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「……ふむ。ヤギの導入で除草コストが月2割削減。さらにヤギ乳の販売で雑収入が月間金貨五枚。完璧ね」
公爵邸の執務室。
私は朝から電卓(魔道具)を叩き、ご満悦だった。
庭師のおじいさんたちも、最初は「ヤギぃ?」と渋い顔をしていたが、今では「ユキちゃん」と名前をつけて可愛がっている。
平和だ。
カイル殿下のストーカー騒動から数日。
公爵邸は、私の「コストカット改革」によって、着々と筋肉質な家計へと生まれ変わりつつあった。
しかし、平和というのは長くは続かないものだ。
「……奥様。また、お客様です」
メイドのマリーが、うんざりした顔で入ってきた。
「誰? またカイル殿下? 今日は塩じゃなくて、賞味期限切れの小麦粉を撒く準備があるけど」
「いえ、違います。……その、リリナ男爵令嬢です」
「……は?」
私はペンを止めた。
リリナ。
カイル殿下の浮気相手であり、私の元婚約破棄の元凶。
そして、脳内がお花畑で構成されている(と思われる)少女。
「何の用かしら?」
「『不幸のどん底にいるお姉様を慰めに来てあげました』と仰っていますが……」
「……暇なのね」
私はため息をついた。
門前払いしてもいいが、あの子のことだ。
「意地悪された! やっぱりモナお姉様は悪役令嬢なんだわ!」と触れ回るに違いない。
それは公爵家の対外的な評判(ブランド価値)に関わる。
「通して。応接間で相手をするわ」
「よろしいのですか?」
「ええ。ただし、お茶は一番安い茶葉(茎茶)を使って。茶菓子は……そうね、試作品の『ヤギ乳クッキー(失敗作・硬め)』でいいわ」
「……かしこまりました(奥様、容赦ないですね)」
◇
応接間にて。
リリナ・メルローズ男爵令嬢は、ピンク色のフリフリなドレスに身を包み、ソファに座っていた。
「ごきげんよう、モナお姉様」
私が入室すると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「急な訪問でごめんなさいね。でも、お姉様が心配で居ても立ってもいられなくて」
「それはご親切に。……で、何が心配なのかしら?」
私は対面のソファに座り、足を組んだ。
リリナは、わざとらしく部屋の中を見渡した。
「だって、こんな……暗くて怖いお屋敷に閉じ込められているんでしょう? 『氷の公爵』様なんて恐ろしい方に買われたって噂、持ちきりですわ」
「買われたのではなく、雇用契約です」
「あら、強がらなくていいのよ? カイル様から聞きました。借金のカタに売られたって。……可哀想に。毎日、冷たい地下牢で泣いているんじゃないかって、私、胸が痛くて……」
リリナはハンカチを目元に当てた。
(……想像力が豊かで羨ましいわね。地下牢どころか、キングサイズのベッドで熟睡してるけど)
私は無表情のまま、マリーが運んできたお茶を勧めた。
「まあ、同情してくださるなら、お茶でもどうぞ」
「ありがとう。……あら? 色が薄くない?」
リリナがカップを見て眉をひそめる。
「気のせいです。……それで、今日はわざわざマウントを取りに……いえ、慰めに来てくださったの?」
「ええ! 私、お姉様に伝えたくて。私とカイル様は、とーっても幸せですわ!」
リリナは顔を輝かせた。
「カイル様ったら、毎日『愛してる』って言ってくださるの。昨日の夜会でも、ずっと私の手を握って離さなくて……」
「それは重畳(ちょうじょう)。カイル殿下は一人で歩くと転ぶか迷子になるから、介護が必要だものね」
「介護じゃありません! エスコートです!」
リリナがムッとする。
しかし、すぐに気を取り直して、自分のドレスの裾を広げて見せた。
