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「……はぁ。やっと一人の時間ですわ」
午後の放課後。私はミア様の猛追を「聖女の微笑み」でかわし続け、ようやく図書室の奥まった個人学習ブースへと逃げ込んでいた。
ミア様の愛は重い。物理的にも(腕にしがみついてくる)、精神的にも(褒め殺しの語彙が過剰)。
私は机に突っ伏して、誰もいないことを確認してから、思いきり顔の筋肉を緩めた。
「あー……疲れた。頬が……頬がピクピクするわ。サイラス、今すぐ氷嚢を持ってきて。この顔面を急速冷却しないと、明日には石像になってしまう……」
私は独り言を漏らしながら、だらしない格好で椅子の背もたれに体を預けた。
ここには誰も来ない。このブースは利用者が少なく、静寂が保たれている。私はようやく、公爵令嬢としての、そして「聖女」としての鎧を脱ぎ捨てることができたのだ。
そう、思っていたのに。
「……なるほど。やはり、裏ではそんな顔をしていたか」
頭上から降ってきたのは、聞き間違えようのない、あの冷たくて甘い声。
私は心臓が口から飛び出すかと思った。音速で姿勢を正し、表情を「聖女モード」に……戻そうとしたが、筋肉が疲労で言うことを聞かない。
「せ、セドリック様……っ!? なぜここに……?」
「君が怪しい動きでここへ逃げ込むのが見えたからな。追いかけてきたんだ」
セドリック様は、私の隣にある空席に、許可も得ずに優雅に腰を下ろした。
その瞳は、獲物を観察する学者のように冷徹で、鋭い。
「……だらしない姿勢。緩みきった口元。そして、今にも私を罵倒しそうな、その濁った瞳。……安心したよ。これこそが、私の知っているローリー・フォン・アステリアだ」
「な、何を仰っていますの? 私はただ……少し、瞑想をしていただけですわ。ふふっ、殿下ったら、冗談がお上手ですこと」
私は必死に口角を上げようとしたが、右の頬がピクッと痙攣した。
「……無理をするな。見ているこちらが痛々しい。ローリー、単刀直入に聞こう。君は何を企んでいる?」
セドリック様は机に身を乗り出し、私を至近距離で睨みつけた。
「急に人が変わったように聖女の真似事を始め、嫌っていたミアを懐かせ、周囲の評価を塗り替えている。……目的は何だ? 王妃の座か? それとも、アステリア公爵家が国を乗っ取るための布石か?」
(……考えすぎよ、この深読み王子! 私はただ、婚約破棄されて路頭に迷いたくないだけなのよ!)
私は内なる叫びを必死で飲み込み、静かに首を横に振った。
「殿下……。私はただ、これまでの己の傲慢さを恥じ、真っ当な人間として生きたいと願っただけですわ。そこに政治的な意図など、欠片もございません」
「嘘だな」
即答だった。
「君という女は、損得勘定なしに動く人間ではない。……ふむ。もしや、何か弱みでも握られたか? あるいは、誰かに脅されているのか?」
「……誰も私を脅せるはずがありませんわ」
「それもそうだな。……では、やはり演技か。君は今、学園という舞台で『理想の令嬢』を演じている」
セドリック様は、私の髪を一房、指先で弄んだ。
「……だが、惜しいな。演技が完璧すぎて、逆に不気味だ。君が私に『靴を舐めなさい』と叫んでいた頃の方が、まだ人間味があったぞ」
「……そんなことは、一度も言った記憶がございませんが?」
「いいや、言った。去年の建国記念祭で、私が君のドレスの裾をわずかに踏んだ時だ」
(……言ってたわ。私、そんなこと言ってたわ! 過去の私、本当に救いようがないわね!)
私はあまりの羞恥に、顔が赤くなるのを感じた。
「……とにかく、殿下。私は、今の生活に満足しております。皆様と仲良くし、ミア様の勉強を助け、穏やかに過ごす。これのどこが問題ですの?」
「問題は大ありだ。……私が、面白くない」
セドリック様は、子供のようなわがままを、大人の色気を漂わせながら口にした。
「君が大人しくなると、私の退屈を紛らわせる相手がいなくなる。……そうだ、ローリー。一つ、賭けをしないか?」
「……賭け、ですか?」
「ああ。私が今から、君のその『聖女の皮』を剥いでみせる。もし君が最後まで演技を突き通せたら、君の望むものを何でも一つ叶えてやろう」
セドリック様の目が、いたずらっ子のように輝いた。
「……ただし、もし君が地を出して私を罵倒したり、本音を漏らしたりしたら……私の勝ちだ。その時は、君の正体を全校生徒の前でバラしてやる」
(……最悪だわ。この王子、本当に性格が歪んでいる……!)
