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Ⅳ 初夏の木漏れ日
164 緑
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早起きをして朝食と、お弁当を作った。朝も、昼もご飯じゃアルビーが嫌がるかと思って、内容を変えた。マリーはどっちが良かったかな? 昨日のうちに訊いておけばよかった。
そろそろアルビーを起こさないと。昨夜、まだ何の準備もしていなかったもの。シャワーを浴びて朝食を食べるなら、そうそうゆっくりもしていられない。
ポットにコーヒーを移しながら、し忘れていることはないか、あれやこれやと考えていた。たった一泊二日この家を空けるだけなのに。イースター休暇の間、何の問題もなかったことを知っているのに。
本当に考えなければならない事から逃げるために、無駄に頭をフル回転させているだけだ。そんな自分にため息が出る。
アルビーは起こしに行かなくても、ちゃんと自分で起きてきたし、僕の眠っていた間にちゃんと支度も済ませている。
黙々とおにぎりを食べているのは、完全に目が覚めていないからかもしれないけれど。
「コウ、」
「ん?」
「目が覚めた時にいなかったから、心配した」
「お弁当、作ってた」
「うん。ありがとう。中身は?」
「サンドイッチ」
「チキンだね? 楽しみだな」
ちょっと首を傾げてにっこりと笑うアルビーは、照り焼きチキンが好きだ。こんな当たり障りのない会話ばかりをしている内に、出発の時間になった。
彼は起きて来ないマリーの部屋をノックして、「じゃあ、行って来る」と大声で告げていた。返事はなかったから、まだ彼女は眠っているのかもしれない。
ユーストン駅から高速鉄道で出発する。乗り換えが一度、目的地のウィンダミアまでは三時間かかるそうだ。風光明媚な観光地として有名な、湖水地方にある町らしい。そこからタクシーで一時間弱。
アルビーと話す時間はたっぷりとある。彼は一等車両を取ってくれていた。数日前に予約しておけば大幅に安くなるし、週末サービスもあって普通席と値段は大差ないらしい。鉄道の切符が時価で変動するなんて、信じられない世界だ。前回の旅行は全てショーンに任せていたので、そんなことも知らなかった。
座席には机がついていて、紙のランチョンマットの上にお皿とカップ、グラスがセットされている。内装のデザインもモダンで洒脱。コンセントにスタンドライトまであって、ビジネスマン向きみたいだ。列車が動き出すとしばらくしてワゴンサービスが来て、菓子パンとヨーグルトに、フルーツをくれた。おまけにコーヒー、紅茶が飲み放題だそうだ。なんだか飛行機のサービスみたいだ。駅構内のファーストクラス用ラウンジも飲み物と軽食が無料サービスだったし、朝食を食べて来る必要なかった。
せっかくお弁当を作ってきたのに。
アルビーは「大丈夫、ちゃんと食べるから。平日だと食事もついているのだけどね、週末はこんなものしか出ないからね」と言っているけれど。
僕があまりにいちいち驚いては感心していたので、アルビーはそんな僕を見てクスクスと笑ってばかりいる。
「仕方がないだろ? 日本にいた頃だって、こんな長距離旅行はしたことがないんだ」
「きみの祖父母の家は? 田舎だって言っていただろ?」
「移動は車だったし。それに時間はかかるけれど、距離的にはそんなに遠い訳でもないんだ。そりゃ、スープの冷めない距離って訳じゃないけどさ」
地図で示せば目と鼻の先。でも気分の悪くなるような蛇行する山道を延々と分け入って行くのだ。もちろん、鉄道なんて通っていない。気持ちの上では祖母の家はとても遠い。
「旅行に行ったりはしなかったの?」
「長期休暇は塾の講習で忙しかったから」
列車の切符を自分で買ったこともない。遊びに出掛けたこともない。
「アルビーの方こそ。ボランティアでこんなに遠くまで行くなんて、びっくりだよ。交通費くらい大学から出るの?」
アルビーに笑われている自分が、恥ずかしかったのかもしれない。僕は話題を変えようと、何気に気になっていた事を尋ね返した。
「大学は関係ないよ。これは僕の個人的なボランティアだから」
アルビーは僕から目を逸らし、車窓に視線を移した。いつの間にか広々とした田園風景が爽やかな青空の下、流れていた。
「コウの田舎も、こんな感じなのかな?」
ふっと微笑んでアルビーは僕に視線を戻す。
「全然違う。日本じゃ、地平線なんて見えないよ」
「想像がつかないな」
「同じ緑豊かな国でも、色彩がまるで違う。僕の国の自然は、もっと濃くて混沌としているんだ」
こんな整備された緑じゃなくて……。
英国の整然とした牧草地のように、日本の山だって植林された樹々の連なりなのに。
「アルビーの緑は、イギリス的だね」
