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「……よし。これで金貨三枚、と」
公爵邸の裏口で、私は花屋の店主と握手を交わしていた。
足元には、カイル殿下から贈られてきた大量のバラの花束(空箱)。
「毎度あり! いやぁ、こんな新鮮な高級バラが市場価格の七掛けなんて、奥様は商売上手ですなぁ」
「ええ。資源は有効活用しませんとね。また『不用品』が届いたら連絡するわ」
「へい、お待ちしておりやす!」
花屋を見送り、私はホクホク顔でその場を後にした。
この売上は「雑収入」として帳簿には入れず、私の「へそくり」口座へ直行だ。
(あざーす、殿下。あなたの未練が私の老後資金になります)
心の中で元婚約者に合掌し、私は屋敷の中へと戻った。
今日の予定は、屋敷内の清掃・管理体制の視察だ。
厨房はガストンを陥落させて掌握したが、この屋敷にはまだ最大の勢力が残っている。
メイド部隊だ。
古参のメイド長、ヒルダを中心とした鉄の結束を誇る女の園。
私が廊下を歩いていると、すれ違うメイドたちがサッと目を逸らし、ヒソヒソと話し始めるのが気配でわかる。
「……見た? また何か売り飛ばしてたわよ」
「貧乏臭いったらありゃしない」
「ヒルダ様がカンカンよ。『あんな小娘に屋敷の伝統を壊されてたまるか』って」
なるほど。
どうやら、昨日の「厨房改革」が早速広まり、警戒されているらしい。
(望むところよ。伝統? そんなもので飯が食えると思ったら大間違いだわ)
私は手帳を片手に、リネン室(シーツやタオルの保管庫)へと向かった。
屋敷の清掃効率を上げるには、まず物品の管理状況を把握する必要がある。
扉を開けようとノブに手をかける。
カチャカチャ。
「……あれ?」
開かない。
鍵がかかっている。
リネン室は、日中は常に開放されているはずだ。
「あら、奥様」
背後から、わざとらしい声がかかった。
振り返ると、初老の女性が立っていた。
ひっつめ髪に、銀縁メガネ。
背筋を定規が入っているかのようにピンと伸ばした、ザ・お局様。
メイド長のヒルダだ。
「ヒルダさん。リネン室の鍵が開かないのですが」
「おや、それは困りましたねぇ」
ヒルダは口元だけで笑った。
「実は、鍵が『行方不明』になってしまいまして」
「行方不明?」
「ええ。管理担当の若いメイドがうっかりどこかへ落としてしまったようで……。現在、総出で探しているのですが、見つかるまでリネン類は出し入れできません」
嘘だ。
彼女のポケットが不自然に膨らんでいる。
それに、後ろに控えている若いメイドたちが、気まずそうに下を向いている。
(なるほど。古典的な『いけず』ね)
鍵を隠して、私の視察を妨害する気だ。
さらに言えば、「お前が来てから屋敷の規律が乱れた」と無言の圧力をかけているのだろう。
普通なら、「鍵を開けなさい!」と怒鳴るか、困ってオロオロするところだ。
だが、私は違った。
私はニッコリと笑った。
「そうですか! それはちょうど良かった!」
「……は?」
ヒルダの眉がピクリと動く。
「ちょうど良いとは、どういうことですか?」
「だって、鍵一本紛失しただけで業務が停止するなんて、セキュリティ管理とリスク分散の観点から見て『欠陥システム』だという証明になったではありませんか!」
「け、欠陥……?」
「ええ。これは良い機会です。鍵の管理体制そのものを見直しましょう。いえ、いっそのこと、リネン室の場所自体を変えましょうか」
「場所を変える!? 何を馬鹿な! あそこは代々リネン室として使われてきた場所ですぞ!」