私は、絶体絶命の危機を感じつつも、どこか冷静な自分もいた。
ここで引けば、彼は一生私を疑い続けるだろう。ならば、この勝負、受けて立つしかない。
「……よろしいですわ、殿下。その賭け、お受けいたします」
私は、精一杯の「清らかな微笑み」を彼に向けた。
「ただし、私が勝った暁には……。私のことを、二度と『不気味』と呼ばないでいただけますか?」
「ふっ……。いいだろう。約束する」
セドリック様は立ち上がり、私の耳元で囁いた。
「……楽しみにしてるよ、ローリー。君がいつ、その可愛い牙を剥き出しにするのかをね」
彼が図書室を去っていく足音を聞きながら、私は再び机に崩れ落ちた。
「……無理。絶対に無理。あんなドS王子の猛攻を、笑顔で耐え抜くなんて……!」
私は震える手で、サイラスに宛てた「至急、精神安定用の特製ハーブティーを、樽で用意しなさい」という手紙を書き始めた。
生存戦略は、ついに「王子との化かし合い」という、最も難易度の高いステージへと突入してしまったようだ。
午後の放課後。私はミア様の猛追を「聖女の微笑み」でかわし続け、ようやく図書室の奥まった個人学習ブースへと逃げ込んでいた。
ミア様の愛は重い。物理的にも(腕にしがみついてくる)、精神的にも(褒め殺しの語彙が過剰)。
私は机に突っ伏して、誰もいないことを確認してから、思いきり顔の筋肉を緩めた。
「あー……疲れた。頬が……頬がピクピクするわ。サイラス、今すぐ氷嚢を持ってきて。この顔面を急速冷却しないと、明日には石像になってしまう……」
私は独り言を漏らしながら、だらしない格好で椅子の背もたれに体を預けた。
ここには誰も来ない。このブースは利用者が少なく、静寂が保たれている。私はようやく、公爵令嬢としての、そして「聖女」としての鎧を脱ぎ捨てることができたのだ。
そう、思っていたのに。
「……なるほど。やはり、裏ではそんな顔をしていたか」
頭上から降ってきたのは、聞き間違えようのない、あの冷たくて甘い声。
私は心臓が口から飛び出すかと思った。音速で姿勢を正し、表情を「聖女モード」に……戻そうとしたが、筋肉が疲労で言うことを聞かない。
「せ、セドリック様……っ!? なぜここに……?」
「君が怪しい動きでここへ逃げ込むのが見えたからな。追いかけてきたんだ」
セドリック様は、私の隣にある空席に、許可も得ずに優雅に腰を下ろした。
その瞳は、獲物を観察する学者のように冷徹で、鋭い。
「……だらしない姿勢。緩みきった口元。そして、今にも私を罵倒しそうな、その濁った瞳。……安心したよ。これこそが、私の知っているローリー・フォン・アステリアだ」
「な、何を仰っていますの? 私はただ……少し、瞑想をしていただけですわ。ふふっ、殿下ったら、冗談がお上手ですこと」
私は必死に口角を上げようとしたが、右の頬がピクッと痙攣した。
「……無理をするな。見ているこちらが痛々しい。ローリー、単刀直入に聞こう。君は何を企んでいる?」
セドリック様は机に身を乗り出し、私を至近距離で睨みつけた。
「急に人が変わったように聖女の真似事を始め、嫌っていたミアを懐かせ、周囲の評価を塗り替えている。……目的は何だ? 王妃の座か? それとも、アステリア公爵家が国を乗っ取るための布石か?」
(……考えすぎよ、この深読み王子! 私はただ、婚約破棄されて路頭に迷いたくないだけなのよ!)
私は内なる叫びを必死で飲み込み、静かに首を横に振った。
「殿下……。私はただ、これまでの己の傲慢さを恥じ、真っ当な人間として生きたいと願っただけですわ。そこに政治的な意図など、欠片もございません」
「嘘だな」
即答だった。
「君という女は、損得勘定なしに動く人間ではない。……ふむ。もしや、何か弱みでも握られたか? あるいは、誰かに脅されているのか?」
「……誰も私を脅せるはずがありませんわ」
「それもそうだな。……では、やはり演技か。君は今、学園という舞台で『理想の令嬢』を演じている」
セドリック様は、私の髪を一房、指先で弄んだ。
「……だが、惜しいな。演技が完璧すぎて、逆に不気味だ。君が私に『靴を舐めなさい』と叫んでいた頃の方が、まだ人間味があったぞ」
「……そんなことは、一度も言った記憶がございませんが?」
「いいや、言った。去年の建国記念祭で、私が君のドレスの裾をわずかに踏んだ時だ」
(……言ってたわ。私、そんなこと言ってたわ! 過去の私、本当に救いようがないわね!)
私はあまりの羞恥に、顔が赤くなるのを感じた。
「……とにかく、殿下。私は、今の生活に満足しております。皆様と仲良くし、ミア様の勉強を助け、穏やかに過ごす。これのどこが問題ですの?」
「問題は大ありだ。……私が、面白くない」
セドリック様は、子供のようなわがままを、大人の色気を漂わせながら口にした。
「君が大人しくなると、私の退屈を紛らわせる相手がいなくなる。……そうだ、ローリー。一つ、賭けをしないか?」
「……賭け、ですか?」
「ああ。私が今から、君のその『聖女の皮』を剥いでみせる。もし君が最後まで演技を突き通せたら、君の望むものを何でも一つ叶えてやろう」
セドリック様の目が、いたずらっ子のように輝いた。
「……ただし、もし君が地を出して私を罵倒したり、本音を漏らしたりしたら……私の勝ちだ。その時は、君の正体を全校生徒の前でバラしてやる」
(……最悪だわ。この王子、本当に性格が歪んでいる……!)
私は、絶体絶命の危機を感じつつも、どこか冷静な自分もいた。
ここで引けば、彼は一生私を疑い続けるだろう。ならば、この勝負、受けて立つしかない。
「……よろしいですわ、殿下。その賭け、お受けいたします」
私は、精一杯の「清らかな微笑み」を彼に向けた。
「ただし、私が勝った暁には……。私のことを、二度と『不気味』と呼ばないでいただけますか?」
「ふっ……。いいだろう。約束する」
セドリック様は立ち上がり、私の耳元で囁いた。
「……楽しみにしてるよ、ローリー。君がいつ、その可愛い牙を剥き出しにするのかをね」
彼が図書室を去っていく足音を聞きながら、私は再び机に崩れ落ちた。
「……無理。絶対に無理。あんなドS王子の猛攻を、笑顔で耐え抜くなんて……!」
私は震える手で、サイラスに宛てた「至急、精神安定用の特製ハーブティーを、樽で用意しなさい」という手紙を書き始めた。
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