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「アイビー・ローズブレイド! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王城の大広間。
シャンデリアの煌めきが霞むほどの大音声が、舞踏会の喧噪を一瞬にして凍りつかせた。
声の主は、この国の王太子エリック殿下。
金髪碧眼、白亜の軍服に身を包んだ彼は、物語から抜け出してきたかのような正統派の王子様だ。
その彼が今、顔を真っ赤にして、私――公爵令嬢アイビーを指差している。
周囲の貴族たちがざわめき、扇で口元を隠しながら遠巻きにする中、私はゆっくりと優雅な礼(カーテシー)をして見せた。
「……殿下。それは、まことでございましょうか」
震える声でそう問いかける。
あくまで、ショックを受けたか弱き乙女を演じながら。
けれど、私の内心はまるで違っていた。
(き、きたァァァァァァァッ!!)
扇の下で、口角が吊り上がりそうになるのを必死で堪える。
(待ってました! その言葉を待ってましたわ、エリック殿下! ああ神よ、感謝します! これで私は自由! もう『お飾りの婚約者』として、お二人の間に挟まる邪魔な女を演じなくて済むのですわね!?)
私はアイビー・ローズブレイド。
見た目は派手でキツめの顔立ちをした、いかにもな「悪役令嬢」。
だがその実態は、この世界の裏通りで密かに流通する「薔薇色の薄い本」――男性同士の美しくも禁断の愛を描いた物語をこよなく愛する、生粋の貴腐人である。
そして、私の現在の「最推し」こそが、目の前で激昂しているエリック殿下と、その背後に控えている近衛騎士ルーカス様なのだ。
「とぼけるな! 貴様がこれまで、私の愛するミシェルに行った数々の非道な行い……知らぬとでも言うつもりか!」
エリック殿下がさらに声を張り上げる。
彼の隣には、小動物のように怯える男爵令嬢ミシェル嬢が寄り添っていた。
「い、いいえ殿下……アイビー様はただ、少しご指導が厳しかっただけで……」
「優しいな、ミシェルは。だが、その優しさがこの悪女を増長させたのだ!」
殿下はそう言って、ミシェル嬢の肩を抱き寄せる。
通常なら、ここで婚約者の私は嫉妬に狂う場面だろう。
しかし、私の視線はその瞬間の殿下の背後に釘付けだった。
(ああっ! 今! 今の見ました!?)
私の脳内会議がヒートアップする。
(殿下がミシェル嬢を庇った瞬間、背後のルーカス様がわずかに眉を顰めましたわ! あれは『やれやれ、またエリック様が暴走している』という呆れと、それでも放っておけないという保護者的な愛情の表れ! 幼馴染従者ならではの距離感! 尊い……ッ!)
近衛騎士ルーカス。
黒髪に切れ長の瞳、長身痩躯の無口な騎士。
激情家のエリック殿下とは対照的な、氷のような冷静さを持つ彼は、私の目には完璧な「スパダリ(※スーパーダーリン)」に映っていた。
「……聞いていないのか、アイビー!」
「はっ! も、申し訳ございません。あまりのショックに、言葉を失っておりました」
危ない、危ない。
尊さのあまり意識がトリップしていた。
私は悲劇のヒロインらしく伏し目がちに答える。
「しかし殿下。身に覚えのないことでございます。わたくしはただ、次期王妃となるべき方に必要なマナーを……」
「それが貴様の傲慢だと言うのだ! 教科書を隠したり、ドレスにワインをかけたり、陰湿な嫌がらせを繰り返したことは調べがついている!」
(ええ、やりましたとも。だってそうしないと、殿下がミシェル嬢を庇う口実ができないでしょう?)
私は心の中でドヤ顔を決める。
(教科書を隠せば、殿下が『僕のを見せてあげるよ』と優しく教えるイベントが発生する。ドレスを汚せば、殿下が上着をかけてあげるイベントが発生する。全ては、殿下を『頼れる男』にするための演出! そしてその様子を、一歩引いたところで見守るルーカス様の切ない視線を引き出すための舞台装置!)