「緑って?」
「瞳の」
「ありがとう」
深いのに、クリアな深緑。混沌なんか見えない静かな深緑。僕は今日の彼の瞳に、何故だかとても安心していた。
そろそろアルビーを起こさないと。昨夜、まだ何の準備もしていなかったもの。シャワーを浴びて朝食を食べるなら、そうそうゆっくりもしていられない。
ポットにコーヒーを移しながら、し忘れていることはないか、あれやこれやと考えていた。たった一泊二日この家を空けるだけなのに。イースター休暇の間、何の問題もなかったことを知っているのに。
本当に考えなければならない事から逃げるために、無駄に頭をフル回転させているだけだ。そんな自分にため息が出る。
アルビーは起こしに行かなくても、ちゃんと自分で起きてきたし、僕の眠っていた間にちゃんと支度も済ませている。
黙々とおにぎりを食べているのは、完全に目が覚めていないからかもしれないけれど。
「コウ、」
「ん?」
「目が覚めた時にいなかったから、心配した」
「お弁当、作ってた」
「うん。ありがとう。中身は?」
「サンドイッチ」
「チキンだね? 楽しみだな」
ちょっと首を傾げてにっこりと笑うアルビーは、照り焼きチキンが好きだ。こんな当たり障りのない会話ばかりをしている内に、出発の時間になった。
彼は起きて来ないマリーの部屋をノックして、「じゃあ、行って来る」と大声で告げていた。返事はなかったから、まだ彼女は眠っているのかもしれない。
ユーストン駅から高速鉄道で出発する。乗り換えが一度、目的地のウィンダミアまでは三時間かかるそうだ。風光明媚な観光地として有名な、湖水地方にある町らしい。そこからタクシーで一時間弱。
アルビーと話す時間はたっぷりとある。彼は一等車両を取ってくれていた。数日前に予約しておけば大幅に安くなるし、週末サービスもあって普通席と値段は大差ないらしい。鉄道の切符が時価で変動するなんて、信じられない世界だ。前回の旅行は全てショーンに任せていたので、そんなことも知らなかった。
座席には机がついていて、紙のランチョンマットの上にお皿とカップ、グラスがセットされている。内装のデザインもモダンで洒脱。コンセントにスタンドライトまであって、ビジネスマン向きみたいだ。列車が動き出すとしばらくしてワゴンサービスが来て、菓子パンとヨーグルトに、フルーツをくれた。おまけにコーヒー、紅茶が飲み放題だそうだ。なんだか飛行機のサービスみたいだ。駅構内のファーストクラス用ラウンジも飲み物と軽食が無料サービスだったし、朝食を食べて来る必要なかった。
せっかくお弁当を作ってきたのに。
アルビーは「大丈夫、ちゃんと食べるから。平日だと食事もついているのだけどね、週末はこんなものしか出ないからね」と言っているけれど。
僕があまりにいちいち驚いては感心していたので、アルビーはそんな僕を見てクスクスと笑ってばかりいる。
「仕方がないだろ? 日本にいた頃だって、こんな長距離旅行はしたことがないんだ」
「きみの祖父母の家は? 田舎だって言っていただろ?」
「移動は車だったし。それに時間はかかるけれど、距離的にはそんなに遠い訳でもないんだ。そりゃ、スープの冷めない距離って訳じゃないけどさ」
地図で示せば目と鼻の先。でも気分の悪くなるような蛇行する山道を延々と分け入って行くのだ。もちろん、鉄道なんて通っていない。気持ちの上では祖母の家はとても遠い。
「旅行に行ったりはしなかったの?」
「長期休暇は塾の講習で忙しかったから」
列車の切符を自分で買ったこともない。遊びに出掛けたこともない。
「アルビーの方こそ。ボランティアでこんなに遠くまで行くなんて、びっくりだよ。交通費くらい大学から出るの?」
アルビーに笑われている自分が、恥ずかしかったのかもしれない。僕は話題を変えようと、何気に気になっていた事を尋ね返した。
「大学は関係ないよ。これは僕の個人的なボランティアだから」
アルビーは僕から目を逸らし、車窓に視線を移した。いつの間にか広々とした田園風景が爽やかな青空の下、流れていた。
「コウの田舎も、こんな感じなのかな?」
ふっと微笑んでアルビーは僕に視線を戻す。
「全然違う。日本じゃ、地平線なんて見えないよ」
「想像がつかないな」
「同じ緑豊かな国でも、色彩がまるで違う。僕の国の自然は、もっと濃くて混沌としているんだ」
こんな整備された緑じゃなくて……。
英国の整然とした牧草地のように、日本の山だって植林された樹々の連なりなのに。
「アルビーの緑は、イギリス的だね」
「緑って?」
「瞳の」
「ありがとう」
深いのに、クリアな深緑。混沌なんか見えない静かな深緑。僕は今日の彼の瞳に、何故だかとても安心していた。
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