「見てください、このドレス! カイル様がプレゼントしてくださったの。王都で一番流行りのデザインなんですって!」
鮮やかなピンク色の生地に、過剰なほどのレースとリボン。
確かに、見た目は華やかだ。
「素敵でしょう? お姉様はいつも地味な色のドレスばかり着ていたから、こういう『本物の可愛さ』がわからないかもしれませんけど」
リリナは優越感に浸っている。
(……ふむ)
私は目を細め、そのドレスを凝視した。
職業病の「鑑定スキル(商魂)」が発動する。
「……リリナ様」
「なぁに? 羨ましい?」
「そのドレス、どこの店で仕立てました?」
「え? 王室御用達の『マダム・ボヴァリー』よ」
「……なるほど。あそこね」
私は手元の手帳をパラパラとめくった。
王都の物価指数、繊維市場の動向、そして各店舗の評判リスト。
すべて私のデータベースに入っている。
「残念なお知らせがあります」
「は?」
「そのドレスの生地……『シルク』だと思ってます?」
「当たり前でしょう! 最高級の東方産シルクだって、店員さんが……」
「いいえ。それは『交織(こうしょく)』です」
「こ、こうしょく……?」
私は冷静に解説を始めた。
「縦糸はシルクですが、横糸に安価な化学繊維が混ざっています。光の反射具合を見ればわかります。純粋なシルクはもっと柔らかく光を吸い込みますが、それは表面がテカテカしすぎている」
「なっ……!?」
「さらに、そのレース。ミシン編みですね。手編みのリバーレースに見せかけていますが、網目が均一すぎます。大量生産品です」
「う、嘘よ! だって、カイル様は金貨五十枚も出したって!」
「五十枚!?」
私は思わず大声を出してしまった。
「ボッタクリにも程があります! 原価計算すると……生地代で金貨三枚、縫製費で五枚、デザイン料を乗せても精々十五枚が妥当なラインです」
「そ、そんな……」
「つまり、カイル殿下は『型落ちの在庫処分品』を『新作』と偽られ、さらに三倍以上の値段で売りつけられたのです。……ああ、あの店、最近資金繰りが悪いって噂だったけど、まさか王太子をカモにするとは」
私は憐れむような目でリリナを見た。
「リリナ様。貴女が着ているのは『愛の結晶』ではありません。『情弱(じょうじゃく)の証』です」
「じょ、情弱ぅ!?」
リリナの顔が真っ赤になる。
「う、嘘よ! お姉様の僻みよ! カイル様が騙されるわけないわ!」
「殿下は騙されやすいですよ。以前も『幸せになる壺』を百個買わされそうになって、私がクーリングオフしましたから」
「……っ!」
リリナは言葉を失い、自分のドレスをわなわなと掴んだ。
さっきまで自慢の種だったドレスが、急に安っぽく見えてきたのだろう。
「そ、それに! お金の問題じゃありません! 大事なのは気持ちです!」
「ええ、そうですね。詐欺師に貢ぐのも、ある意味では経済活動への貢献ですから」
「きぃぃぃっ!!」
リリナが立ち上がった。
「もういいです! せっかく慰めてあげようと思ったのに! こんな貧乏臭いお茶を出して!」
彼女はティーカップを指差した。
「こんな色の薄いお茶、初めて見ましたわ! やはり公爵家は火の車なんですのね!」
「ああ、それは……」
私が言いかけた時。
ガチャリ、と扉が開いた。
「……何が火の車だと?」
室温が急激に下がった。
入り口に立っていたのは、アレクシス様だ。
公務から戻ったばかりらしく、まだ外套を羽織っている。
その表情は、文字通りの「絶対零度」。
「ひっ……!」
リリナが悲鳴を上げて後ずさる。
「あ、アレクシス様……」
「私の屋敷で、私の妻に向かって『貧乏臭い』とは。……随分と良い度胸だ、男爵令嬢」
アレクシス様が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
