婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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「……モナ」

帰りの馬車の中。

アレクシス様は、私の隣に座り、ずっと私の手を握りしめていた。

その手は熱く、少し汗ばんでいる。

「はい、旦那様。……手掌多汗症ですか? 空調を強めましょうか?」

「違う。……緊張しているんだ」

「緊張? 家に帰るだけですよ?」

アレクシス様は、深く息を吸い込み、私の目を真正面から見据えた。

その瞳は、夜の闇よりも深く、そして星よりも輝いていた。

「さっきの続きだ。『スキ』の話だ」

「ああ、まだ仰るのですか。私の『隙』のなさについてのフィードバックなら、書面でいただければ……」

「違うと言っているだろう!」

アレクシス様が、焦れたように私の肩を掴んだ。

「俺が言ったのは『好き』だ。Loveだ。……愛している、という意味だ」

「……」

車内に沈黙が落ちた。

馬車の車輪が回るゴトゴトという音だけが響く。

私の脳内計算機が、カタカタと音を立てて処理を開始する。

『愛している』。

入力されたデータ。

解析中。

解析中……。

エラー。

「……えっと、旦那様?」

私は慎重に口を開いた。

「それは、雇用主として、優秀な従業員(わたし)に対する『評価』の最上級表現、という解釈でよろしいでしょうか?」

「……はぁ」

アレクシス様が、深々と溜息をついて額を押さえた。

「君は……どこまで鈍感なんだ。いや、わざとはぐらかしているのか?」

「いいえ。私は常に論理的です。貴族間の『愛』とは、すなわち『契約の継続』と同義です。つまり、貴方は私との終身雇用契約を望んでいる、と」

「契約などどうでもいい!」

アレクシス様が叫んだ。

「俺は、君が欲しいんだ。金勘定ができる君も、毒舌な君も、寝ている時の無防備な顔も……すべて、俺のものにしたい」

彼は私の頬に手を添え、親指で唇をなぞった。

「理屈じゃない。……俺の心臓が、君を求めて叫んでいるんだ」

「心臓が……叫ぶ……?」

ドクン。

アレクシス様の言葉に呼応するように、私の心臓も大きく跳ねた。

(……なによ、これ)

胸が苦しい。

顔が熱い。

これは「風邪」でも「不整脈」でもない。

計算できない、未知の数値(パラメーター)が急上昇している。

「……モナ」

顔が近づく。

逃げられない。

いや、逃げたくないと思ってしまっている自分がいる。

(だめよモナ。流されないで。これは高度な交渉術……あるいは、催眠術の一種……)

唇が触れ合う直前。

ガタンッ!!

馬車が大きく揺れた。

「……っ!?」

私たちは弾かれたように体を離した。

「な、なんだ!?」

アレクシス様が不機嫌そうに窓の外を睨む。

馬車が急停車していた。

「申し訳ございません、閣下!」

御者の慌てた声が聞こえる。

「前方に……人が倒れておりまして!」

「人?」

私たちは顔を見合わせた。

こんな夜更けの公道に?

アレクシス様が警戒しながら扉を開けると、そこには一人の男が、這いつくばるように倒れていた。

泥だらけの服。乱れた髪。

その背中には、見覚えのある王家の紋章。

「……た、助けて……」

男が顔を上げる。

「……カイル殿下?」

私は目を疑った。

つい数時間前、王城で「公務地獄」に突き落としてきたはずの王太子が、なぜこんなところに?

「モ、モナぁ……!」

カイル殿下は私を見るなり、ゾンビのような動きで這い寄ってきた。

「無理だ……! 俺には無理だぁ……!」

「何がですか? 書類整理ですか? やり方は教えたはずですが」

「あんな量、終わるわけがないだろう! 三日で一年分だぞ!?」

カイル殿下は私のドレスの裾を掴もうとして、アレクシス様に蹴り飛ばされた。

「触るな、汚い」

「ぐべっ!」

「……で、何があった?」

アレクシス様が冷ややかに見下ろす。

カイル殿下は仰向けになり、夜空に向かって絶叫した。

「崩壊したんだよぉぉぉ!!」

「はい?」

「お前がいなくなってから、たった三時間だ! 王城の機能が、完全に停止したんだ!」

カイル殿下の話によると、事の顛末はこうだった。

私が去った後の王城。

カイル殿下は、私の「スパルタ指導」によって一時的に覚醒していた事務処理能力を駆使し、残りの書類を片付けようとした。

しかし。

『……あれ? この案件、モナならどう判断するんだ?』

『この予算、削っていいのか? それとも投資すべきなのか?』

『この外交文書、なんて返せばいいんだ? モナの模範解答がないとわからん!』

私の「判断基準(アルゴリズム)」がない状態で、彼は何も決められなかったのだ。

結果、彼はパニックに陥った。

「わからん! 全部保留だ!」

「いや、全部承認だ!」

「やっぱ全部却下だ!」

支離滅裂な指示を乱発。

その結果、重要な通商条約が破棄されかけ、逆に詐欺まがいの投資案件が承認され、さらには王宮の備品(玉座含む)が「不用品」としてオークションに出品されそうになったという。

「……馬鹿なんですか?」

私は呆れ果てて言った。

「私の指導内容は『効率化』です。『破壊』ではありません」

「だって! お前がいなきゃ判断できないんだよ! 俺の脳みその外部ストレージはお前だったんだから!」

「誰が外付けハードディスクですか」

カイル殿下は泣きじゃくった。

「文官たちも暴動を起こし始めた。『モナ様を返せ!』『指示系統がないと動けない!』って……。それで、親父(国王)に見つかって……」

「陛下に?」

「ああ。『貴様、モナ嬢に何を教わったんだ! また一からやり直しか!』って激怒されて……俺、怖くて逃げ出してきちゃった」

「……脱走ですか」

職場放棄にも程がある。

これでは、降格どころか廃嫡待ったなしだ。

「モナ! 頼む! もう一度戻ってくれ!」

カイル殿下が土下座した。

「金なら払う! 言い値でいい! だから、あの地獄をなんとかしてくれ!」

私は腕を組み、冷ややかな目で見下ろした。

(……ふむ)