「でも、あそこは洗濯場から遠すぎます」
私は手帳に挟んでいた屋敷の見取り図を広げた。
そこには、私が昨日こっそり計測した、メイドたちの動線が赤ペンで書き殴られていた。
「見てください、この無駄な動き! 洗濯場からリネン室まで、片道五分。重いシーツを持って往復するだけで、一日に一人当たり三十分のロスです。さらに、二階の客室へ運ぶのにまた階段を登って……これは『労働力の浪費』以外の何物でもありません!」
「そ、それは……屋敷の構造上、仕方がないことで……」
「仕方なくありません。各階の空き部屋を『サテライト・リネン庫』として活用すれば、移動距離は十分の一に短縮できます」
私はババン、と見取り図を叩いた。
「そして、鍵の管理も廃止します。各担当者に一定数の在庫を預け、減った分だけ補充する『置き薬方式』、いえ、『カンバン方式』を採用します。これなら鍵をなくしても業務は止まりません!」
「か、カンバン……?」
聞き慣れない用語に、ヒルダが目を白黒させる。
私は畳み掛けた。
「ヒルダさん。あなたが鍵を隠し……いえ、『紛失』してくれたおかげで、この非効率なシステムにメスを入れる決心がつきました。感謝します!」
「ぐぬっ……!」
「さあ、そうと決まれば善は急げです。若い子たち、集まって! 今からリネン室の扉を外して、中身を各階へ分散移動させますよ!」
「と、扉を外すぅ!?」
私の号令に、隠れて見ていた若いメイドたちがわらわらと出てきた。
「え、本当にいいんですか?」
「あの重いシーツを持って、毎日階段を往復しなくて済むんですか?」
「ええ、済みます。私が許可します。さあ、バールを持ってきて!」
「は、はいぃぃ!」
若いメイドたちが目を輝かせて走り出す。
彼女たちにとっても、重労働は悩みの種だったのだ。
「ま、待ちなさい! 勝手なことを! 旦那様の許可もなく……」
ヒルダが止めようとするが、私は聞く耳を持たない。
そこへ。
「……何事だ?」
低い声と共に、またしてもアレクシス様が現れた。
今日は非番なのか、ラフなシャツ姿だ。
(おっと、ボスのお出ましね)
「旦那様!」
ヒルダが水を得た魚のように駆け寄る。
「聞いてくださいませ! この奥様が、屋敷の伝統あるリネン室を破壊しようとしております! 鍵をなくしたのをいいことに、勝手気ままに……」
アレクシス様が私を見る。
「モナ。破壊というのは本当か?」
「人聞きが悪いですね。破壊ではありません、『最適化』です」
私は動線図を見せた。
「旦那様。現在の配置では、メイドたちは一日に約三キロメートルも無駄に歩いています。これによる疲労の蓄積は、清掃品質の低下と、将来的な腰痛による離職リスクを高めます。私はそれを防ぎたいだけです」
「……腰痛のリスクまで計算しているのか」
「当然です。従業員は財産(人財)ですから。長く健康で働いてもらわないと、採用コストがかさみます」
私が力説すると、アレクシス様はふむ、と顎に手を当てた。
そして、ヒルダに向き直る。
「ヒルダ。鍵はどうした?」
「は、はい……その、探しておりますが……」
ヒルダが冷や汗を流しながらポケットを押さえた。
アレクシス様は、そのポケットを一瞥し、すべてを悟ったような目をした。
「……そうか。モナの言う通りだな」
「えっ」
「鍵一本で業務が止まるのは問題だ。モナの提案を採用する。……それと、ヒルダ」
「は、はい!」
「年寄りが無理をするな。重いものを運ぶのは若い者に任せ、お前は管理に徹しろということだろう? モナの気遣いだ。受け取っておけ」
「……は?」
ヒルダがポカンとする。