床の大理石が凍りつきそうな威圧感だ。
「ち、違います! 私はただ、お姉様が惨めな暮らしをしているんじゃないかと……」
「惨め?」
アレクシス様は鼻で笑った。
そして、私の隣に座り、自然な動作で私の腰に手を回した。
「彼女は惨めどころか、この屋敷の『女王』だ。私が稼いだ金はすべて彼女が管理し、私が着る服も、食べる物も、すべて彼女が選んでいる」
「えっ……」
「つまり、私は彼女の手のひらの上で生かされているに過ぎない。……なぁ、モナ?」
アレクシス様が、甘い声で私に同意を求めてくる。
(……言い方に語弊があります旦那様。それだと私が独裁者みたいです)
しかし、リリナへの牽制としては百点満点だ。
私は話を合わせた。
「ええ。旦那様は私の『管理下』にありますので」
「そ、そんな……」
リリナは絶句した。
「氷の公爵」が、悪役令嬢の尻に敷かれている。
その事実は、彼女の想像を超えていたようだ。
「それから、そのお茶についてだが」
アレクシス様は、テーブルの上のカップを一瞥した。
「色が薄いと言ったな?」
「は、はい! どう見ても出がらし……」
「それは『ホワイトティー』だ」
「……え?」
「茶葉の新芽だけを使った、極めて希少な高級茶だ。色が薄いのは当たり前だ。……その価値もわからぬ舌で、我が家の茶を語るとは」
アレクシス様が軽蔑の眼差しを向ける。
(……ん?)
私は心の中で首を傾げた。
いや、旦那様。
それ、本当にただの「茎茶(安物)」ですよ?
私がマリーに指示して出させた、一杯銅貨一枚の激安茶ですよ?
でも、アレクシス様は大真面目な顔で嘘をついている。
いや、もしかして「モナが出したお茶なのだから最高級品に違いない」と本気で信じ込んでいるのか?
「ほ、ホワイトティー……? こ、これが?」
リリナの手が震え始めた。
自分の無知を指摘され、さらにドレスの価値まで否定され、完全に心が折れたようだ。
「……お、覚えてらっしゃい! カイル様に言いつけてやるんだから!」
捨て台詞を残し、リリナは逃げるように部屋を飛び出していった。
その際、ドア枠にフリフリのドレスが引っかかり、「ビリッ」と音がしたのはご愛嬌だ。
「あーあ。修理代、高くつきそう」
私が呟くと、静寂が戻った。
「……大丈夫か、モナ」
アレクシス様が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「嫌なことを言われなかったか?」
「ええ、特には。むしろ市場調査の勉強になりました」
「そうか。……あいつのドレス、あれほど趣味の悪いピンク色は初めて見た」
「ふふ、旦那様もそう思いました?」
「ああ。君の着ているその……深い紺色のドレスの方が、ずっと品があって美しい」
アレクシス様が、私の髪を掬い上げてキスをした。
不意打ちだ。
「……っ、旦那様。業務時間内です」
「休憩時間だと言い張る」
彼は悪びれもせずに笑った。
「ところで、さっきのお茶。本当にホワイトティーだったのか?」
「いいえ。茎茶です」
「……やはりか」
アレクシス様はクスクスと笑い出した。
「君らしいな。だが、あいつには勿体ないくらいだ」
「はい。ちなみに、あの茎茶の仕入れ値は……」
私が原価の話を始めようとすると、アレクシス様は「今は金の話しはいい」と言って、私を抱きしめた。
その体温は温かく、私は少しだけ計算の手を止めた。
リリナの襲撃は撃退した。
だが、これで終わる相手ではないだろう。
そしてカイル殿下も。
彼らが次に仕掛けてくるのは、おそらく……。
「……そろそろ、王家主催の夜会ですね」
私が呟くと、アレクシス様の手がピクリと止まった。
「……ああ。そこが、正念場になるだろうな」
社交界デビュー。