そう、私の悪行はすべて、この「王城内カップリング」を盛り上げるためのスパイスだったのだ。
だが、それも今日で終わり。
婚約破棄されれば、私はただの公爵令嬢に戻る。
もう、殿下の隣に立つ必要はない。
つまり、物陰からこっそりと二人を観察し、スケッチし、妄想小説を書き散らす生活に没頭できるということだ!
「……分かりましたわ」
私は意を決したように顔を上げる。
「殿下がそこまで仰るのでしたら、このアイビー、潔く身を引きましょう」
「なっ……?」
あまりにあっさりとした承諾に、エリック殿下が拍子抜けしたような顔をする。
そこがまた、彼の可愛いところだ。
「弁明はしないのか? 泣いて縋るかと思っていたが」
「殿下のお心がお決まりなのですから、これ以上ご迷惑はおかけできません。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私は再び優雅にカーテシーをした。
そして、チラリと視線を殿下の背後へ送る。
ルーカス様と目が合った。
彼は無表情のまま、しかしどこか不審そうに私を見つめ返してくる。
(ああ、その冷ややかな瞳! ゾクゾクしますわ! 『俺の主を振り回しやがって』という無言の圧力! 最高です! その視線だけでご飯三杯はいけます!)
興奮を悟られないよう、私は扇で顔半分を隠した。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします。……お二人の幸せを、心より、そりゃあもう心の底から願っておりますわ」
「う、うむ。……分かればいいのだ」
エリック殿下は、予想外の展開に振り上げた拳の行き場を失ったように戸惑っている。
ミシェル嬢もぽかんとしていた。
私は踵を返すと、背筋を伸ばして歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
ヒールの音が静まり返った大広間に響く。
背中には、貴族たちの嘲笑や同情の視線が突き刺さっているはずだ。
「哀れなアイビー様」
「王太子の愛を得られなかった愚かな女」
そんな囁き声が聞こえてくる。
けれど、私の心は晴れやかだった。
(さようなら、堅苦しい婚約者生活! こんにちは、自由な推し活ライフ!)
大広間の扉に手をかけ、衛兵が開けてくれるのを待つ。
その瞬間、背後からエリック殿下の声が聞こえた。
「ルーカス、行くぞ。ミシェルを送らねば」
「……御意」
その低い、地を這うようなバリトンボイス。
ルーカス様の返事。
たった一言、「御意」という言葉の中に秘められた忠誠と、わずかな独占欲(※個人の感想です)。
(んんっ……!)
私は扉の外に出た瞬間、思わずその場に崩れ落ちそうになった。
侍女のメアリーが慌てて駆け寄ってくる。
「お嬢様! 大丈夫ですか!? あんな酷い言われよう……!」
涙ぐむメアリーに、私はガバッと顔を上げて満面の笑みを見せた。
「メアリー! 聞いた!? 今のルーカス様の『御意』! ちょっと低音ボイスに磨きがかかってなかった!?」
「……はい?」
メアリーが涙を引っ込めてキョトンとする。
「ああっ、もう! 早く屋敷に帰るわよ! この高ぶりを文字にしないと爆発してしまいそう! 新しい羽ペンと羊皮紙を用意して! 今日は徹夜よ!」
「お、お嬢様……? 婚約破棄されたんですよね……?」
「ええ、されたわ! 最高の結果よ! これで私は、特等席から観客席に移れたのよ!」
私はドレスの裾を翻し、待機していた馬車へと全速力で走った。
「急いで! 今の殿下の、あの悔しそうな表情とルーカス様の冷ややかな視線のコントラスト、忘れないうちに書き留めないと!」
「ちょ、お嬢様! はしたないです!」
私の頭の中には、すでに新作のプロットが出来上がっていた。
タイトルは『忠誠の騎士は、わがまま王子に逆らえない』。
いや、『氷の騎士が溶けるとき』も捨てがたい。
妄想は無限に広がる。
この時の私はまだ知らなかったのだ。
私のこの異常な興奮と奇行の一部始終を、会場のバルコニーから冷ややかな目で見下ろしている人物がいたことを。
「……ふん。面白いものを見たな」
眼鏡の奥の瞳を光らせ、口元だけで笑う「氷の宰相」こと、キース公爵閣下。
彼に私の秘密がバレるまで、あと数日――。
王城の大広間。
シャンデリアの煌めきが霞むほどの大音声が、舞踏会の喧噪を一瞬にして凍りつかせた。
声の主は、この国の王太子エリック殿下。
金髪碧眼、白亜の軍服に身を包んだ彼は、物語から抜け出してきたかのような正統派の王子様だ。
その彼が今、顔を真っ赤にして、私――公爵令嬢アイビーを指差している。
周囲の貴族たちがざわめき、扇で口元を隠しながら遠巻きにする中、私はゆっくりと優雅な礼(カーテシー)をして見せた。
「……殿下。それは、まことでございましょうか」
震える声でそう問いかける。
あくまで、ショックを受けたか弱き乙女を演じながら。
けれど、私の内心はまるで違っていた。
(き、きたァァァァァァァッ!!)
扇の下で、口角が吊り上がりそうになるのを必死で堪える。
(待ってました! その言葉を待ってましたわ、エリック殿下! ああ神よ、感謝します! これで私は自由! もう『お飾りの婚約者』として、お二人の間に挟まる邪魔な女を演じなくて済むのですわね!?)
私はアイビー・ローズブレイド。
見た目は派手でキツめの顔立ちをした、いかにもな「悪役令嬢」。
だがその実態は、この世界の裏通りで密かに流通する「薔薇色の薄い本」――男性同士の美しくも禁断の愛を描いた物語をこよなく愛する、生粋の貴腐人である。
そして、私の現在の「最推し」こそが、目の前で激昂しているエリック殿下と、その背後に控えている近衛騎士ルーカス様なのだ。
「とぼけるな! 貴様がこれまで、私の愛するミシェルに行った数々の非道な行い……知らぬとでも言うつもりか!」
エリック殿下がさらに声を張り上げる。
彼の隣には、小動物のように怯える男爵令嬢ミシェル嬢が寄り添っていた。
「い、いいえ殿下……アイビー様はただ、少しご指導が厳しかっただけで……」
「優しいな、ミシェルは。だが、その優しさがこの悪女を増長させたのだ!」
殿下はそう言って、ミシェル嬢の肩を抱き寄せる。
通常なら、ここで婚約者の私は嫉妬に狂う場面だろう。
しかし、私の視線はその瞬間の殿下の背後に釘付けだった。
(ああっ! 今! 今の見ました!?)
私の脳内会議がヒートアップする。
(殿下がミシェル嬢を庇った瞬間、背後のルーカス様がわずかに眉を顰めましたわ! あれは『やれやれ、またエリック様が暴走している』という呆れと、それでも放っておけないという保護者的な愛情の表れ! 幼馴染従者ならではの距離感! 尊い……ッ!)
近衛騎士ルーカス。
黒髪に切れ長の瞳、長身痩躯の無口な騎士。
激情家のエリック殿下とは対照的な、氷のような冷静さを持つ彼は、私の目には完璧な「スパダリ(※スーパーダーリン)」に映っていた。
「……聞いていないのか、アイビー!」
「はっ! も、申し訳ございません。あまりのショックに、言葉を失っておりました」
危ない、危ない。
尊さのあまり意識がトリップしていた。
私は悲劇のヒロインらしく伏し目がちに答える。
「しかし殿下。身に覚えのないことでございます。わたくしはただ、次期王妃となるべき方に必要なマナーを……」
「それが貴様の傲慢だと言うのだ! 教科書を隠したり、ドレスにワインをかけたり、陰湿な嫌がらせを繰り返したことは調べがついている!」
(ええ、やりましたとも。だってそうしないと、殿下がミシェル嬢を庇う口実ができないでしょう?)
私は心の中でドヤ顔を決める。
(教科書を隠せば、殿下が『僕のを見せてあげるよ』と優しく教えるイベントが発生する。ドレスを汚せば、殿下が上着をかけてあげるイベントが発生する。全ては、殿下を『頼れる男』にするための演出! そしてその様子を、一歩引いたところで見守るルーカス様の切ない視線を引き出すための舞台装置!)
そう、私の悪行はすべて、この「王城内カップリング」を盛り上げるためのスパイスだったのだ。
だが、それも今日で終わり。
婚約破棄されれば、私はただの公爵令嬢に戻る。
もう、殿下の隣に立つ必要はない。
つまり、物陰からこっそりと二人を観察し、スケッチし、妄想小説を書き散らす生活に没頭できるということだ!
「……分かりましたわ」
私は意を決したように顔を上げる。
「殿下がそこまで仰るのでしたら、このアイビー、潔く身を引きましょう」
「なっ……?」
あまりにあっさりとした承諾に、エリック殿下が拍子抜けしたような顔をする。
そこがまた、彼の可愛いところだ。
「弁明はしないのか? 泣いて縋るかと思っていたが」
「殿下のお心がお決まりなのですから、これ以上ご迷惑はおかけできません。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
私は再び優雅にカーテシーをした。
そして、チラリと視線を殿下の背後へ送る。
ルーカス様と目が合った。
彼は無表情のまま、しかしどこか不審そうに私を見つめ返してくる。
(ああ、その冷ややかな瞳! ゾクゾクしますわ! 『俺の主を振り回しやがって』という無言の圧力! 最高です! その視線だけでご飯三杯はいけます!)
興奮を悟られないよう、私は扇で顔半分を隠した。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします。……お二人の幸せを、心より、そりゃあもう心の底から願っておりますわ」
「う、うむ。……分かればいいのだ」
エリック殿下は、予想外の展開に振り上げた拳の行き場を失ったように戸惑っている。
ミシェル嬢もぽかんとしていた。
私は踵を返すと、背筋を伸ばして歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
ヒールの音が静まり返った大広間に響く。
背中には、貴族たちの嘲笑や同情の視線が突き刺さっているはずだ。
「哀れなアイビー様」
「王太子の愛を得られなかった愚かな女」
そんな囁き声が聞こえてくる。
けれど、私の心は晴れやかだった。
(さようなら、堅苦しい婚約者生活! こんにちは、自由な推し活ライフ!)
大広間の扉に手をかけ、衛兵が開けてくれるのを待つ。
その瞬間、背後からエリック殿下の声が聞こえた。
「ルーカス、行くぞ。ミシェルを送らねば」
「……御意」
その低い、地を這うようなバリトンボイス。
ルーカス様の返事。
たった一言、「御意」という言葉の中に秘められた忠誠と、わずかな独占欲(※個人の感想です)。
(んんっ……!)
私は扉の外に出た瞬間、思わずその場に崩れ落ちそうになった。
侍女のメアリーが慌てて駆け寄ってくる。
「お嬢様! 大丈夫ですか!? あんな酷い言われよう……!」
涙ぐむメアリーに、私はガバッと顔を上げて満面の笑みを見せた。
「メアリー! 聞いた!? 今のルーカス様の『御意』! ちょっと低音ボイスに磨きがかかってなかった!?」
「……はい?」
メアリーが涙を引っ込めてキョトンとする。
「ああっ、もう! 早く屋敷に帰るわよ! この高ぶりを文字にしないと爆発してしまいそう! 新しい羽ペンと羊皮紙を用意して! 今日は徹夜よ!」
「お、お嬢様……? 婚約破棄されたんですよね……?」
「ええ、されたわ! 最高の結果よ! これで私は、特等席から観客席に移れたのよ!」
私はドレスの裾を翻し、待機していた馬車へと全速力で走った。
「急いで! 今の殿下の、あの悔しそうな表情とルーカス様の冷ややかな視線のコントラスト、忘れないうちに書き留めないと!」
「ちょ、お嬢様! はしたないです!」
私の頭の中には、すでに新作のプロットが出来上がっていた。
タイトルは『忠誠の騎士は、わがまま王子に逆らえない』。
いや、『氷の騎士が溶けるとき』も捨てがたい。
妄想は無限に広がる。
この時の私はまだ知らなかったのだ。
私のこの異常な興奮と奇行の一部始終を、会場のバルコニーから冷ややかな目で見下ろしている人物がいたことを。
「……ふん。面白いものを見たな」
眼鏡の奥の瞳を光らせ、口元だけで笑う「氷の宰相」こと、キース公爵閣下。
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