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「承認、承認、承認……却下。承認、承認……」
王城の執務室に、虚ろな声と、リズミカルなスタンプ音が響き渡っていた。
音の発生源は、カイル王太子殿下だ。
目の下のクマはさらに濃くなり、頬はこけ、まるで操り人形のような動きで書類に判を押し続けている。
「素晴らしいです、殿下。その調子です」
私はストップウォッチ片手に頷いた。
「処理速度、分間四十枚を突破しました。人間をやめて『スタンプマシン』へと進化しましたね」
「……あ、ありがとう、モナ……。俺、もう何も考えなくていいんだね……?」
「はい。思考はノイズです。貴方はただ、私が赤い付箋をつけた書類には『承認』、青い付箋には『却下』の判を押すだけでいいのです」
「うん……楽だ……。モナの言う通りにするのが一番楽だ……」
カイル殿下は恍惚とした表情でスタンプを押し続ける。
完全に「思考停止」の快楽に目覚めてしまったようだ。
(……ふむ。少々、自我を破壊しすぎたかしら?)
まあいい。
おかげで、滞っていた公務は驚異的なスピードで片付いている。
文官たちも「奇跡だ」「王太子殿下が神懸かっている(悪い意味で)」と喜んでいるし、結果オーライだ。
「失礼します。モナ様」
そこへ、侍従長が恭しく入ってきた。
「国王陛下がお呼びです。……今後の待遇について、お話ししたいと」
「待遇?」
私は眉をピクリと動かした。
おや、これはもしや。
「特別ボーナス(宝物庫へのアクセス権)」の前倒し支給だろうか?
私は期待に胸を膨らませ、謁見の間へと向かった。
◇
「よくやってくれた、モナ嬢!」
謁見の間に入るなり、国王陛下は玉座から身を乗り出した。
「報告は聞いている! あの無能……いや、我が愚息を、あそこまで更生させるとは! まさに魔法だ!」
「恐縮です、陛下。単なる『業務プロセスの最適化』と『反復練習による条件反射の刷り込み』です」
「うむ、わからんが凄い! そこでだ」
陛下は真剣な眼差しで私を見据えた。
「単刀直入に言おう。……そなた、王城に『再就職』する気はないか?」
「……再就職、ですか?」
「うむ。カイルの婚約者としてではない。『宰相補佐』……いや、『影の宰相』として、国政の中枢を担ってほしいのだ」
ざわり、と周囲の大臣たちがどよめく。
影の宰相。
事実上の、国のナンバー2へのスカウトだ。
「報酬は弾むぞ。公爵家の年俸の三倍……いや、五倍出そう! さらに、国の予算編成権の一部も与える!」
「予算編成権……!」
私の脳内電卓が、激しくスパークした。
国の予算を握る。
それはつまり、国家規模の「コストカット」と「資産運用」が可能になるということだ。
(……魅力的だわ)
公爵家の家計簿とは桁が違う。
軍事費を削ってインフラに回したり、王族の無駄遣いをゼロにして福祉を充実させたり……やりたい放題ではないか。
「……条件は悪くありませんね」
私が思わず呟くと、陛下は「だろう!?」と身を乗り出した。
「ただし、条件がある。……激務ゆえ、王城に『住み込み』となる。公爵家からは離れてもらうことになるが……」
「……え?」
住み込み。
つまり、公爵邸には帰れない。
アレクシス様とも、離れ離れになる。
「……それは、困ります」
私の計算機がピタリと止まった。
「通勤ではダメですか? フレックスタイム制とか、リモートワークとか」
「セキュリティ上、それは認められん。……それに、ミランド公爵との婚姻も、形式上は解消してもらう必要があるかもしれん」
「解消……?」
「うむ。国の中枢を担う者が、一貴族の家に従属するのは好ましくないからな」
陛下の言葉に、私の心臓が冷やっとした。
離婚しろ、ということか。
国家予算と引き換えに、アレクシス様を切れと。
(……割に合わないわ)
私は即座に結論を出した。
国家予算は魅力的だ。
でも、あのアレクシス様という「最強の優良物件(パートナー)」を手放すなんて、長期的損失が大きすぎる。
それに何より。
「……お断りします」
私はキッパリと告げた。
「国家予算よりも、私は『旦那様の財布』を管理している方が楽しいので」
「な、なんだと!? 国の未来より、男一人の財布を取るというのか!?」
「はい。私の旦那様は、国一つよりも価値がありますから」
「ぬぅ……欲のない娘だ……(いや、あるのか?)」
陛下が頭を抱える。
「そこをなんとか! カイルにはお前が必要なんだ! お前がいなくなったら、あいつはまたゴミに戻ってしまう!」
「それは教育方針の問題ですね。……とにかく、お断りし……」
私が退室しようとした、その時だった。
ドオォォォン!!