金貨十枚で請け負った仕事だが、クライアント(殿下)の能力不足でプロジェクトが破綻したわけだ。

これ以上の介入は、泥沼化するリスクが高い。

それに。

私は隣のアレクシス様を見た。

彼は、般若のような形相でカイル殿下を睨みつけている。

その手には、巨大な氷のハンマー(魔力製)が握られていた。

「……カイル」

地獄の底から響く声。

「お前は……俺の大事な告白の場面を……邪魔しただけでなく……」

「ひぃっ!?」

「モナを『外部ストレージ』扱いし、あまつさえ職場放棄して泣きついてくるとは……」

アレクシス様がハンマーを振り上げる。

「万死に値する!!」

「叔父上!? 話を聞いて! 暴力反対!」

「問答無用! お前のその腐った根性、氷漬けにして粉砕してくれるわ!」

「旦那様、ストップ! 公道での殺人は法的に処理が面倒です!」

私が止めるのも聞かず、アレクシス様がハンマーを振り下ろそうとした、その時。

パカパカパカッ!

新たな馬蹄の音が響き、一台の豪華な馬車が滑り込んできた。

王家の紋章。

中から飛び出してきたのは、なんと国王陛下ご本人だった。

「待てーーーい!!」

陛下が叫ぶ。

「兄上!?」

「陛下?」

国王陛下は、息を切らして私たちの前に立ちはだかった。

そして、あろうことか、私の前でガバッと頭を下げたのだ。

「すまん! モナ嬢! 愚息が……うちの馬鹿息子が迷惑をかけた!」

「へ、陛下!?」

一国の王が、公爵夫人に頭を下げる。

前代未聞の事態だ。

「王城は今、大混乱だ。カイルが逃げ出したせいで指揮系統が麻痺しておる。……恥を忍んで頼む。もう一度、力を貸してくれんか?」

陛下は必死だった。

「報酬は弾む! 王家の宝物庫から好きなものを一つ持って行っていい! だから……この国を救ってくれ!」

(……宝物庫!?)

私の計算機が反応した。

王家の宝物庫。

そこには、国宝級の魔道具や、伝説の宝石が眠っているという。

市場価値、測定不能(プライスレス)。

「……好きなものを、一つですか?」

「ああ! 約束する!」

私はニヤリと笑った。

悪役令嬢スイッチ、オン。

「交渉成立ですね」

「モナ!?」

アレクシス様が叫ぶ。

「また行くのか!? 今度は俺の告白の返事も聞かずに!?」

「旦那様。これは『緊急クエスト』です。報酬が破格すぎます」

私はアレクシス様の肩をポンと叩いた。

「宝物庫のアイテムがあれば、我が家の資産価値は一気に跳ね上がります。……少しの間、我慢してください」

「嫌だ! 金より君がいい!」

「私は金も貴方も両方欲しいのです!」

私は強欲に宣言した。

「欲張りな妻をお許しください。……さあ、行きますよ陛下、カイル殿下!」

私は脱走兵(カイル)の首根っこを掴み、王家の馬車に引きずり込んだ。

「ひぃぃぃ! 戻りたくないぃぃ!」

「黙りなさい! 残業確定よ!」

「モナァァァ!!」

アレクシス様の絶叫を背に、私は再び「魔窟(王城)」へと舞い戻ることになった。



王城、執務室。

私は仁王立ちしていた。

「いいですか、皆様! これより『王城再生プロジェクト・フェーズ2』を開始します!」

文官たちが「うおおおお!」と歓声を上げる。

「今回の目標は『王太子の完全自動化』です!」

「か、完全自動化……?」

カイル殿下が震えながら聞く。

「ええ。殿下の判断を待つから業務が滞るのです。殿下には『承認印を押す機械』になっていただきます」

私は書類のフローチャートを黒板に書き殴った。

「定型業務はすべて文官の合議制に移行! 殿下の決裁が必要な案件は、私が作成した『判断マトリクス(イエス・ノーチャート)』に従って処理すること! これなら思考停止していても業務が回ります!」

「お、俺の意思は……?」

「必要ありません。バグの原因になります」

私はバッサリと切り捨てた。

「さあ、作業開始! 夜明けまでに一週間分の遅れを取り戻しますよ!」

こうして、王城の夜は更けていった。

私の怒号と、文官たちのキーボード(魔導端末)を叩く音、そしてカイル殿下のすすり泣く声が、美しいハーモニーを奏でていた。

一方、公爵邸に取り残されたアレクシス様は。

「……また、行かれてしまった」

広いベッドの上で、一人膝を抱えていた。

「いつになったら、俺の想いは届くんだ……」

彼は枕元のエメラルドのネックレス(私が置いていったもの)を握りしめ、ポツリと呟いた。

「……こうなったら、実力行使だ」

「王城ごと、買い取るか?」

「いや、国ごと乗っ取るか?」

危険な思考が、氷の公爵の脳内を駆け巡り始めていた。

私の知らないところで、アレクシス様の愛が「ヤンデレ」方向に進化しようとしていることに、私はまだ気づいていなかった。

そして、このドタバタ劇の裏で。

修道院送りになったはずのリリナ様が、最後の悪あがきを画策していることも。
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