婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。

パリパリかぷちーの

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王城の地下深くにある「儀式の間」。

そこは本来、国の存亡に関わる重大な局面でのみ使用される、神聖な場所だ。

しかし現在、そこは異様な雰囲気に包まれていた。

「えーと、この魔法陣、線が多くてかわいくなぁい!」

リナ男爵令嬢が、チョークを持って床に描かれた魔法陣を勝手に書き換えている。

「ここをハートマークにして……あと、この呪文も長くて読みにくいから省略! 『お願い☆』って書いておけば通じるでしょ!」

「さすがだリナ! 君の発想は天才的だ!」

アレクセイ王子が、その横でポンポンと手を叩いて応援している。

周囲の宮廷魔導師たちは、猿ぐつわを噛まされ、縄で縛られて転がされていた。
彼らが「そんなことをしたら暴発する!」と必死に止めた結果、アレクセイの「うるさい、僕たちの愛の邪魔をするな」という命令で拘束されたのである。

「よし、準備完了!」

リナは満足げに立ち上がった。

「目的は『私の代わりに面倒な仕事をしてくれる、異世界のスーパー聖女様』の召喚よ! さあ、出てらっしゃい!」

彼女は杖を振り回し、適当な呪文を唱えた。

「ちちんぷいぷい! 仕事ができる人、カモーン!」

ブォン!!

魔法陣が激しく発光した。

「おお! 成功か!?」

アレクセイが身を乗り出す。

光が収まった後、そこに現れたのは――

美しい聖女でも、異世界の勇者でもなかった。

プルプルと震える、半透明の青いスライムだった。

しかも、一匹ではない。
魔法陣から湧き水のように、ボコボコと大量に溢れ出してくる。

「……え? ゼリー?」

リナが首を傾げた瞬間。

スライムたちは一斉に跳ね上がり、部屋の隅に積まれていた魔導書や古文書に襲いかかった。

ムシャムシャムシャ……!

「ひっ!?」

「か、紙を食っている!?」

そう、リナが召喚したのは、異界の害獣『インク・イーター(紙食いスライム)』。
インクとパルプを主食とし、あらゆる書類を溶かして増殖する、事務方にとっては悪魔のようなモンスターだった。

「きゃあぁぁ! キモいぃぃぃ!」
「逃げろ! 増えてるぞ!」

二人が悲鳴を上げて逃げ出した背後で、スライムたちは王城の「文書保管庫」を目指して、雪崩のように溢れ出した。

          ◇

【一時間後・王城正門】

「――状況は?」

馬車から降りたクラウス様が、出迎えた騎士団長に短く問うた。

「壊滅的です」

騎士団長は煤けた顔で敬礼した。

「地下から発生した謎のスライム群が、行政棟を占拠。現在、一階の資料室が制圧され、二階の財務局へ侵攻中。物理攻撃が効きにくく、魔法で焼こうにも、重要書類ごと燃やすことになり手が出せません」

「なるほど。詰んでいるな」

クラウス様は冷静に頷き、そして馬車の中に手を差し伸べた。

「降りようか、ミイーシヤ。地獄(しょくば)に到着だ」

私はその手を取り、静かに地面に降り立った。

目の前の王城からは、黒煙ならぬ「青い煙」が上がっている。

「……臭いますね」

私は鼻を動かした。

「これは、最高級羊皮紙が溶解液で溶かされる独特の酸っぱい臭い……。それに、この気配」

私は目を閉じる。
長年、書類と向き合ってきた私にはわかる。
そこで「情報」が死んでいく断末魔が。

「行きましょう。私の可愛い書類たちが、餌になっているなんて耐えられません」

私はスタスタと歩き出した。
その手には、愛用の指示棒ではなく、大型の「対魔獣用・高出力魔導掃除機(業務用)」が握られていた。

          ◇

王城の廊下は、青い粘液でベトベトになっていた。

「いやぁぁ! 来ないでぇぇ!」
「僕の服が! 溶けるぅぅ!」

廊下の奥で、アレクセイ王子とリナ嬢がスライムに追い詰められていた。

彼らの周りには、食い散らかされた紙屑が散乱している。
それは、かつて私が徹夜で作った予算案であり、外交記録であり、国の歴史そのものだ。

ブチッ。

私の脳内で、何かが切れる音がした。

「――そこまでです」

私は掃除機のスイッチを入れた。

キュイィィィィィィン!!

けたたましい駆動音と共に、ノズルから強力な吸引力が発生する。

「吸い込みなさい、『ダイソン・オメガ』(※魔導具の商品名)!」

ズボボボボボボボ!!

