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出口の見えない溺愛地獄に、フィオナが精神をすり減らしていたある日の放課後。
彼女は、薬草学のレポートに必要な資料を探しに、学園の巨大な図書室を訪れていた。目的の専門書が置かれているのは、あまり人気のない、古い書物が並ぶ第三書庫だ。
高い天井まで届く本棚が迷路のように入り組んだ、静寂に包まれた空間。フィオナは目当ての本を探して、ゆっくりと棚の間を進んでいた。
その時、書庫の奥の方から、か細い声が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさい……わたくし、またご迷惑を……」
「気にするな。君は何も悪くない」
この冷静で、それでいて優しい声は、聞き間違えようもない。アレクシス殿下だ。
フィオナは咄嗟に本棚の陰に身を隠した。盗み聞きは趣味ではないが、殿下と一緒にいるのは、おそらく、あの男爵令嬢だろう。
(また二人でいるのね……)
うんざりした気持ちでその場を去ろうとした、その時だった。
ガサッ、と何かが床に落ちる音がした。
「あっ……」
見ると、本を数冊抱えたアリア・ロセッティが、バランスを崩してその場にへたり込んでいる。彼女が持っていた本が、床に散らばってしまっていた。
アレクシス殿下が慌てて彼女を支えるよりも先に、近くにいたフィオナは、ほとんど無意識に駆け寄っていた。
「大丈夫ですか、ロセッティ嬢」
そう言って、散らばった本の一冊を拾い上げる。
「ク、クレスウェル様……!?」
アリアは、驚きに目を見開いてフィオナを見上げた。その大きな瞳は、怯えた小動物のように潤んでいる。アレクシス殿下も、少し驚いたようにフィオナを見ていた。
「申し訳ありません、フィオナ。アリアは少し貧血気味でな」
殿下が、言い訳のようにそう言った。
「そうでしたの。お加減が悪いのでしたら、無理はなさらない方がよろしいですわ」
フィオナは、あくまで冷静に、貴族の令嬢としての完璧な笑みを浮かべて言った。そして、拾い上げた本をアリアに手渡す。
その時、アリアの手が微かに震えていることに気づいた。顔色も、紙のように白い。確かに、体調が悪そうだ。
「あ、ありがとうございます……。その、いつもアレクシス殿下には助けていただいてばかりで……わたくし、本当に、ご迷惑を……」
俯いて消え入りそうな声で謝るアリアは、噂に聞くような、王太子を誑かす悪女のイメージとは程遠かった。
むしろ、その姿は痛々しく、儚い。
(この方が、本当に殿下の浮気相手……?)
これ見よがしに殿下に寄り添っているのではなく、本当に支えがなければ立っていられないように見える。
フィオナの心に、小さな疑問の棘が刺さった。
「さあ、アリア。立てるか?医務室へ行こう」
アレクシス殿下は、そう言ってアリアの腕を取り、優しく立たせた。その手つきは、恋人に向けるものというよりは、壊れ物を扱うように、どこまでも慎重だった。
二人が去っていく後ろ姿を、フィオナはただ黙って見送ることしかできなかった。
アリア・ロセッティ。
彼女は一体、何者なのだろうか。
ただの儚げな男爵令嬢。そう思っていたはずなのに、今日の邂逅で、フィオナの中の彼女の印象は、大きく揺らぎ始めていた。
彼女は、薬草学のレポートに必要な資料を探しに、学園の巨大な図書室を訪れていた。目的の専門書が置かれているのは、あまり人気のない、古い書物が並ぶ第三書庫だ。
高い天井まで届く本棚が迷路のように入り組んだ、静寂に包まれた空間。フィオナは目当ての本を探して、ゆっくりと棚の間を進んでいた。
その時、書庫の奥の方から、か細い声が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさい……わたくし、またご迷惑を……」
「気にするな。君は何も悪くない」
この冷静で、それでいて優しい声は、聞き間違えようもない。アレクシス殿下だ。
フィオナは咄嗟に本棚の陰に身を隠した。盗み聞きは趣味ではないが、殿下と一緒にいるのは、おそらく、あの男爵令嬢だろう。
(また二人でいるのね……)
うんざりした気持ちでその場を去ろうとした、その時だった。
ガサッ、と何かが床に落ちる音がした。
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見ると、本を数冊抱えたアリア・ロセッティが、バランスを崩してその場にへたり込んでいる。彼女が持っていた本が、床に散らばってしまっていた。
アレクシス殿下が慌てて彼女を支えるよりも先に、近くにいたフィオナは、ほとんど無意識に駆け寄っていた。
「大丈夫ですか、ロセッティ嬢」
そう言って、散らばった本の一冊を拾い上げる。
「ク、クレスウェル様……!?」
アリアは、驚きに目を見開いてフィオナを見上げた。その大きな瞳は、怯えた小動物のように潤んでいる。アレクシス殿下も、少し驚いたようにフィオナを見ていた。
「申し訳ありません、フィオナ。アリアは少し貧血気味でな」
殿下が、言い訳のようにそう言った。
「そうでしたの。お加減が悪いのでしたら、無理はなさらない方がよろしいですわ」
フィオナは、あくまで冷静に、貴族の令嬢としての完璧な笑みを浮かべて言った。そして、拾い上げた本をアリアに手渡す。
その時、アリアの手が微かに震えていることに気づいた。顔色も、紙のように白い。確かに、体調が悪そうだ。
「あ、ありがとうございます……。その、いつもアレクシス殿下には助けていただいてばかりで……わたくし、本当に、ご迷惑を……」
俯いて消え入りそうな声で謝るアリアは、噂に聞くような、王太子を誑かす悪女のイメージとは程遠かった。
むしろ、その姿は痛々しく、儚い。
(この方が、本当に殿下の浮気相手……?)
これ見よがしに殿下に寄り添っているのではなく、本当に支えがなければ立っていられないように見える。
フィオナの心に、小さな疑問の棘が刺さった。
「さあ、アリア。立てるか?医務室へ行こう」
アレクシス殿下は、そう言ってアリアの腕を取り、優しく立たせた。その手つきは、恋人に向けるものというよりは、壊れ物を扱うように、どこまでも慎重だった。
二人が去っていく後ろ姿を、フィオナはただ黙って見送ることしかできなかった。
アリア・ロセッティ。
彼女は一体、何者なのだろうか。
ただの儚げな男爵令嬢。そう思っていたはずなのに、今日の邂逅で、フィオナの中の彼女の印象は、大きく揺らぎ始めていた。
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