婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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「承認、承認、承認……却下。承認、承認……」

王城の執務室に、虚ろな声と、リズミカルなスタンプ音が響き渡っていた。

音の発生源は、カイル王太子殿下だ。

目の下のクマはさらに濃くなり、頬はこけ、まるで操り人形のような動きで書類に判を押し続けている。

「素晴らしいです、殿下。その調子です」

私はストップウォッチ片手に頷いた。

「処理速度、分間四十枚を突破しました。人間をやめて『スタンプマシン』へと進化しましたね」

「……あ、ありがとう、モナ……。俺、もう何も考えなくていいんだね……?」

「はい。思考はノイズです。貴方はただ、私が赤い付箋をつけた書類には『承認』、青い付箋には『却下』の判を押すだけでいいのです」

「うん……楽だ……。モナの言う通りにするのが一番楽だ……」

カイル殿下は恍惚とした表情でスタンプを押し続ける。

完全に「思考停止」の快楽に目覚めてしまったようだ。

(……ふむ。少々、自我を破壊しすぎたかしら?)

まあいい。

おかげで、滞っていた公務は驚異的なスピードで片付いている。

文官たちも「奇跡だ」「王太子殿下が神懸かっている(悪い意味で)」と喜んでいるし、結果オーライだ。

「失礼します。モナ様」

そこへ、侍従長が恭しく入ってきた。

「国王陛下がお呼びです。……今後の待遇について、お話ししたいと」

「待遇?」

私は眉をピクリと動かした。

おや、これはもしや。

「特別ボーナス(宝物庫へのアクセス権)」の前倒し支給だろうか?

私は期待に胸を膨らませ、謁見の間へと向かった。



「よくやってくれた、モナ嬢!」

謁見の間に入るなり、国王陛下は玉座から身を乗り出した。

「報告は聞いている! あの無能……いや、我が愚息を、あそこまで更生させるとは! まさに魔法だ!」

「恐縮です、陛下。単なる『業務プロセスの最適化』と『反復練習による条件反射の刷り込み』です」

「うむ、わからんが凄い! そこでだ」

陛下は真剣な眼差しで私を見据えた。

「単刀直入に言おう。……そなた、王城に『再就職』する気はないか?」

「……再就職、ですか?」

「うむ。カイルの婚約者としてではない。『宰相補佐』……いや、『影の宰相』として、国政の中枢を担ってほしいのだ」

ざわり、と周囲の大臣たちがどよめく。

影の宰相。

事実上の、国のナンバー2へのスカウトだ。

「報酬は弾むぞ。公爵家の年俸の三倍……いや、五倍出そう! さらに、国の予算編成権の一部も与える!」

「予算編成権……!」

私の脳内電卓が、激しくスパークした。

国の予算を握る。

それはつまり、国家規模の「コストカット」と「資産運用」が可能になるということだ。

(……魅力的だわ)

公爵家の家計簿とは桁が違う。

軍事費を削ってインフラに回したり、王族の無駄遣いをゼロにして福祉を充実させたり……やりたい放題ではないか。

「……条件は悪くありませんね」

私が思わず呟くと、陛下は「だろう!?」と身を乗り出した。

「ただし、条件がある。……激務ゆえ、王城に『住み込み』となる。公爵家からは離れてもらうことになるが……」

「……え?」

住み込み。

つまり、公爵邸には帰れない。

アレクシス様とも、離れ離れになる。

「……それは、困ります」

私の計算機がピタリと止まった。

「通勤ではダメですか? フレックスタイム制とか、リモートワークとか」

「セキュリティ上、それは認められん。……それに、ミランド公爵との婚姻も、形式上は解消してもらう必要があるかもしれん」

「解消……?」

「うむ。国の中枢を担う者が、一貴族の家に従属するのは好ましくないからな」

陛下の言葉に、私の心臓が冷やっとした。

離婚しろ、ということか。

国家予算と引き換えに、アレクシス様を切れと。

(……割に合わないわ)

私は即座に結論を出した。

国家予算は魅力的だ。

でも、あのアレクシス様という「最強の優良物件(パートナー)」を手放すなんて、長期的損失が大きすぎる。

それに何より。

「……お断りします」

私はキッパリと告げた。

「国家予算よりも、私は『旦那様の財布』を管理している方が楽しいので」

「な、なんだと!? 国の未来より、男一人の財布を取るというのか!?」

「はい。私の旦那様は、国一つよりも価値がありますから」

「ぬぅ……欲のない娘だ……(いや、あるのか?)」

陛下が頭を抱える。

「そこをなんとか! カイルにはお前が必要なんだ! お前がいなくなったら、あいつはまたゴミに戻ってしまう!」

「それは教育方針の問題ですね。……とにかく、お断りし……」

私が退室しようとした、その時だった。

ドオォォォン!!

謁見の間の重厚な扉が、爆発したかのように吹き飛んだ。

「な、何事だ!?」

衛兵たちが槍を構える。

巻き上がる白煙……いいえ、冷気。

その中から現れたのは、漆黒のコートを纏った「魔王」……もとい、私の旦那様だった。

「……誰が、誰と、離婚するだと?」

絶対零度の声。

アレクシス様が、氷の剣を引きずりながら歩いてくる。

床の大理石が、彼の一歩ごとにパキパキと凍りついていく。

「ア、アレクシス……!?」

陛下が玉座の上で震え上がった。

「き、貴様、王前だぞ! 控えよ!」

「兄上」

アレクシス様は、陛下を「兄上」と呼んだ。

公的な場での礼儀すら無視している。

完全にブチ切れている証拠だ。

「私の妻に、何というふざけた提案をしているんだ? 離縁? 住み込み? ……公爵家に対する宣戦布告か?」

「ひぃっ! ち、違う! 国のためを思って……!」

「国がどうした。モナがいなくなるなら、国など滅びればいい」

アレクシス様が剣を一閃させる。

ヒュンッ!

陛下の玉座の装飾(黄金のライオン像)が、真っ二つに凍りつき、砕け散った。

「ひぃぃぃっ!!」

「だ、旦那様! ストップ! 器物損壊です!」

私は慌てて駆け寄った。

「またやったんですか! この賠償金、どうするんですか!」

「知らん。……モナ、帰るぞ」

アレクシス様は私の腰を強引に抱き寄せた。

「もう限界だ。一秒たりとも、君をこの薄汚い場所に置いておけない」

「で、でも、まだ仕事が残っています! 報酬(宝物庫の権利)もまだ貰っていません!」

「そんなものいらん! 俺が稼ぐ!」

「王家の宝物は市場に出回らないレア物なんですよ!? 転売すれば城が建つんです!」

私たちが揉めていると、陛下がテーブルの下から顔を出した。

「ま、待てアレクシス! モナ嬢を連れて行かないでくれ! 今彼女がいなくなったら、カイルが……国政が死ぬ!」

「死ねばいい」

「国民が路頭に迷うぞ!?」

「……」

さすがに「国民」と言われては、アレクシス様も動きを止めた。

彼は冷徹だが、領民や国民を見捨てるほどの非道ではない。

そこが彼の弱点であり、美点でもある。

「……チッ」

アレクシス様は舌打ちをした。

「ならば、条件を変えろ」

「じょ、条件?」

「モナの『住み込み』は却下だ。……代わりに、俺が住み込む」

「……は?」

私と陛下、そして大臣たちの声が重なった。

「アレクシス、お前が?」

「ああ。モナがここで仕事をする間、俺もここに常駐する」

アレクシス様は私を強く抱きしめ直した。

「俺が常にモナの傍にいて、害虫(カイルや陛下)から守る。そして、夜は必ず公爵邸に連れて帰る。……それなら、許可してやる」

「え、えっと……それはつまり、執務室に公爵閣下もいらっしゃるということで?」

大臣の一人が恐る恐る聞く。

「そうだ。文句あるか?」

アレクシス様が睨むと、全員が首を横に振った。

「あ、ありません!」

「むしろ心強いです!(怖いけど)」

こうして、前代未聞の「夫婦同伴出勤」が決定した。



翌日からの王城は、カオスを極めた。

王太子の執務室。

そこには、三つの机が並べられていた。

中央に、スタンプマシンと化したカイル殿下。

右側に、書類の山を高速処理する私。

そして左側に……。

「……」

氷の公爵、アレクシス様が、腕を組んで鎮座していた。

彼は仕事をするわけではない。

ただ、私を見つめているだけだ。

時折、文官が私に書類を持って近づくと――。

「……近い」

ギロリ。

アレクシス様の眼光が飛ぶ。

「ひっ! し、失礼しました!」

文官は書類を置いて逃げ出す。

カイル殿下が「モナ、これどうすれば……」と話しかけようとすると――。

「……気安く呼ぶな」

パキパキ。

殿下のペンが凍りつく。

「ひぃぃん! ペンが冷たいよぉ!」

仕事にならない。

いや、逆に緊張感がありすぎて、全員の作業効率が異常に上がっていた。

「旦那様」

私は手を止めて、アレクシス様を見た。

「あの、監視されているようでやりにくいのですが」

「監視ではない。鑑賞だ」

「は?」

「働く君の姿を、特等席で見ているだけだ。……美しい」

アレクシス様はうっとりとしている。

「その、無駄のないペンの動き。冷徹な指示出し。……ゾクゾクする」

「……変態ですか?」

「君限定だ」

彼は悪びれもせずに言った。

「それに、こうしていれば、誰も君を口説けないだろう?」

「仕事中に口説く馬鹿はいませんよ」

「ここに一人(カイル)いるだろうが」

アレクシス様が顎でしゃくると、カイル殿下はビクッとして縮こまった。

「お、俺は口説いてない! 業務連絡だ!」

「信用できん」

アレクシス様は鼻を鳴らし、私にお茶を淹れてくれた。

「ほら、モナ。休憩だ。俺が淹れた」

「あ、ありがとうございます(公爵様に給仕させるなんて……)」

周囲の文官たちが、「あれが氷の公爵か?」「ただの溺愛夫じゃん……」とヒソヒソ話している。

まあ、いい。

多少やりにくいが、アレクシス様がそばにいてくれるのは、正直心強い。

リリナ様の妨害工作も、アレクシス様の睨み一発で防げるし、何より……。

ふと、彼と目が合う。

彼はニッコリと、子供のように無邪気に笑う。

(……癒やし効果はあるわね)

殺伐としたブラック職場における、唯一のオアシスだ。

私はお茶を飲み、気合を入れ直した。

「よし! ラストスパートです! 今日中にこの山を片付けて、宝物庫の鍵をゲットしますよ!」

「おー!」

文官たちが唱和する。

カイル殿下だけが「帰りたい……」と泣いていた。

こうして、私の「強制送還の危機」は、アレクシス様の「押し掛け同居」によって回避された。

そして数日後。

ついに、王城の混乱は収束し、私は約束の報酬を手に入れる時が来た。

だが、そこで私は知ることになる。

私が「ただの出稼ぎ」だと思っていたこの期間に、公爵邸……というより、私とアレクシス様の寝室で、ある「異変」が起きていたことを。
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