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「……なんだ、これは」
私は玄関ホールに積み上げられた山を見て、絶句した。
そこには、色とりどりのリボンがかけられた小箱が、ピラミッドのように積まれていたからだ。
箱には、王都でも有名な高級宝飾店「ラ・ヴィアン・ローズ」のロゴが箔押しされている。
「あ、奥様……。その、旦那様からの贈り物だそうで……」
執事のセバスチャンが、青い顔をして伝票を差し出した。
私は震える手でそれを受け取る。
そこに書かれた金額を見た瞬間、私の視界がホワイトアウトした。
「……いち、じゅう、ひゃく、せん……」
ゼロの数がおかしい。
これは国庫の歳出内訳書か何かだろうか?
いいえ、ただの宝石代だ。
「返品よ!!」
私は叫んだ。
「クーリングオフ! 今すぐクーリングオフを適用して! まだ箱は開けてないわよね!? 未開封なら全額返金がきくはずよ!」
「それが……その……」
セバスチャンが言い淀む。
「旦那様が、『モナに似合うものを全て選べと言ったら店ごと持ってきた』と仰っておりまして……特注品も含まれているため、返品不可のものも多く……」
「店ごと……!?」
頭痛がする。
あの男(ボス)は、またしても私の想定の斜め上を行く無駄遣いをしてくれたらしい。
私は伝票を握りしめ、ドスドスと足音を立てて執務室へと向かった。
ノックもそこそこに扉を開け放つ。
「旦那様!!」
アレクシス様は、優雅に紅茶を飲んでいるところだった。
私が入ってくると、パッと表情を明るくする。
「おお、モナ。届いたか。どうだ、気に入ったか?」
「気に入るも何も! 何ですかあの量は! サンタクロースでももう少し自重しますよ!」
私は伝票をデスクに叩きつけた。
「合計金額、金貨五千枚! 屋敷の年間維持費の三年分です! 正気ですか!?」
アレクシス様は、きょとんとした顔で首を傾げた。
「……少ないか?」
「多いわ!!」
「だが、君は昨夜、バルコニーで月を見ていた時、どこか寂しげだった。だから、君を輝かせるものが足りないのだと思ったんだ」
「寂しげだったのは、月明かりで屋敷の屋根瓦のズレを発見して憂鬱になっていただけです!」
「……そうなのか?」
「そうです。それに、こんな大量の宝石、体は一つしかないのにどうやって着けるんですか。私は千手観音ではありません!」
アレクシス様は少しシュンとして、視線を泳がせた。
「店員が、『愛する女性には、その美しさに相応しい輝きを』と言うものだから……つい」
「セールストークにまんまと乗せられないでください! カモネギもいいところですよ!」
私はため息をつき、頭を抱えた。
買ってしまったものは仕方がない。
問題は、この「負債(宝石)」をどう処理するかだ。
私はすぐに思考を切り替えた。
(……待てよ。この宝石たち、換金性が高いものばかりね)
伝票の明細を見る。
大粒のダイヤモンド、最高級のルビー、サファイア。
どれも市場価値が安定している「現物資産」だ。
「……旦那様。これ、私のものということでよろしいのですよね?」
「ああ、もちろん君のものだ」
「所有権は完全に私に移転した、と解釈してよろしいですね?」
「む? ああ。好きに使ってくれ」
「言質、いただきました」
私の目が、チャリーンという音と共に「¥」マークに変わった。
「セバスチャン! 鑑定士を呼んで! あと、さっきの花屋にも連絡を! 裏ルートで高値で売りさばくわよ!」
「へっ?」
アレクシス様が固まる。
「う、売る……?」
「当たり前です。こんなものを金庫に眠らせておいても、一文の得にもなりません。即時現金化(キャッシュ化)して、運用に回します」
私は指折り数え始めた。
「まず、このダイヤのネックレス。これを売れば、西棟の雨漏り修繕工事ができます。お釣りで断熱材も入れられるわ」
「しゅ、修繕……?」
「次に、このルビーの指輪。これは庭師の新規雇用費用と、ヤギの購入資金に充てましょう。除草コストが浮きます」
「や、ヤギ……?」
「そして、このサファイアのブローチ。これは従業員の夏季ボーナスの原資にします。モチベーションアップ間違いなしです!」
私はアレクシス様にニッコリと微笑んだ。
「素晴らしいです旦那様! あなたの散財が、巡り巡って屋敷のインフラ整備と人件費に変わるのです! これぞ錬金術!」
「……」
アレクシス様は、なんだかとても悲しそうな顔をしていた。
まるで、プレゼントしたおもちゃを即座に質屋に入れられた子供のような。
「……一つも、着けてくれないのか?」
ポツリと、彼が呟いた。
「え?」
「俺は……君がそれを身につけて、笑ってくれるところを見たかったんだ。屋根の修繕ではなく、君自身の飾りとして」
その声があまりにも切なくて、私の「ドケチ計算機」が一瞬フリーズした。
(……うっ。その顔はずるい)
眉を下げ、捨てられた子犬のような目で見つめてくる「氷の公爵」。
破壊力が高すぎる。
福利厚生の一環として「旦那様のメンタルケア」も業務に含まれていることを思い出す。
ここで無慈悲に全て売り払っては、ボスの機嫌を損ね、今後の業務に支障が出るかもしれない。
私は一つ大きく息を吐き、妥協案を探った。
「……わかりました。全部は売りません」
「本当か?」
「ええ。ただし、条件があります」
私は山積みの箱の中から、一番小さな箱を手に取った。
蓋を開けると、中には、私の瞳と同じ色をした、深いエメラルドのペンダントが入っていた。
デザインはシンプルだが、石の質は極上だ。
「これ。これ一つだけは、手元に残します」
「……それだけでいいのか? もっと大きなダイヤもあるぞ」
「大きい石は肩が凝りますし、何より換金レートが高いので売却向きです。このエメラルドなら、普段使いしても嫌味がありません」
私はペンダントを指先で摘み上げた。
「これを『公爵夫人としての正装用装備』として、固定資産台帳に登録します。……着けていただけますか?」
私が背を向けて髪を持ち上げると、アレクシス様が息を呑む気配がした。
カチャリ、と小さな音がして、首元に冷やりとした感触が走る。
次の瞬間、アレクシス様の温かい指先が、私のうなじを優しく撫でた。
「っ……!」
背筋に電気が走る。
「……似合う」
耳元で、甘い声が囁かれた。
「やはり、俺の目に狂いはなかった。君の瞳のように綺麗だ」
「……お世辞は結構です。査定額が上がるわけではありませんから」
私は必死に動揺を隠し、振り返った。
アレクシス様は、満足げに微笑んでいた。
「ありがとう、モナ。受け取ってくれて」
「……どういたしまして。あとの残りは、予定通り競売にかけますからね」
「ああ、好きにしろ。君がそれを着けていてくれるなら、他はどうでもいい」
彼は本当にどうでも良さそうだった。
金貨四千九百枚分の宝石がどうなろうと、このエメラルド一つが私の首にあるだけで、彼は世界を手に入れたような顔をしている。
(……本当に、計算のできない人)
私は胸元のエメラルドをぎゅっと握りしめた。
石は、少しだけ熱を帯びている気がした。
「セバスチャン! 聞いたわね! エメラルド以外は全て梱包し直して! 明日のオークションに出品するわよ!」
「は、はいぃぃ!」
こうして、公爵邸の玄関ホールは、さながら戦利品の出荷場のような活気に包まれた。
私は手帳に「特別収入:金貨四千枚(見込み)」と書き込みながら、ほくそ笑んだ。
これで、屋敷の修繕計画が大幅に前倒しできる。
私の老後資金(へそくり)も潤う。
まさにウィンウィンだ。
ふと、執務室の窓を見ると、アレクシス様がこちらを見て手を振っていた。
私は、条件反射で営業用スマイルを返し、胸元のペンダントを一度だけ掲げて見せた。
アレクシス様が、花が咲くように笑った。
(……まあ、悪くない取引だったわね)
少しだけ、胸の奥がくすぐったい。
これが「罪悪感」なのか、それとも別の感情なのか、今の私には計算できなかった。
◇
数日後。
私の「宝石即売却」の噂は、瞬く間に社交界を駆け巡った。
「聞いたか? ミランド公爵夫人が、贈られた宝石を翌日には売り払ったそうだ」
「なんと強欲な……」
「いや、違うらしいぞ。売り払った金で、領地の孤児院を修繕したとか」
「屋敷の末端の使用人にまでボーナスを出したらしい」
「なんて慈悲深い方なんだ……!」
「まさに聖女だ!」
なぜか、私の「ドケチ行為」が「聖女の慈悲」として変換され、評判が爆上がりしていた。
(解せぬ)
私は新しい帳簿(宝石の売却益で買った最高級紙のもの)を広げながら首を傾げた。
私の行動原理は常に「利益」と「効率」だ。
聖女などという、対価の発生しないボランティア職に就くつもりはない。
だが、この勘違いは利用できる。
「奥様! 大変です!」
そこへ、セバスチャンが血相を変えて飛び込んできた。
「今度は何? また旦那様が何か買ってきたの?」
「いえ、違います! 手紙です! ……元婚約者の、カイル殿下からです!」
「また?」
私はげんなりした。
「着払いで送り返して」
「それが……内容が……」
セバスチャンは震える手で手紙を差し出した。
そこには、乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『モナ、話がある。金なら用意した。だから戻ってこい。……お前の実家のバーンズ公爵家の借金も、俺が肩代わりしてやるから』
「……は?」
私の思考が停止した。
実家の借金?
バーンズ公爵家は、確かに裕福ではなかったが、借金など聞いたことがない。
「どういうこと?」
「それが……実は、カイル殿下からの婚約破棄による『慰謝料』を、バーンズ家のご当主様……つまり奥様のお父上が、事業の失敗の穴埋めに使い込んでしまったらしく……」
「……あのお父様(バカ親父)がああああ!!!」
私は絶叫した。
私の老後資金が!
田舎でのスローライフ計画の原資が!
実家の父親によって横領されただと!?
「許さん……! 絶対に許さんぞ!!」
私の怒りのボルテージは、頂点に達した。
宝石売却で得た「聖女」の仮面など、一瞬で吹き飛んだ。
今はただの「修羅」である。
「馬車を出して! 王城へ……いいえ、実家へ殴り込みよ!」
「お、奥様、落ち着いてください!」
「落ち着いていられるか! 私の金よ! 私の血と汗と涙の結晶よ!」
私が暴れていると、背後からスッと手が伸びてきて、手紙を取り上げられた。
「……なるほど。そういうことか」
アレクシス様だった。
いつの間にか背後に立っていた彼は、手紙を一読すると、冷ややかな笑みを浮かべた。
「モナ。君の手を汚す必要はない」
「旦那様?」
「君の実家の借金も、あのバカ王子の戯言も、すべて俺が処理する」
「え、でも……」
「ただし、条件がある」
アレクシス様は、私の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。
「この件が片付いたら……俺と『正式な結婚式』を挙げてくれ」
「……はい?」
「契約上の妻ではなく、名実ともに、俺の公爵夫人として。……世界で一番豪華な式を挙げよう」
私の計算機が、再びフリーズした。
結婚式。
それはつまり、莫大な「経費」がかかるイベントではないか。
(いや、そこじゃない。そこじゃないでしょモナ!)
