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「……婚約者、選定?」
その言葉が私の鼓膜に到達した瞬間、頭の中の「シエル様尊いデータセンター」が過負荷で緊急停止した。
周囲を見渡せば、さっきまでシエル様の神々しさに気圧されていた令嬢たちが、獲物を見つけた猛獣のような目つきに変わっている。
「まあ! シエル殿下、私、以前から殿下の知性溢れるお姿を尊敬しておりましたの!」
「殿下、わたくしの実家で採れる最高級の茶葉で、ぜひお茶会を……!」
隣国の王女様までもが、頬を染めてシエル様の腕に触れようとしている。
(……待て。待ちなさい。落ち着くのよ、リューン・ド・ラ・メール)
私は震える手で、空になったティーカップを握りしめた。
(これは、ある意味で私のプロデュースが『成功しすぎた』という証。シエル様という価値を全世界が認めたということよ。プロデューサー冥利に尽きるじゃない。……そうよね、アニス?)
「お嬢様、顔が般若になっていますよ。ティーカップがミシミシ言っています。今にも令嬢たちに飛びかかりそうな勢いですが、大丈夫ですか?」
いつの間にか背後にいたアニスが、冷や汗を拭いながら囁く。
「大丈夫なわけないでしょう! あの、シエル様の神聖なパーソナルスペースに、得体の知れない香水の匂いをさせた女たちが土足で踏み込んでいるのよ!?」
私はマリアンヌ様を見た。彼女もまた、刺繍糸を握りしめたまま「解せぬ」という顔で固まっている。
「リューン様……これでは、私たちが作り上げたシエル様が、他の誰かのものになってしまいますわ……!」
「……ええ。私の計算では、シエル様が世間に認知されるまであと三ヶ月はかかるはずだった。国王陛下の『推しへの理解度』が想定外に高すぎたわ!」
会場の中央では、シエル様が困惑した表情で令嬢たちの波に揉まれていた。
彼は助けを求めるように、何度もこちらに視線を送ってくる。
しかし、私は動けなかった。
(私に、その資格があるのかしら……?)
(私はただの、熱狂的なファン。彼の美しさを保存し、磨き上げたいだけのストーカー……いえ、守護霊。……『婚約者』なんていう、血の通った、生々しい関係を望んでもいいの?)
その時、私の横を風のように通り過ぎる影があった。
アリスティア様だ。
「ハハハ! シエル、良かったではないか! 父上も粋なことをなさる。……どうだ、リューン。お前の『推し』とやらは、今日この日をもって、お前のような不気味な女の手を離れるのだ!」
アリスティア様が、勝ち誇った顔で私の前に立ち塞がる。
「……アリスティア様。……今、なんて仰いました?」
「聞こえなかったか? シエルはこれから、まともな令嬢の中から、まともな婚約者を選ぶ。お前がどんなに飾り立てても、結局シエルを手に入れるのは、お前以外の誰かなのだよ!」
私は、自分の中で何かが「カチッ」と音を立てるのを感じた。
プロデューサーとしての理性。
ファンとしての謙虚さ。
そんなものは、アリスティア様の歪んだ笑顔を見た瞬間に、跡形もなく消え去った。
「……マリアンヌ様。糸をお貸しなさい」
「えっ? は、はい、こちらですわ!」
私はマリアンヌ様から受け取った、シエル様の瞳と同じ色の銀糸を指に巻きつけた。
「……アニス。私が今からすることを、公爵令嬢としての暴挙だと報告しても構わないわよ」
「……お嬢様?」
私は一歩、また一歩と、令嬢たちの群れに向かって歩き出した。
その覇気に、周囲の貴族たちが波が引くように道を開ける。
「そこまでですわ、皆様!」
私の凛とした声が、喧騒を切り裂いた。
シエル様を取り囲んでいた令嬢たちが、一斉に振り返る。
「……リューン様? あなた、アリスティア殿下に捨てられた方じゃなくて……?」
「ええ。捨てられたのではなく、私は自由を手に入れたのです。……そして、シエル様という至高の存在に人生を捧げる『権利』を手に入れましたの」
私はシエル様の目の前まで進み、令嬢たちを威圧するように扇を広げた。
「皆様。シエル様を望むのであれば、まずは私を倒してからになさい」
「倒す……? 何を仰っているの、この方」
「私はシエル様の『筆頭守護霊』。……殿下の好むお茶の温度、一日の平均読書量、そして今、殿下がどれほど皆様の香水の匂いで頭痛を催していらっしゃるか。それら全てを把握していない方に、殿下の隣に立つ資格はございませんわ!」
「リューン……様」
シエル様が、救世主を見るような目で私を見つめる。
「陛下! ……先ほどのお言葉、謹んでお受けいたしますわ!」
私は玉座の国王陛下に向き直り、不敵に微笑んだ。
「シエル様の婚約者オーディション、ぜひ開催してください。……ただし、私もその候補者の一人として、全力で参加させていただきます!」
「……ほう。アリスティアの元婚約者であるお前が、か?」
国王陛下が面白そうに顎を撫でる。
「はい。シエル様という『奇跡』を誰よりも深く理解し、誰よりも美しく研磨できるのは、この世界に私しかおりません。……この愛が『信仰』なのか『恋』なのか、そのオーディションで見極めて差し上げますわ!」
会場中に、戦慄と興奮が走った。
「……やってくれるね、リューン様」
シエル様が、令嬢たちの隙間から私の手を取り、そっと耳打ちした。
「……期待しているよ。僕を、誰の手にも渡さないでくれるんだろう?」
その瞬間。私の心臓は本日三度目の爆発を起こしたが、今度は気絶しなかった。
(……守る。死んでも守り抜くわ! 私の推しの『隣』という、最高の神席(チケット)は、誰にも渡さない!)
こうして、前代未聞の「第二王子婚約者オーディション」の幕が上がった。
しかし、アリスティア様はまだ諦めていない。
「……フン。リューン、お前の思い通りにはさせんぞ。……私には、とっておきの『策』があるのだからな」
彼の不気味な独り言が、祝宴の終わりに静かに溶けていった。
その言葉が私の鼓膜に到達した瞬間、頭の中の「シエル様尊いデータセンター」が過負荷で緊急停止した。
周囲を見渡せば、さっきまでシエル様の神々しさに気圧されていた令嬢たちが、獲物を見つけた猛獣のような目つきに変わっている。
「まあ! シエル殿下、私、以前から殿下の知性溢れるお姿を尊敬しておりましたの!」
「殿下、わたくしの実家で採れる最高級の茶葉で、ぜひお茶会を……!」
隣国の王女様までもが、頬を染めてシエル様の腕に触れようとしている。
(……待て。待ちなさい。落ち着くのよ、リューン・ド・ラ・メール)
私は震える手で、空になったティーカップを握りしめた。
(これは、ある意味で私のプロデュースが『成功しすぎた』という証。シエル様という価値を全世界が認めたということよ。プロデューサー冥利に尽きるじゃない。……そうよね、アニス?)
「お嬢様、顔が般若になっていますよ。ティーカップがミシミシ言っています。今にも令嬢たちに飛びかかりそうな勢いですが、大丈夫ですか?」
いつの間にか背後にいたアニスが、冷や汗を拭いながら囁く。
「大丈夫なわけないでしょう! あの、シエル様の神聖なパーソナルスペースに、得体の知れない香水の匂いをさせた女たちが土足で踏み込んでいるのよ!?」
私はマリアンヌ様を見た。彼女もまた、刺繍糸を握りしめたまま「解せぬ」という顔で固まっている。
「リューン様……これでは、私たちが作り上げたシエル様が、他の誰かのものになってしまいますわ……!」
「……ええ。私の計算では、シエル様が世間に認知されるまであと三ヶ月はかかるはずだった。国王陛下の『推しへの理解度』が想定外に高すぎたわ!」
会場の中央では、シエル様が困惑した表情で令嬢たちの波に揉まれていた。
彼は助けを求めるように、何度もこちらに視線を送ってくる。
しかし、私は動けなかった。
(私に、その資格があるのかしら……?)
