夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第一章

疑惑

 吐息が重なり合う瞬間――。

 彼と僕とを分ける線は、パラパラとほどけて剥落する。拡散する熱に熔解され、どろりと混ざり合うのだ。――黄昏色に。

 深く吸い込んだ僕の息を、彼が熱く吐き出す。ぞわりと背筋を震わせる、蜜蜂の羽音のような喘ぎにのせて。短く、微かな、僕にだけ聴こえる揺らぎに変えて。
 僕はその息を呑み込む。そしてまた注ぎ込む。彼と僕の吐息は、マーブル状に混ざり合う金と赤の焔のようにゆらゆらと揺らめき立ち上がる。その焔に嬲られて、僕はますますかたちを失うのだ。煽られ、掻き立てられ、耐え切れなくなった彼が、青白く透き通る汗に交じって熔け出してしまうまで。

 僕を受け止めてくれるこの液状化した大地に、僕は僕自身を投げ捨てる。
 叩きつける雨のように。激しく――。

 どろどろに熔け合った僕と彼は二人で一つ。僕にこんな世界を見せてくれるのは彼だけ。これまで誰も僕にはなり得なかったのに、彼だけが違った。

 彼だけが――。




「おい、アル!」
 肩を叩かれ目を開けた。うるさい、聞こえている、と目線で返事をする。

「昼食時間だろ? 付き合うよ」

 顔をしかめて威勢の良過ぎる声を聞き流し、時計に眼をやった。作業はまるで進んでいないのに時間だけは過ぎていく。無意識に深く息を吐く。僕の息を呑み込んでくれる彼は、ここにはいないのに。

 いるのはこのおしゃべりな男だけだ。そもそもどうして、こいつがここにいるんだ? 靄のかかった頭の中をひっかき回してみても、これと言って思い当たらない。この男と、約束なんてしていたっけ――。
 内的な不安と、それを誤魔化すための衝動性を延々と垂れ流すだけの男だ。僕の苦手な――。彼は、僕といることにいつも緊張する。その緊張を喋ることで発散させようとする。おまけに……。

 ここまで意味もなく考えて、馬鹿らしくて思考を止めた。彼がどんな人間であろうと関係ない。彼は僕の可愛い恋人ひとの信頼する友人だ。それだけで、他より優先するだけの価値がある。尊重しなければならない意味もある。

 棚の上のランチボックスを片手に、僕と彼以外誰もいない研究室を後にした。



 彼は僕を芝生に残して、近くのカフェに行っている。僕と同じようにコウに弁当を作って貰っているくせに、この時間まではもたなかったらしい。当前のようにカフェに誘うので、ランチボックスを持ち上げてみせてやった。
 彼を待っていると昼時間なんてすぐに終わってしまう。ポットの緑茶を蓋に注ぎ、一口喉を湿らせてから、几帳面にラップで包まれたおにぎりを取り出しかぶりついた。至福の時間だ。コウのおにぎりには、僕への愛が詰まっている。

「それで、何の用?」
 戻って来たショーンが、コーヒーを二つとサンドイッチを袋から取り出した頃には、僕はもう食べ終わっていた。コーヒーを受け取り、訪ねてきた理由を、さっさと話すようにと促した。こうしてわざわざハムステッドから一時間もかけて来たのだ。コウや、あの赤毛には聞かれたくない重要な話を抱えているのだろうに。

 この男――、回り過ぎる口を塞ごうと思ったら、固いバケットサンドでも捻じ込んでおくしかないようなお喋りのくせに、肝心な話になると、とたんに喋り方を忘れてしまう。ブレーキとアクセルの効きに大いに問題のある困った男なのだ。

 僕の、ショーン・プレスコットは――。
 



 


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