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窓枠に足をかけ、音もなく室内へと降り立ったクラウスの姿は、まさに物語に登場する正義の味方そのものだった。
……手にしているのが「お前の部屋のスペアキー(お父様公認)」でなければ、もっと格好がついたのだろうけれど。
「……もう一度聞く。ここで一体、何が行われているんだ」
クラウスの声は、いつもより三割増しで低い。
彼の視線は、私のベッドの上でクッキーの山を囲んでいる、私とルルを交互に射抜いた。
「……あー、クラウス様。これはですね、その、高度な情報交換と言いますか」
「ミカ様。このクッキー、本当に美味しいですわね。もう一枚いただいても?」
私の必死の言い訳を無視して、ルルが平然と手を伸ばす。
彼女の口元には食べかすが付き、完璧だったはずの巻き髪も少し崩れていた。
「ルル嬢。貴女は殿下の婚約者候補として、今もっとも注目されている身のはずだ。……なぜ、婚約を破棄されたばかりの令嬢の部屋で、パジャマ姿の女と床に座り込んで菓子を食っている」
クラウスの正論に、ルルは「ふん」と鼻を鳴らした。
「副団長様、堅苦しいことは仰らないで。私、もう限界なんですの。あの『歩く鏡』ことウィルフレッド殿下のお相手をしていたら、脳みそがシロップ漬けになりそうですわ」
「……歩く鏡だと?」
「ええ。昨夜なんて、夜空に浮かぶ月を見て何て仰ったと思います? 『あの月も俺の美しさを引き立てるための小道具に過ぎない』ですよ? 救いようがないと思いません?」
ルルの暴露に、クラウスは言葉を失った。
彼は一瞬だけ天を仰ぎ、深く、深く溜息を吐き出した。
「……殿下については、ノーコメントだ。……だが、ミカ。お前もだ。療養中という名目で引き籠もっている間に、なぜ最大の敵であるはずのルル嬢と手を組んでいる」
「敵だなんて、人聞きが悪いですわ。私たちは今、共通の『宿敵』を持つ同志として、熱い絆で結ばれたのです」
「絆の賞味期限が、クッキーを食べ終わるまででないことを祈るな」
クラウスは諦めたように、私の学習机から椅子を持ってきて、私たちの正面に座った。
王国最強の騎士が参加する、世界一締まりのない三者会談の始まりである。
「……いいか、二人とも。現在、外の状況はお前たちが思っている以上に騒がしい。殿下はルル嬢を次の王妃に据えるべく根回しを始めているが、保守派の貴族たちはミカへの同情票を集め、殿下の決断に異議を唱えている」
「……あら、そうなのですか? 私、もう忘れ去られていると思っていましたわ」
「お前の『悲劇のヒロイン』の演技が良すぎたせいだ。……お前が修道院に行くと宣言したせいで、一部の熱狂的な支持者が『ミカ様を救う会』なる組織まで結成しようとしているぞ」
私は食べていたクッキーを吹き出しそうになった。
救う会? 私を?
放っておいてくれれば勝手に救われるというのに。
「……それは困りますわ。私が元気だとバレたら、またパーティーに引きずり出されてしまいますもの。……ルル様、なんとかして殿下を説得してくださらない?」
「無理ですわ。あの殿下に『説得』なんて高度なコミュニケーションは通用しませんもの。……でも、一つだけ方法があるかもしれませんわね」
ルルが、ニヤリと悪女らしい笑みを浮かべた。
その瞳には、かつての私が持っていた「策略家」の光が宿っている。
「……方法だと?」
クラウスが警戒するように身を乗り出す。
「ええ。殿下がルル(私)に愛想を尽かして、かつ、ミカ様を『過去の女』として完全に切り捨てるような……そんな決定的なスキャンダルがあればよろしいのよ」
「……具体的には?」
「そうねぇ。……例えば、ミカ様に『新しい恋人』が現れる、とか?」
部屋の温度が、一気に数度下がったような気がした。
クラウスの視線が鋭くなり、私の背筋に冷たいものが走る。
「……ミカに、恋人?」
「ええ! それも、殿下よりずっと格好良くて、強くて、仕事ができる男! 殿下が嫉妬で狂うような、そんな素敵なエスコート役がいれば……殿下はプライドを傷つけられ、二度とミカ様に関わろうとしないでしょう?」
ルルは、あからさまにクラウスの方を見ながら言った。
私は慌てて手を振る。
「無理無理! そんな都合のいい人、いるわけないじゃない! 第一、私のこの『干物』な本性を知って、幻滅しない男なんて……」
「……ここに、いるだろう」
クラウスが、低い声で遮った。
私は石のように固まった。
……え、今なんて?