私の心の中で、何かが大きく揺れ動こうとしていた。
私の平穏な(金銭的な意味での)日々は、まだまだ遠いようだ。
私は玄関ホールに積み上げられた山を見て、絶句した。
そこには、色とりどりのリボンがかけられた小箱が、ピラミッドのように積まれていたからだ。
箱には、王都でも有名な高級宝飾店「ラ・ヴィアン・ローズ」のロゴが箔押しされている。
「あ、奥様……。その、旦那様からの贈り物だそうで……」
執事のセバスチャンが、青い顔をして伝票を差し出した。
私は震える手でそれを受け取る。
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「……いち、じゅう、ひゃく、せん……」
ゼロの数がおかしい。
これは国庫の歳出内訳書か何かだろうか?
いいえ、ただの宝石代だ。
「返品よ!!」
私は叫んだ。
「クーリングオフ! 今すぐクーリングオフを適用して! まだ箱は開けてないわよね!? 未開封なら全額返金がきくはずよ!」
「それが……その……」
セバスチャンが言い淀む。
「旦那様が、『モナに似合うものを全て選べと言ったら店ごと持ってきた』と仰っておりまして……特注品も含まれているため、返品不可のものも多く……」
「店ごと……!?」
頭痛がする。
あの男(ボス)は、またしても私の想定の斜め上を行く無駄遣いをしてくれたらしい。
私は伝票を握りしめ、ドスドスと足音を立てて執務室へと向かった。
ノックもそこそこに扉を開け放つ。
「旦那様!!」
アレクシス様は、優雅に紅茶を飲んでいるところだった。
私が入ってくると、パッと表情を明るくする。
「おお、モナ。届いたか。どうだ、気に入ったか?」
「気に入るも何も! 何ですかあの量は! サンタクロースでももう少し自重しますよ!」
私は伝票をデスクに叩きつけた。
「合計金額、金貨五千枚! 屋敷の年間維持費の三年分です! 正気ですか!?」
アレクシス様は、きょとんとした顔で首を傾げた。
「……少ないか?」
「多いわ!!」
「だが、君は昨夜、バルコニーで月を見ていた時、どこか寂しげだった。だから、君を輝かせるものが足りないのだと思ったんだ」
「寂しげだったのは、月明かりで屋敷の屋根瓦のズレを発見して憂鬱になっていただけです!」
「……そうなのか?」
「そうです。それに、こんな大量の宝石、体は一つしかないのにどうやって着けるんですか。私は千手観音ではありません!」
アレクシス様は少しシュンとして、視線を泳がせた。
「店員が、『愛する女性には、その美しさに相応しい輝きを』と言うものだから……つい」
「セールストークにまんまと乗せられないでください! カモネギもいいところですよ!」
私はため息をつき、頭を抱えた。
買ってしまったものは仕方がない。
問題は、この「負債(宝石)」をどう処理するかだ。
私はすぐに思考を切り替えた。
(……待てよ。この宝石たち、換金性が高いものばかりね)
伝票の明細を見る。
大粒のダイヤモンド、最高級のルビー、サファイア。
どれも市場価値が安定している「現物資産」だ。
「……旦那様。これ、私のものということでよろしいのですよね?」
「ああ、もちろん君のものだ」
「所有権は完全に私に移転した、と解釈してよろしいですね?」
「む? ああ。好きに使ってくれ」
「言質、いただきました」
私の目が、チャリーンという音と共に「¥」マークに変わった。
「セバスチャン! 鑑定士を呼んで! あと、さっきの花屋にも連絡を! 裏ルートで高値で売りさばくわよ!」
「へっ?」
アレクシス様が固まる。
「う、売る……?」
「当たり前です。こんなものを金庫に眠らせておいても、一文の得にもなりません。即時現金化(キャッシュ化)して、運用に回します」
私は指折り数え始めた。
「まず、このダイヤのネックレス。これを売れば、西棟の雨漏り修繕工事ができます。お釣りで断熱材も入れられるわ」
「しゅ、修繕……?」
「次に、このルビーの指輪。これは庭師の新規雇用費用と、ヤギの購入資金に充てましょう。除草コストが浮きます」
「や、ヤギ……?」
「そして、このサファイアのブローチ。これは従業員の夏季ボーナスの原資にします。モチベーションアップ間違いなしです!」
私はアレクシス様にニッコリと微笑んだ。
「素晴らしいです旦那様! あなたの散財が、巡り巡って屋敷のインフラ整備と人件費に変わるのです! これぞ錬金術!」
「……」
アレクシス様は、なんだかとても悲しそうな顔をしていた。
まるで、プレゼントしたおもちゃを即座に質屋に入れられた子供のような。
「……一つも、着けてくれないのか?」
ポツリと、彼が呟いた。
「え?」
「俺は……君がそれを身につけて、笑ってくれるところを見たかったんだ。屋根の修繕ではなく、君自身の飾りとして」
その声があまりにも切なくて、私の「ドケチ計算機」が一瞬フリーズした。
(……うっ。その顔はずるい)
眉を下げ、捨てられた子犬のような目で見つめてくる「氷の公爵」。
破壊力が高すぎる。
福利厚生の一環として「旦那様のメンタルケア」も業務に含まれていることを思い出す。
ここで無慈悲に全て売り払っては、ボスの機嫌を損ね、今後の業務に支障が出るかもしれない。
私は一つ大きく息を吐き、妥協案を探った。
「……わかりました。全部は売りません」
「本当か?」
「ええ。ただし、条件があります」
私は山積みの箱の中から、一番小さな箱を手に取った。
蓋を開けると、中には、私の瞳と同じ色をした、深いエメラルドのペンダントが入っていた。
デザインはシンプルだが、石の質は極上だ。
「これ。これ一つだけは、手元に残します」
「……それだけでいいのか? もっと大きなダイヤもあるぞ」
「大きい石は肩が凝りますし、何より換金レートが高いので売却向きです。このエメラルドなら、普段使いしても嫌味がありません」
私はペンダントを指先で摘み上げた。
「これを『公爵夫人としての正装用装備』として、固定資産台帳に登録します。……着けていただけますか?」
私が背を向けて髪を持ち上げると、アレクシス様が息を呑む気配がした。
カチャリ、と小さな音がして、首元に冷やりとした感触が走る。
次の瞬間、アレクシス様の温かい指先が、私のうなじを優しく撫でた。
「っ……!」
背筋に電気が走る。
「……似合う」
耳元で、甘い声が囁かれた。
「やはり、俺の目に狂いはなかった。君の瞳のように綺麗だ」
「……お世辞は結構です。査定額が上がるわけではありませんから」
私は必死に動揺を隠し、振り返った。
アレクシス様は、満足げに微笑んでいた。
「ありがとう、モナ。受け取ってくれて」
「……どういたしまして。あとの残りは、予定通り競売にかけますからね」
「ああ、好きにしろ。君がそれを着けていてくれるなら、他はどうでもいい」
彼は本当にどうでも良さそうだった。
金貨四千九百枚分の宝石がどうなろうと、このエメラルド一つが私の首にあるだけで、彼は世界を手に入れたような顔をしている。
(……本当に、計算のできない人)
私は胸元のエメラルドをぎゅっと握りしめた。
石は、少しだけ熱を帯びている気がした。
「セバスチャン! 聞いたわね! エメラルド以外は全て梱包し直して! 明日のオークションに出品するわよ!」
「は、はいぃぃ!」
こうして、公爵邸の玄関ホールは、さながら戦利品の出荷場のような活気に包まれた。
私は手帳に「特別収入:金貨四千枚(見込み)」と書き込みながら、ほくそ笑んだ。
これで、屋敷の修繕計画が大幅に前倒しできる。
私の老後資金(へそくり)も潤う。
まさにウィンウィンだ。
ふと、執務室の窓を見ると、アレクシス様がこちらを見て手を振っていた。
私は、条件反射で営業用スマイルを返し、胸元のペンダントを一度だけ掲げて見せた。
アレクシス様が、花が咲くように笑った。
(……まあ、悪くない取引だったわね)
少しだけ、胸の奥がくすぐったい。
これが「罪悪感」なのか、それとも別の感情なのか、今の私には計算できなかった。
◇
数日後。
私の「宝石即売却」の噂は、瞬く間に社交界を駆け巡った。
「聞いたか? ミランド公爵夫人が、贈られた宝石を翌日には売り払ったそうだ」
「なんと強欲な……」
「いや、違うらしいぞ。売り払った金で、領地の孤児院を修繕したとか」
「屋敷の末端の使用人にまでボーナスを出したらしい」
「なんて慈悲深い方なんだ……!」
「まさに聖女だ!」
なぜか、私の「ドケチ行為」が「聖女の慈悲」として変換され、評判が爆上がりしていた。
(解せぬ)
私は新しい帳簿(宝石の売却益で買った最高級紙のもの)を広げながら首を傾げた。
私の行動原理は常に「利益」と「効率」だ。
聖女などという、対価の発生しないボランティア職に就くつもりはない。
だが、この勘違いは利用できる。
「奥様! 大変です!」
そこへ、セバスチャンが血相を変えて飛び込んできた。
「今度は何? また旦那様が何か買ってきたの?」
「いえ、違います! 手紙です! ……元婚約者の、カイル殿下からです!」
「また?」
私はげんなりした。
「着払いで送り返して」
「それが……内容が……」
セバスチャンは震える手で手紙を差し出した。
そこには、乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『モナ、話がある。金なら用意した。だから戻ってこい。……お前の実家のバーンズ公爵家の借金も、俺が肩代わりしてやるから』
「……は?」
私の思考が停止した。
実家の借金?
バーンズ公爵家は、確かに裕福ではなかったが、借金など聞いたことがない。
「どういうこと?」
「それが……実は、カイル殿下からの婚約破棄による『慰謝料』を、バーンズ家のご当主様……つまり奥様のお父上が、事業の失敗の穴埋めに使い込んでしまったらしく……」
「……あのお父様(バカ親父)がああああ!!!」
私は絶叫した。
私の老後資金が!
田舎でのスローライフ計画の原資が!
実家の父親によって横領されただと!?
「許さん……! 絶対に許さんぞ!!」
私の怒りのボルテージは、頂点に達した。
宝石売却で得た「聖女」の仮面など、一瞬で吹き飛んだ。
今はただの「修羅」である。
「馬車を出して! 王城へ……いいえ、実家へ殴り込みよ!」
「お、奥様、落ち着いてください!」
「落ち着いていられるか! 私の金よ! 私の血と汗と涙の結晶よ!」
私が暴れていると、背後からスッと手が伸びてきて、手紙を取り上げられた。
「……なるほど。そういうことか」
アレクシス様だった。
いつの間にか背後に立っていた彼は、手紙を一読すると、冷ややかな笑みを浮かべた。
「モナ。君の手を汚す必要はない」
「旦那様?」
「君の実家の借金も、あのバカ王子の戯言も、すべて俺が処理する」
「え、でも……」
「ただし、条件がある」
アレクシス様は、私の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。
「この件が片付いたら……俺と『正式な結婚式』を挙げてくれ」
「……はい?」
「契約上の妻ではなく、名実ともに、俺の公爵夫人として。……世界で一番豪華な式を挙げよう」
私の計算機が、再びフリーズした。
結婚式。
それはつまり、莫大な「経費」がかかるイベントではないか。
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本作は、
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※本作は中世ヨーロッパをモデルにしたフィクションです。
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婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
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