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一章
3
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「戦争をしかけるんだ」
ヘンリー・ソールスベリーは無邪気に笑った。
「デジタル家電、世界シェア一位の会社にか?」
「あいつらのシェアを根こそぎ奪ってやる」
ロレンツォは引きつった笑みを浮かべ、吐き出すように言葉を返した。
「面白い冗談だ。でも、奇抜すぎて笑えない」
「もとよりきみに、英国のユーモアが理解できるとは思っていないよ」
ヘンリーは澄ました顔で笑っている。
「まぁ、どうだっていいさ。どのみちあと少しの我慢だ。それにしても、きみの父親は行動が速いな。驚いたよ。きみとは大違いだ。きみはちょっと、フットワークが重いよね。だからウィルに勝てない」
一番聞きたくない名前を出され、ロレンツォは、その口許を反射的にギッと睨みつけていた。この男のこんな時にしか見せない笑顔を目の当たりにし、憎たらしさに拍車がかかる。
「お前の事業計画に納得できたら乗ってやる! 大体、アスカに出会ってから一年も経っていないってのに、どんな製品ができるっていうんだ?」
「四年だよ。四年間待っていたんだ。彼が、もっと幼いころに語った夢が形になるのをね。もうほぼ完成しているよ。ただ、大量生産できないだけでね。生産ラインを確保するのに、当初の予定では更に三年かかるはずだったんだ。グラスフィールド社が、自分で蹴った石に自分で蹴つまづいて倒れてくれたお陰で一気に予定が早まった。欧州工場が手に入れば、開発に大手を掛けられる。試作品を見せてあげようか?」
予期せぬ返答に、ロレンツォは唖然としてヘンリーを見つめた。
彼は優雅に背筋を伸ばし、ソファーにきちんと座り直している。
これは、ビジネスだ。冗談でも何でもない。ヘンリーは本気でやる気なのだ。この無謀な挑戦を……。
ロレンツォは、彼のそのひんやりとした氷の微笑から目を逸らすことができないまま、ごくりと喉を鳴らしていた。
「アスカァ……」
校内のカフェテラスで本を読んでいた飛鳥の背中に、ロレンツォがどさりともたれかかる。
「重いよ、ロニー」
飛鳥はページを捲っていた手を止め、首を捻ってロレンツォに顔を向けた。少し眉をひそめて、わざと怒っているように。でも不貞腐れている友人の顔をまじかにするとつい顔がほころんでしまって、いつも上手く怒れない。
「あいつ、どうにかしてくれよ。機嫌悪くて手に負えない」
「ヘンリー?」
またか、とでも言いたげな呆れ声で訊ねる飛鳥を放し、ロレンツォは向いの席に腰かけ大袈裟なため息で応える。
「彼はそれで普通だよ。それだけきみに気を許しているってことだよ」
「せめてお前に対するのと同じくらいには、扱ってくれって、」
「変わらないよ。彼はいつだって、苦虫を噛み潰したような顔をしていて、」
言い掛けたままポカンとしている飛鳥の視線の先では、総ガラス張りの壁の向こう側に広がる芝生の上を当の本人がヴィオッティ講師と談笑しながら歩いていた。彼は、二人に気づいて、にこやかに軽く片手を上げた。
「今日は機嫌いいんじゃない?」
「だといいけどな」
二人は顔を見合わせて苦笑する。ロレンツォは、また小さくため息を吐いた。
「で、お前、何やってるんだ?」
ヘンリーが視界から消えると、ロレンツォはふっと現実に戻り、飛鳥の手元にある本を覗き込む。
「ラテン語のロム先生にお礼のカードを贈ろうと思って。随分とお世話になったから。それで、なにか、ラテン語で有名な格言を描き加えたいんだけどね、思いつかなくて」
「sit difficile; experiar tamen」
飛鳥のきょとんとした顔に、ロレンツォは吹き出しそうになる。
「それが困難であったとしても、私は試みよう。って意味だよ。
Consuetudinis magna vis est. 習慣の力は偉大なり。とか?
