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「……それで、話はまとまりましたね?」
公爵邸の執務室。
私は目の前に座るアレクシス様と、ガッチリと握手を交わしていた。
「ああ。君の実家の負債は、私がすべて肩代わりする。その代わり、君は……」
「『正式な公爵夫人』として、盛大な結婚式を挙げる。そのための準備を含め、今後の対外的な業務もすべて引き受ける。……ですね?」
「うむ」
アレクシス様が満足げに頷く。
私は内心で、高速の損益分岐点計算を行っていた。
(実家の借金は、概算で金貨三千枚。対して、結婚式の費用は……まあ、公爵家の面子を保つなら同程度かかるでしょう。でも、その費用は公爵家持ち。私は『花嫁』という役割を演じるだけで、実家の借金がチャラになる)
結論。
どう考えても「黒字」である。
愛のない政略結婚?
上等だ。
借金取りに追われる生活より、イケメン公爵(金持ち)のビジネスパートナーの方が、一億倍マシである。
「契約更新、ありがとうございます旦那様! これより『結婚式プロジェクト』の総責任者として、最高のコストパフォーマンスで式を成功させてみせます!」
「……金の話ばかりだな、君は」
「愛は形(金)にして初めて証明されるのです」
私が力説すると、アレクシス様は「やれやれ」といった顔で苦笑した。
だが、その目はどこか嬉しそうだ。
こうして、私の「公爵家・永住計画」が確定した。
はずだったのだが。
その日から、奇妙な「ゴミ」が屋敷に届くようになったのだ。
◇
「……奥様。また、届いております」
朝のティータイム。
執事のセバスチャンが、銀のトレイに載せて持ってきたのは、一通の封筒だった。
分厚い。
そして、無駄に香水の匂いがする。
封蝋には、見覚えのある王家の紋章。
差出人は、もちろんカイル王太子殿下だ。
「……今度は何? 脅迫状?」
「いえ、どうやら……『愛の詩(ポエム)』のようです」
「は?」
セバスチャンが困惑顔で封筒を開ける。
中から出てきたのは、羊皮紙の束。
そこには、達筆な文字で、恥ずかしい言葉が延々と綴られていた。
『ああ、モナ。君を失って初めて気づいた。君の淹れる紅茶の温度が、いかに完璧だったかを』
『リリナは可愛いが、書類の整理ができない。君の整理整頓が恋しい』
『昨夜、夢に君が出てきた。君は請求書を持って微笑んでいた。……戻ってきてくれ、僕の金庫番』
私は読み上げるのをやめて、羊皮紙をテーブルに叩きつけた。
「……気持ち悪っ!!」
鳥肌が立った。
何これ。
未練? 後悔?
いいえ、これは単なる「不便さへの愚痴」だ。
私という便利な道具(カイル・専用AI)がいなくなって、生活能力のない彼が困っているだけだ。
「『愛』という言葉でコーティングされた『労働力の搾取要求』ね。吐き気がするわ」
「いかがなさいましょう? やはり、着払いで返送を……」
「待って」
私は羊皮紙を手に取り、光に透かしてみた。
「……ふむ。最高級の羊皮紙ね。厚みも十分、耐久性もある」
「はあ」
「これを送り返す送料すら無駄よ。セバスチャン、裁断機を持ってきて」
「……はい?」
数分後。
私はカイル殿下からの愛の詩を、専用の裁断機で四等分にカットしていた。
ジョキッ、ジョキッ。
小気味良い音が響く。
「よし、これで裏面が『メモ用紙』として使えるわ」
「め、メモ用紙……」
「ええ。屋敷の在庫管理用メモに最適よ。紙質が良いからインクも滲まないし。……ほら、この『愛してる』の文字の裏に、『大根・3本』って書くと書き味が最高」
「……王太子殿下の愛の言葉が、大根の下敷きに」
セバスチャンが遠い目をしている。
「残りの分は、暖炉の焚き付けに使いましょう。よく燃えそうだし」
私はカットした紙束を綺麗に揃え、輪ゴムで留めた。
これで一ヶ月分のメモ用紙代が浮いた。
「あざーす、殿下。あなたの未練が、我が家の事務用品費を削減してくれました」
私が満足げに頷いていると。
「……何をしている?」
背後から、低い声がかかった。
ギクリとする。
アレクシス様だ。
公務前の軍服姿で、廊下に立っていた。
その視線が、私の手元の「紙束」に釘付けになっている。
「あ、旦那様。おはようございます」
「……それは、カイル王太子からの手紙か?」
「ええ、まあ」
私は正直に答えた。
隠すようなことでもない。
だが、アレクシス様の表情が、見る見るうちに険しくなっていく。
「……毎日、届いているそうだな」
「ええ、迷惑なことに」
「それを、君は……捨てずに持っているのか?」
「はい? ええ、もちろんです」
捨てるなんてもったいない。
貴重な「資源」なのだから。
しかし、アレクシス様は私の言葉を、どうやら全く別の意味で解釈したらしい。
彼の顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「……そうか。やはり、捨てられないか」
「当たり前です。こんなに質が良いのに」
「質……? ああ、そうか。彼との『思い出』の質は、俺などが介入できるものではない、ということか」
「は?」
話が噛み合っていない気がする。
アレクシス様は、私の手にある紙束(メモ帳に加工済み)を、忌々しげに睨みつけた。
「八年の付き合いだと言ったな。……情が、あるのか?」
「情? ありませんよ。あるのは『利用価値』だけです」
私はキッパリと言った。
(メモ帳としての利用価値がね)
だが、アレクシス様には(男としての利用価値=復縁の可能性)と聞こえたらしい。
ドゴンッ!
突然、アレクシス様が壁を殴った。
「ひっ!」
セバスチャンと私が同時に縮み上がる。
壁には、拳の跡がめり込んでいた。
「だ、旦那様……?」
「……利用価値、か」
アレクシス様が、私に詰め寄ってくる。
その瞳は、氷のように冷たく、けれど奥底で青い炎が燃えているようだった。
「俺にはないのか? その価値は」
「えっ、いや、旦那様には十分すぎるほどの価値(資産)が……」
「金の話ではない!」
彼が私の肩を掴んだ。
強い力だ。
でも、痛くはない。
「俺は、君を離すつもりはない。借金を肩代わりしたからではない。君が……必要だからだ」
「は、はい(有能な秘書としてですよね)」
「あいつの言葉など、聞くな。あいつの文字など、見るな」
アレクシス様の手が、私の手から紙束を奪い取った。
「あっ、私のメモ用紙!」
「こんなもの!」
ボッ!!
次の瞬間、アレクシス様の手から青白い魔力の炎が噴き出した。
「わああああ!」
一瞬で、カイル殿下の愛の詩(と大根のメモ)は灰になった。
「もったいなっ!!」
私は思わず叫んだ。
「何するんですか! まだ裏面が使えたのに!」
「新しい紙など、いくらでも買ってやる! 山ほど買ってやる!」
「そういう問題じゃありません! あるものを使うのがエコなんです!」
「エコなど知らん! 俺の前で、他の男の手紙を大事そうに抱えるな!」
「大事になんてしてません! ただの再利用です!」
「同じことだ!」
アレクシス様は、灰になった手紙を踏みつけ、ハァハァと肩で息をしていた。
そして、ハッとしたように私を見る。
「……すまない。取り乱した」
「……いえ、まあ、燃やしてしまったものは仕方ありませんが」
(暖炉の薪代が浮いたと思えば、まあいいか)
私が溜息をつくと、アレクシス様は気まずそうに視線を逸らした。
「……嫉妬だ」
「はい?」
「見苦しいな。……君が、あいつの言葉に心を動かされているのではないかと、不安になった」
「心を動かす? まさか。資源ゴミの分別に心を動かす人はいませんよ」
「……君は、本当にブレないな」
アレクシス様は力が抜けたように笑った。
だが、その目はまだ油断していない。
「とにかく、今後あいつからの手紙は、俺が検閲した上で焼却処分とする。君の目に入れるのも不快だ」
「検閲? 人件費の無駄では?」
「俺の精神衛生上の必要経費だ」
そう言って、アレクシス様は公務へと出かけていった。
残されたのは、私とセバスチャンと、壁の凹み。
「……奥様。旦那様は、相当重症でございますな」
「そうね。資源の無駄遣いに対して、もっと厳しく指導しなきゃ」
「……(そういう意味ではないのですが)」
セバスチャンが何か言いたげだったが、私は気にせず、次の業務へと移った。
手紙攻撃が失敗したカイル殿下が、次に何をしてくるか。
その対策を練らなければならない。
(手紙がダメなら、次は直接来るわよね……)
私の予感は的中した。
その日の午後。
公爵邸の門の前に、一台の派手な馬車が止まったのだ。
◇
「モナー! モナー! 俺だ、カイルだ!」
門の外から、大声が聞こえてくる。
私は二階の窓から、冷ややかな目で見下ろしていた。
カイル殿下が、門番の騎士たちに止められながら、何かを叫んでいる。
「ここを通してくれ! 婚約者と話をさせてくれ!」
「お引き取りください、殿下。ここはミランド公爵邸です。アポなしの訪問はお断りしております」
門番たちが必死に防波堤となっている。
優秀だ。あとで特別ボーナスを出そう。
「モナ! そこにいるんだろう! 出てきてくれ!」
カイル殿下は諦めない。
手に何か持っている。
……リュート?
ジャジャーン♪
不協和音が響き渡った。
「え、歌う気?」
私は戦慄した。
まさかの「セレナーデ作戦」か。
『オー、モナ~♪ 僕の太陽~♪ 君がいないと~ 国庫が寒い~♪』
「歌詞が最低よ!」
国庫が寒いって何よ。
私のせいにするな。
周囲の通行人たちが足を止め、指差して笑っている。
「おい見ろよ、王太子様だぞ」
「公爵邸の前で歌ってる」
「振られた腹いせか?」
「いや、復縁を迫ってるらしいぞ」
「うわぁ、痛々しい……」
これはマズい。
公爵家の風評被害に関わる。
「近所迷惑だわ。……セバスチャン、塩を持ってきて。特上の粗塩を」
「お、奥様。王太子殿下に塩を撒くのはさすがに……」
「じゃあ、水? バケツの水ならいい?」
「それもちょっと……」
私が武器(清掃用具)を探していると、門の向こうから、もう一台の馬車が猛スピードでやってきた。
黒塗りの馬車。
アレクシス様が帰ってきたのだ。
馬車から飛び降りたアレクシス様は、歌っているカイル殿下の背後に、音もなく忍び寄った。
『君の計算機が~ 恋しいよ~♪』
「……何をしている」
地獄の底から響くような声。
「うわっ!?」
カイル殿下が飛び上がった。
振り返ると、そこには鬼の形相のアレクシス様。
「お、叔父上……! いや、これは、その、愛の表現で……」
「我が家の前で、騒音を撒き散らすな」
アレクシス様の手から、パキパキと氷の音がする。
物理的に空気が凍り始めた。
「ひぃっ!?」
「モナは私の妻だ。これ以上、彼女に付きまとうなら……王族といえど、容赦はせん」
「わ、わかった! 帰る! 帰りますぅ!」
カイル殿下はリュートを放り投げ、自分の馬車に逃げ込んだ。
そして、逃げるように走り去っていく。
(……早っ)
あっけない幕切れだった。
アレクシス様は、落ちていたリュートを拾い上げると、無造作に門番に渡した。
「これは売って、孤児院への寄付金にしろ」
「は、はい!」
(さすが旦那様! リサイクル精神が身についてきたわ!)
私は二階の窓から、思わず拍手を送った。
アレクシス様がふと見上げ、私と目が合う。
彼は一瞬だけ、バツが悪そうに顔をしかめ、それから小さく手を振った。
その顔が、少し赤くなっているように見えたのは、夕日のせいだろうか。
「……さて」
私は窓を閉めた。
カイル殿下撃退の功労者(旦那様)が戻ってきたのだ。
労いの準備をしなければ。
「セバスチャン。今夜の夕食は、旦那様の好物の『子羊のロースト』にして。……予算? 大丈夫、カイル殿下のリュートの売却益が出るはずだから」
私はニヤリと笑った。
敵の武器を奪い、こちらの糧にする。
これぞ戦場の鉄則だ。
しかし、この時の私は知らなかった。
カイル殿下のストーカー行為が、単なる「未練」だけでなく、リリナの悪知恵によって仕組まれた「罠」の序章に過ぎないことを。
公爵邸の執務室。
私は目の前に座るアレクシス様と、ガッチリと握手を交わしていた。
「ああ。君の実家の負債は、私がすべて肩代わりする。その代わり、君は……」
「『正式な公爵夫人』として、盛大な結婚式を挙げる。そのための準備を含め、今後の対外的な業務もすべて引き受ける。……ですね?」
「うむ」
アレクシス様が満足げに頷く。
私は内心で、高速の損益分岐点計算を行っていた。
(実家の借金は、概算で金貨三千枚。対して、結婚式の費用は……まあ、公爵家の面子を保つなら同程度かかるでしょう。でも、その費用は公爵家持ち。私は『花嫁』という役割を演じるだけで、実家の借金がチャラになる)
結論。
どう考えても「黒字」である。
愛のない政略結婚?
