霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅳ 初夏の木漏れ日

180 好き

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「きみは、もしかして僕が思っているよりもずっと強く、僕を好きでいてくれているのかな?」
 なんだか申し訳なくて、そんなことを口走っていた。アルビーはまたちょっと苦笑して、「行こうか」と僕の肩を抱き歩き出した。


 僕はいつだってアルビーのことを考えている。今だって、さっきだって。いつだって彼の呼吸を感じている。混じり合うように。溶け合うように。
 僕は不安でいっぱいなんかじゃない。僕は彼でいっぱいなんだ。僕の中のアルビーが、彼を不安にさせているんだ。

 どうすれば彼は安心できる? もっとちゃんと当たり前に……。

 ずっと、そんなことばかり考えている気がする。キスして、愛し合って、それでも彼は満たされない。僕にできることは?

 なんだか、泣きたくなった。

「アルビー、」
「ん?」
「好きだよ」

 真っ直ぐ前を向いたまま、彼はちょっとにっこりして、肩から移動した手で僕の頭をくしゃりと抱き寄せた。

「本当に好きだよ」
「うん」
「心から愛してる」
「うん」
「本当だよ」
「うん」
「愛してるよ、アルビー」

 彼は歩くのを止め、僕をぎゅっと抱き締めた。そして囁くような声で、「僕も」と言ってくれた。腕を回した彼の背中は、どこか泣いているみたいに小刻みに震えていた。



 それからゆっくりと丘陵を下って行った。深いあおを湛えた湖面に、深緑の山並みと、羊雲の寝そべる空が映っている。その空を目下ろしながら。


 湖に沿った道沿いのカフェでお昼にした。アルビーは、もっとちゃんとしたレストランで食べたいみたいだったけれど、僕が歩き疲れているんじゃないのかと気づかって、目に入ったこのカフェに決めたみたいだ。
 店内を通って横手にある庭のガーデンテーブルについた。幾つものパラソルで日差しを遮られて日陰になっている、平らな石を並べて築き上げられた壁には白樺の枝が飾られ、クリスマスによく見るような小さなイルミネーションが星のように瞬いている。そしてその上方にこんもりと緑が茂っている。まるで森の中にいるみたいだ。

「あの枝、いい感じだね。アルビーの部屋に似合いそうだよ」
「コウは自然モチーフが好きだね」
「そうだね、ほっとする」

 ちらっとアルビーの耳許に視線を移す。細いシダの葉のピアスが揺れている。全身に入っていたヘナタトゥーは暫くしていない。ずっと忙しくて、時間のかかる絵なんて描いてもらう暇はないらしい。

「初めて会った時、僕のピアスを見て大笑いしただろ?」

 耳にタコ……。

「ごめん」
「コウがあまりに無邪気に笑うからさ、僕はきっとあの時から恋に落ちていたんだ」
「そんな訳ないよ。ずっときみは僕に意地悪だったよ。からかってばかりで」
「コウがつれないからだよ。マリーとばかり仲良くなって、僕の顔を見るとすぐに逃げて」
 
 だって……。

 唇を尖らせた僕を見て、アルビーはクスクス笑っている。穏やかに、優し気に。昨日の出来事が夢だったみたいに。

 こんなふうに夢にしてしまうために、彼はハムステッドヒースに行っていたのだろうか。スティーブやアンナに心配かけないように。まかり間違っても、マリーに遣り切れない想いをぶつけたりしないように。

 スティーブやアンナは、いったいどう思っているのだろう? 彼がここへ来ることを。どうして彼にこんな過酷な義務を負わせるのだろう?

 疑問は尽きなかったけれど、もう蒸し返すのは嫌だった。今の彼のこの笑顔を曇らせるのは嫌だ。

「コウ、」
「え?」
「ほら、またぼーとしている。きみの皿、気づいてる?」

 いつの間にか、テーブルには焼き立てのミートパイと、マッシュポテトの載った皿が置かれていた。
 アルビーのしなやかな指先が、銅製のビアジョッキに入ったフライドポテトを、小皿に入ったディップにつけて口に運んでいる。
 僅かに開いたその唇に、欲情した。

「そのバケットサンドも美味しそうだね」

 慌てて誤魔化すように言うと、アルビーは笑ってザクリと細長いバケットを二つに切り分けて、一方を僕にくれた。だから僕もミートパイを半分にして彼の皿に載せた。



 ウィンダミア駅から帰路につき、乗り換えを終えて高速鉄道のシートに腰を下ろした後の記憶は殆どない。夕方からの乗車は、また車内サービスのメニューが変わるのかと気になったけれど、週末は昨日と同じだと聞いて安心して眠りに落ちた。ずっとアルビーにもたれたままだったって気づいたのは、ロンドンに着いてからだった。






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