「……クラウス様? ジョークとしては、あまり笑えませんわよ」
「ジョークではない。……ミカ。お前の生活を監視し、秘密を共有しているのは私だ。……他の得体の知れない男にその役を任せるよりは、私の方が適任だろう」
クラウスは無表情のまま、淡々と告げた。
だが、その耳元が微かに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
「……あら、あらあら! 副団長様、意外と乗り気じゃありませんこと!」
ルルが手を叩いて喜ぶ。
私は一人、混乱の極致にいた。
「……待って。それって、私がダラダラする時間に、あなたがずっと付き添うってこと?」
「……そうだ。私が『婚約者候補』として横にいれば、他の虫も寄ってこない。……お前の望む、平穏な引き籠もり生活を守るための、必要経費だと思え」
必要経費。
その言葉の響きは、甘美な誘惑のように聞こえた。
けれど、何かがおかしい。
私の「干物生活」を監視するはずの騎士が、いつの間にか「共犯者」から「恋人役」に昇格しようとしている。
「……クラウス様。あなた、本当は私のことが好きなんですの?」
私が恐る恐る尋ねると、クラウスはガバッと立ち上がり、窓の方を向いた。
「……馬鹿を言うな。……私は、お前のこの部屋がこれ以上汚れるのを防ぎたいだけだ!」
「……照れてるわ。絶対照れてるわよ、これ」
ルルが私の耳元で楽しそうに囁く。
窓の外へと消えていくクラウスの背中を見送りながら、私は悟った。
私の自由な生活は、どうやら別の意味で「不自由」になりつつあるのだと。
……手にしているのが「お前の部屋のスペアキー(お父様公認)」でなければ、もっと格好がついたのだろうけれど。
「……もう一度聞く。ここで一体、何が行われているんだ」
クラウスの声は、いつもより三割増しで低い。
彼の視線は、私のベッドの上でクッキーの山を囲んでいる、私とルルを交互に射抜いた。
「……あー、クラウス様。これはですね、その、高度な情報交換と言いますか」
「ミカ様。このクッキー、本当に美味しいですわね。もう一枚いただいても?」
私の必死の言い訳を無視して、ルルが平然と手を伸ばす。
彼女の口元には食べかすが付き、完璧だったはずの巻き髪も少し崩れていた。
「ルル嬢。貴女は殿下の婚約者候補として、今もっとも注目されている身のはずだ。……なぜ、婚約を破棄されたばかりの令嬢の部屋で、パジャマ姿の女と床に座り込んで菓子を食っている」
クラウスの正論に、ルルは「ふん」と鼻を鳴らした。
「副団長様、堅苦しいことは仰らないで。私、もう限界なんですの。あの『歩く鏡』ことウィルフレッド殿下のお相手をしていたら、脳みそがシロップ漬けになりそうですわ」
「……歩く鏡だと?」
「ええ。昨夜なんて、夜空に浮かぶ月を見て何て仰ったと思います? 『あの月も俺の美しさを引き立てるための小道具に過ぎない』ですよ? 救いようがないと思いません?」
ルルの暴露に、クラウスは言葉を失った。
彼は一瞬だけ天を仰ぎ、深く、深く溜息を吐き出した。
「……殿下については、ノーコメントだ。……だが、ミカ。お前もだ。療養中という名目で引き籠もっている間に、なぜ最大の敵であるはずのルル嬢と手を組んでいる」
「敵だなんて、人聞きが悪いですわ。私たちは今、共通の『宿敵』を持つ同志として、熱い絆で結ばれたのです」
「絆の賞味期限が、クッキーを食べ終わるまででないことを祈るな」
クラウスは諦めたように、私の学習机から椅子を持ってきて、私たちの正面に座った。
王国最強の騎士が参加する、世界一締まりのない三者会談の始まりである。
「……いいか、二人とも。現在、外の状況はお前たちが思っている以上に騒がしい。殿下はルル嬢を次の王妃に据えるべく根回しを始めているが、保守派の貴族たちはミカへの同情票を集め、殿下の決断に異議を唱えている」
「……あら、そうなのですか? 私、もう忘れ去られていると思っていましたわ」
「お前の『悲劇のヒロイン』の演技が良すぎたせいだ。……お前が修道院に行くと宣言したせいで、一部の熱狂的な支持者が『ミカ様を救う会』なる組織まで結成しようとしているぞ」
私は食べていたクッキーを吹き出しそうになった。
救う会? 私を?
放っておいてくれれば勝手に救われるというのに。
「……それは困りますわ。私が元気だとバレたら、またパーティーに引きずり出されてしまいますもの。……ルル様、なんとかして殿下を説得してくださらない?」
「無理ですわ。あの殿下に『説得』なんて高度なコミュニケーションは通用しませんもの。……でも、一つだけ方法があるかもしれませんわね」
ルルが、ニヤリと悪女らしい笑みを浮かべた。
その瞳には、かつての私が持っていた「策略家」の光が宿っている。
「……方法だと?」
クラウスが警戒するように身を乗り出す。
「ええ。殿下がルル(私)に愛想を尽かして、かつ、ミカ様を『過去の女』として完全に切り捨てるような……そんな決定的なスキャンダルがあればよろしいのよ」
「……具体的には?」
「そうねぇ。……例えば、ミカ様に『新しい恋人』が現れる、とか?」
部屋の温度が、一気に数度下がったような気がした。
クラウスの視線が鋭くなり、私の背筋に冷たいものが走る。
「……ミカに、恋人?」
「ええ! それも、殿下よりずっと格好良くて、強くて、仕事ができる男! 殿下が嫉妬で狂うような、そんな素敵なエスコート役がいれば……殿下はプライドを傷つけられ、二度とミカ様に関わろうとしないでしょう?」
ルルは、あからさまにクラウスの方を見ながら言った。
私は慌てて手を振る。
「無理無理! そんな都合のいい人、いるわけないじゃない! 第一、私のこの『干物』な本性を知って、幻滅しない男なんて……」
「……ここに、いるだろう」
クラウスが、低い声で遮った。
私は石のように固まった。
……え、今なんて?
「……クラウス様? ジョークとしては、あまり笑えませんわよ」
「ジョークではない。……ミカ。お前の生活を監視し、秘密を共有しているのは私だ。……他の得体の知れない男にその役を任せるよりは、私の方が適任だろう」
クラウスは無表情のまま、淡々と告げた。
だが、その耳元が微かに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
「……あら、あらあら! 副団長様、意外と乗り気じゃありませんこと!」
ルルが手を叩いて喜ぶ。
私は一人、混乱の極致にいた。
「……待って。それって、私がダラダラする時間に、あなたがずっと付き添うってこと?」
「……そうだ。私が『婚約者候補』として横にいれば、他の虫も寄ってこない。……お前の望む、平穏な引き籠もり生活を守るための、必要経費だと思え」
必要経費。
その言葉の響きは、甘美な誘惑のように聞こえた。
けれど、何かがおかしい。
私の「干物生活」を監視するはずの騎士が、いつの間にか「共犯者」から「恋人役」に昇格しようとしている。
「……クラウス様。あなた、本当は私のことが好きなんですの?」
私が恐る恐る尋ねると、クラウスはガバッと立ち上がり、窓の方を向いた。
「……馬鹿を言うな。……私は、お前のこの部屋がこれ以上汚れるのを防ぎたいだけだ!」
「……照れてるわ。絶対照れてるわよ、これ」
ルルが私の耳元で楽しそうに囁く。
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