謁見の間の重厚な扉が、爆発したかのように吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
衛兵たちが槍を構える。
巻き上がる白煙……いいえ、冷気。
その中から現れたのは、漆黒のコートを纏った「魔王」……もとい、私の旦那様だった。
「……誰が、誰と、離婚するだと?」
絶対零度の声。
アレクシス様が、氷の剣を引きずりながら歩いてくる。
床の大理石が、彼の一歩ごとにパキパキと凍りついていく。
「ア、アレクシス……!?」
陛下が玉座の上で震え上がった。
「き、貴様、王前だぞ! 控えよ!」
「兄上」
アレクシス様は、陛下を「兄上」と呼んだ。
公的な場での礼儀すら無視している。
完全にブチ切れている証拠だ。
「私の妻に、何というふざけた提案をしているんだ? 離縁? 住み込み? ……公爵家に対する宣戦布告か?」
「ひぃっ! ち、違う! 国のためを思って……!」
「国がどうした。モナがいなくなるなら、国など滅びればいい」
アレクシス様が剣を一閃させる。
ヒュンッ!
陛下の玉座の装飾(黄金のライオン像)が、真っ二つに凍りつき、砕け散った。
「ひぃぃぃっ!!」
「だ、旦那様! ストップ! 器物損壊です!」
私は慌てて駆け寄った。
「またやったんですか! この賠償金、どうするんですか!」
「知らん。……モナ、帰るぞ」
アレクシス様は私の腰を強引に抱き寄せた。
「もう限界だ。一秒たりとも、君をこの薄汚い場所に置いておけない」
「で、でも、まだ仕事が残っています! 報酬(宝物庫の権利)もまだ貰っていません!」
「そんなものいらん! 俺が稼ぐ!」
「王家の宝物は市場に出回らないレア物なんですよ!? 転売すれば城が建つんです!」
私たちが揉めていると、陛下がテーブルの下から顔を出した。
「ま、待てアレクシス! モナ嬢を連れて行かないでくれ! 今彼女がいなくなったら、カイルが……国政が死ぬ!」
「死ねばいい」
「国民が路頭に迷うぞ!?」
「……」
さすがに「国民」と言われては、アレクシス様も動きを止めた。
彼は冷徹だが、領民や国民を見捨てるほどの非道ではない。
そこが彼の弱点であり、美点でもある。
「……チッ」
アレクシス様は舌打ちをした。
「ならば、条件を変えろ」
「じょ、条件?」
「モナの『住み込み』は却下だ。……代わりに、俺が住み込む」
「……は?」
私と陛下、そして大臣たちの声が重なった。
「アレクシス、お前が?」
「ああ。モナがここで仕事をする間、俺もここに常駐する」
アレクシス様は私を強く抱きしめ直した。
「俺が常にモナの傍にいて、害虫(カイルや陛下)から守る。そして、夜は必ず公爵邸に連れて帰る。……それなら、許可してやる」
「え、えっと……それはつまり、執務室に公爵閣下もいらっしゃるということで?」
大臣の一人が恐る恐る聞く。
「そうだ。文句あるか?」
アレクシス様が睨むと、全員が首を横に振った。
「あ、ありません!」
「むしろ心強いです!(怖いけど)」
こうして、前代未聞の「夫婦同伴出勤」が決定した。
◇
翌日からの王城は、カオスを極めた。
王太子の執務室。
そこには、三つの机が並べられていた。
中央に、スタンプマシンと化したカイル殿下。
右側に、書類の山を高速処理する私。
そして左側に……。
「……」
氷の公爵、アレクシス様が、腕を組んで鎮座していた。
彼は仕事をするわけではない。
ただ、私を見つめているだけだ。
時折、文官が私に書類を持って近づくと――。
「……近い」
ギロリ。
アレクシス様の眼光が飛ぶ。
「ひっ! し、失礼しました!」
文官は書類を置いて逃げ出す。
カイル殿下が「モナ、これどうすれば……」と話しかけようとすると――。
