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「お嬢様、本当に……本当に行かれるのですか?」
「ええ、もちろんよ。この好機を逃す手はないわ」
翌朝。
ローズブレイド公爵邸の裏口にて。
私は侍女のメアリーに見送られながら、頭に被った薄汚れたボンネットの紐をきつく結んだ。
昨夜、帰宅したお父様から言い渡された処分は「当面の間の謹慎」。
世間的に見れば、婚約破棄された傷心の娘を隠すため、あるいは王家への不敬を反省させるための措置だ。
だが、私にとっては「誰にも邪魔されずに趣味に没頭できる黄金週間」以外の何物でもない。
「いい? お父様やお母様には『部屋で泣き暮れていて、食事も喉を通らないようです』と伝えておいて。おやつは部屋の前に置いておいてくれれば、私がこっそり回収するから」
「……お嬢様のそのバイタリティ、少しは他のことに使えないものでしょうか」
メアリーの呆れ声を背に、私は裏口の生垣を慣れた手つきで掻き分けた。
ここは私が幼少期に発見し、長年かけて秘密裏に整備してきた脱出ルート「アイビー・ロード」だ。
ここを抜ければ、使用人たちの目を盗んで街へ出ることができる。
「行ってきます! 夕方には戻るわ!」
私は大きく手を振り、朝の街へと飛び出した。
◆
王都のメインストリートは、今日も多くの馬車や人々で賑わっていた。
華やかなブティックやカフェが立ち並ぶ大通り。
だが、私の目的地はそんな表の世界ではない。
一本、また一本と路地を曲がり、薄暗く、どこかカビ臭い匂いの漂う裏通りへ。
そこに、看板すら出ていない古びた店がある。
知る人ぞ知る古書店、『三日月堂』だ。
カランコロン、と錆びついたドアベルが鳴る。
「いらっしゃい……おや、あんたか」
店番をしていたのは、片眼鏡をかけた白髪の老人だった。
この店の店主、バーナビー爺さんだ。
彼は本の山に埋もれるようにして座り、とある本を熱心に修復していた。
「久しぶりね、爺さん。元気にしてた?」
「フン。わしはいつでも元気じゃよ。それより、あんたこそ大丈夫なのか? 街じゃ『悪役令嬢が捨てられた』って噂で持ちきりだぞ」
さすがは情報通の爺さん。耳が早い。
私は伊達眼鏡の位置を直しながら、ニヤリと笑った。
「ふふん。それがどうしたの? むしろ好都合よ。自由の身になった記念に、今日はパァーッと買い込むつもりなんだから」
「……たくましい嬢ちゃんだ」
爺さんは呆れたように肩を竦めると、カウンターの下から包みを取り出した。
「ほらよ。あんたが好きそうな新作が入ってるぞ。東の国からの輸入品だ」
「キャーッ! さすが爺さん、愛してる!」
私は包みをひったくるように受け取り、中身を確認する。
表紙には、異国の衣装をまとった二人の美丈夫が描かれていた。
一人は武人風、もう一人は学者風。
タイトルは『将軍と参謀の長い夜』。
「素晴らしい……! この体格差! そして知的な参謀が、肉体派の将軍に翻弄される予感がビシビシ伝わってくるわ!」
「あんたの目は節穴か。それは『友情と信頼』を描いた硬派な戦記物だぞ」
「あら、爺さん。男同士の友情と信頼、そこから生まれる『クソデカ感情』こそが、我々にとっての主食なのよ。行間を読むの、行間を!」
パラパラとページをめくる。
挿絵はないが、文字の羅列だけで私の脳内メーカーはフル稼働だ。
「……うん、採用。これいただくわ。あとは、例の『薔薇色の薄い本』の新作はある?」
声を潜めて尋ねると、爺さんはニヤリと笑って店の奥を指差した。
