婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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「……よし。これで結婚式の招待状の印刷コストを三割カット」

深夜二時。

公爵邸の図書室は、静まり返っていた。

魔導ランプの明かりの下、私は山積みの書類と格闘していた。

机の上には、結婚式の見積書、屋敷の修繕計画書、そして領地経営の改善案。

私の周りには、文字通り「紙の要塞」が築かれていた。

「紙質をワンランク下げても、エンボス加工で高級感を出せばバレないわ。……ふふ、私って天才?」

自画自賛しながら、私はこめかみを揉んだ。

少し、頭が重い。

視界の端で、数字たちがダンスを踊っているような気がする。

(……カフェインが切れたかしら?)

そろそろ休憩しようかと立ち上がった、その時だった。

グラリ。

世界が大きく傾いた。

「え……?」

足に力が入らない。

床が急速に迫ってくる。

(まずい。このまま倒れたら、手に持っている高級インク壺を割ってしまう! あれは一本金貨二枚……!)

私は咄嗟にインク壺を胸に抱き抱え、受け身を取ろうとした。

しかし、私の体は硬い床には叩きつけられなかった。

ふわり。

強靭な腕が、私を空中で受け止めていたのだ。

「……モナ!?」

焦燥に満ちた声。

見上げると、そこにはアレクシス様の顔があった。

寝間着姿で、髪も乱れている。

どうやら、異変を察知して飛んできてくれたらしい。

「だ、旦那様……?」

「おい、しっかりしろ! 顔が真っ赤だぞ!」

アレクシス様の大きな手が、私の額に当てられる。

その手はひんやりとしていて気持ちいい。

「……熱がある。かなりの高熱だ」

「熱? いいえ、これは脳のオーバーヒートです。冷却すれば治ります」

私はよろりと立ち上がろうとした。

「まだ、引き出物の選定が終わっていませんので……」

「馬鹿を言うな!」

アレクシス様が怒鳴った。

ビクッとする。

「こ、これは業務命令違反ですか……?」

「当たり前だ! こんな体で仕事ができると思っているのか!」

アレクシス様は、私を軽々と持ち上げた。

いわゆる「お姫様抱っこ」だ。

「きゃっ!?」

「暴れるな。部屋へ運ぶ」

「お、降ろしてください! 私は重いです! 旦那様の腰に負担がかかります! 労働災害のリスクが!」

「黙っていろ」

アレクシス様は問答無用で歩き出した。

その足取りは力強く、廊下を風のように進んでいく。

私は彼の腕の中で、ガタガタと震えていた。

(怒ってる……完全に怒ってるわ)

深夜残業は見つかるし、体調管理はできていないし、挙句にお姫様抱っこ(介護)までさせてしまった。

これは、契約社員(妻)として最悪の失態だ。

(どうしよう。査定に響く。減給? いや、最悪の場合は契約解除……?)

私の脳内で、危機管理アラートが鳴り響く。

アレクシス様は無言のまま、私の寝室へと入った。

ベッドに私を丁寧に下ろすと、すぐに布団をかけ、枕元のベルを鳴らしてセバスチャンを呼んだ。

「医者を呼べ。大至急だ」

「は、はい!」

セバスチャンが慌てて走り去る。

部屋には、私とアレクシス様の二人きりになった。

アレクシス様は、ベッドの脇に椅子を引き寄せ、座り込んだ。

そして、私の手をギュッと握りしめる。

その表情は、今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。

「……すまない」

彼が絞り出すように言った。

「え?」

「俺が、無理をさせた。……君にばかり負担をかけて、俺は何も気づいてやれなかった」

アレクシス様の手が震えている。

「君はいつも平気な顔をしているから、つい甘えてしまった。……君はこんなに華奢で、儚いのに」

(……儚い?)

私は自分の二の腕をつまんでみた。

確かに筋肉はないが、儚いというよりは「燃費重視の軽量ボディ」という認識なのだが。

しかし、アレクシス様の自責の念は止まらない。

「俺はなんて愚かなんだ。……君を壊してしまうところだった」

「壊すだなんて、大袈裟な。ただの過労です」

「過労こそが毒だ! これ以上、君を働かせるわけにはいかない」

アレクシス様の瞳が、鋭く光った。

「決めた。……今後の君の業務は、すべて停止する」

「……は?」

私の心臓が止まりかけた。

業務停止。

それはつまり、自宅謹慎。

あるいは、解雇の前段階か?