私もポカンとする。
(気遣い? いや、単に動線の無駄を指摘しただけですが)
アレクシス様は私を見て、優しく微笑んだ。
「お前は本当に……優しいな。使用人たちの健康まで考えてやるとは」
「いえ、あの、コスト削減の話でして……」
「わかっている。照れ隠しだろう?」
「照れてません!」
「よし、リネン室の移動を許可する。……ああ、それからモナ」
「はい?」
「俺の部屋のシーツも、今夜からは君が選んでくれるか? 君が管理した肌触りの良いやつで頼む」
「ええ、まあ、それは構いませんが(業務の範囲内ですし)」
私が頷くと、アレクシス様は満足げに去っていった。
残されたのは、真っ白になったヒルダと、やる気に満ちた若いメイドたち。
「……奥様」
若いメイドの一人が、キラキラした目で私を見た。
「ありがとうございます! 私、最近膝が痛くて……これで助かります!」
「私もです! あの階段、本当に辛かったんです!」
メイドたちから感謝の言葉が降り注ぐ。
私は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「感謝するなら仕事で返しなさい。さあ、移動開始よ!」
「はいっ!!」
こうして、公爵邸のリネン革命は成し遂げられた。
そしてヒルダはというと。
「……完敗だ」
ガックリと項垂れ、ポケットからこっそりと鍵を取り出し、そっと植木鉢の中に捨てていた。
彼女が私の右腕(兼小姑)として覚醒するのは、もう少し先の話である。
◇
その夜。
私は自室で、一日の業務報告書をまとめていた。
厨房、リネン室、どちらも改善は順調だ。
(次は、無駄に広い庭園の手入れコストをどう削減するかね……。除草剤を撒くより、ヤギを放牧して草を食べさせた方が、ミルクも取れて一石二鳥じゃない?)
そんな危険な計画を練っていると、ふと窓の外が気になった。
バルコニーに出る。
満月が綺麗だ。
ふと、隣のバルコニー(アレクシス様の部屋)に人影が見えた。
「……モナか」
アレクシス様だ。
グラスを片手に、月を見上げている。
「お疲れ様です、旦那様。まだ起きていらしたのですか?」
「ああ。少し、考え事をしていてな」
「明日の公務の段取りですか?」
「いや……君のことだ」
ドキリとする。
まさか、ヤギ放牧計画がバレたか?
「君が来てから、屋敷が明るくなった気がする。……いや、実際に照明を交換したから明るいのだが」
「ええ、LED……いえ、最新の魔導ランプですから」
「そうじゃなくて、雰囲気が、だ。使用人たちが生き生きとしている」
彼は優しく笑った。
「以前は、俺が怖くて萎縮していた者ばかりだった。だが今は、君という指揮官の下で、皆が目的を持って動いている。……俺にはできなかったことだ」
「それは、旦那様が現場に介入しすぎなかったからです。トップはどっしり構えていればいいのです」
「……そうか。ありがとう」
アレクシス様は、バルコニーの柵越しに身を乗り出し、私の頬に触れようとして――止めた。
「……契約だったな」
「はい?」
「指一本触れない。そう言ったのは君だ」
彼は苦笑し、手を引っ込めた。
「約束は守る。だが……見ているだけなら、許されるか?」
「見るだけ……?」
「君がこの屋敷で、自由に飛び回っている姿を。それを見ているだけで、俺は……満たされる気がするんだ」
月明かりの下、その瞳は宝石のように美しく、そして切なかった。
(……なによ、その顔)
ドキン、と心臓が跳ねる。
計算外の鼓動だ。
(いけない。これは『色仕掛け』という高度な交渉術よ。騙されないわ。私はプロの契約妻なんだから!)