元婚約者と現夫が激突する、最大の戦場。
私は密かに、その日に向けて「最強のドレス(もちろん経費で計上)」を用意する決意を固めたのだった。
公爵邸の執務室。
私は朝から電卓(魔道具)を叩き、ご満悦だった。
庭師のおじいさんたちも、最初は「ヤギぃ?」と渋い顔をしていたが、今では「ユキちゃん」と名前をつけて可愛がっている。
平和だ。
カイル殿下のストーカー騒動から数日。
公爵邸は、私の「コストカット改革」によって、着々と筋肉質な家計へと生まれ変わりつつあった。
しかし、平和というのは長くは続かないものだ。
「……奥様。また、お客様です」
メイドのマリーが、うんざりした顔で入ってきた。
「誰? またカイル殿下? 今日は塩じゃなくて、賞味期限切れの小麦粉を撒く準備があるけど」
「いえ、違います。……その、リリナ男爵令嬢です」
「……は?」
私はペンを止めた。
リリナ。
カイル殿下の浮気相手であり、私の元婚約破棄の元凶。
そして、脳内がお花畑で構成されている(と思われる)少女。
「何の用かしら?」
「『不幸のどん底にいるお姉様を慰めに来てあげました』と仰っていますが……」
「……暇なのね」
私はため息をついた。
門前払いしてもいいが、あの子のことだ。
「意地悪された! やっぱりモナお姉様は悪役令嬢なんだわ!」と触れ回るに違いない。
それは公爵家の対外的な評判(ブランド価値)に関わる。
「通して。応接間で相手をするわ」
「よろしいのですか?」
「ええ。ただし、お茶は一番安い茶葉(茎茶)を使って。茶菓子は……そうね、試作品の『ヤギ乳クッキー(失敗作・硬め)』でいいわ」
「……かしこまりました(奥様、容赦ないですね)」
◇
応接間にて。
リリナ・メルローズ男爵令嬢は、ピンク色のフリフリなドレスに身を包み、ソファに座っていた。
「ごきげんよう、モナお姉様」
私が入室すると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「急な訪問でごめんなさいね。でも、お姉様が心配で居ても立ってもいられなくて」
「それはご親切に。……で、何が心配なのかしら?」
私は対面のソファに座り、足を組んだ。
リリナは、わざとらしく部屋の中を見渡した。
「だって、こんな……暗くて怖いお屋敷に閉じ込められているんでしょう? 『氷の公爵』様なんて恐ろしい方に買われたって噂、持ちきりですわ」
「買われたのではなく、雇用契約です」
「あら、強がらなくていいのよ? カイル様から聞きました。借金のカタに売られたって。……可哀想に。毎日、冷たい地下牢で泣いているんじゃないかって、私、胸が痛くて……」
リリナはハンカチを目元に当てた。
(……想像力が豊かで羨ましいわね。地下牢どころか、キングサイズのベッドで熟睡してるけど)
私は無表情のまま、マリーが運んできたお茶を勧めた。
「まあ、同情してくださるなら、お茶でもどうぞ」
「ありがとう。……あら? 色が薄くない?」
リリナがカップを見て眉をひそめる。
「気のせいです。……それで、今日はわざわざマウントを取りに……いえ、慰めに来てくださったの?」
「ええ! 私、お姉様に伝えたくて。私とカイル様は、とーっても幸せですわ!」
リリナは顔を輝かせた。
「カイル様ったら、毎日『愛してる』って言ってくださるの。昨日の夜会でも、ずっと私の手を握って離さなくて……」
「それは重畳(ちょうじょう)。カイル殿下は一人で歩くと転ぶか迷子になるから、介護が必要だものね」
「介護じゃありません! エスコートです!」
リリナがムッとする。
しかし、すぐに気を取り直して、自分のドレスの裾を広げて見せた。
「見てください、このドレス! カイル様がプレゼントしてくださったの。王都で一番流行りのデザインなんですって!」
