への暴力だわ」
「眩しすぎて、隣国のお姫様が目を細めていらっしゃいますわ……。逆効果ですわね」
私たちは冷静に毒を吐く。
アリスティア様は自信満々に会場を一周し、使節団の王女の前で大袈裟に礼をした。
「ようこそ、我が王国へ。この眩いばかりの歓迎、お気に召しましたかな?」
「……ええ、とても。……その、物理的に眩しいですわね」
王女様が引きつった笑顔で応じる。
そんな「光害」によって会場が妙な空気になった、その時だった。
「――続いて、第二王子、シエル殿下のご入場です」
静かなアナウンスと共に、再び扉が開いた。
瞬間。
会場の空気が、一気に「浄化」された。
そこに立っていたのは、深夜の海を思わせる深い紺碧の衣装に身を包んだ、この世のものとは思えないほど美しいシエル様だった。
アリスティア様のような派手な装飾はない。
しかし、最高級のシルクが彼のしなやかな肢体を完璧に縁取り、マリアンヌ様が夜なべして刺した銀糸の刺繍が、歩くたびに月光のように静かに揺れる。
「……あ、ああ……」
「なんて、気高い……」
会場から、溜め息のような声が漏れる。
それは、アリスティア様の時に上がった「歓声」ではなく、あまりの尊さに言葉を失った者たちが捧げる「祈り」に似ていた。
「……ッ、フゥ……ッ、フゥ……!」
私は会場の隅で、過呼吸寸前になりながらその光景を網膜に刻みつけた。
(見て……見てよ世界! これが私の推し! これが人類の到達点よ! あの、控えめに伏せられた睫毛の影! 完璧なまでのネクタイの結び目!)
(そして何より……あの、私とマリアンヌ様が三時間議論して決めた、左胸のブローチの位置! 心臓の鼓動に合わせて微かに震えるその煌めきが、彼の生命の躍動を伝えているわ……!)
シエル様は真っ直ぐに王女の前へと進み、優雅に跪いた。
「……お初にお目にかかります。シエル・ド・ラ・メールです。遠路遥々お越しいただいたあなたに、この国の静かな夜の祝福を」
シエル様が王女の手を取り、その甲に軽く唇を寄せた。
その仕草のなんと気高く、そして色気のあることか!
王女様は、アリスティア様の時には見せなかった、本物の「乙女の顔」で赤らんだ。
「……まあ。……なんて、素敵な方」
使節団だけでなく、会場中の視線が完全にシエル様に釘付けになった。
「な、なぜだ!? 私の金糸マントの方が、原価は高いはずなのに!」
アリスティア様が端っこでガタガタと震えているが、もはや誰も彼を見ていない。
勝利。
完全なる、プロデューサーとしての勝利である。
私は、シエル様と一瞬だけ視線が交わったのを感じた。
彼は、大勢の観衆の前で見事な王子を演じながら、私にだけ分かるような、ほんの僅かな「困り眉」を作って見せた。
(……『助けて、恥ずかしいよ』って言ってる! 推しの本音が、視線を通して私の魂に直接ダウンロードされたわ!)
私はその贅沢すぎる情報の重みに耐えきれず、マリアンヌ様の肩を借りてどうにか立っていた。
「リューン様、成功ですわ……! シエル様が、世界の中心にいらっしゃいますわ!」
「ええ……。でも、マリアンヌ様。……これ、ライバルが増えすぎて大変なことになるわね」
「……覚悟の上ですわ!」
私たちは、熱狂に包まれる会場の中で、次の「推し活戦略」を練り始めるのであった。
しかし、晩餐会が佳境に入った頃。
上機嫌な国王陛下が、信じられない爆弾発言を投下した。
「……シエル! 見事な成長ぶりだ。……よし、この度の功績を讃え、お前に『新たな婚約者』を選ばせてやろう!」
その瞬間、私の心臓は止まった。
煌びやかなドレスを纏った貴婦人たちや、勲章を誇らしげに掲げた騎士たちが、今か今かと主役の登場を待っている。
「……いい、マリアンヌ様。準備は完璧ね?」
私は物陰で、最終チェック用のルーペを握りしめながら、隣に立つマリアンヌ様に確認した。
「はい、リューン様! 殿下の袖口に施した隠し刺繍、光の角度でシエル様の紋章が浮き出るように調整済みですわ!」
「素晴らしいわ! さすが私の認めた共同プロデューサーだわ!」
婚約者の座を奪い合ったはずの私たちは、今や「シエル様をいかに輝かせるか」という一点において、血よりも濃い絆で結ばれていた。
ファンという名の狂気は、時として国境も立場も越えるのだ。
「――見ろ! アリスティア殿下のご登場だ!」
会場の扉が開き、まずはアリスティア様が悠然と姿を現した。
例の、純金糸をこれでもかと使ったマントが、シャンデリアの光を反射してこれでもかとギラついている。
「……うわぁ。歩く金箔ね。視覚への暴力だわ」
「眩しすぎて、隣国のお姫様が目を細めていらっしゃいますわ……。逆効果ですわね」
私たちは冷静に毒を吐く。
アリスティア様は自信満々に会場を一周し、使節団の王女の前で大袈裟に礼をした。
「ようこそ、我が王国へ。この眩いばかりの歓迎、お気に召しましたかな?」
「……ええ、とても。……その、物理的に眩しいですわね」
王女様が引きつった笑顔で応じる。
そんな「光害」によって会場が妙な空気になった、その時だった。
「――続いて、第二王子、シエル殿下のご入場です」
静かなアナウンスと共に、再び扉が開いた。
瞬間。
会場の空気が、一気に「浄化」された。
そこに立っていたのは、深夜の海を思わせる深い紺碧の衣装に身を包んだ、この世のものとは思えないほど美しいシエル様だった。
アリスティア様のような派手な装飾はない。
しかし、最高級のシルクが彼のしなやかな肢体を完璧に縁取り、マリアンヌ様が夜なべして刺した銀糸の刺繍が、歩くたびに月光のように静かに揺れる。
