婚約破棄されたので、心置きなく殿下×騎士を推します!

パリパリかぷちーの

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「んん~っ! 最高! 今日の供給は質が良いわ!」

走り出した馬車の中で、私はクッションを抱きしめて身悶えしていた。

あまりの奇声に、向かいに座っていた侍女のメアリーがビクリと肩を震わせる。

「お、お嬢様……? 本当におかしくなられてしまったのですか? 無理もありません、あのような公衆の面前で恥をかかされて……」

メアリーがハンカチを目頭に当てる。

彼女は私が幼い頃から仕えてくれている、忠実で涙もろい侍女だ。

今の状況も、「ショックで精神の均衡を崩した哀れな主人」に見えているのだろう。

私は乱れた髪を手櫛で整えながら、ふん、と鼻を鳴らした。

「勘違いしないでちょうだい、メアリー。私はね、悲しいんじゃないの。むしろ解き放たれた鳥のように清々しい気分なのよ!」

「解き放たれた……鳥、ですか?」

「ええ。考えてもみなさい。王太子の婚約者という地位が、どれほど私の『趣味』を阻害していたか!」

私は指を折りながら熱弁を振るう。

「まず、公務が多すぎる。視察だの茶会だの、私の執筆時間を削り取る害悪でしかなかったわ。次に、周囲の目。殿下を見つめているだけで『愛に狂った女』と噂されるのよ? 私はただ、殿下の襟足のほくろを観察して、そこから派生する物語を構想していただけなのに!」

「……それはそれで、かなり問題がある気もしますが」

メアリーの冷静なツッコミはスルーする。

「そして何より! 当事者になってしまうと、客観的な『萌え』を摂取できないのよ!」

「も、もえ……?」

「そう! 私はあくまで『壁』になりたいの。あるいは天井のシミでもいい。殿下とルーカス様が織りなす美しい空間に、私というノイズが混じるなんて言語道断。推しの幸せは、遠くから見守るからこそ尊いのよ!」

力説する私を、メアリーは生温かい目で見つめている。

「……つまり、お嬢様は婚約破棄されて嬉しい、と?」

「嬉しいなんてもんじゃないわ。祝杯をあげたいくらいよ。エリック殿下が私を捨ててミシェル嬢を選んだ? 結構なことじゃない。あの純真無垢で世間知らずなミシェル嬢なら、殿下のワガママを受け止めきれずに、いずれルーカス様に泣きつくでしょうし」

そこで私はハッとした。

脳内に新たなシナリオが閃いてしまったのだ。

「待って……それって最高じゃない? 『殿下のことで相談があるんです』とルーカス様に近づくミシェル嬢。それに嫉妬するエリック殿下。『俺の騎士に気安く触れるな』と独占欲を露わにする殿下……! ああ、神様! ミシェル嬢は最高の当て馬になってくれるわ!」