「ま、待ってください旦那様! まだ働けます! ちょっとオイル交換(睡眠)すれば、また元気に稼働しますから!」

私は必死に訴えた。

「結婚式の準備も佳境なんです! 私がいないと、業者が高い見積もりを吹っかけてきます!」

「金などどうでもいい!」

「よくないです! 一割違えば城壁の修繕費が出ます!」

「城壁より君が大事だ!」

アレクシス様が私の肩を掴んだ。

その顔が、至近距離に迫る。

「……わかってくれ、モナ。俺は、君を失いたくないんだ」

「……」

真剣な眼差し。

その奥に揺れる、深い情熱。

(……これは、つまり)

私は冷静に分析した。

『君を失いたくない』=『優秀な管理者を失うことによる、公爵家の経営リスクを回避したい』

ということだろう。

確かに、今の私が倒れれば、進行中の改革プロジェクトは全て頓挫する。

その損害額は計り知れない。

アレクシス様は、その「逸失利益」を恐れているのだ。

なんと経営者目線のある発言だろうか。

「……申し訳ありません、ボス」

私は殊勝に頭を下げた。

「私の自己管理不足により、組織にリスクを与えてしまいました。……今後は、稼働率を八割程度に抑え、長期的な運用を目指します」

「……稼働率?」

アレクシス様がキョトンとする。

「はい。ですから、解雇だけはご勘弁を。まだ私はこの屋敷でやりたいこと(経費削減)が山ほどあるのです」

「解雇などするわけがないだろう!」

アレクシス様が頭を抱えた。

「どうして君は、そう……なんでも仕事に結びつけるんだ」

「だって、仕事(契約)ですから」

「……はぁ」

アレクシス様は深い深いため息をついた。

そして、諦めたように私の額に濡れタオルを置いた。

「とにかく、寝ろ。医者が来るまで、俺がずっとついている」

「えっ、そんな。旦那様の貴重な睡眠時間を奪うわけには……」

「これは命令だ。……俺の手を握って、大人しく寝ていろ」

アレクシス様は、私の手をさらに強く握りしめた。

その手は温かく、大きく、不思議な安心感があった。

(……変な人)

経営者なら、倒れた部下は休ませて、自分は寝ればいいのに。

こうして付き添う人件費の無駄を、彼は「必要だ」と言うのだから。

「……わかりました。では、お言葉に甘えて」

私は瞼を閉じた。

熱のせいか、意識が朦朧としてくる。

薄れゆく意識の中で、アレクシス様が何かを呟いているのが聞こえた。

「……愛しているんだ、モナ。……頼むから、俺を置いていかないでくれ」

(……愛してる?)

まただ。

また、変なことを言っている。

『愛してる』=『I(私)している』?

『私が(業務を)している』という意味かしら?

それとも、『相(あい)してる』?

相性がいい、という意味だろうか。

(……まあ、いいや。とりあえず、評価は悪くないみたい……)

私は安堵し、泥のような眠りへと落ちていった。



翌朝。

私が目を覚ますと、ベッドの横にはアレクシス様が突っ伏して寝ていた。

私の手を握ったままだ。

「……旦那様」

声をかけると、彼はビクッと体を震わせて顔を上げた。

目の下にクマができている。

「モナ! 気がついたか? 気分は?」

「……スッキリしました。熱も下がったようです」

一晩ぐっすり寝たおかげか、体は嘘のように軽かった。

やはり、ただの知恵熱だったらしい。

「よかった……本当によかった……」

アレクシス様は、私の手を額に押し当てて、心底安堵したように息を吐いた。

その姿を見て、私は少しだけ胸がチクリとした。

(……一晩中、看病してくれたの?)

氷の公爵と呼ばれる男が。

パイプ椅子で、窮屈そうに体を丸めて。

「……ありがとうございます、旦那様。その、ご迷惑をおかけしました」

「迷惑なものか。君が無事なら、それでいい」

彼は優しく微笑んだ。

その笑顔は、朝日よりも眩しくて、直視できないほどだった。

「さて、医者からは『三日間の絶対安静』を言い渡されている」

「えっ、三日も!?」

「ああ。その間、仕事は一切禁止だ。帳簿も取り上げる」

「そんな! 殺生な! 帳簿がないと禁断症状が!」

「ダメだ。代わりに、俺が君の相手をする」

「はい?」

「俺も休暇を取った。三日間、つきっきりで君を看病する」

アレクシス様は宣言した。

「本を読んで聞かせようか? それとも、あーんして果物を食べさせてやろうか?」

「……いえ、結構です。自分で食べられます」

「遠慮するな。これは『業務命令』だ」

アレクシス様は楽しそうに、サイドテーブルからリンゴを手に取った。

そして、不器用な手つきで皮を剥き始める。

皮が分厚い。

実がどんどん削げていく。

「ああっ、旦那様! ストップ! 歩留まりが悪すぎます!」

私は悲鳴を上げた。

「もっと薄く剥かないと! 可食部が減ってしまいます!」

「む……難しいな。君はいつもこれをやっていたのか」

「貸してください、私がやります」

「ダメだ。君は安静だ」

結局、私はアレクシス様が作った「四角いリンゴ(のようなもの)」を食べさせられる羽目になった。

「……どうだ?」

「……美味しいです(原価率は最悪ですが)」

「そうか。よかった」

アレクシス様は満足げだ。

こうして、私の強制休養生活が始まった。

アレクシス様の過保護すぎる看病と、私のコスト意識との戦い。

しかし、この三日間の休息が、私にある重大な「準備」を整えさせることになった。

それは、迫る王家主催の夜会――私の社交界デビュー戦に向けた、最終的なエネルギー充填期間となったのである。

「……見てらっしゃい。復活したら、倍にして稼いでやるわ」

ベッドの中で、私は闘志を燃やしていた。

その横で、アレクシス様が「可愛い寝言だ」と勘違いして頭を撫でてくれていることも知らずに。
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