私は平静を装い、咳払いをした。
「……視線に対する課金はありませんので、ご自由にどうぞ。ただし、見惚れて公務に支障をきたさないでくださいね」
「手厳しいな」
「それでは、おやすみなさいませ」
私は逃げるように部屋に戻り、カーテンを閉めた。
胸のドキドキが収まらない。
(不整脈かしら? 明日は健康診断もスケジュールに入れなきゃ……)
私は布団に潜り込み、必死に羊(と、その売却益)を数えながら眠りについた。
翌日。
アレクシス様が私のために「最高級の宝石」を注文したという伝票が届き、私が「返品!!」と絶叫することになるのは、まだ知らない。
公爵邸の裏口で、私は花屋の店主と握手を交わしていた。
足元には、カイル殿下から贈られてきた大量のバラの花束(空箱)。
「毎度あり! いやぁ、こんな新鮮な高級バラが市場価格の七掛けなんて、奥様は商売上手ですなぁ」
「ええ。資源は有効活用しませんとね。また『不用品』が届いたら連絡するわ」
「へい、お待ちしておりやす!」
花屋を見送り、私はホクホク顔でその場を後にした。
この売上は「雑収入」として帳簿には入れず、私の「へそくり」口座へ直行だ。
(あざーす、殿下。あなたの未練が私の老後資金になります)
心の中で元婚約者に合掌し、私は屋敷の中へと戻った。
今日の予定は、屋敷内の清掃・管理体制の視察だ。
厨房はガストンを陥落させて掌握したが、この屋敷にはまだ最大の勢力が残っている。
メイド部隊だ。
古参のメイド長、ヒルダを中心とした鉄の結束を誇る女の園。
私が廊下を歩いていると、すれ違うメイドたちがサッと目を逸らし、ヒソヒソと話し始めるのが気配でわかる。
「……見た? また何か売り飛ばしてたわよ」
「貧乏臭いったらありゃしない」
「ヒルダ様がカンカンよ。『あんな小娘に屋敷の伝統を壊されてたまるか』って」
なるほど。
どうやら、昨日の「厨房改革」が早速広まり、警戒されているらしい。
(望むところよ。伝統? そんなもので飯が食えると思ったら大間違いだわ)
私は手帳を片手に、リネン室(シーツやタオルの保管庫)へと向かった。
屋敷の清掃効率を上げるには、まず物品の管理状況を把握する必要がある。
扉を開けようとノブに手をかける。
カチャカチャ。
「……あれ?」
開かない。
鍵がかかっている。
リネン室は、日中は常に開放されているはずだ。
「あら、奥様」
背後から、わざとらしい声がかかった。
振り返ると、初老の女性が立っていた。
ひっつめ髪に、銀縁メガネ。
背筋を定規が入っているかのようにピンと伸ばした、ザ・お局様。
メイド長のヒルダだ。
「ヒルダさん。リネン室の鍵が開かないのですが」
「おや、それは困りましたねぇ」
ヒルダは口元だけで笑った。
「実は、鍵が『行方不明』になってしまいまして」
「行方不明?」
「ええ。管理担当の若いメイドがうっかりどこかへ落としてしまったようで……。現在、総出で探しているのですが、見つかるまでリネン類は出し入れできません」
嘘だ。
彼女のポケットが不自然に膨らんでいる。
それに、後ろに控えている若いメイドたちが、気まずそうに下を向いている。
(なるほど。古典的な『いけず』ね)
鍵を隠して、私の視察を妨害する気だ。
さらに言えば、「お前が来てから屋敷の規律が乱れた」と無言の圧力をかけているのだろう。
普通なら、「鍵を開けなさい!」と怒鳴るか、困ってオロオロするところだ。
だが、私は違った。
私はニッコリと笑った。
「そうですか! それはちょうど良かった!」
「……は?」
ヒルダの眉がピクリと動く。
「ちょうど良いとは、どういうことですか?」
「だって、鍵一本紛失しただけで業務が停止するなんて、セキュリティ管理とリスク分散の観点から見て『欠陥システム』だという証明になったではありませんか!」
「け、欠陥……?」
「ええ。これは良い機会です。鍵の管理体制そのものを見直しましょう。いえ、いっそのこと、リネン室の場所自体を変えましょうか」
