婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
15 / 28

15

しおりを挟む
「……これは、先代の公爵夫人……お母様の日記、ですか?」

執務室のソファで、私は古びた革表紙の日記帳を膝に乗せていた。

セバスチャンが屋敷の奥から見つけ出したというそれは、ページが黄ばみ、インクも褪せていたが、そこに綴られた悲痛な叫びは、まるで昨日のことのように鮮明だった。

『……もう、耐えられない』

『あの人たちは、私を愛してなどいない。愛しているのは、この家の「金」と、王家に流れる「血」だけ』

『アレクシス……私の可愛い息子。どうか、貴方だけは……呪われないで』

私はページをめくる手を止めた。

重い。

物理的な重さではなく、そこに込められた怨念(情念)が重い。

「……私の母だ」

アレクシス様が、窓際で背を向けたまま、ぽつりと語り始めた。

「母は、王家の分家から嫁いできた。政略結婚だったが、父とは愛し合っていると思っていたらしい」

「……思っていた、ということは?」

「父は、仕事人間だった。母を顧みず、領地経営と王家への奉仕に没頭した。……母は孤独だった」

アレクシス様の声が、冬の風のように冷たく震える。

「そこに、ハイエナたちが群がった。母の孤独につけ込み、金を無心する親族、取り入ろうとする侍女、そして……父の愛人の座を狙う女たち」

「……」

「母は心優しく、そして弱かった。彼らの要求を拒めず、公爵家の金を横流しし……最後は、心労で心を病んで死んだ」

私は日記の最後のページを見た。

そこには、涙で滲んだ文字で『誰も信じてはいけない』と書かれていた。

「俺は、そのすべてを見ていた」

アレクシス様が振り返る。

その瞳には、深い絶望と、焼き付いたような怒りが宿っていた。

「葬式の席で、親族たちが何をしていたと思う? ……母の遺品である宝石の奪い合いだ。遺体の前で、形見分けの計算をしていたんだ」

「……それは、浅ましいですね」

「ああ。その時、俺は悟った。……人間は、金の前では獣になる。女の笑顔は、財布の紐を緩めるための仮面に過ぎない、と」

アレクシス様は自嘲気味に笑った。

「それ以来、俺は心を閉ざした。氷の魔力で周囲を威圧し、誰も寄せ付けないようにした。『氷の公爵』の誕生だ」

部屋の空気が冷え込む。

彼が女性を遠ざけ、金目当ての人間を極端に嫌う理由。

それは、幼少期の壮絶な原体験(トラウマ)にあったのだ。

「だが、王家との『契約』だけは切れなかった」

「契約?」

「……我がミランド公爵家は、代々、王家の『財布』としての役割を担わされている」

アレクシス様は、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

古びた、王家の紋章入りの契約書だ。

「『王家が危機に瀕した際、ミランド家は全財産を投げ打ってでも支援せよ』……。この呪いのような契約がある限り、俺たちは王家から逃げられない。カイルのような愚か者が金を浪費しても、俺が尻拭いをさせられるのは、この契約のせいだ」

「……なるほど。完全なる『不平等条約(奴隷契約)』ですね」

私は契約書を一瞥し、眉をひそめた。

ひどい内容だ。

これでは、どれだけ稼いでも王家の穴埋めに消えてしまう。

アレクシス様のお母様も、この重圧に押し潰されたのだろう。

「モナ」

アレクシス様が、私の前に膝をついた。

そして、縋るように私の手を取る。

「俺は……怖かったんだ」

「何がですか?」

「君も、同じではないかと」

彼の瞳が揺れている。

「君は、婚約破棄されたばかりの時、金(慰謝料)を求めて俺の手を取った。……あの時の俺は、君を『有能な道具』としてしか見ていなかった。だが、今は違う」

アレクシス様の手が、私の手を強く握りしめる。

「俺は君に惹かれている。……だが、君は『金』が好きだと言った。もし、俺から金がなくなったら? あるいは、この呪われた契約のせいで、君まで母のように心を病んでしまったら?」

彼は、私が「金目当て」で近づいたことを知っている。

だからこそ、不安なのだ。

金が尽きれば、愛(契約)も終わるのではないかと。

そして、王家という巨大な搾取構造に巻き込まれ、私が壊れてしまうのではないかと。

「……だから、君を遠ざけるべきだと何度も思った。だが、どうしても離せなかった。……俺は卑怯だ」

アレクシス様が、私の手の甲に額を押し当てる。

震えている。

最強の公爵様が、たった一人の女性の前で、子供のように怯えている。

(……やれやれ)

私はため息をつき、空いている片手で彼の手帳(日記)を閉じた。

パタン。

その音が、静寂に響いた。

「旦那様。顔を上げてください」

「……モナ?」

「いくつか、訂正させていただきます」

私は努めて事務的な、いつものトーンで切り出した。

「まず、第一に。私はお母様とは違います」

「……え?」

「お母様は優しすぎました。だから、ハイエナたちに『あ、ここは食べ放題だ』と誤認させたのです。……ですが、私は?」

私はニッコリと、悪役令嬢らしい不敵な笑みを浮かべた。

「私は、取られる側ではありません。『取る側』です」

「……と、取る側?」

「ええ。私に群がろうとするハイエナがいれば、逆にその毛皮を剥いでコートにして売り捌きます。リリナ様やカイル殿下にしたように」

「……確かに」

アレクシス様が、呆気にとられた顔をする。

「第二に。私は『金』が好きです。これは否定しません」

私は彼の手を握り返した。

「ですが、私が好きなのは『不労所得』や『汚い金』ではありません。『正当な対価』と『効率的に運用される資産』です」

「……どういう意味だ?」

「つまり、私は『金を稼ぐ能力のある人』を最高に評価します。……旦那様、貴方は王家に搾取されながらも、公爵家をここまで繁栄させましたね?」

「あ、ああ……。領地の改革や、魔道具の特許で、なんとか……」

「それが凄いのです!」

私は身を乗り出した。

「マイナスからのスタートで、巨万の富を築き上げた経営手腕! その能力こそが、私が貴方をパートナーに選んだ最大の理由です!」

「……能力、か」

「はい。金は使えばなくなります。でも、貴方の『稼ぐ力』はなくなりません。だから、もし王家に全財産を没収されたとしても、貴方がいればまた稼げます。……つまり、貴方自身が『最高の資産』なのです」

「……!」

アレクシス様が目を見開く。

私は、彼の胸に人差し指を突きつけた。

「ご安心を。私は金目当てですが、それは『貴方が生み出す未来の利益』も含めての金目当てです。金のなる木(貴方)を枯らすような真似は、絶対にしません」

「……金のなる木」

「ええ。肥料(愛情)をやって、害虫(王家)を駆除して、大切に育てますとも」

あまりにも即物的な愛の告白(?)に、アレクシス様は瞬きを繰り返し……そして、吹き出した。

「ふっ……くくっ、はははは!」

彼が腹を抱えて笑い出した。

涙が出るほど笑っている。

「金のなる木、か……! 俺をそんなふうに呼んだ女は、君が初めてだ」

「事実ですから」

「普通は、『貴方自身を見ています』とか、綺麗な嘘をつくものだ。だが、君は……清々しいほどに正直だ」

アレクシス様の笑い声が、部屋の冷たい空気を溶かしていく。

彼は立ち上がり、私を力強く抱きしめた。

「ありがとう、モナ。……救われた」

「え? 経費削減の提案はまだですが」

「いいんだ。その言葉だけで十分だ」

彼の腕の中で、心臓の音が聞こえる。

それは、先ほどの不安な早鐘ではなく、力強く、落ち着いたリズムだった。

「……約束しよう。俺は君のために、永遠に稼ぎ続ける」

「言質、いただきました」

「ああ。だから……君は俺のそばで、俺の稼いだ金を好きに使ってくれ。俺を守る盾として、俺を輝かせる装飾として」

「お任せください。利回りは保証します」

アレクシス様が、私の髪にキスを落とす。

「……好きだ」

「……はい、私も(貴方の稼ぐ力が)大好きです」

()内の言葉は飲み込んだ。

今言うのは、なんとなく無粋な気がしたからだ。

「さて、旦那様」

私は彼の腕から抜け出し、机の上の「不平等条約(契約書)」を指差した。

「次は、この『害虫』の駆除ですね」

「……ああ。だが、これは王家の始祖と交わした血の契約だ。破棄するのは容易ではない」

「破棄? いいえ、そんな面倒なことはしません」

私はペンを取り出し、ニヤリと笑った。

「『再交渉(コンサルティング)』です。……向こうが泣いて『契約解除してください』と頼んでくるくらい、徹底的に搾り取ってやりましょう」

「……君は、本当に悪役令嬢だな」

「最高の褒め言葉です」

こうして、アレクシス様のトラウマ(女性不信)は、私の「強欲さ」によって上書き保存された。

過去の傷は消えないかもしれない。

でも、それを笑い飛ばして「カネに変えよう」と言うパートナーがいれば、未来は変わる。

「……よし。まずは、カイル殿下の『壁ドン代』の請求書に、この契約書の『不当条項への異議申し立て』を添付して送りつけましょう」

私が楽しそうに作業を始めると、アレクシス様は愛おしそうに私を見つめ、そして呟いた。

「……一生、敵わないな」

その顔は、氷の公爵ではなく、ただの幸せな青年の顔だった。



数日後。

私の「再交渉」の効果は、劇的な形で現れることになった。

王城から、青ざめた顔の使者がやってきたのだ。

「公爵夫人……! 王太子殿下が……カイル殿下が、廃人寸前です!」

「あら、やっと支払いの意思が?」

「違います! 公務が……公務が回らないのです!」

使者は泣きついた。

「これまで貴女様が処理していた書類の山に埋もれて、殿下が『モナ~! 助けてくれ~!』と叫びながら錯乱しておりまして……」

「知りませんよ。退職しましたから」

「そこをなんとか! 陛下からも『一時的にでも戻って指導してやってくれ』と……!」

王命。

断れば公爵家の立場が悪くなる。

チラリとアレクシス様を見ると、彼は般若の形相で「行くな」と目で訴えている。

だが、私は計算機を弾いた。

(……王宮への出張指導。これは『特別講師料』と『精神的苦痛手当』、さらに『公爵家への特権付与』をバーターにするチャンスでは?)

私は使者に向き直り、満面の笑みで答えた。

「わかりました。……ただし、私の時給は『言い値』ですが、よろしいですね?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました

水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。 求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。 そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。 しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。 ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが…… ◆なろうにも掲載しています

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?

ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。 ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

処理中です...