9 / 31
9
しおりを挟む
図書室での一件から数日後の週末。フィオナは、気分転換も兼ねて、侍女と王都のショッピングストリートを訪れていた。
目的は、新しい薬草の苗と、専門書の仕入れだ。クレスウェル侯爵家は薬草園の経営もしており、フィオナ自身も、幼い頃からハーブや薬草に親しんできた。将来、家の仕事を手伝うのが夢である彼女にとって、薬草店を巡るのは何よりの楽しみだった。
お気に入りの店で珍しいハーブの苗を手に入れ、上機嫌で石畳の通りを歩いていた、その時。
「フィオナ?」
背後から、聞き慣れた、そして今は聞きたくない声がした。
フィオナはぎこちなく振り返る。そこには案の定、私服姿のアレクシス殿下が立っていた。しかも、その隣には、やはりアリア・ロセッティの姿がある。
(よりにもよって、こんな所で……!)
フィオナは、心の中で天を仰いだ。学園ならまだしも、休日にまでこの二人の「デート」現場に遭遇する羽目になるとは。
「奇遇だな、フィオナ。君も買い物か?」
アレクシス殿下は、ばったり会った気まずさなど微塵も感じさせず、にこやかに話しかけてくる。一方のアリアは、フィオナの存在に気づくと、申し訳なさそうに殿下の半歩後ろに下がった。
「ええ、まあ……。それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
一刻も早くこの場を立ち去ろう。フィオナがそう言って踵を返そうとした瞬間、殿下から待ったがかかった。
「待ってくれ、フィオナ。ちょうどよかった」
「……何が、よろしいのでしょうか」
フィオナは、能面のような無表情で聞き返す。
「実は、アリアの体調を気遣って、少し厚手のショールを探していたんだ。だが、私ではどうにも女性の好みが分からなくてな。君はいつもセンスがいい。ぜひ、選ぶのを手伝ってくれないか?」
「はい…………?」
フィオナは、自分の耳を疑った。
今、この方は、なんと言った? 婚約者である自分に、浮気相手へのプレゼント選びを手伝えと?
あまりのことに、眩暈がした。不誠実にも程がある。人の心というものが、この王子には欠落しているのだろうか。
フィオナの怒りが沸点に達する寸前、隣のアリアが慌てたように口を開いた。
「そ、そんな、クレスウェル様にご迷惑をおかけするわけにはいきません! 殿下、わたくしは大丈夫ですから……!」
「いや、駄目だ。君はすぐに無理をする。フィオナ、頼む。これも、未来の王妃として、民を慈しむ練習だと思ってくれないか?」
「…………」
未来の王妃。民を慈しむ。そんな大義名分を出されてしまっては、断れない。ここで断れば、「王太子の頼みを無下にし、体調の悪い令嬢に冷たく当たった、心の狭い女」になってしまう。
(……どこまでも、卑怯な方)
フィオナは、内心で毒づきながらも、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付けた。
「……承知いたしました。わたくしでよろしければ、喜んでお手伝いさせていただきますわ」
こうして、フィオナの意思とは全く無関係に、世にも奇妙な三人のショッピングが始まった。
フィオナは、アレクシス殿下とアリア嬢の少し後ろを歩きながら、様々なブティックを巡った。殿下は、時折フィオナに「この色はどう思う?」「彼女には、どんな素材が似合うだろうか」と意見を求める。
そのたびに、フィオナは当たり障りのない、それでいて的確なアドバイスを返した。その心中は、煮え繰り返るマグマのようであったが。
(早く終わってほしい……)
屈辱的な時間が流れる中、フィオナはふと、あることに気づく。
アレクシス殿下のアリア嬢に対する態度は、やはりどこか奇妙なのだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてはいるが、そこに男女の熱はない。まるで、年の離れた妹か、あるいは保護対象の要人を警護しているかのような、どこか事務的な雰囲気が漂っている。
これは、本当にただの「浮気」なのだろうか。
フィオナは、目の前で繰り広げられる不可解な光景に、ますます混乱を深めていくのだった。
目的は、新しい薬草の苗と、専門書の仕入れだ。クレスウェル侯爵家は薬草園の経営もしており、フィオナ自身も、幼い頃からハーブや薬草に親しんできた。将来、家の仕事を手伝うのが夢である彼女にとって、薬草店を巡るのは何よりの楽しみだった。
お気に入りの店で珍しいハーブの苗を手に入れ、上機嫌で石畳の通りを歩いていた、その時。
「フィオナ?」
背後から、聞き慣れた、そして今は聞きたくない声がした。
フィオナはぎこちなく振り返る。そこには案の定、私服姿のアレクシス殿下が立っていた。しかも、その隣には、やはりアリア・ロセッティの姿がある。
(よりにもよって、こんな所で……!)
