もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
クロンターリ伯爵邸からの帰りの馬車は、行きとは比べものにならないほど重苦しい沈黙に満ちていた。

私は馬車の窓から、急速に遠ざかっていく夜会の灯りを、冷めた目で見つめていた。

あの夜会で、私は確かに「悪役令嬢」としての第一歩を踏み出した。

私を嘲笑し、憐れんでいた者たちは、今頃私の「変貌」ぶりを酒の肴にしていることだろう。

それでいい。

噂は、大きく広がれば広がるほどいい。

「エレノア・ヴァルガスは狂った」とでも、「恐ろしい女になった」とでも、好きに言わせておけばいい。

だが、それだけでは足りない。

勢い任せに悪態をついただけでは、ヴァルガス家が置かれた苦しい状況は何も変わらない。

屋敷に戻り、重い足取りで父の書斎へ向かうと、父はまだ起きていた。

「……エレノアか」

父は、机に山と積まれた書類を前に、深くため息をついていた。

「お父様。状況は、やはり?」

「……芳しくない。クロンターリ伯爵は、我らとの長年の付き合いを慮(おもんぱか)って夜会への参加を認めてくれたが、他の者たちはそうもいかないようだ。取引停止の申し出が、後を絶たない」

父の顔には、疲労と悔しさが色濃く浮かんでいる。

「エドワード王子とリリアン王女は、今や『悲劇を乗り越えた真実の愛』として、民衆の一部からもてはやされているらしい。リリアン王女の可憐さと、それを守る王子の姿が、美談に仕立て上げられている」

「……馬鹿な話ですわ」

私から婚約者を奪った強奪者たちが、今や悲劇のヒロインとヒーローだというのか。

「情報が……。我らには、情報が足りなすぎる」

父が、こめかみを押さえながら呟いた。

「王宮で何が起こっているのか。リリアン王女が、隣国からどのような意図で送り込まれてきたのか。エドワード王子が、なぜあれほど簡単に私を切り捨てたのか……。その裏が、何も見えてこない」

そうだ。

私は、ただただ理不尽に打ちのめされ、感情的に反発しただけだ。

彼らがどのような策略を巡らせ、私を陥れたのか、その全貌を何も知らない。

このままでは、ただの負け犬の遠吠えだ。

その時、私の脳裏に、あの夜会で会った青年の顔が浮かんだ。

『私は、あの日の恩を決して忘れてはいません』
『あなたが戦うと決めたのなら、私は喜んであなたの剣となり、盾となりましょう』

アルベール・デュ・ランティエ。

あの男は、一体何者なのだろう。

あの時は、動揺して深く考える余裕もなかったが、今思えば不可解なことばかりだ。

なぜ、あのタイミングで私に声をかけた?

なぜ、私が「戦う」と決めたことを見抜いた?

そして、何より、あの貴族たちの社交場において、私に近づくことがどれほどのリスクになるか、分かっているはずなのに。

彼は、平然と私に協力を申し出た。

「……お父様」

私は、意を決して父に向き直った。

「私に、考えがございます」

「エレノア?」

「私に、動くための一つか二つの駒が必要ですわ。それも、王宮のしがらみに縛られていない、全く新しい駒が」

翌日、私はヴァルガス家が持つささやかな情報網を使い、アルベール・デュ・ランティエという男の素性を洗わせた。

しかし、分かったことは驚くほど少なかった。

彼は数ヶ月前に王都に現れたこと。

いくつかの目利きが必要な美術品や古書の取引で、莫大な利益を上げているらしいこと。

そして、「デュ・ランティエ」という家名が、どの貴族名鑑にも載っていない、謎の多い人物であること。

ますます怪しい。

だが、私にはもう、確実な安全など求めている余裕はなかった。

私は彼が滞在しているという、王都の旧市街にある一軒家を突き止めた。

貴族が住むにはあまりに質素な、しかし、人目を忍ぶには都合のいい場所だった。

私はアンナにも行き先を告げず、護衛もつけず、たった一人で馬車を降り、その家の扉を叩いた。

「……どちら様で」

扉を開けたのは、執事風の老人だった。

「エレノア・フォン・ヴァルガスと申します。アルベール様に、お取り次ぎを」

老人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに無表情に戻り、「主がお待ちかねです」と私を中へといざなった。

待っていた?