「……あ、ああ……」
「なんて、気高い……」
会場から、溜め息のような声が漏れる。
それは、アリスティア様の時に上がった「歓声」ではなく、あまりの尊さに言葉を失った者たちが捧げる「祈り」に似ていた。
「……ッ、フゥ……ッ、フゥ……!」
私は会場の隅で、過呼吸寸前になりながらその光景を網膜に刻みつけた。
(見て……見てよ世界! これが私の推し! これが人類の到達点よ! あの、控えめに伏せられた睫毛の影! 完璧なまでのネクタイの結び目!)
(そして何より……あの、私とマリアンヌ様が三時間議論して決めた、左胸のブローチの位置! 心臓の鼓動に合わせて微かに震えるその煌めきが、彼の生命の躍動を伝えているわ……!)
シエル様は真っ直ぐに王女の前へと進み、優雅に跪いた。
「……お初にお目にかかります。シエル・ド・ラ・メールです。遠路遥々お越しいただいたあなたに、この国の静かな夜の祝福を」
シエル様が王女の手を取り、その甲に軽く唇を寄せた。
その仕草のなんと気高く、そして色気のあることか!
王女様は、アリスティア様の時には見せなかった、本物の「乙女の顔」で赤らんだ。
「……まあ。……なんて、素敵な方」
使節団だけでなく、会場中の視線が完全にシエル様に釘付けになった。
「な、なぜだ!? 私の金糸マントの方が、原価は高いはずなのに!」
アリスティア様が端っこでガタガタと震えているが、もはや誰も彼を見ていない。
勝利。
完全なる、プロデューサーとしての勝利である。
私は、シエル様と一瞬だけ視線が交わったのを感じた。
彼は、大勢の観衆の前で見事な王子を演じながら、私にだけ分かるような、ほんの僅かな「困り眉」を作って見せた。
(……『助けて、恥ずかしいよ』って言ってる! 推しの本音が、視線を通して私の魂に直接ダウンロードされたわ!)
私はその贅沢すぎる情報の重みに耐えきれず、マリアンヌ様の肩を借りてどうにか立っていた。
「リューン様、成功ですわ……! シエル様が、世界の中心にいらっしゃいますわ!」
「ええ……。でも、マリアンヌ様。……これ、ライバルが増えすぎて大変なことになるわね」
「……覚悟の上ですわ!」
私たちは、熱狂に包まれる会場の中で、次の「推し活戦略」を練り始めるのであった。
しかし、晩餐会が佳境に入った頃。
上機嫌な国王陛下が、信じられない爆弾発言を投下した。
「……シエル! 見事な成長ぶりだ。……よし、この度の功績を讃え、お前に『新たな婚約者』を選ばせてやろう!」
その瞬間、私の心臓は止まった。
31
あなたにおすすめの小説
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
親切なミザリー
みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。
ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。
ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。
こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。
‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。
※不定期更新です。
《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法
本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。
ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。
……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?
やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。
しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。
そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。
自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。
別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中
居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤
しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。
父親は怒り、修道院に入れようとする。
そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。
学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。
ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。
久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる