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「……ええ、わかっていますわ、アニス。これはオーディションという名の聖戦(ルビ:ライブ)。一瞬の油断も許されないわ」
公爵家のサロンで、私はシエル様の「表情筋の変化に関する全データ」をファイリングしながら、鋭く目を光らせた。
「お嬢様、落ち着いてください。まだ第一次審査の書類選考すら始まっていないのに、なぜそんなに戦闘態勢なんですか。しかも、そのファイルは何ですか。不敬罪で訴えられたら一発アウトですよ」
「失礼ね。これはシエル様が『本当にリラックスしている時』と『社交辞令で笑っている時』を見分けるための聖書(バイブル)よ。……見て、この口角の三ミリの差。これが、彼の心の壁の厚さなのよ!」
私が熱弁を振るっていると、部屋の扉がノックもなしに乱暴に開かれた。
「ハハハ! リューン、無駄な努力をしているようだな!」
もはや公爵家の常連と化しているアリスティア様が、見たこともない美女を連れて立っていた。
その女性は、抜けるような白い肌に燃えるような赤髪、そして氷のように冷たくも美しい瞳を持っていた。一目見てわかる、隙のない「完璧な淑女」だ。
「紹介しよう、隣国の公爵令嬢セリーナ嬢だ。彼女は教養、血筋、容姿、どれをとっても貴様とは雲泥の差。シエルの婚約者に相応しいのは、貴様のようなストーカー女ではなく、彼女のような才色兼備な女性なのだよ!」
アリスティア様が鼻高々に宣言する。
セリーナ様は優雅にカーテシーを決め、私を冷ややかな目で見下ろした。
「お初にお目にかかります、リューン様。……お噂はかねがね。なんでも、シエル殿下を『信仰』の対象として追い回しているとか。……殿下が、そのような奇行にどれほど心を痛めていらっしゃるか、お考えになったことは?」
(……ほう。攻めてくるわね、新顔さんが)
私はゆっくりと立ち上がり、扇をパチンと閉じた。
「……セリーナ様。ご忠告ありがとうございますわ。ですが、一つ訂正させていただけますか? 私は『追い回している』のではありません。殿下の進む道を影から舗装し、雑草を抜き、常に最適な湿度を保っている『環境維持装置』なのですわ」
「……は?」
「それよりセリーナ様。……その香水、少し強すぎませんか? シエル様は、雨上がりの森のような微かな香りを好まれます。その濃厚な薔薇の香りは……殿下の繊細な嗅覚という名の国宝に対して、少々暴力的な刺激になると思われますわ」
セリーナ様の眉がピクリと動いた。
「……香りなど、殿下がお望みであればいくらでも変えられますわ。それよりも大切なのは、殿下を支える『品位』です。……殿下が王位を継ぐことになった際、あなたのその……『推し活』とやらは、王家の恥になると思いませんこと?」
「……王位?」
私は思わず吹き出した。
「セリーナ様、あなたは何もわかっていないのね。シエル様が王位を望まれるのであれば、私はこの国を世界一の帝国に押し上げる資金と武力を用意しますわ。……でも、シエル様の本質は、あのアトリエで静かに植物を愛でる時間にこそある。……彼の『静寂』を奪ってまで玉座に座らせようとするのは……それは『愛』ではなく、ただの『所有欲』。……私との解釈違いですわ!」
「な、何を……わけのわからないことを……!」
アリスティア様が顔を赤くして叫ぶ。
「リューン! セリーナ嬢はすでに、シエルが毎日通う図書館に差し入れを持っていく約束を取り付けているのだぞ! 貴様のような変装不審者が入り込む余地などない!」
(……図書館に、差し入れ?)
(……あの、シエル様が静かに読書を楽しみたいと願っている、一日のうちで最も神聖な時間に、外部の人間が『干渉』しに行くというの!?)
「……それは、差し入れではなく『テロ』ですわね」
私は眼鏡(変装用)をクイッと上げ、冷徹な笑みを浮かべた。
「いいでしょう。明日の図書館、私も同行させていただきますわ。……セリーナ様。あなたが殿下にどれほど『不快感』を与えてしまうか、特等席で見学させていただきます。……あ、シエル様が嫌な時に見せる『まぶたの微かな痙攣』の見分け方、教えて差し上げましょうか?」
「結構ですわ! 殿下が私に微笑む姿を見て、その傲慢さを反省なさることね!」
セリーナ様はアリスティア様を引き連れて、怒気を孕んだ足取りで去っていった。
嵐が去った後の部屋で、アニスが深々と溜め息をついた。
「……お嬢様。これ、普通に嫌がらせの現場を監視しに行くだけですよね?」
「違うわ、アニス。これは『推しのメンタルガード』よ! シエル様の平穏を乱す者は、たとえ隣国の王女だろうが完璧な淑女だろうが、私の睡眠粉末(強化版)の錆にしてくれるわ!」
「睡眠粉末は使わないでくださいね。絶対ですよ」
翌日。
私はいつもの「地味なローブ」と「分厚い眼鏡」に身を包み、戦場――もとい王立図書館へと向かった。
そこには、派手なドレスに身を包み、山のような高級菓子を持ってシエル様に詰め寄るセリーナ様の姿があった。
シエル様は……案の定、本の隙間から死んだ魚のような目で私(の隠れている本棚)を探していた。
「……ああ、殿下。……今、助けに参りますわ」
私の「推し活防衛戦」は、ここからが本番である。
公爵家のサロンで、私はシエル様の「表情筋の変化に関する全データ」をファイリングしながら、鋭く目を光らせた。
「お嬢様、落ち着いてください。まだ第一次審査の書類選考すら始まっていないのに、なぜそんなに戦闘態勢なんですか。しかも、そのファイルは何ですか。不敬罪で訴えられたら一発アウトですよ」
「失礼ね。これはシエル様が『本当にリラックスしている時』と『社交辞令で笑っている時』を見分けるための聖書(バイブル)よ。……見て、この口角の三ミリの差。これが、彼の心の壁の厚さなのよ!」
私が熱弁を振るっていると、部屋の扉がノックもなしに乱暴に開かれた。
「ハハハ! リューン、無駄な努力をしているようだな!」
もはや公爵家の常連と化しているアリスティア様が、見たこともない美女を連れて立っていた。
その女性は、抜けるような白い肌に燃えるような赤髪、そして氷のように冷たくも美しい瞳を持っていた。一目見てわかる、隙のない「完璧な淑女」だ。
「紹介しよう、隣国の公爵令嬢セリーナ嬢だ。彼女は教養、血筋、容姿、どれをとっても貴様とは雲泥の差。シエルの婚約者に相応しいのは、貴様のようなストーカー女ではなく、彼女のような才色兼備な女性なのだよ!」
アリスティア様が鼻高々に宣言する。
セリーナ様は優雅にカーテシーを決め、私を冷ややかな目で見下ろした。
「お初にお目にかかります、リューン様。……お噂はかねがね。なんでも、シエル殿下を『信仰』の対象として追い回しているとか。……殿下が、そのような奇行にどれほど心を痛めていらっしゃるか、お考えになったことは?」
(……ほう。攻めてくるわね、新顔さんが)
私はゆっくりと立ち上がり、扇をパチンと閉じた。
「……セリーナ様。ご忠告ありがとうございますわ。ですが、一つ訂正させていただけますか? 私は『追い回している』のではありません。殿下の進む道を影から舗装し、雑草を抜き、常に最適な湿度を保っている『環境維持装置』なのですわ」
「……は?」
「それよりセリーナ様。……その香水、少し強すぎませんか? シエル様は、雨上がりの森のような微かな香りを好まれます。その濃厚な薔薇の香りは……殿下の繊細な嗅覚という名の国宝に対して、少々暴力的な刺激になると思われますわ」
セリーナ様の眉がピクリと動いた。
「……香りなど、殿下がお望みであればいくらでも変えられますわ。それよりも大切なのは、殿下を支える『品位』です。……殿下が王位を継ぐことになった際、あなたのその……『推し活』とやらは、王家の恥になると思いませんこと?」
「……王位?」
私は思わず吹き出した。
「セリーナ様、あなたは何もわかっていないのね。シエル様が王位を望まれるのであれば、私はこの国を世界一の帝国に押し上げる資金と武力を用意しますわ。……でも、シエル様の本質は、あのアトリエで静かに植物を愛でる時間にこそある。……彼の『静寂』を奪ってまで玉座に座らせようとするのは……それは『愛』ではなく、ただの『所有欲』。……私との解釈違いですわ!」
「な、何を……わけのわからないことを……!」
アリスティア様が顔を赤くして叫ぶ。
「リューン! セリーナ嬢はすでに、シエルが毎日通う図書館に差し入れを持っていく約束を取り付けているのだぞ! 貴様のような変装不審者が入り込む余地などない!」
(……図書館に、差し入れ?)
(……あの、シエル様が静かに読書を楽しみたいと願っている、一日のうちで最も神聖な時間に、外部の人間が『干渉』しに行くというの!?)
「……それは、差し入れではなく『テロ』ですわね」
私は眼鏡(変装用)をクイッと上げ、冷徹な笑みを浮かべた。
「いいでしょう。明日の図書館、私も同行させていただきますわ。……セリーナ様。あなたが殿下にどれほど『不快感』を与えてしまうか、特等席で見学させていただきます。……あ、シエル様が嫌な時に見せる『まぶたの微かな痙攣』の見分け方、教えて差し上げましょうか?」
「結構ですわ! 殿下が私に微笑む姿を見て、その傲慢さを反省なさることね!」
セリーナ様はアリスティア様を引き連れて、怒気を孕んだ足取りで去っていった。
嵐が去った後の部屋で、アニスが深々と溜め息をついた。
「……お嬢様。これ、普通に嫌がらせの現場を監視しに行くだけですよね?」
「違うわ、アニス。これは『推しのメンタルガード』よ! シエル様の平穏を乱す者は、たとえ隣国の王女だろうが完璧な淑女だろうが、私の睡眠粉末(強化版)の錆にしてくれるわ!」
「睡眠粉末は使わないでくださいね。絶対ですよ」
翌日。
私はいつもの「地味なローブ」と「分厚い眼鏡」に身を包み、戦場――もとい王立図書館へと向かった。
そこには、派手なドレスに身を包み、山のような高級菓子を持ってシエル様に詰め寄るセリーナ様の姿があった。
シエル様は……案の定、本の隙間から死んだ魚のような目で私(の隠れている本棚)を探していた。
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私の「推し活防衛戦」は、ここからが本番である。
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