Ispsa scientia potestas est. 知識は力なり。は、どうだ?」
思いつくままにラテン語の格言を連ねていくそのさまに、飛鳥は嬉しそうに目を見開く。
「あ、それがいい。それ、ヘンリーだ」
怪訝そうに自分を見つめるロレンツォから目を逸らし、「知恵と知識で武装しろ、って言われたことがあるんだ。知識は、力。そんな風に考えたこと、僕は無かったから。彼は根底から呑気に生きてきた僕とは違う」飛鳥は瞼を伏せ、自嘲的に嗤った。
「いつも最前線で闘っていて、彼は僕みたいにへらへら笑ってなんていられないんだ。だから、今も、きっと機嫌が悪いってわけじゃないんだと思う」
そうであって欲しいと、半ば自分に言い聞かせながら、飛鳥は無理に笑顔を作る。
「僕はいつも逃げてばかりで、闘うことなんて考えたこともなかった。ていうより、闘うってどういうことか今でも判らない。彼が何と闘っているのかも知らない。彼といる時も、僕はどうすればいいのか、てんで判らないんだ」
ロレンツォは長い腕を伸ばして、物憂げに肩を落としている飛鳥の頭をわさわさと撫でてやった。
「そんな顔をするなよ。“空間の魔術師”の名が泣くぞ」
「きみ達って、変な名前をつけるのが、ほんと、好きだよね」
飛鳥は首を竦めてクスリと笑うと、「さっきの格言の綴りを教えてくれる?」と、内ポケットから手帳を取り出して、ロレンツォの手前に差し出した。
ヘンリー・ソールスベリーは無邪気に笑った。
「デジタル家電、世界シェア一位の会社にか?」
「あいつらのシェアを根こそぎ奪ってやる」
ロレンツォは引きつった笑みを浮かべ、吐き出すように言葉を返した。
「面白い冗談だ。でも、奇抜すぎて笑えない」
「もとよりきみに、英国のユーモアが理解できるとは思っていないよ」
ヘンリーは澄ました顔で笑っている。
「まぁ、どうだっていいさ。どのみちあと少しの我慢だ。それにしても、きみの父親は行動が速いな。驚いたよ。きみとは大違いだ。きみはちょっと、フットワークが重いよね。だからウィルに勝てない」
一番聞きたくない名前を出され、ロレンツォは、その口許を反射的にギッと睨みつけていた。この男のこんな時にしか見せない笑顔を目の当たりにし、憎たらしさに拍車がかかる。
「お前の事業計画に納得できたら乗ってやる! 大体、アスカに出会ってから一年も経っていないってのに、どんな製品ができるっていうんだ?」
「四年だよ。四年間待っていたんだ。彼が、もっと幼いころに語った夢が形になるのをね。もうほぼ完成しているよ。ただ、大量生産できないだけでね。生産ラインを確保するのに、当初の予定では更に三年かかるはずだったんだ。グラスフィールド社が、自分で蹴った石に自分で蹴つまづいて倒れてくれたお陰で一気に予定が早まった。欧州工場が手に入れば、開発に大手を掛けられる。試作品を見せてあげようか?」
予期せぬ返答に、ロレンツォは唖然としてヘンリーを見つめた。
彼は優雅に背筋を伸ばし、ソファーにきちんと座り直している。
これは、ビジネスだ。冗談でも何でもない。ヘンリーは本気でやる気なのだ。この無謀な挑戦を……。
ロレンツォは、彼のそのひんやりとした氷の微笑から目を逸らすことができないまま、ごくりと喉を鳴らしていた。
「アスカァ……」
校内のカフェテラスで本を読んでいた飛鳥の背中に、ロレンツォがどさりともたれかかる。
「重いよ、ロニー」
飛鳥はページを捲っていた手を止め、首を捻ってロレンツォに顔を向けた。少し眉をひそめて、わざと怒っているように。でも不貞腐れている友人の顔をまじかにするとつい顔がほころんでしまって、いつも上手く怒れない。
「あいつ、どうにかしてくれよ。機嫌悪くて手に負えない」
「ヘンリー?」
またか、とでも言いたげな呆れ声で訊ねる飛鳥を放し、ロレンツォは向いの席に腰かけ大袈裟なため息で応える。
「彼はそれで普通だよ。それだけきみに気を許しているってことだよ」
「せめてお前に対するのと同じくらいには、扱ってくれって、」
「変わらないよ。彼はいつだって、苦虫を噛み潰したような顔をしていて、」
言い掛けたままポカンとしている飛鳥の視線の先では、総ガラス張りの壁の向こう側に広がる芝生の上を当の本人がヴィオッティ講師と談笑しながら歩いていた。彼は、二人に気づいて、にこやかに軽く片手を上げた。
「今日は機嫌いいんじゃない?」
「だといいけどな」
二人は顔を見合わせて苦笑する。ロレンツォは、また小さくため息を吐いた。
「で、お前、何やってるんだ?」
ヘンリーが視界から消えると、ロレンツォはふっと現実に戻り、飛鳥の手元にある本を覗き込む。
「ラテン語のロム先生にお礼のカードを贈ろうと思って。随分とお世話になったから。それで、なにか、ラテン語で有名な格言を描き加えたいんだけどね、思いつかなくて」
「sit difficile; experiar tamen」
飛鳥のきょとんとした顔に、ロレンツォは吹き出しそうになる。
「それが困難であったとしても、私は試みよう。って意味だよ。
Consuetudinis magna vis est. 習慣の力は偉大なり。とか?
Ispsa scientia potestas est. 知識は力なり。は、どうだ?」
思いつくままにラテン語の格言を連ねていくそのさまに、飛鳥は嬉しそうに目を見開く。
「あ、それがいい。それ、ヘンリーだ」
怪訝そうに自分を見つめるロレンツォから目を逸らし、「知恵と知識で武装しろ、って言われたことがあるんだ。知識は、力。そんな風に考えたこと、僕は無かったから。彼は根底から呑気に生きてきた僕とは違う」飛鳥は瞼を伏せ、自嘲的に嗤った。
「いつも最前線で闘っていて、彼は僕みたいにへらへら笑ってなんていられないんだ。だから、今も、きっと機嫌が悪いってわけじゃないんだと思う」
そうであって欲しいと、半ば自分に言い聞かせながら、飛鳥は無理に笑顔を作る。
「僕はいつも逃げてばかりで、闘うことなんて考えたこともなかった。ていうより、闘うってどういうことか今でも判らない。彼が何と闘っているのかも知らない。彼といる時も、僕はどうすればいいのか、てんで判らないんだ」
ロレンツォは長い腕を伸ばして、物憂げに肩を落としている飛鳥の頭をわさわさと撫でてやった。
「そんな顔をするなよ。“空間の魔術師”の名が泣くぞ」
「きみ達って、変な名前をつけるのが、ほんと、好きだよね」
飛鳥は首を竦めてクスリと笑うと、「さっきの格言の綴りを教えてくれる?」と、内ポケットから手帳を取り出して、ロレンツォの手前に差し出した。
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