廊下を埋め尽くしていたスライムたちが、悲鳴を上げる間もなく掃除機の中へと吸い込まれていく。
物理攻撃が効かないなら、物理的に吸引して圧縮してしまえばいいのだ。

「えっ? ミ、ミイーシヤ!?」

スライムの山が消え、呆然とするアレクセイ殿下が私を見た。

私は無言で掃除機を振り回し、壁に張り付いていた残党も吸い取った。

「消毒!」

さらに背負ったタンクから、スライムの細胞を分解する特殊な洗剤を噴射。

わずか数分で、廊下は(粘液まみれだが)静寂を取り戻した。

「た、助かった……のか?」

アレクセイ殿下がへなへなと座り込む。

「やっぱりミイーシヤ、君は僕のために……」

「勘違いしないでください」

私は掃除機のスイッチを切り、冷酷な眼差しで二人を見下ろした。

「私が助けたのは『書類』です。あなたたちは『ついで』です」

「つ、ついで……」

「それより、リナ様」

私は震えるリナ嬢に歩み寄った。

「ひっ……な、なによ! 私が召喚してあげたのよ! 感謝しなさいよ!」

「召喚したのは『紙食いスライム』です。これにより、王城の第一資料室のデータ、約三万点が消失しました」

私は懐から電卓を取り出し、超高速でキーを叩いた。

「復旧にかかる人件費、失われた羊皮紙の損害額、および行政機能停止による経済損失……〆て、金貨八億枚です」

「は、八億ぅ!?」

リナ嬢が裏返った声を出す。

「請求書は、ご実家の男爵家……はもう資産がないので、あなた個人の『労働』で支払っていただきます」

「ろ、労働?」

「はい。炭鉱夫なら日給金貨一枚。八億日働けば返せますね。約二百万年です。頑張ってください」

「いやぁぁぁ! 無理ぃぃぃ!」

リナ嬢が泣き叫ぶ。

そこへ、クラウス様が優雅に歩いてきた。
彼の手には、逃げ遅れたスライムを一刀両断した剣が握られている。

「計算終了か、ミイーシヤ」

「はい。概算ですが。精神的慰謝料を含めれば、あと二億は上乗せしたいところです」

「許可する。……さて、アレクセイ」

クラウス様は、氷のような視線を甥に向けた。

「もはや『無能』を通り越して『災害』だな、お前たちは」

「お、叔父上……ち、違うんだ、僕はただ……」

「言い訳は聞かん。陛下も今回の件で完全に堪忍袋の緒が切れたようだ」

クラウス様が指差した先。
廊下の向こうから、顔を真っ赤にした国王陛下が、近衛兵を引き連れて走ってくるのが見えた。

「アレクセイィィィィ!! 貴様、先祖代々の古文書をォォォォ!!」

陛下の怒号が城を揺らす。

「ひ、ひぃぃぃ! 父上、お助けをぉぉ!」

「リナも! リナも悪気はなかったのぉぉ!」

二人は脱兎のごとく逃げ出したが、所詮は運動不足の二人。
あっという間に近衛兵に取り押さえられた。

「連行せよ! 地下牢へブチ込め! 二度と太陽を拝めると思うな!」

「嫌だぁぁぁ! ミイーシヤ、助けてぇぇぇ!」

アレクセイ殿下が私に手を伸ばす。
その手は泥と粘液にまみれていた。

かつて、その手を取って支えていた私は、もういない。

私は掃除機のノズルで、その手をペチッと払いのけた。

「汚れますので」

「ああっ……!」

絶望の表情を浮かべ、二人は引きずられていった。
その姿が角を曲がって見えなくなると、私は大きく息を吐いた。

「はぁ……。なんてことでしょう」

「どうした? まだ怒りが収まらないか?」

クラウス様が私の肩を抱く。

「いえ、怒りというか……悲しみです」

私はベトベトになった床を見つめた。

「この床……先月張り替えたばかりの、特注の大理石だったんです。予算を通すのに苦労したのに」

「……そこか」

クラウス様が苦笑した。

「まあいい。新しい床は、アレクセイの私財を没収して張り替えよう。君の好きな柄にしていいぞ」

「本当ですか! では、汚れが目立たないグレー御影石で!」

「色気のないチョイスだが、君らしい」

クラウス様は愛おしそうに私の頭を撫でた。

「さあ、帰ろうミイーシヤ。ここは臭い」

「はい。……あ、でもその前に」

私は掃除機を持ち直した。

「まだ残党がいるかもしれません。私が完全に『消毒』してから帰ります。残業代は請求しますので」

「やれやれ。働き者の妻を持つと大変だ」

クラウス様は肩をすくめたが、その顔は笑っていた。

こうして、王城を襲った「スライム・バイオテロ」は鎮圧された。
元凶である二人組は地下牢へ。
そして私は、またしても国の危機を救った英雄(兼、高額所得者)として、その名を轟かせることになったのである。

だが、物語はまだ終わらない。
地下牢に入ったくらいで改心するような、生易しい二人ではないのだから。

次回、地下牢からの脱出劇……ではなく、地下牢での情けない生活と、それを監視する私の「冷徹な日記」について。
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