婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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公爵邸の厨房は、戦場のような熱気に包まれていた。

そしてその中心には、一人の巨漢が仁王立ちしていた。

白いコックコートに、立派なカイゼル髭。

丸太のような腕を組み、私を威圧的に見下ろしている。

この屋敷の食を預かる料理長、ガストンだ。

「……奥様。ここは神聖な厨房です。貴族の令嬢が遊びで入ってきていい場所じゃありませんぜ」

ドスの効いた声。

周囲の下働きやメイドたちが、ガタガタと震えて縮こまる。

しかし、私は一歩も引かなかった。

むしろ、一歩踏み出した。

そして、彼が守ろうとしている作業台の上を指差した。

「ガストンさん。遊びに来たわけではありません。監査に来たのです」

「監査ぁ?」

「ええ。その手元にある野菜の切れ端。……捨ててますよね?」

私はゴミ箱を覗き込んだ。

そこには、分厚く剥かれたニンジンの皮や、まだ身がたっぷりついた肉の脂身、少し形が悪いだけの野菜たちが無造作に放り込まれていた。

私の計算機(脳内)が、激しく警告音を鳴らす。

「なんですか、それは。公爵家の料理は最高級の素材しか使いません。形が悪いものや、硬い皮など使えるわけがないでしょう」

ガストンは鼻で笑った。

「これだから素人は困る。貧乏臭い真似は、ご実家だけでやっていただきたいものですな」

周囲から「ひっ」と息を呑む音が聞こえる。

公爵夫人に対してこの言い草。

完全に舐められている。

普通なら「無礼者!」と怒鳴りつけるところだろう。

だが、私は怒る代わりに、ゴミ箱からニンジンの皮を拾い上げた。

「……なるほど。これが『ゴミ』に見えるのですね、あなたには」

「は?」

「私には、これが『金貨』に見えます」

「き、金貨……?」

私はゴミ箱をひっくり返し、中身を作業台に広げた。

「ニンジンの皮、セロリの葉、パセリの茎。これらを捨てるとは、正気ですか? これらは最高の『ブイヨン(出汁)』の材料です。旨味の塊を捨てて、わざわざ高価な香辛料で味付けしているのですか? 非効率にも程があります!」

「なっ……!?」

「それにこの肉の脂身! これを溶かして使えば、バターの使用量を三割は減らせます。コクも出る。それなのに、すべて廃棄?」

私は手帳を開き、電卓のように高速でペン先を叩きつけた。

「一日の廃棄率、目算で約35%。これを年間の食費予算に換算すると……なんと、騎士団の年間装備費に匹敵する金額を、あなたはドブに捨てていることになります!」

「き、騎士団の装備費だと……?」

具体的な金額を提示され、ガストンの顔色が少し変わる。

「嘘だ! そんな大層な額になるわけが……」

「嘘だと思うなら、計算式を見せましょうか? 食材の仕入れ単価、廃棄重量、そして代替調達コスト。すべて論理的に証明できます」

私は早口でまくし立てながら、袖をまくり上げた。

「ど、どいてください! 私が実演します!」

「お、おい! 何をする気だ!」

私は近くにあった大鍋を火にかけ、ゴミ扱いされていた野菜くずを放り込んだ。

水を注ぎ、弱火でじっくりと煮出す。

その間に、肉の端切れを叩いてミンチにし、古くなったパン粉と合わせてミートボールを作る。

手際の良さに、周囲の料理人たちが目を丸くした。

「……おい、あの包丁さばき」

「すげぇ速さだ……」

王城でのブラック労働時代、夜食を自作していたスキルがここで役に立つとは。

十分後。

厨房には、芳醇な香りが漂っていた。

野菜くずから取った黄金色のスープ。

そこに、余り物で作ったミートボールが浮かんでいる。

私はお玉でスープをすくい、ガストンの前に突き出した。

「味見を」

「ぐぬぬ……素人の料理など……」

ガストンは渋々といった様子で口をつけた。

その瞬間。

カッ、と目が見開かれる。

「……なっ!?」

「どうですか?」

「……う、美味い。野菜の甘みと、肉のコクが……深い。調味料は塩だけか?」

「ええ。素材が本来持っている『価値』を引き出せば、余計なコスト(調味料)は不要なのです」

ガストンは震える手で皿を置いた。

そして、信じられないものを見る目で私を見た。

「こ、これが……ゴミから作ったスープ……?」

「『ゴミ』ではありません。『未利用資源』です」

私はニッコリと笑った。

「ガストンさん。私はあなたの腕を否定するつもりはありません。ただ、経営者(妻)として、コスト意識の欠如を見過ごすわけにはいかないのです」

「……」

「浮いた予算は、厨房設備の改修や、スタッフの給与アップに回せます。……どうですか? 私と手を組んで、最強のコスパ厨房を作りませんか?」

「きゅ、給与アップ……」

その甘美な響きに、周囲の料理人たちが色めき立った。

ガストンは腕を組み、しばらく唸っていたが、やがて深々と頭を下げた。

「……参りました」

「わかっていただけましたか?」

「へい。まさか公爵家の奥様から、野菜の皮の価値を教わるとは思いませんでした。……あんた、いや、奥様。只者じゃねぇな」

「ふふ、ただのドケチよ」

厨房に、先ほどまでのピリピリした空気とは違う、一体感が生まれようとしていた。

その時だ。

「……何をしている?」

入り口から、冷ややかな声が響いた。

空気が一瞬で凍りつく。

アレクシス様だ。

完璧に整えられた公務用の服を身にまとい、不機嫌そうに眉を寄せている。

「だ、旦那様!」

ガストンたちが慌てて整列し、最敬礼する。

「朝から騒がしい。……モナ、君はこんなところで何をしている?」

アレクシス様の視線が、私のエプロン姿に注がれる。

「妻が厨房に立つなど、聞いたことがない」

その声は怒っているようにも聞こえた。

(しまった、公爵夫人の品位を疑われたか?)

私は慌ててエプロンを外そうとした。

「申し訳ありません、旦那様。少し、経費削減の実地指導を……」

「……その皿は?」

彼は、私がガストンに試食させた残りのスープを指差した。

「あ、これは実演で作った試作品で……いわゆる、余り物スープですが」

「……俺に、作ったのか?」

「はい?」

「俺のために、朝早くから、手料理を……?」

アレクシス様の表情が、みるみるうちに変わっていく。

氷のような瞳が、熱を帯びて揺らいでいる。

(ん? どうしたの?)

私は首を傾げた。

「いえ、旦那様のためにというか、これはあくまで廃棄率改善のためのデモンストレーションでして、味見用ですし……」

「いただきます」

「えっ」

私の説明も聞かず、アレクシス様はスープ皿を奪い取ると、一気に飲み干した。

ゴクゴク、という音が喉を鳴らす。

そして、ほう、と満足げなため息をついた。

「……美味い」

「はあ、それは良かったです(原価ほぼゼロですけど)」

「体に染み渡る味だ。……君が、俺の体を気遣って作ってくれた味か」

アレクシス様は、どこか感動した面持ちで私を見つめた。

「最高級の食材を使った料理よりも、遥かに美味く感じる。……これが、『愛妻料理』というものか」

「はい? 愛妻……?」

厨房がざわついた。

ガストンたちが「お、おい聞いたか」「愛妻料理だってよ」「旦那様、顔赤くねぇか?」とヒソヒソ話している。

私は全力で否定しようとした。

「違います閣下! これは『残飯再生スープ』です! 愛とか情とか一切入っておりません! 入っているのは野菜くずと私の計算だけです!」

「照れるな」

「照れてません!」

「ごちそうさま。……今日も一日、頑張れそうだ」

アレクシス様は私の頭をポン、と撫でると、爽やかな笑顔(ただし目は笑っていないいつもの公爵顔)を残して去っていった。

厨房に残された私と料理人たち。

「……奥様」

ガストンがニヤニヤしながら私を見た。

「なんだかんだ言って、旦那様のこと大好きなんじゃないですか」

「違います!! 断じて違います!! あれはただの経費削減の産物です!!」

私の叫びは、湯気の中に虚しく消えていった。

こうして、厨房の掌握には成功したが、アレクシス様の誤解(愛され度)はさらに深まってしまったのだった。



朝食後。

私はアレクシス様を見送ると、すぐさま次の業務に取り掛かった。

執事のセバスチャンを捕まえ、屋敷の帳簿をすべて出させる。

応接間のテーブルに山積みになった帳簿の山。

私はそれを前に、腕まくりをした。

「さあ、これより『ミランド公爵家・財政健全化計画』を始動します!」

セバスチャンが不安げに眼鏡の位置を直す。

「あの……奥様。我が家の財政は、それほど逼迫しているのでしょうか?」

「逼迫はしていません。ですが、『無駄』が多すぎます」

私は最初の一冊を開いた。

「アレクシス様は個人の能力が高すぎて、金銭に無頓着すぎます。いいですか、金持ちだからといって湯水のように使っていいわけではありません。金は、寂しがり屋なのです」

「さ、寂しがり屋……?」

「ええ。大切にしてくれる人のところにしか集まらないし、留まってくれないの。……見て、この交際費の項目!」

私はページを指で弾いた。

「『王家主催・慈善パーティーへの寄付金・金貨五百枚』……!? 相場の十倍ですよ!?」

「はあ……旦那様が『面倒だから適当に多めに包んでおけ』と……」

「カモにされてる!! 完全にカモだわ!!」

私は頭を抱えた。

氷の公爵、国内最強の武闘派。

その実態は、金銭感覚ガバガバの「いい人(カモ)」だったのだ。

「許せない……私の雇い主の財布を食い物にするなんて」

メラメラと闘志が湧いてくる。

私はペンを握りしめた。

「セバスチャン。今日から、金貨一枚以上の出費はすべて私の決裁を通すこと。いいね?」

「は、はい!」

「それから、屋敷に出入りしている商人を全員呼び出して。価格交渉(値切り)の再開よ」

「全員、ですか……?」

「ええ。まずは、あのふっかけてくる宝石商から血祭りにあげてやるわ」

私が不敵な笑みを浮かべた時、玄関の呼び鈴が鳴った。

タイミングよく、最初の「獲物」がやってきたようだ。

しかし、現れたのは宝石商ではなかった。

「……モナ様。お客様です」

メイドのマリーが、困惑した顔で告げる。

「どなた?」

「えっと……カイル王太子殿下からの、手紙と花束を持った使いの方が……」

「……は?」

私は顔をしかめた。

「資源ゴミが届いたの?」

「え?」

「受け取り拒否で突き返しなさい。……いえ、待って」

私はニヤリと笑った。

「その花束、高級品種よね? ……受け取って、すぐに花屋に転売して雑収入に計上しましょう」

セバスチャンが「悪魔だ……」と呟いたのが聞こえた。
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