「お嬢様、顔が。顔がニヤけて大変なことになっています」

「あら、いけない」

私はパンパンと頬を叩いて表情を引き締めた。

悪役令嬢たるもの、人前(メアリー含む)でだらしない顔を見せてはいけない。

馬車は石畳を揺れながら進み、やがてローズブレイド公爵邸へと到着した。

門をくぐると、屋敷の使用人たちが玄関ホールに整列して出迎えてくれる。

皆、一様に沈痛な面持ちだ。

どうやら私の婚約破棄のニュースは、早馬ですでに伝わっているらしい。

「おかえりなさいませ、お嬢様……」

執事のセバスチャンが、腫れ物に触るような声色で出迎えた。

「旦那様は、王宮からの呼び出しで急遽外出されました。お嬢様の件について、陛下と話し合いが持たれるそうです」

「そう。お父様には悪いけれど、適当にまとめてきてもらうしかないわね」

私は屋敷に入るなり、手袋を脱ぎ捨てて階段を駆け上がろうとした。

「お嬢様! お食事はどうされますか!?」

「いらないわ! 部屋に籠るから、誰も入れないでちょうだい! お父様が帰ってきてもよ!」

「は、はい……」

セバスチャンたちが困惑顔で見送る中、私は自室へと飛び込んだ。

重厚な扉を閉め、鍵を二重にかける。

これで、ここは私だけの聖域(サンクチュアリ)だ。

「ふぅ……」

ドレスの背中の紐を緩め、ようやく大きく息を吐く。

部屋の窓からは、王都の夜景が見渡せる。

今頃、城では舞踏会が続いているのだろうか。

エリック殿下とミシェル嬢が、「真実の愛」とやらを語り合いながら踊っている姿が目に浮かぶ。

(ふふん、踊るがいいわ。今のうちに精一杯イチャイチャしておきなさい。それが後々、ルーカス様との関係性を深めるためのスパイスになるのだから)

私は部屋の奥にあるウォークインクローゼットへと入った。

ドレスが並ぶ一角。

そのさらに奥にある、姿見の鏡。

私は鏡の縁にある隠しスイッチを押し込んだ。

ゴゴゴ……と低い音を立てて、鏡が横にスライドする。

そこ現れたのは、隠し部屋――通称『秘密の書庫』だ。

「ただいま、私の愛しい子たち」

棚にずらりと並ぶのは、市販の恋愛小説……の皮を被った、自作および収集したBL小説の山。

背表紙には『春の訪れ』や『騎士の誓い』といった無難なタイトルが書かれているが、中身はすべて男性同士の熱いロマンスである。

私は机に向かい、引き出しから最高級の羊皮紙を取り出した。

インク壺の蓋を開け、羽ペンを浸す。

この瞬間が、たまらなく好きだ。

現実の嫌なことなど全て忘れ、私の理想とする世界を創造できる時間。

(今日のテーマは『断罪』。婚約破棄を突きつけられた瞬間、騎士ルーカスが感じた胸の痛み……。それを表現するには、視線の描写が重要ね)

さらさらとペンを走らせる。

『エリックの声が広間に響く。その背中を見つめながら、ルーカスは拳を握りしめた。主の決断を支持する。それが騎士の務めだ。だが、なぜだろう。この胸に広がるモヤモヤとした感情は……』

(うん、いいわ。すごくいい。ルーカス様の葛藤が出ている)

筆が乗ってきた。

こうなると私は止まらない。

気づけば、夜は更け、窓の外が白み始めていた。

「……できた」

最後の行を書き終え、私はペンを置いた。

完成した原稿――短編小説『その断罪は誰がために』。

全二十枚の力作だ。

インクの匂いを胸いっぱいに吸い込み、私は恍惚の表情を浮かべる。

「これを……これを早く誰かに読ませたい……!」

創作活動における最大の欲求。

それは「共感」だ。

自分だけで楽しむのも良いが、やはり「ここがいいですよね!」「わかります!」と言い合える同志が欲しい。

しかし、この屋敷にはそんな相手はいない。

メアリーは理解はしてくれる(諦めている)が、共感はしてくれないのだ。

「……よし」

私は立ち上がり、窓の外の朝日に向かって宣言した。

「行こう、城下町へ」

謹慎処分?

そんなもの知ったことではない。

私には、行かなければならない場所があるのだ。

王都の裏路地にある、通な人間しか知らない古書店『三日月堂』。

あそこになら、私のこの新作を正当に評価してくれる「同志」がいるかもしれない。

それに、最新の「薄い本」の入荷状況もチェックしなければ。

「そうと決まれば、変装の準備よ!」

私はクローゼットを漁り始めた。

地味な町娘風のワンピースに、目深に被るボンネット。

そして、伊達眼鏡。

これで完璧だ。

まさか公爵令嬢が、こんな格好で裏通りを徘徊しているとは誰も思うまい。

(待っていてください、私の同志たち! そして新たな萌えの種!)

私は徹夜明けのハイテンションのまま、屋敷を抜け出す計画を練り始めた。

この時の私は、完全に油断していた。

「推し」の兄であり、この国で最も切れ者と呼ばれる男――キース・クリフォード宰相が、すでに私の行動を監視対象に入れていることなど、露ほども知らずに。
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