霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

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 仕事の途中で埃だらけだ。これでは申し訳ないので着替えてくる。居間で待っていてくれ、と言うアーノルドを残して僕たちは本館にとって返した。

「驚かないんだね」
 アルビーは真っ直ぐに前を見据えたまま、呟いた。
「なんとなく、そうじゃないかな、って気がしてた」
「知ってたの? 彼の病気のこと。マリーに聞いた?」
 僕は首を横に振る。

 ここに来るまで、決して予想していた訳じゃなかった。アルビーが余りにも何も教えてくれなかったから、話すほどのことでもないのかな、ってそんなふうに考えていた。でも、あの小屋の前で彼の姿を目にした時、何故だかストンと納得したんだ。アルビーが言葉に変換して説明できない理由も、僕に傍にいて欲しい、と言ってくれた訳も。


 傍らを歩くアルビーの腰に腕を回した。
 彼は僕の肩を抱く。
 二人で一つの躰になったみたいに呼吸が重なる。

 館までの僅かな距離を、そうやって寄添って歩いていた。



 スミスさんに案内された居間は、サーモンピンクを基調にした小花模様の壁紙の、女性的な部屋だった。
 アビゲイルの好みだったのだろうか、と大きなアーチ型の窓から入る、明るい陽射しに眼を細めて見廻した。薄緑の蔦模様の絨毯はちょっと苦手だ。足に絡み付いてきそうで。

 僕がこうして一人でティーテーブルについている間、アルビーはスミスさんを手伝っている。何か込み入った話をしているのかもしれない。もう結構な時間、待っている気がする。

「お待たせしてすまないね」
 その声に弾かれたように立ち上がった。

 居間に入ってきたアーノルドは、きちんとジャケットを着て、胸元に赤ちゃんを抱くように丁寧に、青いドレスの人形ビスクドールを抱えていた。
 アルビーの家にあるのと同じ人形アビゲイル・アスターだ。

「じきに妻が挨拶に来るから、驚かないでくれるかい? 子どもを失ってしまってから、あいつはちょっとおかしくなってしまっているんだ。この人形を赤ん坊だと思っている。話を合わせてやってくれるかい。こうして、先生にも定期的に来てもらっているんだけど、なかなか良くならなくてね……」

 アーノルドは深くため息をつき、膝の上にのせた人形の艶やかな黒髪を丁寧に撫でる。

「亡くなったお子さんって……」
「女の子だったんだ。妻が淋しくないように、妻に似せて創ったんだよ。産まれてくることができていれば、こんな愛らしい娘に育ったに違いないからね」

 アーノルドは、さも残念そうに微笑んだ。だがそのまますぐに、その頭を軽く振る。

「でも仕方がなかったんだ。子どもを諦めなければ、彼女の命が助からなかったかもしれなかったのだから……」


 どういうこと……。

 頭の中が真っ白だ。

 アルビーは? アルビーの存在は?



「ああ、やっと来た。全く、女性の支度はいつも時間ばかり食ってたまらんよ。そんなにお客様をお待たせするものじゃないよ、アビー」

 カチャリ、とドアを開ける音に、思わず入り口を振り返っていた。
 そこにいたのは、アルビーだ。それにスミスさん。跳ね返るようにアーノルドに視線を戻す。彼は口許に優しい微笑を湛えて、誰かを迎え入れていた。アルビーでも、スミスさんでもない誰かを。

 そして、傍らの椅子を引き、人形をそっとその上に座らせた。肘掛けに頭をもたせるようにして。まるで、誰かの腕に抱かせてでもいるかのように。


 僕はこの奇妙な空間で、何を喋って、何を飲んで、どんなお菓子を食べたのか余り覚えていない。
 アーノルドに訊ねられるままに、魔術の話をしたように思う。彼の知識は思ったとおり、通り一遍の大きな本屋の棚に並んでいるようなものでしかなくて、僕はただ、彼のお喋りに相槌を打っていただけな気がする。

 アルビーはそんな僕たちの会話に加わるでもなく、ただ静かにそこに座っていた。まるでこの場に存在しないかのように。

 けれど、今は塞がれている暖炉の上の置き時計をチラリと確認してから、彼はとうとうその沈黙を破り、僕に問い掛けた。

「コウ、彼のことはもう訊けたの? きみの探している赤毛の友人、あの、火の精霊サラマンダーの人形にそっくりな」


 唐突な彼の発言に驚いたのは、僕だけじゃない。僕と向かい合うアーノルドもまた、あの輝く湖面のような瞳をぎょろりと剥いて、僕を凝視していたんだ。







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