婚約破棄!おバカな王子と縁が切れました!

パリパリかぷちーの

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静まり返った寝室に、ポリポリという私の咀嚼音だけが虚しく響いたような気がした。


目の前には、王国最強の騎士と名高いクラウス・フォン・アイゼン。
対する私は、ヨレヨレのパジャマに身を包み、手には食べかけのクッキー。


「……ミカ様。一応、確認だが」


クラウスが、重苦しい沈黙を破って口を開いた。


「お前は先ほどまで、王立学院のパーティー会場で、王子の婚約破棄に涙(?)を飲んで耐えていた、あの公爵令嬢で間違いないな?」


「……人違いですわ。私は、ミカの部屋に住み着いている、お菓子好きの妖精です」


「妖精にしては随分と図体が大きく、態度がふてぶてしいようだが」


クラウスは一歩、また一歩と部屋の中へ踏み込んできた。
私は咄嗟にシーツを頭まで被り、芋虫のような格好でベッドの端へ逃げる。


「入ってこないで! これ以上近づいたら、ガーネット家に伝わる恐ろしい呪いをかけますわよ!」


「呪い? どんなものだ」


「一生、寝ても寝ても眠気が取れなくなる呪いですわ!」


「それはお前の日常だろう。……いいから、その被り物を取れ。話が進まない」


クラウスの手が、私のシーツを容赦なく掴んだ。
騎士の握力には逆らえず、私は無様にずるずると引きずり出される。


「やめて! 乙女のプライバシーの侵害ですわ! 不法侵入で訴えてやりますから!」


「お前の父上に許可は取ったと言っただろう。それに、これを届けに来ただけだ」


クラウスが懐から取り出したのは、王家の紋章が入った封筒だった。


「……何ですの、それ。まさか、殿下からの復縁要請?」


「まさか。あの方は今、ルル嬢と共に『真実の愛』とやらに酔いしれている。これは『婚約解消に伴う暫定合意書』だ」


私はシーツを被ったまま、片目だけでその書類を見た。
そこには、正式な婚約解消の手続きと、私に対する今後の処遇についての草案が書かれていた。


「……『ミカ・フォン・ガーネットは、婚約破棄のショックにより当面の間、療養を必要とする。その期間、王家は彼女の静養を保証し、一切の公務を免除する』……」


読み進めるうちに、私の目は輝きを取り戻していった。
公務免除。静養。
それはつまり、国のお墨付きでダラダラしていいということではないか。


「素晴らしいわ……! 殿下、初めてまともな仕事をしてくださったのね!」


「……喜ぶポイントが、やはりおかしい。普通は、自分の名誉が傷ついたことに憤るものだが」


「名誉なんて、お腹の足しにもなりませんわ。それより、この『一切の公務を免除』という一文。これこそが、私の求めていた真理です!」


私はガバッとシーツを跳ね除け、書類をひったくろうとした。
だが、クラウスはひょいと手を上げ、私に書類を渡さない。


「待て。これにサインさせる前に、一つ条件がある」


「条件? お金ならお父様に言ってください」


「金の問題ではない。……ミカ。お前の、この『本性』のことだ」


クラウスの視線が、私のパジャマ、そしてベッドの上の惨状に注がれる。
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「お前はこれまで、十年間にわたり完璧な令嬢を演じてきた。王家も貴族社会も、お前を『高潔な聖女の鑑』だと信じ切っている。もし、その実態がこれだと知れたら、どうなると思う?」


「……どうなるんですの?」


「王家を欺いた罪に問われるか、あるいは、あまりのギャップに失笑を買って、ガーネット公爵家の名は地に落ちるだろうな」


私はごくりと唾を飲み込んだ。
父様は笑って許してくれたけれど、世間はそうはいかない。
何より、私の快適なニート生活は「悲劇の令嬢」という隠れ蓑があってこそ成立するのだ。


「……バラしたら、呪いますわよ。本当に」


「だから、条件だ。私がこの秘密を守る代わりに、お前も私の言うことを一つ聞け」


クラウスは不敵に微笑んだ。
鉄仮面だと思っていた男が、こんな表情をするなんて聞いていない。


「な、なんですの……。まさか、変なことじゃないでしょうね? 私は、恋愛とかそういう面倒なことは、もうお腹いっぱいですのよ」


「安心しろ。私は王子ほど暇ではない。……私の条件は、『週に一度、私の前でその姿を見せること』だ」


「はぁ……?」


私は呆気に取られて、思わずクッキーを落とした。


「どういう意味ですの? 私の汚い格好を鑑賞するのが趣味なんですの? あなた、実はかなりの変態……」


「違う! ……お前の監視だ」


クラウスは少しだけ顔を赤くして、咳払いを一つした。


「お前は、放っておけば際限なく堕落していくだろう。公爵令嬢としての最低限の品位を失わないよう、私が定期的にチェックしに来る。お前が秘密を守りたいなら、その時間を設けろ」


「……それって、ただ遊びに来るってことじゃありませんの?」


「監視だと言っている。……いいから、サインをしろ」


強引にペンを握らされ、私は流されるままに書類に名前を書いた。
こうして、私の「秘密の共有者」として、王国一堅物の騎士が加わってしまったのである。


「……よし。今日はこれで帰る。ミカ、その口元を拭け」


クラウスは私の顔をジッと見つめた後、自身の清潔なハンカチで私の頬を無造作に拭った。


「クッキーの粉がついている。……お前、意外と食い意地が張っているな」


「……うるさいですわ。帰ってください、変態騎士!」


「変態ではない。……では、また来週だ」


窓から軽やかに飛び出していった背中を見送りながら、私はベッドに倒れ込んだ。


「……なんなのよ、もう! 全然、静養になってないじゃない!」


バタバタと足を動かして悔しがる私だったが、ふと気づいた。
クラウスのハンカチから、ほんのりと爽やかなシトラスの香りがすることに。


「……監視なんて、適当にあしらってやればいいわ。私は私の道を行くのよ」


私は再びクッキーを手に取り、大きく一口かじった。
だが、先ほどまでの「最高の味」が、少しだけ落ち着かない風味に変わっていた。
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