通されたのは、壁一面が書物で埋め尽くされた書斎だった。

暖炉の火が静かにはぜる中、アルベールは窓辺の椅子に座り、一冊の古い本を読んでいた。

私が入室しても、彼はすぐに顔を上げなかった。

「……何の御用でしょうか、エレノア様。このような場所に、侯爵令嬢が一人で訪れるなど、感心いたしませんね」

彼は、本から目を離さずに言った。

「あなたに、昨夜の返事をいただきに参りましたわ」

「返事、と申しますと?」

「とぼけないでちょうだい。あなたは、私の剣となり、盾となると言ったはずよ」

私は、彼の前に真っ直ぐに進み出た。

「その言葉が真実ならば、今すぐそれを証明していただきたい」

そこで初めて、アルベールはゆっくりと本を閉じ、私を見上げた。

彼の瞳は、あの夜会で見た時と同じ、静かな知性を宿していた。

「……何を、お望みで?」

「情報よ」

私は、一気にまくし立てた。

「リリアン・フォン・エルステッド。彼女がこの国に来た本当の理由、彼女の周囲にいる人間、彼女の過去。すべてが知りたい」

「……」

「そして、エドワード王子。彼がリリアン様に籠絡(ろうらく)された経緯、王宮内での彼らの動向、彼らの弱点。私が反撃に転じるために必要な、あらゆる情報を」

アルベールは、私の言葉を黙って聞いていた。

そして、私が話し終えると、ふっと息をつくように微笑んだ。

「……ようやく、その目になられましたか」

「どういう意味ですの」

「昨夜の貴女は、まだ迷いを捨てきれていなかった。怒りと絶望の底で、かろうじて立っているだけだった。だが、今の貴女の瞳には、明確な『意志』がある」

アルベールは椅子から立ち上がり、私に顔を近づけた。

「よろしいでしょう。その『恩』、お返しいたします」

「……あなたは何者なの。なぜ、私にそこまでするの」

私の問いに、彼は首を横に振った。

「私のことは、今はどうでもよろしいでしょう。ただ、私はあなたの戦いを助けたい。それだけは真実です」

「……報酬は?」

「報酬、ですか」

アルベールは、少し面白そうに言った。

「私が欲しいのは金銭ではありません。……そうですね。報酬は、あなたの復讐が、いえ……あなたの望む未来が実現した時に、いただくことにしましょう」

それは、あまりにも不確かで、危険な契約だった。

だが、私はもう退(ひ)けない。

「いいわ。その契約、受けましょう」

私は、彼に手を差し出した。

「ただし、アルベール。あなたが私を裏切った時は、私も容赦はしないわ」

アルベールは、私の差し出した手を取らなかった。

代わりに、彼は私の手の甲に、貴族の礼のように、しかしそれよりもずっと親密に、軽く唇を寄せた。

「御意のままに、我が主(あるじ)よ」

その瞬間、反撃の狼煙(のろし)は、確かに上がったのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。 だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。 理由は簡単だった。 「君は役に立ちすぎた」から。 すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、 “静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。 そこで待っていたのは―― 期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。 前に出なくていい。 誰かのために壊れなくていい。 何もしなくても、ここにいていい。 「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」 婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、 何者にもならなくていいヒロインの再生と、 放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。 これは、 “役に立たなくなった”令嬢が、 ようやく自分として生き始める物語。

私だってあなたなんて願い下げです!これからの人生は好きに生きます

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のジャンヌは、4年もの間ずっと婚約者で侯爵令息のシャーロンに冷遇されてきた。 オレンジ色の髪に吊り上がった真っ赤な瞳のせいで、一見怖そうに見えるジャンヌに対し、この国で3本の指に入るほどの美青年、シャーロン。美しいシャーロンを、令嬢たちが放っておく訳もなく、常に令嬢に囲まれて楽しそうに過ごしているシャーロンを、ただ見つめる事しか出来ないジャンヌ。 それでも4年前、助けてもらった恩を感じていたジャンヌは、シャーロンを想い続けていたのだが… ある日いつもの様に辛辣な言葉が並ぶ手紙が届いたのだが、その中にはシャーロンが令嬢たちと口づけをしたり抱き合っている写真が入っていたのだ。それもどの写真も、別の令嬢だ。 自分の事を嫌っている事は気が付いていた。他の令嬢たちと仲が良いのも知っていた。でも、まさかこんな不貞を働いているだなんて、気持ち悪い。 正気を取り戻したジャンヌは、この写真を証拠にシャーロンと婚約破棄をする事を決意。婚約破棄出来た暁には、大好きだった騎士団に戻ろう、そう決めたのだった。 そして両親からも婚約破棄に同意してもらい、シャーロンの家へと向かったのだが… ※カクヨム、なろうでも投稿しています。 よろしくお願いします。

悪役令嬢発溺愛幼女着

みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」  わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。  響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。  わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。  冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。  どうして。  誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

10回目の婚約破棄。もう飽きたので、今回は断罪される前に自分で自分を追放します。二度と探さないでください(フリではありません)

放浪人
恋愛
「もう、疲れました。貴方の顔も見たくありません」 公爵令嬢リーゼロッテは、婚約者である王太子アレクセイに処刑される人生を9回繰り返してきた。 迎えた10回目の人生。もう努力も愛想笑いも無駄だと悟った彼女は、断罪イベントの一ヶ月前に自ら姿を消すことを決意する。 王城の宝物庫から慰謝料(国宝)を頂き、書き置きを残して国外逃亡! 目指せ、安眠と自由のスローライフ! ――のはずだったのだが。 「『顔も見たくない』だと? つまり、直視できないほど私が好きだという照れ隠しか!」 「『探さないで』? 地の果てまで追いかけて抱きしめてほしいというフリだな!」 実は1周目からリーゼロッテを溺愛していた(が、コミュ障すぎて伝わっていなかった)アレクセイ王子は、彼女の拒絶を「愛の試練(かくれんぼ)」と超ポジティブに誤解! 国家権力と軍隊、そしてS級ダンジョンすら踏破するチート能力を総動員して、全力で追いかけてきた!? 物理で逃げる最強令嬢VS愛が重すぎる勘違い王子。 聖女もドラゴンも帝国も巻き込んだ、史上最大規模の「国境なき痴話喧嘩」が今、始まる! ※表紙はNano Bananaで作成しています

辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。 だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。 それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。 ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。 これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。

処理中です...