「場所を変える!? 何を馬鹿な! あそこは代々リネン室として使われてきた場所ですぞ!」
「でも、あそこは洗濯場から遠すぎます」
私は手帳に挟んでいた屋敷の見取り図を広げた。
そこには、私が昨日こっそり計測した、メイドたちの動線が赤ペンで書き殴られていた。
「見てください、この無駄な動き! 洗濯場からリネン室まで、片道五分。重いシーツを持って往復するだけで、一日に一人当たり三十分のロスです。さらに、二階の客室へ運ぶのにまた階段を登って……これは『労働力の浪費』以外の何物でもありません!」
「そ、それは……屋敷の構造上、仕方がないことで……」
「仕方なくありません。各階の空き部屋を『サテライト・リネン庫』として活用すれば、移動距離は十分の一に短縮できます」
私はババン、と見取り図を叩いた。
「そして、鍵の管理も廃止します。各担当者に一定数の在庫を預け、減った分だけ補充する『置き薬方式』、いえ、『カンバン方式』を採用します。これなら鍵をなくしても業務は止まりません!」
「か、カンバン……?」
聞き慣れない用語に、ヒルダが目を白黒させる。
私は畳み掛けた。
「ヒルダさん。あなたが鍵を隠し……いえ、『紛失』してくれたおかげで、この非効率なシステムにメスを入れる決心がつきました。感謝します!」
「ぐぬっ……!」
「さあ、そうと決まれば善は急げです。若い子たち、集まって! 今からリネン室の扉を外して、中身を各階へ分散移動させますよ!」
「と、扉を外すぅ!?」
私の号令に、隠れて見ていた若いメイドたちがわらわらと出てきた。
「え、本当にいいんですか?」
「あの重いシーツを持って、毎日階段を往復しなくて済むんですか?」
「ええ、済みます。私が許可します。さあ、バールを持ってきて!」
「は、はいぃぃ!」
若いメイドたちが目を輝かせて走り出す。
彼女たちにとっても、重労働は悩みの種だったのだ。
「ま、待ちなさい! 勝手なことを! 旦那様の許可もなく……」
ヒルダが止めようとするが、私は聞く耳を持たない。
そこへ。
「……何事だ?」
低い声と共に、またしてもアレクシス様が現れた。
今日は非番なのか、ラフなシャツ姿だ。
(おっと、ボスのお出ましね)
「旦那様!」
ヒルダが水を得た魚のように駆け寄る。
「聞いてくださいませ! この奥様が、屋敷の伝統あるリネン室を破壊しようとしております! 鍵をなくしたのをいいことに、勝手気ままに……」
アレクシス様が私を見る。
「モナ。破壊というのは本当か?」
「人聞きが悪いですね。破壊ではありません、『最適化』です」
私は動線図を見せた。
「旦那様。現在の配置では、メイドたちは一日に約三キロメートルも無駄に歩いています。これによる疲労の蓄積は、清掃品質の低下と、将来的な腰痛による離職リスクを高めます。私はそれを防ぎたいだけです」
「……腰痛のリスクまで計算しているのか」
「当然です。従業員は財産(人財)ですから。長く健康で働いてもらわないと、採用コストがかさみます」
私が力説すると、アレクシス様はふむ、と顎に手を当てた。
そして、ヒルダに向き直る。
「ヒルダ。鍵はどうした?」
「は、はい……その、探しておりますが……」
ヒルダが冷や汗を流しながらポケットを押さえた。
アレクシス様は、そのポケットを一瞥し、すべてを悟ったような目をした。
「……そうか。モナの言う通りだな」
「えっ」
「鍵一本で業務が止まるのは問題だ。モナの提案を採用する。……それと、ヒルダ」
「は、はい!」
「年寄りが無理をするな。重いものを運ぶのは若い者に任せ、お前は管理に徹しろということだろう? モナの気遣いだ。受け取っておけ」
「……は?」
ヒルダがポカンとする。
私もポカンとする。
(気遣い? いや、単に動線の無駄を指摘しただけですが)
アレクシス様は私を見て、優しく微笑んだ。
「お前は本当に……優しいな。使用人たちの健康まで考えてやるとは」
「いえ、あの、コスト削減の話でして……」
「わかっている。照れ隠しだろう?」
「照れてません!」
「よし、リネン室の移動を許可する。……ああ、それからモナ」
「はい?」
「俺の部屋のシーツも、今夜からは君が選んでくれるか? 君が管理した肌触りの良いやつで頼む」
「ええ、まあ、それは構いませんが(業務の範囲内ですし)」
私が頷くと、アレクシス様は満足げに去っていった。
残されたのは、真っ白になったヒルダと、やる気に満ちた若いメイドたち。
「……奥様」
若いメイドの一人が、キラキラした目で私を見た。
「ありがとうございます! 私、最近膝が痛くて……これで助かります!」
「私もです! あの階段、本当に辛かったんです!」
メイドたちから感謝の言葉が降り注ぐ。
私は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「感謝するなら仕事で返しなさい。さあ、移動開始よ!」
「はいっ!!」
こうして、公爵邸のリネン革命は成し遂げられた。
そしてヒルダはというと。
「……完敗だ」
ガックリと項垂れ、ポケットからこっそりと鍵を取り出し、そっと植木鉢の中に捨てていた。
彼女が私の右腕(兼小姑)として覚醒するのは、もう少し先の話である。
◇
その夜。
私は自室で、一日の業務報告書をまとめていた。
厨房、リネン室、どちらも改善は順調だ。
(次は、無駄に広い庭園の手入れコストをどう削減するかね……。除草剤を撒くより、ヤギを放牧して草を食べさせた方が、ミルクも取れて一石二鳥じゃない?)
そんな危険な計画を練っていると、ふと窓の外が気になった。
バルコニーに出る。
満月が綺麗だ。
ふと、隣のバルコニー(アレクシス様の部屋)に人影が見えた。
「……モナか」
アレクシス様だ。
グラスを片手に、月を見上げている。
「お疲れ様です、旦那様。まだ起きていらしたのですか?」
「ああ。少し、考え事をしていてな」
「明日の公務の段取りですか?」
「いや……君のことだ」
ドキリとする。
まさか、ヤギ放牧計画がバレたか?
「君が来てから、屋敷が明るくなった気がする。……いや、実際に照明を交換したから明るいのだが」
「ええ、LED……いえ、最新の魔導ランプですから」
「そうじゃなくて、雰囲気が、だ。使用人たちが生き生きとしている」
彼は優しく笑った。
「以前は、俺が怖くて萎縮していた者ばかりだった。だが今は、君という指揮官の下で、皆が目的を持って動いている。……俺にはできなかったことだ」
「それは、旦那様が現場に介入しすぎなかったからです。トップはどっしり構えていればいいのです」
「……そうか。ありがとう」
アレクシス様は、バルコニーの柵越しに身を乗り出し、私の頬に触れようとして――止めた。
「……契約だったな」
「はい?」
「指一本触れない。そう言ったのは君だ」
彼は苦笑し、手を引っ込めた。
「約束は守る。だが……見ているだけなら、許されるか?」
「見るだけ……?」
「君がこの屋敷で、自由に飛び回っている姿を。それを見ているだけで、俺は……満たされる気がするんだ」
月明かりの下、その瞳は宝石のように美しく、そして切なかった。
(……なによ、その顔)
ドキン、と心臓が跳ねる。
計算外の鼓動だ。
(いけない。これは『色仕掛け』という高度な交渉術よ。騙されないわ。私はプロの契約妻なんだから!)
私は平静を装い、咳払いをした。
「……視線に対する課金はありませんので、ご自由にどうぞ。ただし、見惚れて公務に支障をきたさないでくださいね」
「手厳しいな」
「それでは、おやすみなさいませ」
私は逃げるように部屋に戻り、カーテンを閉めた。
胸のドキドキが収まらない。
(不整脈かしら? 明日は健康診断もスケジュールに入れなきゃ……)
私は布団に潜り込み、必死に羊(と、その売却益)を数えながら眠りについた。
翌日。
アレクシス様が私のために「最高級の宝石」を注文したという伝票が届き、私が「返品!!」と絶叫することになるのは、まだ知らない。
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