鮮やかなピンク色の生地に、過剰なほどのレースとリボン。
確かに、見た目は華やかだ。
「素敵でしょう? お姉様はいつも地味な色のドレスばかり着ていたから、こういう『本物の可愛さ』がわからないかもしれませんけど」
リリナは優越感に浸っている。
(……ふむ)
私は目を細め、そのドレスを凝視した。
職業病の「鑑定スキル(商魂)」が発動する。
「……リリナ様」
「なぁに? 羨ましい?」
「そのドレス、どこの店で仕立てました?」
「え? 王室御用達の『マダム・ボヴァリー』よ」
「……なるほど。あそこね」
私は手元の手帳をパラパラとめくった。
王都の物価指数、繊維市場の動向、そして各店舗の評判リスト。
すべて私のデータベースに入っている。
「残念なお知らせがあります」
「は?」
「そのドレスの生地……『シルク』だと思ってます?」
「当たり前でしょう! 最高級の東方産シルクだって、店員さんが……」
「いいえ。それは『交織(こうしょく)』です」
「こ、こうしょく……?」
私は冷静に解説を始めた。
「縦糸はシルクですが、横糸に安価な化学繊維が混ざっています。光の反射具合を見ればわかります。純粋なシルクはもっと柔らかく光を吸い込みますが、それは表面がテカテカしすぎている」
「なっ……!?」
「さらに、そのレース。ミシン編みですね。手編みのリバーレースに見せかけていますが、網目が均一すぎます。大量生産品です」
「う、嘘よ! だって、カイル様は金貨五十枚も出したって!」
「五十枚!?」
私は思わず大声を出してしまった。
「ボッタクリにも程があります! 原価計算すると……生地代で金貨三枚、縫製費で五枚、デザイン料を乗せても精々十五枚が妥当なラインです」
「そ、そんな……」
「つまり、カイル殿下は『型落ちの在庫処分品』を『新作』と偽られ、さらに三倍以上の値段で売りつけられたのです。……ああ、あの店、最近資金繰りが悪いって噂だったけど、まさか王太子をカモにするとは」
私は憐れむような目でリリナを見た。
「リリナ様。貴女が着ているのは『愛の結晶』ではありません。『情弱(じょうじゃく)の証』です」
「じょ、情弱ぅ!?」
リリナの顔が真っ赤になる。
「う、嘘よ! お姉様の僻みよ! カイル様が騙されるわけないわ!」
「殿下は騙されやすいですよ。以前も『幸せになる壺』を百個買わされそうになって、私がクーリングオフしましたから」
「……っ!」
リリナは言葉を失い、自分のドレスをわなわなと掴んだ。
さっきまで自慢の種だったドレスが、急に安っぽく見えてきたのだろう。
「そ、それに! お金の問題じゃありません! 大事なのは気持ちです!」
「ええ、そうですね。詐欺師に貢ぐのも、ある意味では経済活動への貢献ですから」
「きぃぃぃっ!!」
リリナが立ち上がった。
「もういいです! せっかく慰めてあげようと思ったのに! こんな貧乏臭いお茶を出して!」
彼女はティーカップを指差した。
「こんな色の薄いお茶、初めて見ましたわ! やはり公爵家は火の車なんですのね!」
「ああ、それは……」
私が言いかけた時。
ガチャリ、と扉が開いた。
「……何が火の車だと?」
室温が急激に下がった。
入り口に立っていたのは、アレクシス様だ。
公務から戻ったばかりらしく、まだ外套を羽織っている。
その表情は、文字通りの「絶対零度」。
「ひっ……!」
リリナが悲鳴を上げて後ずさる。
「あ、アレクシス様……」
「私の屋敷で、私の妻に向かって『貧乏臭い』とは。……随分と良い度胸だ、男爵令嬢」
アレクシス様が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
床の大理石が凍りつきそうな威圧感だ。
