もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの

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「……アルベールの、馬鹿」

わたくしの口からこぼれたのは、悪役令嬢の辛辣な皮肉でも、侯爵令嬢としての建前でもない。

ただの「エレノア」としての、素直すぎる呟きだった。

アルベール様は、わたくしの手を取ったまま、驚いたように目を見開いている。

そして、彼がわたくしに告げた「お慕い申している」という言葉の熱が、わたくしの手を、そして心を、じわりと溶かしていく。

わたくしは、その温もりを振り払うことができなかった。

「……本気です」

アルベール様が、真剣な目で、もう一度、わたくしを射抜いた。

「わかっているわ」

わたくしは、ふう、と深く息を吐き、ようやく彼の手から、そっと自分の手を引き抜いた。

拒絶ではない。

けじめだ。

「……あなたのその言葉は、わたくしには、もったいないわ。今のわたくしは、まだ戦いの最中よ。いつ、セドリック様の言う『腐敗の根』に、返り討ちにあうかもわからない」

わたくしは、自嘲するように笑った。

「そんな『悪役令嬢』に、愛を告白するなど、あなたもよほどの物好きね」

「物好き、結構」

アルベール様は、一歩も引かなかった。

「貴女が戦場に立たれるなら、私は貴女の隣で、最後の剣となるまで。貴女が、全てを終えて、ただの『エレノア』に戻られるなら、その時は……」

彼は、そこで言葉を切り、優しい笑顔を向けた。

「その時は、改めて、この答えを聞かせていただきましょう」

わたくしたちの間に流れる空気は、もう「主人と駒」でも、「共犯者」でもなかった。

それよりも、ずっと甘く、ずっと切ない。

「……今は、まだ」

わたくしは、彼から視線を逸らし、燃え盛る暖炉の炎を見つめた。

「わたくしの『剣』として、その言葉は、胸にしまっておいてちょうだい。わたくしたちが、この戦いに勝つまでは」

「御意。わたくしの、愛する主よ」

その声が、昨日までの「主」とは、全く違う意味を持ってわたくしの耳に響いたことに、わたくしは、気づかないふりをした。

翌朝、わたくしは、昨日届いたものも含め、山積みになった全ての縁談の申し込み書を、父の前に差し出した。

「お父様。これら全て、丁重に、しかし、きっぱりと、お断りくださいませ」

父は、その束を見て、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに、全てを理解したというように、深く頷いた。

「……エレノア。お前は、本当にそれでいいのだな。もう、お前を縛るものは、何もないのだぞ」

「いいえ、お父様」

わたくしは、窓の外に広がる、ヴァルガス家の領地を見つめた。

「わたくしは、今、初めて『自由』になったのです。誰かに選ばれる人生ではなく、わたくし自身が、わたくしの未来を選ぶ、本当の自由を」

父は、わたくしのその言葉に、もはや何も言わなかった。

ただ、侯爵としてではなく、一人の父親として、誇らしそうに、わたくしの肩を叩いた。

わたくしの、新しい未来。

それは、誰かの妻として、家の奥に収まることではない。

わたくしは、その足で、セドリック様の隠れ家へと向かった。

アルベール様が、護衛として、影のように、しかし、その存在を隠すことなく、わたくしに付き従っている。

「……ほう。もう、次の一手を考えたか」

隠れ家の書斎で、セドリック様は、わたくしの顔を見るなり、そう言った。

その視線が、わたくしの隣に立つアルベール様を一瞬捉え、面白そうに、片方の口角を上げた。

「……そして、アルベールとの『痴話喧嘩』は、無事に終わったようだな」

「なっ……兄さん!」

アルベール様が、初めて声を荒らげたが、わたくしは、それを手で制した。

「ご心配なく、セドリック公爵。わたくしの『剣』は、公私混同するほど、鈍ではございませんわ」

わたくしが、平然とそう言い返すと、セドリック様は、初めて、心の底から楽しそうに声を立てて笑った。

「……面白い!実に面白いぞ、エレノア・フォン・ヴァルガス!弟が、お前に懸けるだけの価値が、確かにある!」

わたくしは、彼が広げる地図の上に、指を置いた。

「わたくしは、腐敗した貴族たちから剥奪した利権を、国王陛下にこう進言するつもりです。王家の管理下ではなく、ヴァルガス家と、志を同じくする貴族たちで『連合』を組み、管理運営する、と」

「……!」

セドリック様の目が、鋭くなった。

それは、事実上、王家の権力を、貴族(わたくしたち)が引き受けるという、宣戦布告にも等しい提案だった。

「王家は、エドワード様の追放で、後継者問題を抱えた。今、強くは出られないはず。わたくしたちは、この『空白』の時期に、この国を、根底から作り変えるのです」

「……貴女は、この国を、乗っ取る気か」

「いいえ。わたくしは、『正す』だけですわ」

わたくしは、窓の外を見た。

婚約破棄されたあの日、わたくしは、全てを失ったと思った。

けれど、違った。

わたくしは、あの時、初めて「自分の足で立つ」機会を与えられたのだ。

「わたくしは、もう誰かの『妃』にはならない。わたくしは、わたくしの意思で、この国を、わたくしが信じる『正義』で動かしてみせる」

そのわたくしの横顔は、もはや、ただの令嬢のものではなかっただろう。

セドリック様は、満足そうに頷いた。

「……よかろう。その『連合』、我らランティエ家の全てを賭けて、支援しよう」

わたくしは、この国を動かす、新しい一歩を、確かに踏み出した。

その隣で、アルベール様が、わたくしだけを見つめていた。

彼の瞳には、かつてわたくしが彼を救ったという『正義』の光と、今、わたくしが選んだ未来を、共に見届けるという、絶対的な『愛』が、燃え盛っていた。
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