上等だ。
借金取りに追われる生活より、イケメン公爵(金持ち)のビジネスパートナーの方が、一億倍マシである。
「契約更新、ありがとうございます旦那様! これより『結婚式プロジェクト』の総責任者として、最高のコストパフォーマンスで式を成功させてみせます!」
「……金の話ばかりだな、君は」
「愛は形(金)にして初めて証明されるのです」
私が力説すると、アレクシス様は「やれやれ」といった顔で苦笑した。
だが、その目はどこか嬉しそうだ。
こうして、私の「公爵家・永住計画」が確定した。
はずだったのだが。
その日から、奇妙な「ゴミ」が屋敷に届くようになったのだ。
◇
「……奥様。また、届いております」
朝のティータイム。
執事のセバスチャンが、銀のトレイに載せて持ってきたのは、一通の封筒だった。
分厚い。
そして、無駄に香水の匂いがする。
封蝋には、見覚えのある王家の紋章。
差出人は、もちろんカイル王太子殿下だ。
「……今度は何? 脅迫状?」
「いえ、どうやら……『愛の詩(ポエム)』のようです」
「は?」
セバスチャンが困惑顔で封筒を開ける。
中から出てきたのは、羊皮紙の束。
そこには、達筆な文字で、恥ずかしい言葉が延々と綴られていた。
『ああ、モナ。君を失って初めて気づいた。君の淹れる紅茶の温度が、いかに完璧だったかを』
『リリナは可愛いが、書類の整理ができない。君の整理整頓が恋しい』
『昨夜、夢に君が出てきた。君は請求書を持って微笑んでいた。……戻ってきてくれ、僕の金庫番』
私は読み上げるのをやめて、羊皮紙をテーブルに叩きつけた。
「……気持ち悪っ!!」
鳥肌が立った。
何これ。
未練? 後悔?
いいえ、これは単なる「不便さへの愚痴」だ。
私という便利な道具(カイル・専用AI)がいなくなって、生活能力のない彼が困っているだけだ。
「『愛』という言葉でコーティングされた『労働力の搾取要求』ね。吐き気がするわ」
「いかがなさいましょう? やはり、着払いで返送を……」
「待って」
私は羊皮紙を手に取り、光に透かしてみた。
「……ふむ。最高級の羊皮紙ね。厚みも十分、耐久性もある」
「はあ」
「これを送り返す送料すら無駄よ。セバスチャン、裁断機を持ってきて」
「……はい?」
数分後。
私はカイル殿下からの愛の詩を、専用の裁断機で四等分にカットしていた。
ジョキッ、ジョキッ。
小気味良い音が響く。
「よし、これで裏面が『メモ用紙』として使えるわ」
「め、メモ用紙……」
「ええ。屋敷の在庫管理用メモに最適よ。紙質が良いからインクも滲まないし。……ほら、この『愛してる』の文字の裏に、『大根・3本』って書くと書き味が最高」
「……王太子殿下の愛の言葉が、大根の下敷きに」
セバスチャンが遠い目をしている。
「残りの分は、暖炉の焚き付けに使いましょう。よく燃えそうだし」
私はカットした紙束を綺麗に揃え、輪ゴムで留めた。
これで一ヶ月分のメモ用紙代が浮いた。
「あざーす、殿下。あなたの未練が、我が家の事務用品費を削減してくれました」
私が満足げに頷いていると。
「……何をしている?」
背後から、低い声がかかった。
ギクリとする。
アレクシス様だ。
公務前の軍服姿で、廊下に立っていた。
その視線が、私の手元の「紙束」に釘付けになっている。
「あ、旦那様。おはようございます」
「……それは、カイル王太子からの手紙か?」
「ええ、まあ」
私は正直に答えた。
隠すようなことでもない。
だが、アレクシス様の表情が、見る見るうちに険しくなっていく。
「……毎日、届いているそうだな」
「ええ、迷惑なことに」
「それを、君は……捨てずに持っているのか?」
「はい? ええ、もちろんです」
捨てるなんてもったいない。
貴重な「資源」なのだから。
しかし、アレクシス様は私の言葉を、どうやら全く別の意味で解釈したらしい。
彼の顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「……そうか。やはり、捨てられないか」
「当たり前です。こんなに質が良いのに」
「質……? ああ、そうか。彼との『思い出』の質は、俺などが介入できるものではない、ということか」