「一番奥の棚、下から二段目だ。昨日、匿名の作家から持ち込みがあった」
「持ち込み!? 新規作家の発掘ね!」
私は宝の山へ向かう探検家のように、埃っぽい通路を突き進んだ。
あった。
地味な装丁でカモフラージュされた、魅惑の薄い本たち。
『騎士団長の秘密のレッスン』
『魔法使いは弟子の愛に気づかない』
『王様と執事の入れ替わり生活』
どれもこれも、タイトルだけでご飯が食べられそうな逸品ばかりだ。
「ふむふむ……この騎士団長モノ、著者のペンネームが『名無しの剣士』? ……もしや現役の騎士団関係者が書いてるんじゃ……」
そんな妄想をするのもまた楽しい。
私はめぼしい数冊をピックアップし、さらに持参した自作の原稿を取り出した。
「ねえ爺さん。これ、委託販売お願いできる?」
カウンターに戻り、昨日書き上げた『その断罪は誰がために』を差し出す。
爺さんは片眼鏡越しにタイトルを一瞥した。
「……ほう。昨日の今日で、もうネタにしたのか。あんた、本当に転んでもタダでは起きないな」
「鉄は熱いうちに打て、萌えは鮮度が命よ。いつもの場所に置いておいて。売上は次の仕入れ資金にするから」
「はいはい。……おや、この描写」
爺さんが原稿の数行を読んで目を細める。
「『彼の瞳に宿る冷ややかな光は、侮蔑ではなく独占欲の裏返しだった』……か。相変わらず、あんたのフィルターは分厚いのう」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
代金を支払い、戦利品を鞄に詰め込む。
重たい。
だが、この重みこそが幸せの質量だ。
「ありがとう爺さん! また来るわね!」
「おう。……気をつけなよ、嬢ちゃん。最近、城の周りで『黒い服の男たち』がウロウロしてるって噂だ。あんまり目立つマネはするなよ」
「黒い服の男たち?」
私は首を傾げた。
「何かしら、それ。秘密警察? それとも闇の組織? ……まさか、私のこの高尚な趣味を取り締まる『BL狩り』じゃないでしょうね!?」
「そんなくだらん組織はないわ。……ま、宰相閣下が何か動いてるって話もある。あの方は冷徹で有名だからな。怪しい動きをする奴は即座に排除されるぞ」
「宰相閣下……キース様ね」
エリック殿下の兄君。
王位継承権を放棄し、臣下として国を支える「氷の宰相」。
私も何度か夜会で見かけたことがあるが、常に無表情で、人を射抜くような鋭い眼光をした恐ろしい方だ。
(確かに、あの方に見つかったら面倒ね。私のこの趣味がバレたら、即座に修道院行き……いいえ、国外追放もあり得るわ)
少しだけ背筋が寒くなった。
けれど、今の私には最強の武器がある。
鞄に入った、エリック殿下とルーカス様の新刊(妄想)と、大量の参考文献だ。
「大丈夫よ。私、気配を消すのだけは得意だもの。なんたって、殿下たちのデートを尾行して鍛えたスキルがあるからね!」
「……それは自慢にならんぞ」
爺さんの忠告を軽く受け流し、私は店を後にした。
外に出ると、正午の太陽が眩しい。
さて、家に帰って読書三昧……といきたいところだが。
私の足は、自然と王城の方角へと向いていた。
(せっかく外に出たんだもの。このまま帰るのはもったいないわよね)
鞄の中には、まだ白紙のスケッチブックが一冊ある。
今日は天気がいい。
ということは、近衛騎士団が城の裏庭で訓練を行っている可能性が高い。
(ルーカス様の汗ばんだ肉体美……そして、休憩時間にエリック殿下が差し入れを持ってくるシチュエーション……拝めるかもしれない!)
欲望には勝てない。
私はボンネットを目深に被り直し、王城の裏手、一般人が立ち入れないエリアとの境界線にある「秘密の観測スポット」へと足早に向かった。
爺さんの忠告通り、誰かに見られているような視線を感じた気がしたが、私はそれを「期待による武者震い」だと勘違いして無視した。
それが、私の運命を決定づける失態だったとも知らずに。
茂みの陰、私の背後に忍び寄る「氷」の気配。
悪役令嬢アイビーの平穏な推し活ライフは、ここで唐突に終わりを告げようとしていた。
「ええ、もちろんよ。この好機を逃す手はないわ」
翌朝。
ローズブレイド公爵邸の裏口にて。
私は侍女のメアリーに見送られながら、頭に被った薄汚れたボンネットの紐をきつく結んだ。
昨夜、帰宅したお父様から言い渡された処分は「当面の間の謹慎」。
世間的に見れば、婚約破棄された傷心の娘を隠すため、あるいは王家への不敬を反省させるための措置だ。
だが、私にとっては「誰にも邪魔されずに趣味に没頭できる黄金週間」以外の何物でもない。
「いい? お父様やお母様には『部屋で泣き暮れていて、食事も喉を通らないようです』と伝えておいて。おやつは部屋の前に置いておいてくれれば、私がこっそり回収するから」
「……お嬢様のそのバイタリティ、少しは他のことに使えないものでしょうか」
メアリーの呆れ声を背に、私は裏口の生垣を慣れた手つきで掻き分けた。
ここは私が幼少期に発見し、長年かけて秘密裏に整備してきた脱出ルート「アイビー・ロード」だ。
ここを抜ければ、使用人たちの目を盗んで街へ出ることができる。
「行ってきます! 夕方には戻るわ!」
私は大きく手を振り、朝の街へと飛び出した。
◆
王都のメインストリートは、今日も多くの馬車や人々で賑わっていた。
華やかなブティックやカフェが立ち並ぶ大通り。
だが、私の目的地はそんな表の世界ではない。
一本、また一本と路地を曲がり、薄暗く、どこかカビ臭い匂いの漂う裏通りへ。
そこに、看板すら出ていない古びた店がある。
知る人ぞ知る古書店、『三日月堂』だ。
カランコロン、と錆びついたドアベルが鳴る。
「いらっしゃい……おや、あんたか」
店番をしていたのは、片眼鏡をかけた白髪の老人だった。
この店の店主、バーナビー爺さんだ。
彼は本の山に埋もれるようにして座り、とある本を熱心に修復していた。
「久しぶりね、爺さん。元気にしてた?」
「フン。わしはいつでも元気じゃよ。それより、あんたこそ大丈夫なのか? 街じゃ『悪役令嬢が捨てられた』って噂で持ちきりだぞ」
さすがは情報通の爺さん。耳が早い。
私は伊達眼鏡の位置を直しながら、ニヤリと笑った。
「ふふん。それがどうしたの? むしろ好都合よ。自由の身になった記念に、今日はパァーッと買い込むつもりなんだから」
「……たくましい嬢ちゃんだ」
爺さんは呆れたように肩を竦めると、カウンターの下から包みを取り出した。
「ほらよ。あんたが好きそうな新作が入ってるぞ。東の国からの輸入品だ」
「キャーッ! さすが爺さん、愛してる!」
私は包みをひったくるように受け取り、中身を確認する。
表紙には、異国の衣装をまとった二人の美丈夫が描かれていた。
一人は武人風、もう一人は学者風。
タイトルは『将軍と参謀の長い夜』。
「素晴らしい……! この体格差! そして知的な参謀が、肉体派の将軍に翻弄される予感がビシビシ伝わってくるわ!」
「あんたの目は節穴か。それは『友情と信頼』を描いた硬派な戦記物だぞ」
「あら、爺さん。男同士の友情と信頼、そこから生まれる『クソデカ感情』こそが、我々にとっての主食なのよ。行間を読むの、行間を!」
パラパラとページをめくる。
挿絵はないが、文字の羅列だけで私の脳内メーカーはフル稼働だ。
「……うん、採用。これいただくわ。あとは、例の『薔薇色の薄い本』の新作はある?」
声を潜めて尋ねると、爺さんはニヤリと笑って店の奥を指差した。
「一番奥の棚、下から二段目だ。昨日、匿名の作家から持ち込みがあった」
「持ち込み!? 新規作家の発掘ね!」