「……気安く呼ぶな」
パキパキ。
殿下のペンが凍りつく。
「ひぃぃん! ペンが冷たいよぉ!」
仕事にならない。
いや、逆に緊張感がありすぎて、全員の作業効率が異常に上がっていた。
「旦那様」
私は手を止めて、アレクシス様を見た。
「あの、監視されているようでやりにくいのですが」
「監視ではない。鑑賞だ」
「は?」
「働く君の姿を、特等席で見ているだけだ。……美しい」
アレクシス様はうっとりとしている。
「その、無駄のないペンの動き。冷徹な指示出し。……ゾクゾクする」
「……変態ですか?」
「君限定だ」
彼は悪びれもせずに言った。
「それに、こうしていれば、誰も君を口説けないだろう?」
「仕事中に口説く馬鹿はいませんよ」
「ここに一人(カイル)いるだろうが」
アレクシス様が顎でしゃくると、カイル殿下はビクッとして縮こまった。
「お、俺は口説いてない! 業務連絡だ!」
「信用できん」
アレクシス様は鼻を鳴らし、私にお茶を淹れてくれた。
「ほら、モナ。休憩だ。俺が淹れた」
「あ、ありがとうございます(公爵様に給仕させるなんて……)」
周囲の文官たちが、「あれが氷の公爵か?」「ただの溺愛夫じゃん……」とヒソヒソ話している。
まあ、いい。
多少やりにくいが、アレクシス様がそばにいてくれるのは、正直心強い。
リリナ様の妨害工作も、アレクシス様の睨み一発で防げるし、何より……。
ふと、彼と目が合う。
彼はニッコリと、子供のように無邪気に笑う。
(……癒やし効果はあるわね)
殺伐としたブラック職場における、唯一のオアシスだ。
私はお茶を飲み、気合を入れ直した。
「よし! ラストスパートです! 今日中にこの山を片付けて、宝物庫の鍵をゲットしますよ!」
「おー!」
文官たちが唱和する。
カイル殿下だけが「帰りたい……」と泣いていた。
こうして、私の「強制送還の危機」は、アレクシス様の「押し掛け同居」によって回避された。
そして数日後。
ついに、王城の混乱は収束し、私は約束の報酬を手に入れる時が来た。
だが、そこで私は知ることになる。
私が「ただの出稼ぎ」だと思っていたこの期間に、公爵邸……というより、私とアレクシス様の寝室で、ある「異変」が起きていたことを。
王城の執務室に、虚ろな声と、リズミカルなスタンプ音が響き渡っていた。
音の発生源は、カイル王太子殿下だ。
目の下のクマはさらに濃くなり、頬はこけ、まるで操り人形のような動きで書類に判を押し続けている。
「素晴らしいです、殿下。その調子です」
私はストップウォッチ片手に頷いた。
「処理速度、分間四十枚を突破しました。人間をやめて『スタンプマシン』へと進化しましたね」
「……あ、ありがとう、モナ……。俺、もう何も考えなくていいんだね……?」
「はい。思考はノイズです。貴方はただ、私が赤い付箋をつけた書類には『承認』、青い付箋には『却下』の判を押すだけでいいのです」
「うん……楽だ……。モナの言う通りにするのが一番楽だ……」
カイル殿下は恍惚とした表情でスタンプを押し続ける。
完全に「思考停止」の快楽に目覚めてしまったようだ。
(……ふむ。少々、自我を破壊しすぎたかしら?)
まあいい。
おかげで、滞っていた公務は驚異的なスピードで片付いている。
文官たちも「奇跡だ」「王太子殿下が神懸かっている(悪い意味で)」と喜んでいるし、結果オーライだ。
「失礼します。モナ様」
そこへ、侍従長が恭しく入ってきた。
「国王陛下がお呼びです。……今後の待遇について、お話ししたいと」
「待遇?」
私は眉をピクリと動かした。
おや、これはもしや。
「特別ボーナス(宝物庫へのアクセス権)」の前倒し支給だろうか?
私は期待に胸を膨らませ、謁見の間へと向かった。
◇
「よくやってくれた、モナ嬢!」
謁見の間に入るなり、国王陛下は玉座から身を乗り出した。
「報告は聞いている! あの無能……いや、我が愚息を、あそこまで更生させるとは! まさに魔法だ!」
「恐縮です、陛下。単なる『業務プロセスの最適化』と『反復練習による条件反射の刷り込み』です」
「うむ、わからんが凄い! そこでだ」
陛下は真剣な眼差しで私を見据えた。
「単刀直入に言おう。……そなた、王城に『再就職』する気はないか?」
「……再就職、ですか?」
「うむ。カイルの婚約者としてではない。『宰相補佐』……いや、『影の宰相』として、国政の中枢を担ってほしいのだ」
ざわり、と周囲の大臣たちがどよめく。
影の宰相。
事実上の、国のナンバー2へのスカウトだ。
「報酬は弾むぞ。公爵家の年俸の三倍……いや、五倍出そう! さらに、国の予算編成権の一部も与える!」
「予算編成権……!」
私の脳内電卓が、激しくスパークした。
国の予算を握る。
それはつまり、国家規模の「コストカット」と「資産運用」が可能になるということだ。
(……魅力的だわ)
公爵家の家計簿とは桁が違う。
軍事費を削ってインフラに回したり、王族の無駄遣いをゼロにして福祉を充実させたり……やりたい放題ではないか。
「……条件は悪くありませんね」
私が思わず呟くと、陛下は「だろう!?」と身を乗り出した。
「ただし、条件がある。……激務ゆえ、王城に『住み込み』となる。公爵家からは離れてもらうことになるが……」
「……え?」
住み込み。
つまり、公爵邸には帰れない。
アレクシス様とも、離れ離れになる。
「……それは、困ります」
私の計算機がピタリと止まった。
「通勤ではダメですか? フレックスタイム制とか、リモートワークとか」
「セキュリティ上、それは認められん。……それに、ミランド公爵との婚姻も、形式上は解消してもらう必要があるかもしれん」
「解消……?」
「うむ。国の中枢を担う者が、一貴族の家に従属するのは好ましくないからな」
陛下の言葉に、私の心臓が冷やっとした。
離婚しろ、ということか。
国家予算と引き換えに、アレクシス様を切れと。
(……割に合わないわ)
私は即座に結論を出した。
国家予算は魅力的だ。
でも、あのアレクシス様という「最強の優良物件(パートナー)」を手放すなんて、長期的損失が大きすぎる。
それに何より。
「……お断りします」
私はキッパリと告げた。
「国家予算よりも、私は『旦那様の財布』を管理している方が楽しいので」
「な、なんだと!? 国の未来より、男一人の財布を取るというのか!?」
「はい。私の旦那様は、国一つよりも価値がありますから」
「ぬぅ……欲のない娘だ……(いや、あるのか?)」
陛下が頭を抱える。
「そこをなんとか! カイルにはお前が必要なんだ! お前がいなくなったら、あいつはまたゴミに戻ってしまう!」
「それは教育方針の問題ですね。……とにかく、お断りし……」
私が退室しようとした、その時だった。
ドオォォォン!!
謁見の間の重厚な扉が、爆発したかのように吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
衛兵たちが槍を構える。
巻き上がる白煙……いいえ、冷気。
その中から現れたのは、漆黒のコートを纏った「魔王」……もとい、私の旦那様だった。
「……誰が、誰と、離婚するだと?」
絶対零度の声。
アレクシス様が、氷の剣を引きずりながら歩いてくる。
床の大理石が、彼の一歩ごとにパキパキと凍りついていく。
「ア、アレクシス……!?」
陛下が玉座の上で震え上がった。
「き、貴様、王前だぞ! 控えよ!」
「兄上」
アレクシス様は、陛下を「兄上」と呼んだ。
公的な場での礼儀すら無視している。
完全にブチ切れている証拠だ。
「私の妻に、何というふざけた提案をしているんだ? 離縁? 住み込み? ……公爵家に対する宣戦布告か?」
「ひぃっ! ち、違う! 国のためを思って……!」
「国がどうした。モナがいなくなるなら、国など滅びればいい」
アレクシス様が剣を一閃させる。
ヒュンッ!