「ち、違います! 私はただ、お姉様が惨めな暮らしをしているんじゃないかと……」
「惨め?」
アレクシス様は鼻で笑った。
そして、私の隣に座り、自然な動作で私の腰に手を回した。
「彼女は惨めどころか、この屋敷の『女王』だ。私が稼いだ金はすべて彼女が管理し、私が着る服も、食べる物も、すべて彼女が選んでいる」
「えっ……」
「つまり、私は彼女の手のひらの上で生かされているに過ぎない。……なぁ、モナ?」
アレクシス様が、甘い声で私に同意を求めてくる。
(……言い方に語弊があります旦那様。それだと私が独裁者みたいです)
しかし、リリナへの牽制としては百点満点だ。
私は話を合わせた。
「ええ。旦那様は私の『管理下』にありますので」
「そ、そんな……」
リリナは絶句した。
「氷の公爵」が、悪役令嬢の尻に敷かれている。
その事実は、彼女の想像を超えていたようだ。
「それから、そのお茶についてだが」
アレクシス様は、テーブルの上のカップを一瞥した。
「色が薄いと言ったな?」
「は、はい! どう見ても出がらし……」
「それは『ホワイトティー』だ」
「……え?」
「茶葉の新芽だけを使った、極めて希少な高級茶だ。色が薄いのは当たり前だ。……その価値もわからぬ舌で、我が家の茶を語るとは」
アレクシス様が軽蔑の眼差しを向ける。
(……ん?)
私は心の中で首を傾げた。
いや、旦那様。
それ、本当にただの「茎茶(安物)」ですよ?
私がマリーに指示して出させた、一杯銅貨一枚の激安茶ですよ?
でも、アレクシス様は大真面目な顔で嘘をついている。
いや、もしかして「モナが出したお茶なのだから最高級品に違いない」と本気で信じ込んでいるのか?
「ほ、ホワイトティー……? こ、これが?」
リリナの手が震え始めた。
自分の無知を指摘され、さらにドレスの価値まで否定され、完全に心が折れたようだ。
「……お、覚えてらっしゃい! カイル様に言いつけてやるんだから!」
捨て台詞を残し、リリナは逃げるように部屋を飛び出していった。
その際、ドア枠にフリフリのドレスが引っかかり、「ビリッ」と音がしたのはご愛嬌だ。
「あーあ。修理代、高くつきそう」
私が呟くと、静寂が戻った。
「……大丈夫か、モナ」
アレクシス様が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「嫌なことを言われなかったか?」
「ええ、特には。むしろ市場調査の勉強になりました」
「そうか。……あいつのドレス、あれほど趣味の悪いピンク色は初めて見た」
「ふふ、旦那様もそう思いました?」
「ああ。君の着ているその……深い紺色のドレスの方が、ずっと品があって美しい」
アレクシス様が、私の髪を掬い上げてキスをした。
不意打ちだ。
「……っ、旦那様。業務時間内です」
「休憩時間だと言い張る」
彼は悪びれもせずに笑った。
「ところで、さっきのお茶。本当にホワイトティーだったのか?」
「いいえ。茎茶です」
「……やはりか」
アレクシス様はクスクスと笑い出した。
「君らしいな。だが、あいつには勿体ないくらいだ」
「はい。ちなみに、あの茎茶の仕入れ値は……」
私が原価の話を始めようとすると、アレクシス様は「今は金の話しはいい」と言って、私を抱きしめた。
その体温は温かく、私は少しだけ計算の手を止めた。
リリナの襲撃は撃退した。
だが、これで終わる相手ではないだろう。
そしてカイル殿下も。
彼らが次に仕掛けてくるのは、おそらく……。
「……そろそろ、王家主催の夜会ですね」
私が呟くと、アレクシス様の手がピクリと止まった。
「……ああ。そこが、正念場になるだろうな」
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