「は?」
話が噛み合っていない気がする。
アレクシス様は、私の手にある紙束(メモ帳に加工済み)を、忌々しげに睨みつけた。
「八年の付き合いだと言ったな。……情が、あるのか?」
「情? ありませんよ。あるのは『利用価値』だけです」
私はキッパリと言った。
(メモ帳としての利用価値がね)
だが、アレクシス様には(男としての利用価値=復縁の可能性)と聞こえたらしい。
ドゴンッ!
突然、アレクシス様が壁を殴った。
「ひっ!」
セバスチャンと私が同時に縮み上がる。
壁には、拳の跡がめり込んでいた。
「だ、旦那様……?」
「……利用価値、か」
アレクシス様が、私に詰め寄ってくる。
その瞳は、氷のように冷たく、けれど奥底で青い炎が燃えているようだった。
「俺にはないのか? その価値は」
「えっ、いや、旦那様には十分すぎるほどの価値(資産)が……」
「金の話ではない!」
彼が私の肩を掴んだ。
強い力だ。
でも、痛くはない。
「俺は、君を離すつもりはない。借金を肩代わりしたからではない。君が……必要だからだ」
「は、はい(有能な秘書としてですよね)」
「あいつの言葉など、聞くな。あいつの文字など、見るな」
アレクシス様の手が、私の手から紙束を奪い取った。
「あっ、私のメモ用紙!」
「こんなもの!」
ボッ!!
次の瞬間、アレクシス様の手から青白い魔力の炎が噴き出した。
「わああああ!」
一瞬で、カイル殿下の愛の詩(と大根のメモ)は灰になった。
「もったいなっ!!」
私は思わず叫んだ。
「何するんですか! まだ裏面が使えたのに!」
「新しい紙など、いくらでも買ってやる! 山ほど買ってやる!」
「そういう問題じゃありません! あるものを使うのがエコなんです!」
「エコなど知らん! 俺の前で、他の男の手紙を大事そうに抱えるな!」
「大事になんてしてません! ただの再利用です!」
「同じことだ!」
アレクシス様は、灰になった手紙を踏みつけ、ハァハァと肩で息をしていた。
そして、ハッとしたように私を見る。
「……すまない。取り乱した」
「……いえ、まあ、燃やしてしまったものは仕方ありませんが」
(暖炉の薪代が浮いたと思えば、まあいいか)
私が溜息をつくと、アレクシス様は気まずそうに視線を逸らした。
「……嫉妬だ」
「はい?」
「見苦しいな。……君が、あいつの言葉に心を動かされているのではないかと、不安になった」
「心を動かす? まさか。資源ゴミの分別に心を動かす人はいませんよ」
「……君は、本当にブレないな」
アレクシス様は力が抜けたように笑った。
だが、その目はまだ油断していない。
「とにかく、今後あいつからの手紙は、俺が検閲した上で焼却処分とする。君の目に入れるのも不快だ」
「検閲? 人件費の無駄では?」
「俺の精神衛生上の必要経費だ」
そう言って、アレクシス様は公務へと出かけていった。
残されたのは、私とセバスチャンと、壁の凹み。
「……奥様。旦那様は、相当重症でございますな」
「そうね。資源の無駄遣いに対して、もっと厳しく指導しなきゃ」
「……(そういう意味ではないのですが)」
セバスチャンが何か言いたげだったが、私は気にせず、次の業務へと移った。
手紙攻撃が失敗したカイル殿下が、次に何をしてくるか。
その対策を練らなければならない。
(手紙がダメなら、次は直接来るわよね……)
私の予感は的中した。
その日の午後。
公爵邸の門の前に、一台の派手な馬車が止まったのだ。
◇
「モナー! モナー! 俺だ、カイルだ!」
門の外から、大声が聞こえてくる。
私は二階の窓から、冷ややかな目で見下ろしていた。
カイル殿下が、門番の騎士たちに止められながら、何かを叫んでいる。
「ここを通してくれ! 婚約者と話をさせてくれ!」
「お引き取りください、殿下。ここはミランド公爵邸です。アポなしの訪問はお断りしております」
門番たちが必死に防波堤となっている。
優秀だ。あとで特別ボーナスを出そう。
「モナ! そこにいるんだろう! 出てきてくれ!」
カイル殿下は諦めない。
手に何か持っている。
……リュート?
ジャジャーン♪
不協和音が響き渡った。
「え、歌う気?」
私は戦慄した。
まさかの「セレナーデ作戦」か。
『オー、モナ~♪ 僕の太陽~♪ 君がいないと~ 国庫が寒い~♪』
「歌詞が最低よ!」
国庫が寒いって何よ。
私のせいにするな。
周囲の通行人たちが足を止め、指差して笑っている。
「おい見ろよ、王太子様だぞ」
「公爵邸の前で歌ってる」
「振られた腹いせか?」
「いや、復縁を迫ってるらしいぞ」
「うわぁ、痛々しい……」
これはマズい。
公爵家の風評被害に関わる。
「近所迷惑だわ。……セバスチャン、塩を持ってきて。特上の粗塩を」
「お、奥様。王太子殿下に塩を撒くのはさすがに……」
「じゃあ、水? バケツの水ならいい?」
「それもちょっと……」
私が武器(清掃用具)を探していると、門の向こうから、もう一台の馬車が猛スピードでやってきた。
黒塗りの馬車。
アレクシス様が帰ってきたのだ。
馬車から飛び降りたアレクシス様は、歌っているカイル殿下の背後に、音もなく忍び寄った。
『君の計算機が~ 恋しいよ~♪』
「……何をしている」
地獄の底から響くような声。
「うわっ!?」
カイル殿下が飛び上がった。
振り返ると、そこには鬼の形相のアレクシス様。
「お、叔父上……! いや、これは、その、愛の表現で……」
「我が家の前で、騒音を撒き散らすな」
アレクシス様の手から、パキパキと氷の音がする。
物理的に空気が凍り始めた。
「ひぃっ!?」
「モナは私の妻だ。これ以上、彼女に付きまとうなら……王族といえど、容赦はせん」
「わ、わかった! 帰る! 帰りますぅ!」
カイル殿下はリュートを放り投げ、自分の馬車に逃げ込んだ。
そして、逃げるように走り去っていく。
(……早っ)
あっけない幕切れだった。
アレクシス様は、落ちていたリュートを拾い上げると、無造作に門番に渡した。
「これは売って、孤児院への寄付金にしろ」
「は、はい!」
(さすが旦那様! リサイクル精神が身についてきたわ!)
私は二階の窓から、思わず拍手を送った。
アレクシス様がふと見上げ、私と目が合う。
彼は一瞬だけ、バツが悪そうに顔をしかめ、それから小さく手を振った。
その顔が、少し赤くなっているように見えたのは、夕日のせいだろうか。
「……さて」
私は窓を閉めた。
カイル殿下撃退の功労者(旦那様)が戻ってきたのだ。
労いの準備をしなければ。
「セバスチャン。今夜の夕食は、旦那様の好物の『子羊のロースト』にして。……予算? 大丈夫、カイル殿下のリュートの売却益が出るはずだから」
私はニヤリと笑った。
敵の武器を奪い、こちらの糧にする。
これぞ戦場の鉄則だ。
しかし、この時の私は知らなかった。
カイル殿下のストーカー行為が、単なる「未練」だけでなく、リリナの悪知恵によって仕組まれた「罠」の序章に過ぎないことを。
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追記
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ぽんた
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