陛下の玉座の装飾(黄金のライオン像)が、真っ二つに凍りつき、砕け散った。
「ひぃぃぃっ!!」
「だ、旦那様! ストップ! 器物損壊です!」
私は慌てて駆け寄った。
「またやったんですか! この賠償金、どうするんですか!」
「知らん。……モナ、帰るぞ」
アレクシス様は私の腰を強引に抱き寄せた。
「もう限界だ。一秒たりとも、君をこの薄汚い場所に置いておけない」
「で、でも、まだ仕事が残っています! 報酬(宝物庫の権利)もまだ貰っていません!」
「そんなものいらん! 俺が稼ぐ!」
「王家の宝物は市場に出回らないレア物なんですよ!? 転売すれば城が建つんです!」
私たちが揉めていると、陛下がテーブルの下から顔を出した。
「ま、待てアレクシス! モナ嬢を連れて行かないでくれ! 今彼女がいなくなったら、カイルが……国政が死ぬ!」
「死ねばいい」
「国民が路頭に迷うぞ!?」
「……」
さすがに「国民」と言われては、アレクシス様も動きを止めた。
彼は冷徹だが、領民や国民を見捨てるほどの非道ではない。
そこが彼の弱点であり、美点でもある。
「……チッ」
アレクシス様は舌打ちをした。
「ならば、条件を変えろ」
「じょ、条件?」
「モナの『住み込み』は却下だ。……代わりに、俺が住み込む」
「……は?」
私と陛下、そして大臣たちの声が重なった。
「アレクシス、お前が?」
「ああ。モナがここで仕事をする間、俺もここに常駐する」
アレクシス様は私を強く抱きしめ直した。
「俺が常にモナの傍にいて、害虫(カイルや陛下)から守る。そして、夜は必ず公爵邸に連れて帰る。……それなら、許可してやる」
「え、えっと……それはつまり、執務室に公爵閣下もいらっしゃるということで?」
大臣の一人が恐る恐る聞く。
「そうだ。文句あるか?」
アレクシス様が睨むと、全員が首を横に振った。
「あ、ありません!」
「むしろ心強いです!(怖いけど)」
こうして、前代未聞の「夫婦同伴出勤」が決定した。
◇
翌日からの王城は、カオスを極めた。
王太子の執務室。
そこには、三つの机が並べられていた。
中央に、スタンプマシンと化したカイル殿下。
右側に、書類の山を高速処理する私。
そして左側に……。
「……」
氷の公爵、アレクシス様が、腕を組んで鎮座していた。
彼は仕事をするわけではない。
ただ、私を見つめているだけだ。
時折、文官が私に書類を持って近づくと――。
「……近い」
ギロリ。
アレクシス様の眼光が飛ぶ。
「ひっ! し、失礼しました!」
文官は書類を置いて逃げ出す。
カイル殿下が「モナ、これどうすれば……」と話しかけようとすると――。
「……気安く呼ぶな」
パキパキ。
殿下のペンが凍りつく。
「ひぃぃん! ペンが冷たいよぉ!」
仕事にならない。
いや、逆に緊張感がありすぎて、全員の作業効率が異常に上がっていた。
「旦那様」
私は手を止めて、アレクシス様を見た。
「あの、監視されているようでやりにくいのですが」
「監視ではない。鑑賞だ」
「は?」
「働く君の姿を、特等席で見ているだけだ。……美しい」
アレクシス様はうっとりとしている。
「その、無駄のないペンの動き。冷徹な指示出し。……ゾクゾクする」
「……変態ですか?」
「君限定だ」
彼は悪びれもせずに言った。
「それに、こうしていれば、誰も君を口説けないだろう?」
「仕事中に口説く馬鹿はいませんよ」
「ここに一人(カイル)いるだろうが」
アレクシス様が顎でしゃくると、カイル殿下はビクッとして縮こまった。
「お、俺は口説いてない! 業務連絡だ!」
「信用できん」
アレクシス様は鼻を鳴らし、私にお茶を淹れてくれた。
「ほら、モナ。休憩だ。俺が淹れた」
「あ、ありがとうございます(公爵様に給仕させるなんて……)」
周囲の文官たちが、「あれが氷の公爵か?」「ただの溺愛夫じゃん……」とヒソヒソ話している。
まあ、いい。
多少やりにくいが、アレクシス様がそばにいてくれるのは、正直心強い。
リリナ様の妨害工作も、アレクシス様の睨み一発で防げるし、何より……。
ふと、彼と目が合う。
彼はニッコリと、子供のように無邪気に笑う。
(……癒やし効果はあるわね)
殺伐としたブラック職場における、唯一のオアシスだ。
私はお茶を飲み、気合を入れ直した。
「よし! ラストスパートです! 今日中にこの山を片付けて、宝物庫の鍵をゲットしますよ!」
「おー!」
文官たちが唱和する。
カイル殿下だけが「帰りたい……」と泣いていた。
こうして、私の「強制送還の危機」は、アレクシス様の「押し掛け同居」によって回避された。
そして数日後。
ついに、王城の混乱は収束し、私は約束の報酬を手に入れる時が来た。
だが、そこで私は知ることになる。
私が「ただの出稼ぎ」だと思っていたこの期間に、公爵邸……というより、私とアレクシス様の寝室で、ある「異変」が起きていたことを。
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