私は宝の山へ向かう探検家のように、埃っぽい通路を突き進んだ。
あった。
地味な装丁でカモフラージュされた、魅惑の薄い本たち。
『騎士団長の秘密のレッスン』
『魔法使いは弟子の愛に気づかない』
『王様と執事の入れ替わり生活』
どれもこれも、タイトルだけでご飯が食べられそうな逸品ばかりだ。
「ふむふむ……この騎士団長モノ、著者のペンネームが『名無しの剣士』? ……もしや現役の騎士団関係者が書いてるんじゃ……」
そんな妄想をするのもまた楽しい。
私はめぼしい数冊をピックアップし、さらに持参した自作の原稿を取り出した。
「ねえ爺さん。これ、委託販売お願いできる?」
カウンターに戻り、昨日書き上げた『その断罪は誰がために』を差し出す。
爺さんは片眼鏡越しにタイトルを一瞥した。
「……ほう。昨日の今日で、もうネタにしたのか。あんた、本当に転んでもタダでは起きないな」
「鉄は熱いうちに打て、萌えは鮮度が命よ。いつもの場所に置いておいて。売上は次の仕入れ資金にするから」
「はいはい。……おや、この描写」
爺さんが原稿の数行を読んで目を細める。
「『彼の瞳に宿る冷ややかな光は、侮蔑ではなく独占欲の裏返しだった』……か。相変わらず、あんたのフィルターは分厚いのう」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
代金を支払い、戦利品を鞄に詰め込む。
重たい。
だが、この重みこそが幸せの質量だ。
「ありがとう爺さん! また来るわね!」
「おう。……気をつけなよ、嬢ちゃん。最近、城の周りで『黒い服の男たち』がウロウロしてるって噂だ。あんまり目立つマネはするなよ」
「黒い服の男たち?」
私は首を傾げた。
「何かしら、それ。秘密警察? それとも闇の組織? ……まさか、私のこの高尚な趣味を取り締まる『BL狩り』じゃないでしょうね!?」
「そんなくだらん組織はないわ。……ま、宰相閣下が何か動いてるって話もある。あの方は冷徹で有名だからな。怪しい動きをする奴は即座に排除されるぞ」
「宰相閣下……キース様ね」
エリック殿下の兄君。
王位継承権を放棄し、臣下として国を支える「氷の宰相」。
私も何度か夜会で見かけたことがあるが、常に無表情で、人を射抜くような鋭い眼光をした恐ろしい方だ。
(確かに、あの方に見つかったら面倒ね。私のこの趣味がバレたら、即座に修道院行き……いいえ、国外追放もあり得るわ)
少しだけ背筋が寒くなった。
けれど、今の私には最強の武器がある。
鞄に入った、エリック殿下とルーカス様の新刊(妄想)と、大量の参考文献だ。
「大丈夫よ。私、気配を消すのだけは得意だもの。なんたって、殿下たちのデートを尾行して鍛えたスキルがあるからね!」
「……それは自慢にならんぞ」
爺さんの忠告を軽く受け流し、私は店を後にした。
外に出ると、正午の太陽が眩しい。
さて、家に帰って読書三昧……といきたいところだが。
私の足は、自然と王城の方角へと向いていた。
(せっかく外に出たんだもの。このまま帰るのはもったいないわよね)
鞄の中には、まだ白紙のスケッチブックが一冊ある。
今日は天気がいい。
ということは、近衛騎士団が城の裏庭で訓練を行っている可能性が高い。
(ルーカス様の汗ばんだ肉体美……そして、休憩時間にエリック殿下が差し入れを持ってくるシチュエーション……拝めるかもしれない!)
欲望には勝てない。
私はボンネットを目深に被り直し、王城の裏手、一般人が立ち入れないエリアとの境界線にある「秘密の観測スポット」へと足早に向かった。
爺さんの忠告通り、誰かに見られているような視線を感じた気がしたが、私はそれを「期待による武者震い」だと勘違いして無視した。
それが、私の運命を決定づける失態だったとも知らずに。
茂みの陰、私の背後に忍び寄る「氷」の気配。
悪役令嬢アイビーの平穏な推し活ライフは、ここで唐突に終わりを告げようとしていた。
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