フィオナは、心の中で天を仰いだ。学園ならまだしも、休日にまでこの二人の「デート」現場に遭遇する羽目になるとは。
「奇遇だな、フィオナ。君も買い物か?」
アレクシス殿下は、ばったり会った気まずさなど微塵も感じさせず、にこやかに話しかけてくる。一方のアリアは、フィオナの存在に気づくと、申し訳なさそうに殿下の半歩後ろに下がった。
「ええ、まあ……。それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
一刻も早くこの場を立ち去ろう。フィオナがそう言って踵を返そうとした瞬間、殿下から待ったがかかった。
「待ってくれ、フィオナ。ちょうどよかった」
「……何が、よろしいのでしょうか」
フィオナは、能面のような無表情で聞き返す。
「実は、アリアの体調を気遣って、少し厚手のショールを探していたんだ。だが、私ではどうにも女性の好みが分からなくてな。君はいつもセンスがいい。ぜひ、選ぶのを手伝ってくれないか?」
「はい…………?」
フィオナは、自分の耳を疑った。
今、この方は、なんと言った? 婚約者である自分に、浮気相手へのプレゼント選びを手伝えと?
あまりのことに、眩暈がした。不誠実にも程がある。人の心というものが、この王子には欠落しているのだろうか。
フィオナの怒りが沸点に達する寸前、隣のアリアが慌てたように口を開いた。
「そ、そんな、クレスウェル様にご迷惑をおかけするわけにはいきません! 殿下、わたくしは大丈夫ですから……!」
「いや、駄目だ。君はすぐに無理をする。フィオナ、頼む。これも、未来の王妃として、民を慈しむ練習だと思ってくれないか?」
「…………」
未来の王妃。民を慈しむ。そんな大義名分を出されてしまっては、断れない。ここで断れば、「王太子の頼みを無下にし、体調の悪い令嬢に冷たく当たった、心の狭い女」になってしまう。
(……どこまでも、卑怯な方)
フィオナは、内心で毒づきながらも、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付けた。
「……承知いたしました。わたくしでよろしければ、喜んでお手伝いさせていただきますわ」
こうして、フィオナの意思とは全く無関係に、世にも奇妙な三人のショッピングが始まった。
フィオナは、アレクシス殿下とアリア嬢の少し後ろを歩きながら、様々なブティックを巡った。殿下は、時折フィオナに「この色はどう思う?」「彼女には、どんな素材が似合うだろうか」と意見を求める。
そのたびに、フィオナは当たり障りのない、それでいて的確なアドバイスを返した。その心中は、煮え繰り返るマグマのようであったが。
(早く終わってほしい……)
屈辱的な時間が流れる中、フィオナはふと、あることに気づく。
アレクシス殿下のアリア嬢に対する態度は、やはりどこか奇妙なのだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてはいるが、そこに男女の熱はない。まるで、年の離れた妹か、あるいは保護対象の要人を警護しているかのような、どこか事務的な雰囲気が漂っている。
これは、本当にただの「浮気」なのだろうか。
フィオナは、目の前で繰り広げられる不可解な光景に、ますます混乱を深めていくのだった。
334
あなたにおすすめの小説
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています
22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」
そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。
理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。
(まあ、そんな気はしてました)
社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。
未練もないし、王宮に居続ける理由もない。
だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。
これからは自由に静かに暮らそう!
そう思っていたのに――
「……なぜ、殿下がここに?」
「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!?
さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。
「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」
「いいや、俺の妻になるべきだろう?」
「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」
私を追い出したければどうぞご自由に
睡蓮
恋愛
伯爵としての立場を有しているグルームは、自身の婚約者として同じく貴族令嬢であるメレーナの事を迎え入れた。しかし、グルームはその関係を築いていながらソフィアという女性に夢中になってしまい、メレーナに適当な理由を突き付けてその婚約を破棄してしまう。自分は貴族の中でも高い地位を持っているため、誰も自分に逆らうことはできない。これで自分の計画通りになったと言うグルームであったが、メレーナの後ろには貴族会の統括であるカサルがおり、二人は実の親子のような深い絆で結ばれているという事に気づかなかった。本気を出したカサルの前にグルームは一方的に立場を失っていくこととなり、婚約破棄を後悔した時にはすべてが手遅れなのだった…。
愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから
越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。
新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。
一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?
いなくなれと言った本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?
睡蓮
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するカサルはその自信のままにセレスティンとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってカサルの存在価値を大きく落とし、セレスティンから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる
椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。
その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。
──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。
全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。
だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。
「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」
その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。
裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。
『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!
志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」
皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。
そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?
『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる