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Ⅳ 初夏の木漏れ日
178 嫉妬
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昨夜のレストランの同じ席で、アルビーは僕を待っていてくれた。瞳の色よりもまだ濃い深緑のシャツをざっくりと着こなして、いかにも寛いだ様子で、だけど退屈そうに椅子にもたれている。
綺麗だな、と改めて彼に見とれていた。
僕に気づき、彼はその顔をほころばす。長い指を軽く立て、僕を呼ぶ。いつもの彼に安堵する。僕はいったい、いつになったら慣れるんだろう? 僕に向けられる彼の笑顔を、どうしてこうも特別な奇跡のように感じてしまうんだろう?
テーブルにつくと、アルビーが楽しそうに瞳を輝かせて言った。
「ここは魚が美味しいよ」
メニューを渡された。注文するのを僕が来るまで待っていてくれたらしい。
「じゃあ、スモークサーモンとポーチドエッグにする」
「僕はグリルドキッパーで」
帰りの列車は夕方なので、今日の予定はどうするのか、とアルビーに訊ねた。
彼は、「そうだね、何がしたい?」とにこにこと訊ね返して来た。
昨日のアーノルドの強烈な瞳が脳裏を過る。埃っぽい小屋。その陰にうず高く積まれた壊れた人形。降り積もる雪のような薔薇……。
自分の記憶に酔いそうだ。酷く、疲れた気がする。
「のんびりしたいかな」
「じゃあ、チェックアウトまでゆっくりして、それから辺りを散歩してお茶でも飲んで、そんな感じでいいかな」
頷いて、ぼんやりしているうちに朝食の皿が来た。
ほっけの開き! 干物だ!
唖然と彼の前に置かれた皿を凝視していると、アルビーにまたくすくすと笑われた。程よく焦げてホクホクした開きが、僕の郷愁を掻き立てる。傍にくし型のレモンまでついているんだよ。
「交換してあげようか?」
もちろん、甘えさせてもらった。干物はほっけではなく、にしんだったけれど。朝から干物だなんて、白ご飯が欲しい。それに醤油も。
このにしんの燻製、別にこの地方の特産でもなんでもなくて、普通にロンドンでも食べられるのだそうだ。帰ったらスーパーの燻製コーナーを探してみよう。今まで鮭か鯖しか買うことがなかったなんて、片手落ちも甚だしい。
「コウは食べている時が一番幸せそうだね」
「子どもみたいだって?」
「体は充分大人だよ」
涼しい顔して、何てこと言うんだよ!
恥ずかしくて、俯いてせっせとにしんを解した。マーマレードを塗ったトーストにのせて食べるのが一般的らしいけれど、味が想像できないのでやめておく。フォークとナイフで骨を外すのはなかなか難しいな。
「それなのに、心はちっとも変わらない。僕はきみに翻弄されっ放しだ」
アルビーは、カトラリーを上品に操りながら、またそんなことを言いだす。
「僕が幼稚だっていいたいの?」
きみと対等ではつき合えないような。
カトラリーをぐっと握り締めていた。顔を上げてアルビーを見るのが怖かった。
「僕はまだ、赤毛の彼のことを教えて貰ってないよ」
狐につままれた気分で、そっと顔を上げた。アルビーも、ちらっと僕を見た。思わず吹き出してしまった。
「何?」
「だってアルビー、」
「そうだよ、これは嫉妬だ。それなのにきみは、ちっとも僕を安心させてくれない」
拗ねたように彼はまたちらりと僕を見て、サーモンをのせたトーストを口に運ぶ。
「話せるようなことがないからだよ」
「じゃあ、僕が訊くから答えて。知り合ったのはどこで?」
「お祖母ちゃんの田舎だよ」
「どれくらいになるの?」
「英国に来てから一年と一か月だろ。ちょうど、その一年前くらいかな」
「そんなものなの?」
「そんなものだね」
本当だ。月日に換算してみると本当に大したことはない。
「でも、きみといるのと変わらないくらい、密度の濃い毎日だったんだ。彼は僕に初めてできた、たった一人の友だちだったから」
「ずっと友だちがいなかった?」
「進学校だったし。勉強するのに忙しかったから」
それでも普通いるよな、友だちくらい。言ってしまってから後悔して、にしんをのせ、その上でポーチドエッグを崩し、トーストに大きくかぶりついた。とりあえず、これ以上言わなくてもいいことを零してしまわないように、頬いっぱいに口を塞ぐ。そんな僕を見て、アルビーは笑いを堪えている。そして、僕が咀嚼し呑み込むのを待ってから口を開いた。
「彼、目立つんだろ? アーノルドもそう言っていたよね、際立つ容姿だって」
「きみほどじゃないよ。そんなふうに考えたこともなかったよ」
言われてみれば確かにそうなのだけど。気配を消していたのかな。アルビーといる今みたいな、あちこちからの視線を感じるようなことは本当になかったんだ。
「それで、アーノルドは何て? 結局、彼の身元は判らず仕舞い?」
「え? ああ、うん。彼の逢った連中とは関係ないみたいだった。きっと他人の空似だ」
そうか、昨日途中で席を立った時の話をしていなかったんだ。
「残念だったね。逢いたいんだろ?」
「もういいんだ。彼がいなくなったのは、きっと彼なりの意味があるんだと思うから。もしも運命が繋がっていれば、きっとまた逢えるよ」
「もし僕がいなくなっても、同じように思ってくれる?」
彼の至極真面目な口調に、僕は首を横に振って答えた。
「思わない。彼と同じようにきみがいなくなったら、僕はきっと全てを投げ出してきみを探す」
綺麗だな、と改めて彼に見とれていた。
僕に気づき、彼はその顔をほころばす。長い指を軽く立て、僕を呼ぶ。いつもの彼に安堵する。僕はいったい、いつになったら慣れるんだろう? 僕に向けられる彼の笑顔を、どうしてこうも特別な奇跡のように感じてしまうんだろう?
テーブルにつくと、アルビーが楽しそうに瞳を輝かせて言った。
「ここは魚が美味しいよ」
メニューを渡された。注文するのを僕が来るまで待っていてくれたらしい。
「じゃあ、スモークサーモンとポーチドエッグにする」
「僕はグリルドキッパーで」
帰りの列車は夕方なので、今日の予定はどうするのか、とアルビーに訊ねた。
彼は、「そうだね、何がしたい?」とにこにこと訊ね返して来た。
昨日のアーノルドの強烈な瞳が脳裏を過る。埃っぽい小屋。その陰にうず高く積まれた壊れた人形。降り積もる雪のような薔薇……。
自分の記憶に酔いそうだ。酷く、疲れた気がする。
「のんびりしたいかな」
「じゃあ、チェックアウトまでゆっくりして、それから辺りを散歩してお茶でも飲んで、そんな感じでいいかな」
頷いて、ぼんやりしているうちに朝食の皿が来た。
ほっけの開き! 干物だ!
唖然と彼の前に置かれた皿を凝視していると、アルビーにまたくすくすと笑われた。程よく焦げてホクホクした開きが、僕の郷愁を掻き立てる。傍にくし型のレモンまでついているんだよ。
「交換してあげようか?」
もちろん、甘えさせてもらった。干物はほっけではなく、にしんだったけれど。朝から干物だなんて、白ご飯が欲しい。それに醤油も。
このにしんの燻製、別にこの地方の特産でもなんでもなくて、普通にロンドンでも食べられるのだそうだ。帰ったらスーパーの燻製コーナーを探してみよう。今まで鮭か鯖しか買うことがなかったなんて、片手落ちも甚だしい。
「コウは食べている時が一番幸せそうだね」
「子どもみたいだって?」
「体は充分大人だよ」
涼しい顔して、何てこと言うんだよ!
恥ずかしくて、俯いてせっせとにしんを解した。マーマレードを塗ったトーストにのせて食べるのが一般的らしいけれど、味が想像できないのでやめておく。フォークとナイフで骨を外すのはなかなか難しいな。
「それなのに、心はちっとも変わらない。僕はきみに翻弄されっ放しだ」
アルビーは、カトラリーを上品に操りながら、またそんなことを言いだす。
「僕が幼稚だっていいたいの?」
きみと対等ではつき合えないような。
カトラリーをぐっと握り締めていた。顔を上げてアルビーを見るのが怖かった。
「僕はまだ、赤毛の彼のことを教えて貰ってないよ」
狐につままれた気分で、そっと顔を上げた。アルビーも、ちらっと僕を見た。思わず吹き出してしまった。
「何?」
「だってアルビー、」
「そうだよ、これは嫉妬だ。それなのにきみは、ちっとも僕を安心させてくれない」
拗ねたように彼はまたちらりと僕を見て、サーモンをのせたトーストを口に運ぶ。
「話せるようなことがないからだよ」
「じゃあ、僕が訊くから答えて。知り合ったのはどこで?」
「お祖母ちゃんの田舎だよ」
「どれくらいになるの?」
「英国に来てから一年と一か月だろ。ちょうど、その一年前くらいかな」
「そんなものなの?」
「そんなものだね」
本当だ。月日に換算してみると本当に大したことはない。
「でも、きみといるのと変わらないくらい、密度の濃い毎日だったんだ。彼は僕に初めてできた、たった一人の友だちだったから」
「ずっと友だちがいなかった?」
「進学校だったし。勉強するのに忙しかったから」
それでも普通いるよな、友だちくらい。言ってしまってから後悔して、にしんをのせ、その上でポーチドエッグを崩し、トーストに大きくかぶりついた。とりあえず、これ以上言わなくてもいいことを零してしまわないように、頬いっぱいに口を塞ぐ。そんな僕を見て、アルビーは笑いを堪えている。そして、僕が咀嚼し呑み込むのを待ってから口を開いた。
「彼、目立つんだろ? アーノルドもそう言っていたよね、際立つ容姿だって」
「きみほどじゃないよ。そんなふうに考えたこともなかったよ」
言われてみれば確かにそうなのだけど。気配を消していたのかな。アルビーといる今みたいな、あちこちからの視線を感じるようなことは本当になかったんだ。
「それで、アーノルドは何て? 結局、彼の身元は判らず仕舞い?」
「え? ああ、うん。彼の逢った連中とは関係ないみたいだった。きっと他人の空似だ」
そうか、昨日途中で席を立った時の話をしていなかったんだ。
「残念だったね。逢いたいんだろ?」
「もういいんだ。彼がいなくなったのは、きっと彼なりの意味があるんだと思うから。もしも運命が繋がっていれば、きっとまた逢えるよ」
「もし僕がいなくなっても、同じように思ってくれる?」
彼の至極真面目な口調に、僕は首を横に振って答えた。
「思わない。彼と同じようにきみがいなくなったら、僕はきっと全てを投げ出してきみを探す」
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