『ざまぁ』される未来しか見えない!全力回避ですわ。

パリパリかぷちーの

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「……ミア様。この $x$ というのは、未知数であって、決して行方不明になった近所の猫の名前ではありませんわ」


私は、震える指先で数学の教科書を指した。


学園の図書室、その一角に設けられた豪華な特別ブース。ここには今、私、セドリック様、そしてミア様の三人が揃っている。


本来なら、王子とその婚約者、そして彼らの仲を裂く(はずの)ヒロインという、血の雨が降ってもおかしくない修羅場のはずだが……現実はもっと過酷な「精神的拷問」の場と化していた。


「ええっ!? でもローリー様、この問題文には『 $x$ を求めよ』って書いてありますよ? 一生懸命探してあげないと、 $x$ ちゃんが可哀想です!」


ミア様が、本気で心配そうな顔をして私を見つめてくる。


(……神様。なぜこの子に、これほどまでの『天然』という名の破壊兵器をお与えになったのですか?)


私は内側で荒れ狂う「ふざけるな!」という猛獣を、必死に「おほほ」という檻に閉じ込めた。


「……ふふ。ミア様、その優しさはとても素晴らしいですわ。ですが、数学の世界では、探し出すのは猫ではなく数値なのです。……さあ、深呼吸をして。この式を見てくださいな」


私は、般若のような形相になりそうな顔を、無理やり「慈愛の微笑み」へと成形し直した。


その様子を、隣で優雅に紅茶を飲みながら眺めている男が一人。


「……くくっ。ローリー、顔が引きつっているぞ。そんなに感動したか? 彼女の独創的な解釈に」


セドリック様が、面白くて仕方がないという風に肩を揺らしている。


(……この王子、絶対に後で呪ってやるわ。藁人形に銀髪を植え付けてやるんだから!)


「……殿下。私はただ、ミア様の無限の可能性に光を当てているだけですわ。……ふふっ、殿下もお暇でしたら、私と一緒に彼女を導いて差し上げてはいかが?」


私は、これ以上ないほどの嫌味……ではなく、聖女らしい「提案」を投げかけた。


「いや、私はいい。君がいつ『その猫を保健所に連れて行きなさい!』と叫び出すか、特等席で見守らせてもらうよ」


セドリック様の目は、完全に私を観察対象として楽しんでいる。前回の「賭け」以来、彼は私の化けの皮を剥がそうと、ことあるごとに私を揺さぶってくるのだ。


「ローリー様! わかりました! この $x$ は、きっと『3』です! 直感がそう言っています!」


「……勘で解くのは占い師の仕事ですわ、ミア様。……いい? まずは両辺に同じ数をかけて……」


「両辺……? 右の頬を打たれたら左の頬も、ということですか?」


(……それは聖書よ! 今は数学の話をしてるの!)


「……ふふっ、ミア様。あなたは本当に、信仰心が厚くていらっしゃるのね。ですが、今は数字の神様に従いましょうか」


私はペンを握る手に力を込めた。ミシミシと音がしているが、気にしない。


一時間後。


ミア様のノートには、数式ではなく、可愛い猫(おそらく $x$ ちゃん)の落書きが埋め尽くされていた。


「……今日は、ここまでにしましょうか。ミア様、よく頑張りましたわね」


「はい! ローリー様のおかげで、数学が大好きになりました! 明日もまたお願いします!」


ミア様は満面の笑みで教科書を閉じると、嵐のように去っていった。


嵐が去った後の静寂。


私は、ガクンと机に突っ伏した。


「……し、死ぬ……。脳みそが、脳みそが溶けてプリンになっちゃう……」


「おや。ようやく聖女様が、本音を漏らしたか」


セドリック様の声が、すぐ近くで聞こえた。


気づけば、彼は私の頭を覗き込むようにして立っていた。


「……殿下。まだいらしたのですか」


私は顔を上げず、机に顔を埋めたまま答えた。もはや表情を作る体力すら残っていない。


「君の頑張りには、正直驚いているよ。あそこまでボケ倒す相手に、一度も声を荒らげないとはな。……ローリー、君の『聖女』の演技は、もはや狂気の域に達している」


セドリック様の指先が、私の金髪に触れた。


「……演技ではありませんわ。私は、あの子の純粋さを守りたいだけですもの……。おほ、ほ……」


「声が枯れているぞ。……ほら、これを飲め。少しは楽になるだろう」


差し出されたのは、彼が飲んでいたものとは別の、温かいハーブティーだった。


「……毒、入っていませんか?」


「君じゃないんだから、そんなことはしない。……私の負けを認めるのは癪だが、今日の忍耐力には免じて、少しだけ優しくしてやろう」


私は恐る恐る顔を上げ、彼からカップを受け取った。


一口飲むと、喉の奥がじんわりと潤い、疲れが少しだけ和らぐ。


「……ありがとうございます。殿下の意外な優しさに、不覚にも少しだけ『ざまぁ』されそうな気分ですわ」


「『ざまぁ』? また変な言葉を。……まあいい。ローリー、明日もまた楽しみにしてるよ。君がいつ、ミアの首を絞め始めるかをね」


「……絶対にしませんわよ」


私はハーブティーを飲み干し、彼を睨みつけた。


けれど、その瞳に映る自分は、これまでの高飛車な令嬢ではなく、ただの疲れ果てた一人の少女のように見えた。


(いけないわ。殿下の前で、こんなに隙を見せるなんて。……でも、今日だけは、このまま少しだけ休ませて……)


私の「生存戦略」は、どうやら王子の「観察」という名の包囲網によって、じわじわと形を変えさせられているようだった。
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