(私はただの、熱狂的なファン。彼の美しさを保存し、磨き上げたいだけのストーカー……いえ、守護霊。……『婚約者』なんていう、血の通った、生々しい関係を望んでもいいの?)
その時、私の横を風のように通り過ぎる影があった。
アリスティア様だ。
「ハハハ! シエル、良かったではないか! 父上も粋なことをなさる。……どうだ、リューン。お前の『推し』とやらは、今日この日をもって、お前のような不気味な女の手を離れるのだ!」
アリスティア様が、勝ち誇った顔で私の前に立ち塞がる。
「……アリスティア様。……今、なんて仰いました?」
「聞こえなかったか? シエルはこれから、まともな令嬢の中から、まともな婚約者を選ぶ。お前がどんなに飾り立てても、結局シエルを手に入れるのは、お前以外の誰かなのだよ!」
私は、自分の中で何かが「カチッ」と音を立てるのを感じた。
プロデューサーとしての理性。
ファンとしての謙虚さ。
そんなものは、アリスティア様の歪んだ笑顔を見た瞬間に、跡形もなく消え去った。
「……マリアンヌ様。糸をお貸しなさい」
「えっ? は、はい、こちらですわ!」
私はマリアンヌ様から受け取った、シエル様の瞳と同じ色の銀糸を指に巻きつけた。
「……アニス。私が今からすることを、公爵令嬢としての暴挙だと報告しても構わないわよ」
「……お嬢様?」
私は一歩、また一歩と、令嬢たちの群れに向かって歩き出した。
その覇気に、周囲の貴族たちが波が引くように道を開ける。
「そこまでですわ、皆様!」
私の凛とした声が、喧騒を切り裂いた。
シエル様を取り囲んでいた令嬢たちが、一斉に振り返る。
「……リューン様? あなた、アリスティア殿下に捨てられた方じゃなくて……?」
「ええ。捨てられたのではなく、私は自由を手に入れたのです。……そして、シエル様という至高の存在に人生を捧げる『権利』を手に入れましたの」
私はシエル様の目の前まで進み、令嬢たちを威圧するように扇を広げた。
「皆様。シエル様を望むのであれば、まずは私を倒してからになさい」
「倒す……? 何を仰っているの、この方」
「私はシエル様の『筆頭守護霊』。……殿下の好むお茶の温度、一日の平均読書量、そして今、殿下がどれほど皆様の香水の匂いで頭痛を催していらっしゃるか。それら全てを把握していない方に、殿下の隣に立つ資格はございませんわ!」
「リューン……様」
シエル様が、救世主を見るような目で私を見つめる。
「陛下! ……先ほどのお言葉、謹んでお受けいたしますわ!」
私は玉座の国王陛下に向き直り、不敵に微笑んだ。
「シエル様の婚約者オーディション、ぜひ開催してください。……ただし、私もその候補者の一人として、全力で参加させていただきます!」
「……ほう。アリスティアの元婚約者であるお前が、か?」
国王陛下が面白そうに顎を撫でる。
「はい。シエル様という『奇跡』を誰よりも深く理解し、誰よりも美しく研磨できるのは、この世界に私しかおりません。……この愛が『信仰』なのか『恋』なのか、そのオーディションで見極めて差し上げますわ!」
会場中に、戦慄と興奮が走った。
「……やってくれるね、リューン様」
シエル様が、令嬢たちの隙間から私の手を取り、そっと耳打ちした。
「……期待しているよ。僕を、誰の手にも渡さないでくれるんだろう?」
その瞬間。私の心臓は本日三度目の爆発を起こしたが、今度は気絶しなかった。
(……守る。死んでも守り抜くわ! 私の推しの『隣』という、最高の神席(チケット)は、誰にも渡さない!)
こうして、前代未聞の「第二王子婚約者オーディション」の幕が上がった。
しかし、アリスティア様はまだ諦めていない。
「……フン。リューン、お前の思い通りにはさせんぞ。……私には、とっておきの『策』があるのだからな」
彼の不気味な独り言が、祝宴の終わりに静かに溶けていった。
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